覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『書物変身譚』=今福龍太・著」、『毎日新聞』2014年07月20日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『書物変身譚』=今福龍太・著
毎日新聞 2014年07月20日 東京朝刊

 ◇『書物変身譚(しょもつへんしんたん)』

 (新潮社・3456円)

 ◇時空超えた芸術・書物の文化人類学的渉猟

 今福龍太による新著は、書物をめぐる美しいイメージを自由につなぎ合わせながら、思想の運動を粘り強く展開している。その結果できあがったもの自体が、稀(まれ)にみる美しい一冊の本になっている。

 著者はもともと文化人類学を専門としていたはずだが、いまや、芸術や詩学を探索する思想家といったほうがいいだろうか。様々な文化と言語の境界を大胆に越えながら、常識的なジャンル間の垣根を無視して、嗅覚の鋭い狩人のように魅力的なものをつかみとり、大胆に結び合わせる今福の方法は、誰にも真似(まね)のできない独自のものだ。芸術と書物の世界を文化人類学的にフィールドワークしている、とも見えるだろう。

 本書を構成する十章も、いちおう「書物」という基本的なモチーフによってつながっているとはいえ、読者はあまりその主題にこだわらないほうがいいかもしれない。ここでは体系的な書物の歴史が語られるわけでもなければ、書物の社会的な意義やその未来についての考察があるわけでもないからだ。そのかわり、著者は世界の様々な時間と場所を行き来しながら、思想、哲学、芸術、音楽、言語、文化人類学、考古学、博物学など様々なディシプリンに分け入り、意外な結びつきを発見していく。内容はかなり難解で、いまどき文学者でも使えないような詩的なレトリックが時に駆使されるが、著者を信頼して身を委ねてしまえば、読者は必ず、見たこともない光景へと導かれていくに違いない。

 たとえば「瓦礫(がれき)と書物」という最初の章では、大地震や戦火によって灰燼(かいじん)に帰した図書館の事例をつなぎ合わせながら、東北の宮沢賢治、ドイツの思想家ベンヤミンの「歴史の天使」、アルゼンチンの作家ボルヘス、ドイツの造形作家キーファー、ユダヤ系詩人ツェランなどの作品をちりばめ、最後には「書物の不在」を論ずる批評家ブランショにまで説き及んで、「未来からやって来た書物が語る警告と追悼の言葉」をきちんと受け止めるように読者に呼びかける。

 その次の「種子のなかの書物」という章では、アメリカの思想家ソローの『ウォールデン』(『森の生活』の邦題でも知られる)を取り上げ、アメリカのナチュラリスト詩人スナイダーの言葉を引きながら、樹木を表す言葉が「西欧の言語文化の生命の核をかたちづくる<種子の音節>」になり、そのような言葉によって書かれる書物の中には植物のヴィジョンが深く浸透していくのも当然だと説く。じつはこの『ウォールデン』は、三つ先の「沈黙という名の書物」という章で、一世紀を隔て、前衛作曲家ジョン・ケージの愛読書として再び登場する。本は時空を超えて呼びかわすものなのだ。

 その他、鱗翅(りんし)類研究者でもあった作家ナボコフの蝶(ちょう)と自伝をめぐる幻想、ミショーやル・クレジオ、エンツェンスベルガーをつなぐ美しくも厳しい氷山のイメージ、オーウェルがアンチユートピア小説『一九八四年』で提示した悪夢のような未来社会や、カフカの描いた恐るべき人間処刑機械などが次々に繰り出され、そのすべてが驚くべきことに、「書物」という横糸によってつなぎ合わされる。

 そして、最後には哲学者デリダの議論を援用しながら、「琥珀(こはく)のアーカイヴ」というイメージへと至る。書物の歴史とは、結局のところ、「生命の変身と連鎖の物語」なのだ、という結びの言葉こそは、デジタル化の進行が伝統的な形の本の存続さえも脅かしている現代にあって、これ以上はないくらい力強い書物の擁護ではないだろうか。
    −−「今週の本棚:沼野充義・評 『書物変身譚』=今福龍太・著」、『毎日新聞』2014年07月20日(日)付。

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