無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

土曜の昼なら誰も読むまい

前も少し触れたが、竹石渉監督を起用した事でVR周りの雰囲気がほんの僅かに変わってきた。いつまでも無意識日記はVRの悪口ばっかり書いてるな!と思われ続けるのも癪なので(?)リアルタイムで印象が軌道修正されていく様子も記録しておきたいと思う。

https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1165401.html

goo blogハイパーリンクが効かないのでメモ代わりだが、impressの記事であれやこれやと『光』と『誓い』のVRについての苦労話が語られている。文中に「クリエイターと一緒でないと開発できない」とあるが、まさにここがポイントだ。

技術開発側にとってVR技術は目標であり目的であり価値ではあるが、アーティストやクリエイターにのとっては新しい道具でしかない。刀鍛冶氏は「美しいだろう?よく切れるだろう?」で満足かもしれないが、それを使う料理人や殺人鬼は「何をどうやって料理するか」が問題だ。無闇に振り回して切ってはならない大切なものまでズタズタにしてはいけません。それが『30代はほどほど。』で起こった事で、あたしゃ当時前後都合2ヶ月に渡って怒り続けた訳だがこうやってクリエイター視点が入ってくれれば大変喜ばしい。徐々に「してはいけないこと」が見えてくることだろう。

しかしそれでも勿論不十分だ。VRは過渡期いやさ黎明期なので万の失敗を作り出して一の成功を掘り当てる感じで全く構わないし、気にせずどんどんやってくれとは思うが、その一の成功に辿り着く為にはただの闇雲では覚束無い訳で常なる批判精神が必要だ。なので、ひとつ指摘しておきたい。

宇多田ヒカルは音楽家、とりわけ歌手として認知されている。色々あるけど結局大多数は「歌がいい」から好きなのだ。我々のように顔だ背中だ胸だ脚だいややっぱり目線でしょなんて言うのはニッチにも程があるコアなファンの話なのである。

だから、未だに、これだけ「映像体験」の開発について熱弁をふるわれる中で「音」についてのコメントが無いのには危うさを感じる。目で追う体験のリアリティばかり追究して耳で感じるリアリティは疎かになっていないのか? 音源のビットレートを上げればそれでいいの? VRに合わせた録音技術や再生機器の現状はどうなっているの? いやそれは今ここで論じることではない、というのは当然本音なんだろうけど、たった今確認したように宇多田ヒカルは歌手である。ビジュアルだけでも我々は飛びつくが、それがメインだと錯覚されると本当に危ない。視覚のリアリティばかり追究する余りエスカレートして「宇多田ヒカルがあなたと一日デートしてくれるVRコンテンツ」がリリースされたりしたら…私買っちゃうな。今後も是非々々開発頑張ってください。(まさかの寝返りオチ(笑))