病院日記:50〜60代の子どもの心配・世話をする80代以上の親のお見舞いという「忍びない」光景

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介護の話題で耳目をひくのは老々介護の話題ですけど、病院で仕事をしていると、老々介護ならぬ老老子介護とでもいえばいいでしょうか、その光景を目の当たりにするに、非常に切ないものを感じてしまいます。
※そして「切ないもの」を感じてしまう「傲慢さ」は承知しておりますが、ひとまず横に置きます。

さて、老老子介護ですけど、これは精神科だけでなく全ての病棟で見かける光景ですが、つまり、50〜60代の子どもの心配・世話をする80代以上の親のお見舞いというそれです。

支援する側がまだ「若い」のなら「まだしも」ですけど、老いた親が子の心配をする光景は、非常に忍びありません。

3.11以降、「絆」よろしく、「自助」「共助」という言葉が強調されます。しかし、そのミニマムな共同体モデルとしての「戦後家族モデル」が失われつつある今、その胡散臭さに危惧を覚えます。

具体的に言えば、何かあれば「家族で面倒を見ろ」といういびつな「自助」、そして何かあれば、実際のところ戦時下の「隣組」を彷彿とさせる「相互監視システムよ、再び」という「共助」。

老いた子どもが老いた親の世話をする。老いた親が老いた子どもの世話をするという「自助」自体、現実的に限界に来ている。

その介護の「美談」の如きものを耳にして「いい話し聞いた☆」で済ませる訳にもいかず、「共助」といっても「絆」の語源の如き排他主義を隠しつつ、本来、必要なはずの共助としての公的支援・補助を「アウトソージング」といって誤魔化している訳で。

「家族で面倒を見る」ことも限界ですし、「お隣さん同士助けあう」ことにも限界がある。公的支援をばっさり切って、そこに現出するのは、「息苦しい」強者ばかりが生き残る殺伐とした光景ではありませんかねえ。

少し考え直す必要があると思います。


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覚え書:「松尾貴史さん(タレント)と読む『超芸術トマソン』」、『朝日新聞』2014年12月14日(日)付。

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松尾貴史さん(タレント)と読む『超芸術トマソン』 
[掲載]2014年12月14日

(写真キャプション)松尾貴史さん(タレント)中島らも原作「君はフィクション」を15日まで東京・全労済ホール/スペース・ゼロで上演中。仙台、大阪でも。=山岸伸撮影

■省エネな遊び方に衝撃

超芸術トマソン』 [著]赤瀬川原平 (ちくま文庫・1188円)

 赤瀬川さんの本で最初に読んだのがこれで、電車の中で声あげて笑いましたよ。こんな面白い世界があったのかと。上って下りるだけの「純粋階段」とか何も支えていない柱とか、何かの痕跡のような、作った人が何も意図していないところでイマジネーションを膨らませ、美的価値を見いだす。地味だけどキッチュでね。遊び場が見つかった、自分の居場所はここだ、くらいの気持ちでした。
 学生の頃はグラフィックデザイナーになりたかったんですが、面白いこと、人がびっくりするようなことが好きで、自分の好きな質のところに入り込めて、気づいたら後戻りしにくい状況になっていた。この道(と言って、どの道かわかってないんですけど)を目指したわけではないんです。中島らもさんと飲み歩いたり、お宅に入り浸ったりしていたのもその頃。この本で、イマジネーションの上手な使い方というのかな、意図とかドラマ性とか過去の来歴など何もなさそうなところからイメージだけを増殖させる省エネな遊び方に衝撃を感じたんです。「失敗」を「芸術を超えた」と捉える心の深さ、大きさにもね。
 明治のジャーナリスト宮武外骨を書いた『外骨という人がいた!』も面白くて、いまからするとストーカージャーナリズムだなと思いますが、これは赤瀬川さんの語り口が、外骨への慈愛に満ちているんだけど笑い物にするところではきれいに突き放す、というさじ加減が粋だなあと思いました。ご本人も「千円札事件」の裁判を闘った方です。遠くから憧れて見てはいても、こういう人は会うと厳しいんだろうな、などと想像していましたが、後年、ラジオ番組にゲストで来てくださった時には、僕が照れてしまって満足にお話しできなかった。厳しそうな人ではありませんでした。老人力をもっと長く発揮していただきたかったけど、ヤボじゃないところが、いかにも赤瀬川さんなのかもしれませんね。
(構成・大上朝美)
    −−「松尾貴史さん(タレント)と読む『超芸術トマソン』」、『朝日新聞』2014年12月14日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/column/2014121400016.html



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覚え書:「今週の本棚:大竹文雄・評 『コーポレート・ガバナンス』=花崎正晴・著」、『毎日新聞』2014年12月21日(日)付。


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今週の本棚:大竹文雄・評 『コーポレート・ガバナンス』=花崎正晴・著
毎日新聞 2014年12月21日 東京朝刊

 (岩波新書・799円)

 ◇株主利益と社会的責任をどう両立させるか

 あなたがお金を払って、人に仕事を頼んだとしよう。頼まれた人はあなたの望み通りの仕事をしてくれるだろうか。手を抜いたりしないだろうか。あなたの思いと違う物を作ってしまわないだろうか。

 このように代理人依頼人の望み通りの行動をしないことをエージェンシー問題と言う。常に監視するか、事細かに仕様書を作っておけば、そういう心配はしなくてもいい。しかし、時間とお金がかかってしまう。

 株式会社では、企業の所有者は株主であるが、株主は企業経営を経営者に依頼している。株主は配当を最大にしてほしいが、経営者は利益度外視でいい製品を作りたいとか、多くの従業員を雇いたいということを目的にするかもしれない。企業の所有者や利害関係者が、企業経営者に望み通りの経営をさせるための仕組みがコーポレート・ガバナンスと呼ばれるものだ。

 本書では、米国型ガバナンス、日本型ガバナンス、日本の銀行のガバナンス、東アジア企業のガバナンス、そしてコーポレート・ガバナンスの将来像が、著者自身の研究結果をもとに解説されている。

 米国では、株主の利益を最大にするために、社外取締役を利用した株主による経営者のモニタリング、経営者の報酬を企業業績に連動するインセンティブ・スキーム、敵対的買収や委任状争奪戦などが導入されている。これに対し、日本では高度成長期を中心として、株主主権に基づくコーポレート・ガバナンスが機能してこなかった。株式の持ち合いなどによる安定株主対策が行われていたからだ。株主主権によるコーポレート・ガバナンスを補ってきたのが、メインバンクによる企業のモニタリングだというのが、経済学の通説だ。メインバンクは、企業への貸し出しを通じて、普段から企業の経営内容をモニタリングしており、それが経営効率を高めるとともに、経営が悪化した時は改善策を講じ企業を再建してきたと考えられてきた。

 著者の花崎氏による実証分析の結果は、この通説と全く逆である。日本の製造業の経営効率の高さは、メインバンクの有無とは関係がないのである。では、なぜ日本の製造業の生産効率が高かったのだろうか。著者の分析結果は明確だ。製品市場が競争的環境にあるかどうかが、企業の効率性を決める。海外との競争に直面していることも重要である。

 この結果は意外に思えるかもしれない。しかし、競争の程度が低い非製造業では競争によるコーポレート・ガバナンスが効きにくいという実証結果は納得できるだろう。日本の金融機関の貸出先は、製造業から非製造業に移ってきたが、もともと金融機関のガバナンス能力が高くなかったため、非製造業の効率性上昇に結びつかなかった。著者によれば金融機関に対するガバナンスも弱かったという。これが、バブル発生と崩壊とその後の経済停滞の背景にあるという著者の指摘は説得的だ。

 今後のコーポレート・ガバナンスは難しい課題を抱えている。企業の目的は、株主利益の最大化だけではなく、企業活動の外部性を通じた社会への責任をもつことにもある。そうすると、コーポレート・ガバナンスは、複数の目的を考えた上で、総合的な効率性を高めるような方向を模索する必要がある。社会的責任投資はその動きの一つだ。

 しばしば耳にするが、実は分かりにくいコーポレート・ガバナンスという言葉の意味を深く理解させてくれる本だ。
    −−「今週の本棚:大竹文雄・評 『コーポレート・ガバナンス』=花崎正晴・著」、『毎日新聞』2014年12月21日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・この3冊:パトリック・モディアノ=野崎歓・選」、『毎日新聞』2014年12月21日(日)付。


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今週の本棚・この3冊:パトリック・モディアノ野崎歓・選
毎日新聞 2014年12月21日 東京朝刊

 <1>八月の日曜日(パトリック・モディアノ著、堀江敏幸訳/水声社/2376円)

 <2>1941年。パリの尋ね人(パトリック・モディアノ著、白井成雄訳/作品社/1944円)

 <3>失われた時のカフェで(パトリック・モディアノ著、平中悠一訳/作品社/2052円)

 モディアノがノーベル賞の有力候補になっているという噂(うわさ)だけで驚いていたのに、実際に受賞してしまったのだからびっくりした。巨大な作家、という印象ではなかった。ひっそりと、地道かつ誠実に小説を書きついできた。その総体がいつの間にか、世界の文学にとって一つのお手本となるような意義を帯びていたのである。

 まずは『八月の日曜日』をひもといて、彼の文体のやわらかい魅力に親しんでいただきたい。難解な文章や、肩に力の入った議論は見当たらない。しかし憂愁の色は濃く、何か取り返しのつかないことが起こってしまったという感覚が、鈍い痛みのようにつきまとう。ひそやかな恐怖が小説の核心に潜んでいる。

 「人生のあの瞬間からだ。私たちが苦悩を、ぼんやりした罪悪感を、そしてはっきりとはわからないけれど、なにかから逃れなければならないという確信を得たのは」

 「はっきりとはわからない」謎は、とりわけ戦時下の出来事と結びついている。作家は人々が忘れようとしていたナチス占領期の暗い淵(ふち)に降りていく。『1941年。パリの尋ね人』では、失踪したユダヤ人少女の記憶に取りつかれ、かすかな手がかりを頼りに街を経めぐる。現代史の闇を手探りで進んでいく探偵としての小説家。その姿は、冥府をさまようオルフェウスにも似通う。

 「もう誰も何も想(おも)い出さないのだろう、私はそう心の中でつぶやいた。(中略)しかし、この記憶喪失の厚い層の下に、時折り何かがはっきり感じられていたのだ。押し殺された遠いこだま(、、、)のようなもの」

 モディアノの描くパリは、過ぎ去った日々のこだまに満ちている。昔日の面影に誘われるがまま、作家はさすらい続ける。

 「男たち、女たち、子どもたち、犬たち。この途切れることのない流れの中で(中略)、人は時おり、ある面(おも)ざしをとりとめたい、と希(ねが)う」

 『失われた時のカフェで』の一文だ。モディアノのパリ小説の到達点をなす作品であり、全編に漂う悲痛な甘美さには、たまらない魅力がある。作者の円熟ここに極まれりといいたくなるが、しかし同時に、モディアノの文章がいつになっても“老けない”ことにも感嘆させられる。両親に半ば捨てられて街をさまよっていた子ども時代の感覚が、モディアノの作品には今なお張りつめているのだ。
    −−「今週の本棚・この3冊:パトリック・モディアノ野崎歓・選」、『毎日新聞』2014年12月21日(日)付。

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覚え書:「ひと:崔象喜さん 5度目の歩き遍路を遂げた韓国人」、『朝日新聞』2014年12月19日(金)付。

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ひと:崔象喜さん 5度目の歩き遍路を遂げた韓国人
2014年12月19日

 四国八十八カ所霊場を巡るお遍路さんに気さくに話しかけ、周囲によく人の輪ができている。「韓国は嫌い」と言われることもあるが、「私のことは嫌いにならないで」。冗談でこう切り返す日本語は、5巡した歩き遍路で覚えた。

 ソウルで日本人向け民宿を営み、遍路文化を紹介する交流サイトを主宰している。事故死した父親の供養にと4年前、ネットで知った四国へ。遍路をもてなす「お接待」に元気をもらった。翌年は結婚式前の減量を兼ねて歩いた。気づけば毎年遍路に来るようになったが、つらい風にもあたった。

 韓国人への道案内にと、2年前からハングルを記したシールを電柱などに貼っていたことが「条例違反」とネットで批判された。今年春には「遍路道朝鮮人の手から守りましょう」などと書かれた貼り紙が遍路道で見つかった。

 貼り紙のことは韓国でも報道された。悩んだが、「応援してくれる友人のために逃げ出すわけにいかない」と9月に再び来日。歩きながら日韓友好のために遍路休憩所をつくる寄付集めを続けた。道中、「違反」と批判された自分のシールをはがしていると、手伝ってくれるお遍路さんがいた。

 11月末に終えたこの5回目の遍路はいつもの倍近い77日間の旅だった。「困っていると誰かに助けられた。四国には温かい心が通っている。世界にそれを広げたい」

 (文・写真 細川治子)

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 チェサンヒ(39歳)
    −−「ひと:崔象喜さん 5度目の歩き遍路を遂げた韓国人」、『朝日新聞』2014年12月19日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11514501.html





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