覚え書:「引用句辞典 不朽版 『真の人生』の逆説=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年02月27日(水)付。



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引用句辞典 不朽版
「真の人生の逆説」
鹿島茂

幼年時代を全肯定し一億総シュルレアリスト

 シュルレアリスムにのめりこむ精神は、自分の幼年時代の最良の部分を、昂揚とともにふたたび生きる。(中略)幼年時代やその他あれこれの思い出からは、どこか買い占められていない感じ、したがって道をはずれているという感じがあふれてくるが、私はそれこそが世にもゆたかなものだと考えている。「真の人生」にいちばん近いものは、たぶん幼年時代である。幼年時代をすぎてしまうと、人間は自分の通行証のほかに、せいぜい幾枚かの優待券をしか自由に使えなくなる。
アンドレ・ブルトンシュルレアリスム宣言」 『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』所収、巌谷國士訳、岩波文庫

 二〇一三年の現在、シュルレアリスムの教祖ブルトンによるこの幼年時代の定義に意義を唱える人は、少なくとも、先進国にはほとんどいないはずだ。幼年時代こそは「真の人生」にいちばん近いものだとだれもが感じている。
 だが、一九二〇年代に、アンドレ・ブルトンシュルレアリスム運動を始めたときには、この幼年時代の定義はあきらかに異端であった。でなければ、ブルトンがわざわざシュルレアリスムマニフェストとしてこれを掲げたりはしない。
では、ブルトンが「真の人生」=幼年時代の対立物として断罪しようとしていたのは何だったのだろうか? 理性=損得勘定によってすべてがあらかじめ定められ、買い占められてしまっている「音なの生活」である。ブルトンにとって、「大人の生活」というガラスの円天井をうち破り、その外側へと脱出することこそがシュルレアリスムであり、そのためには、なんとしても幼年時代を取り戻さなければならなかったのである。
 しかし、時間とともにこのシュルレアリスムの主張は広く認められ、二〇世紀の芸術・文化は、シュルレアリスムの「方法」には拠らぬまでも「真の人生」=幼年時代という思想を全肯定することになる。さらに、時がたち、二一世紀となるや、それは「異端」の領域から脱して、一般人の生活という「正系」をも支配するに至ったのである。
 だが、こうした過程で、だれも気づかなかったパラドックスが生まれた。
それは、「真の人生」=幼年時代と信じる人たちは自分の幼年時代の中にアルカディアを見て、それを延長しようとすることはあっても、幸せな幼年時代を次代に与えようとはしなかったということだ。それもそのはず、幼年時代を拠り所として生きるということは、生涯独身か、あるいは結婚しても子供をつくらないというオプションを選び、生命連鎖の環を自分のところで断ち切るのと同義だからである。なぜなら、「真の人生」を十全に生きようとしたら、子供をつくってその養育費や教育費のためにあくせく働くなどというのは完全に邪道であり、絶対に選んではならない選択肢だったからである。
 シュルレアリストたちが先導した幼年時代の全肯定は、こうして、次の時代の幼年時代を消滅させるという逆説を生んだのである。
しかし、それでも、幼年時代の全肯定が、シュルレアリストなどの例外的な存在に限られているうちはまだよかった。、子供じみた変な奴らが変なことをしている、で済んだのである。異端が異端のままでいる社会は、ある意味、とても健全であった。
 だが、いつしか、商業資本が異端に目をつけるに及んで、幼年時代全肯定の思想は、サブ・カルチャーというかたちをとってありとあらゆる社会層へと拡散していった。「真の人生」は幼年時代にしかないと子供の頃からたえず無意識に刷り込まれていけば、どんな普通の人でも、幼年時代というアルカディアを無限に延長してゆくのが最も正しい道であると信じるようになる。異端が正系に化け、「一億、総シュルレアリスト」と化した悪夢のような社会。これがいまの日本なのである。
 シュルレアリストのように幼年時代を全肯定する思想は「社会」にとって異端であるばかりか有害であるから、すべからくこれを弾圧すべしという主張を囗にすることは、何人にも許されない。また、「真の人生」は幼年時代にありというのは一部の特権的な人間にしか許されないのだから、そうしたFXに似たリスクを普通の人間は冒すべきではないという「まっとうな」考えも反動と見なされるようになった。かくて「個性尊重」という、一見、あたりさわりのない、だが、その実、かなりの危険を孕んだ思想が社会をしずかに覆いつくしてゆくのである。(かしま・しげる=仏文学者)
    −−「引用句辞典 不朽版 『真の人生』の逆説=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年02月27日(水)付。

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覚え書:「今週の本棚:渡辺保・評 『完本 浄瑠璃物語』=信多純一・著」、『毎日新聞』2013年03月03日(日)付。




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今週の本棚:渡辺保・評 『完本 浄瑠璃物語』=信多純一・著
毎日新聞 2013年03月03日 東京朝刊

 (和泉書院・3150円)

 ◇日本文化の源をなす「死と再生の神話」を知る

 日本の三味線音楽には大きく分けて二つの流れがある。一つは浄瑠璃、一つは唄。二つの違いはストーリーの有無による。浄瑠璃にはストーリーがあり、唄にはない。浄瑠璃の代表的なものは、義太夫常磐津、清元、新内。唄は長唄地唄、端唄、小唄である。

 この浄瑠璃のもとが中世に成立した「浄瑠璃物語」すなわち本書である。浄瑠璃とは本来清浄な瑠璃の玉をいい、浄瑠璃世界といえば、その玉に飾られた世界−−薬師如来の浄土をいう。そこから転じて薬師如来の神将の一人の生まれかわりの、この物語のヒロインの名前になった。浄瑠璃御前。彼女の物語を語る旅芸人を浄瑠璃語りといい、これが三味線と結びついて浄瑠璃の水源となり、一大水脈をつくった。

 信多(しのだ)純一によれば、その水源はまず物語−−文学にはじまり多くの物語に影響を与え、詩歌をとりこみ、末は西鶴に及ぶ。その一方では音楽になり、三味線と合体し、演劇に進出した。さらにもう一方ではこの本にも挿入されている美しい絵巻になり、奈良絵本になってついには浮世絵の題材になった。すなわち文学、音楽、美術、演劇と、ほとんどあらゆる文化領域の底流になったのである。

 しかしあまりにその拡散が広範囲にわたったために、その大もとの「浄瑠璃物語」の本体は今日まであきらかではなかった。

 そこで信多純一は、新しく発見した比較的まとまった善本と他の異本の断片を照合し「定本」をつくった。この作業によって伝説のなかにあった「浄瑠璃物語」の全貌があきらかになったのである。信多純一はさらにこの「定本」の現代語訳を行って本書をつくった。現代人の読み物になったのである。

 浄瑠璃御前は、三河の国の平安貴族と矢作(やはぎ)の宿(しゅく)の遊女の間に、薬師如来から授かった十四歳の美少女である。遊女の娘といっても、金殿玉楼に住み、何十人もの女性にかしずかれる娘である。一方鞍馬山で修行中の源義経(牛若丸)が奥州の藤原秀衡(ひでひら)の配下金売り吉次(きちじ)に伴われて、東海道を下ってくる。十五歳。矢作の宿で義経は彼女を見染め二人は結ばれる。その恋物語であるが、この本を読めば、これが単なる恋物語でないことはあきらかである。私がそう思う理由は、第一にその描写が現実離れしていること。たとえば御前の住居の絢爛(けんらん)豪華なありさま、あるいは恋の描写の複雑さ。その複雑さは十四歳と十五歳の若い男女の恋ではなく幻想的かつ文学的な空間である。
 第二に義経は歴史上の人物像とは全く違っているばかりか、ここには神仏はもとより天狗(てんぐ)の如(ごと)き化け物が登場して、人間と異界の区別がほとんどない。

 すなわちこれは民衆の作り上げた幻想世界であり、神話であった。神話だからこそ文化の広い領域にひろがる水源になったのである。

 私は、この文章を読み、美しい絵を見て、この物語になぜ人々が心を動かされたかを思った。そこにはこの物語に救済をもとめた民衆の心が流れている。すなわちこの物語は、死と再生の神話−−浄瑠璃御前も義経も死と再生を体験している−−の原型であり、歴史の底辺で大衆が求めたものを示している。

 読みながら私は、レヴィ・ストロースアメリカ大陸の先住民の仮面をたどって、神話分析を行った『仮面の道』を思い出した。そういう研究がこの本からもつくられるべきである。そうすればさらにこの神話の意味、日本文化のもう一つの原点があきらかになるだろう。その可能性を含めてこの本の出現は文化史上の一つの「事件」である。
    −−「今週の本棚:渡辺保・評 『完本 浄瑠璃物語』=信多純一・著」、『毎日新聞』2013年03月03日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130303ddm015070045000c.html








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覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『アサイラム・ピース』=アンナ・カヴァン著」、『毎日新聞』2013年03月03日(日)付。




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今週の本棚:若島正・評 『アサイラム・ピース』=アンナ・カヴァン
毎日新聞 2013年03月03日 東京朝刊

 (国書刊行会・2310円)

 ◇囚われの心象を封じた忘れがたい短篇群

 アンナ・カヴァンと言えば、すぐに連想するのは、今はなきサンリオSF文庫である。一九七八年から十年間にわたり、ジャンルSFのみならず前衛的な主流文学まで幅広く海外文学を紹介し、ひと味違った奇妙な作品が多いことで愛好家に知られていた文庫だった。その中でも記憶に残るものを選び出せば、アンナ・カヴァンの『氷』『ジュリアとバズーカ』『愛の渇き』の三冊はおそらく上位にくるはずだ。とりわけ、忘れがたい印象を残す『氷』は、J・G・バラードの初期作品群のような破滅SFの趣を持ちながらも、幻想小説や冒険小説の要素をミックスした独特な作品として、いまだに彼女の代表作であり続けている。しかしその当時は、異様な作品世界に目を奪われて、アンナ・カヴァンというあまり知られていない作家自身についてはそれほど関心が向けられなかったが、実を言うと『氷』は彼女が生前に発表した最後の作品だったのである。死後出版された短篇集『ジュリアとバズーカ』も含めて、わたしたちはいわば双眼鏡を逆に持つように、最後のアンナ・カヴァンから先に眺めたのだ。

 それから三十年近くが経過して、今回久しぶりに出た『アサイラム・ピース』は、彼女がアンナ・カヴァンという筆名を使った第一作となる短篇集である。彼女はそれまで使っていたヘレン・ファーガソンという筆名をここで変え、作風も変えた。つまり、わたしたちは『アサイラム・ピース』でアンナ・カヴァンという新しい作家の誕生を目にすることになる。
 この短篇集は、連作短篇の形式を取る表題作「アサイラム・ピース」を除けば、残りの十三の短篇はすべて、ある強迫観念に取り憑(つ)かれた女性の「私」の一人称で語られている。精神に変調をきたし、療養生活を送ることになった人々を描く「アサイラム・ピース」ではクリニックという具体的な形を与えられているが、残りの十三篇の語り手たちもまたある意味で、「わけのわからぬままに囚(とら)われの身になった人間」であり、自分を取り巻く世界に、家に、そして自分自身の観念に閉じ込められている。敵はいたるところに遍在している。「すべての原子、すべての分子、すべての細胞が一致団結して悪辣(あくらつ)な謀議をこらし、ターゲットになった者にどす黒い攻撃を仕かけてくるのだ」。しかし、その敵は姿が見えない。それは鏡の中にしかいない、幻なのかもしれない。「この世界のどこかに敵がいる。執念深く容赦のない敵が。でも、私はその名を知らない。顔も知らない」。この不条理な世界に対して、語り手たちは静かな怒りに近い感情をおぼえる。「どうして私だけが、見えない看守のもとに苦痛に満ちた夜を過ごさなければならないのか。私はいかなる法のもとに裁かれ、有罪とされ、これほど重い刑を宣告されるに至ったのか」

 こう引用してみればわかるように、この作品世界はカフカの『城』や『審判』に近い。しかし、アンナ・カヴァンが一読すればすぐに彼女のものだとわかる独自のスタイルを持つに至ったのは、女性の一人称によって語られる心象風景を、水晶や氷を想(おも)わせる硬質の文体で、しかも断片的な短篇の中に封じ込めた点にある。各短篇は、物語や登場人物たちが自由に動き出す前に、すっぱりと切り取ったように唐突に終わる。いわば、作品そのものが孤独なのだ。『アサイラム・ピース』に収められた作品たちは、まるでクリニックに収容された人々のように、それぞれの作品世界という個室に閉じこもっている。そして、なによりも驚かされるのは、アンナ・カヴァン自身を反映した不安定な精神世界を描きながらも、筆致は決して不安定ではなく、むしろ徹底して論理的であることだ。その微妙なバランスが、彼女を作家にした。
 この短篇集には、「終わりはもうそこに」と、「終わりはない」という、矛盾した題の二篇が並べて最後に置かれている。全篇を通じて、決して口にされることはない「死」という言葉は、警告という形でしか現れない。自殺という可能性がつねにすぐそこにありながら、語り手たちは生き続ける。「待つこと−−それは、この世の何よりも難しいことだ」という言葉は、本作品集では最も悲痛なものとして響く。アンナ・カヴァンという作家が、この地点で最後を迎えたのではなく、この地点から出発して、それから二十五年以上も小説を書き続けたという事実に、わたしは驚異をおぼえる。

 アンナ・カヴァンにとって、書くことはまさしく生きることだった。代表作『氷』は、文字通り外に出ようとする冒険の試みだった。ヘロインの常用による心臓病が原因になったとされている彼女の死については、自殺説もあるようだが、わたしは信じない。彼女はまだまだ書いて、そして生きたかったはずなのだから。(山田和子訳)
    −−「今週の本棚:若島正・評 『アサイラム・ピース』=アンナ・カヴァン著」、『毎日新聞』2013年03月03日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130303ddm015070046000c.html






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覚え書:「みんなの広場 原発に隕石、果たして杞憂?」、『毎日新聞』2013年02月28日(木)付。






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みんなの広場
原発に隕石、果たして杞憂?
無職 65(山口県周南市

 取り越し苦労を意味する「杞憂(きゆう)」は、中国の古代王朝・周にあった杞の国の人が天地が崩れるなどとありもしないことを憂えた故事からきている。隕石の落下もこれまでは、多くの人が杞憂と思っていたかもしれない・
 だが先日、ロシア・ウラル地方に落下し、約1500人が負傷したことで無用の心配とは言えなくなったと思う。落下地点とみられる湖から90キロ北には核燃料製造・再処理施設があった。直撃していれば、悲惨な大災害になったであろう。
 しかし、日本の原子力規制委員会が策定中の安全基準は、隕石の原発への衝突を想定していない。「質問なるほドリ」によると「頻度が低く、考え出すときりがない」の理由という。しかし確立が限りなく低いことをよいことに対応を怠っているのが実情ではないか。可能性がある以上「直撃するはずはない」とは信じられない。ロシアの空を走った閃光や流星痕を目の当たりにした今、隕石も現実的な脅威と考える。
    −−「みんなの広場 原発に隕石、果たして杞憂?」、『毎日新聞』2013年02月28日(木)付。

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