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2014-10-30

覚え書:「今週の本棚:中島京子・評 『愉楽』=閻連科・著」、『毎日新聞』2014年10月26日(日)付。

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今週の本棚:中島京子・評 『愉楽』=閻連科・著

毎日新聞 2014年10月26日 東京朝刊

 

 (河出書房新社・3888円)

 ◇レーニンの遺体を買って村おこし

 フランツ・カフカ賞受賞作家の傑作長編。原題は「受活」で、中国中西部の方言だという。小説中の註(ちゅう)によれば、「楽しむ、享受する、愉快だ」などの意味があるそうだが、中国人でも別の地方の人々には「気持ちがいい」くらいの意味と察せられる程度らしい。じつはこれ、舞台となる村の名前である。明代の大移民政策で、身体障害者ばかりが集められ、代を経てもほとんどが障害者という受活村。聞くだけで度肝を抜かれるが、真夏、村に大雪が降るところから物語は始まる。夏に雪とくれば、大事件が起こると想像がつく。

 ときは1990年代末のこと。受活村を擁する双槐(そうかい)県の柳(リゥ)県長が、とんでもないことを思いついた。貧乏県から脱するためには観光客を呼び込まねばならない。北京で人気の観光スポットといえば、天安門広場毛沢東ミイラソ連邦が崩壊して以来いろいろな綻(ほころ)びが出て経済的に困窮したロシアでは、レーニンの遺体を保存する経費がなく大問題になっているという。ならばこの社会主義の英雄の遺体を買い取って、我が双槐県に「レーニン記念堂」を作って安置し、観光名所にしようではないか! しかし買うには莫大(ばくだい)な金が要る。そこで目をつけられたのが受活村だった。

 障害者だけの村に住む人々は、助け合って耕作も大工仕事も何もかも自分たちでやっていた。そうして何代も暮らしてきたために、たいへんな技術を身に着けていたのだ。片脚の男は飛ぶように走り、上半身しか動かない女は刺繍(ししゅう)の天才で、目の不自由な少女は何の羽がどこに落ちたかまで聞き分ける耳を持つ。こうした、いわば超能力を持った連中で「絶技団」を結成し、国中を公演して回って金を稼ぐのだ! かくして村の人々は、県の起死回生の観光政策に一役買わされる羽目になる。

 この奇想天外な筋立てだけでも相当面白いのだけれど、それと同時並行で「くどい話」と括(くく)った註があり、中華人民共和国の激動の歴史を、村の指導者である茅枝婆(マオジーポー)や柳県長の過去という一筋縄ではいかないフィクションで包みながら描いていく。

 マジック・リアリズムと現代中国文学の相性のよさは莫言(モーイエン)作品などでも証明済みだし、これだけユニークで大掛かりな設定があれば、つかみは十分だ。しかし、2段組み430ページを一気に読ませる面白さの肝は、おそらくこの小説の「受活」にある。村の住人の自立度の高さは、「身体障害者ばかり」の世界を明るく見せることに成功しているけれども、受活村の魅力はその超人性よりもむしろ、足りないものを補い合い助け合って、無用な上下関係を作らない暮らし方にある。受活村はその名のとおり、一種のユートピアなのだ。茅枝婆はその村に社会主義革命を持ち込んだ女兵士だ。しかしそれが村にとって災難だと知り、生涯を「退社」(村を人民公社から出すこと)に捧(ささ)げることになる。

 この女性を描く閻連科(えんれんか)の筆は温かい。読み手には、一方的な社会主義批判ではなくて、彼女がかつてなぜ革命の理想に惹(ひ)かれたのかも伝わってくる。茅枝婆よりずっと人間くさく欲望に満ちた柳県長の愚かしい夢も、一抹共感せざるを得ない哀愁を帯びている。読んでいると現代中国が抱え込んだ問題の暗い穴の淵(ふち)まで連れて行かれる気がするし(そしてそれを抱え込んでいるのは「中国」だけではなく「現代」そのものという気もして)、人間の本質的な醜悪さも嫌というほど見せられるのに、読後に名状しがたい優しさのような感覚が残る。その「気持ちよさ=受活」は、得難い読書体験だった。(谷川毅訳)

    −−「今週の本棚:中島京子・評 『愉楽』=閻連科・著」、『毎日新聞2014年10月26日(日)付。

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