現在には、究極性をいれる余地がない。未来もそうだ。
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現在には、究極性をいれる余地がない。未来もそうだ。なぜなら、未来は、やがて現在がそうなって行くものにすぎないからである。だが、こういうことは知られていない。わたしたちの内部で、究極性とつらなっている欲求の尖端を現在にあてがってみれば、それは現在をつき破って、永遠にまで達するであろう。
未来からわたしたちを引き離す、絶望の効用は、こういうところにある。
−−シモーヌ・ヴェイユ(田辺保訳)『重力と恩寵』ちくま学芸文庫、1995年、40頁。
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2012年大晦日。
正味の所、本年は、絶望の断崖に弾劾された一年だったのではないかと思う。別に死のうとは思わないけれども、生きる意味を心と頭でもう一度、最初から考え直すことができる好機になったのではないかと思う。
別にバラ色の未来を夢想して、今を犠牲にしているんだなどとごまかす必要もないし、だからといって現状に安住……というか安住すらになっていないけれども……する必要もないけれども、やるべきことをやりながら、馴化されないように警戒心をさらに高めながら、一日一日を大切にしたいと思う年末です。
さて、本年はそういう「つらい年」であったことは否定できないけれども、さまざまな人との「不思議な」(……としか表現できないんです、ほんとうに)巡り合わせ、縁というものから、点と点、線と線がつながり、私自身が取り組んでいかなければならないことが明瞭になり、そして、もういちど、ふんばるかという機会になったことには、感謝しても仕切れません。
ほんと、今年は「不思議な」“縁”に恵まれた一年だっと思います。
ブログの方は、忙しさにかまけて、申し訳ないのですが、毎日、自身の綴りを継続することの余裕を確保することができなかったのです、新しい年は、さらにブラッシュアップをかけていければとは思いますので、読者諸兄姐、新しい年もどうぞよろしくお願いします。
みなさまに、平安が訪れますように。
筆主敬白。