覚え書:「今週の本棚:橋爪大三郎・評 『アジア主義−その先の近代へ』=中島岳志・著」、『毎日新聞』2014年12月28日(日)付。
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今週の本棚:橋爪大三郎・評 『アジア主義−その先の近代へ』=中島岳志・著
毎日新聞 2014年12月28日 東京朝刊
(潮出版社・2052円)
◇アジア連帯を希求する綱渡りのロジックの先
玄洋社の頭山満(とうやまみつる)。黒龍会の内田良平。宮崎滔天(とうてん)、北一輝、大川周明、南方熊楠、岡倉天心、田中智学(ちがく)、石原莞爾(かんじ)……と連なるアジア主義は、明治から昭和にかけて日本近代を主導した重要な潮流だが、「黒い系譜」だと戦後は蓋(ふた)をされていた。著者・中島岳志氏はあえてこれに目を向け、思想界のタブーに挑戦する。
アジア主義は、西洋列強の横暴に抗して、日本を先頭に中国やインドなどアジアの連帯を幅広く唱える主張。植民地化に反対する各国ナショナリズムを起点としつつも、その制約を越える国際主義の運動だ。民衆運動と手を結ぶリベラルな面と、日本帝国主義の先兵となる右翼的な面とをあわせ持つ。その射程は政治・軍事・経済から、文化・思想運動まで及ぶ。
玄洋社は自由民権運動に起源をもち、朝鮮の民主化運動を支援するなかでネットワークを拡大した。アジア主義者たちは、中国の革命家を手助けし、インド独立の闘士を匿(かくま)い、ロシア領内のイスラム教徒と連繋(れんけい)をはかる。ときに当局と対決し、ときに国策の手足となるなど、掴みどころがない動きをする。
アジア主義を思想としてみるなら、どういう日本の固有性に立脚し、どういうアジアの普遍性を志向したかが注目される。自由主義・社会主義・マルクス主義ら左派は、日本の固有性を素通りする。対するアジア主義は日本に、西洋に対抗するアジア精神の精髄をみる。岡倉天心は不二(ふに)一元を、日蓮主義の田中智学は八紘一宇(はっこういちう)を、三木清は西田哲学の多一論を、鈴木大拙(だいせつ)は東洋的一を説いた。多様なアジアに共通項を探す、綱渡りのような危ういロジックだ。
危ういロジックであっても、アジア主義が大きな影響力をもったのは、それが文明開化→近代化を突き進む日本人の無意識の深部に訴えたからだ。われわれは伝統を踏みにじっていないか。共同体の共助の精神を棄(す)て去ってはいないか。隣国同胞を踏み台にしていないか。こうした言葉にならない自責の無意識は、ロマン主義的な「反動」を形成する。いま、タリバンやイスラム国を動機づける情念と共通するものが、かつてのアジア主義にも流れていた。そして統制がとれないまま、暴力や武力の行使をやむなしとする心情をうみだした。
アジア主義に匹敵するのは西洋で、汎ゲルマン主義や汎スラブ主義であろう。これらは、人種や言語や民族文化など具体的な共通点をもとに国境を越えた連帯を希求する運動だ。ロマン的ではあるが、根拠がある。アジアには共通の、人種も言語も民族文化もない。唯一共通するのは、雑多な後進地域にすぎないとひとくくりにする、西洋植民地主義の視線だろう。その視線を秘(ひそ)かに内在させない限り、日本のアジア主義は成立しないのではないか。それならば、アジア主義が日本の帝国主義的拡張に奉仕することになってしまうのは、必然の帰結である。
中島氏はそこまで突き放さない。《アジア主義の思想的可能性を追求していきたい》と前向きである。よろしい。だがそれには、アジアの社会や文明の実態を、一世紀前の亜細亜(アジア)主義者たちより、ひと回りもふた回りも精細に記述した上で、日本についてもその文化社会の同一性を深く掘り下げ、国際社会の人びとに容易に理解できる普遍概念によって再定義する作業が必要になる。それは、竹内好(よしみ)や丸山眞男や橋川文三や井筒俊彦や吉本隆明や……を、一周遅れで追い越すのと等しい。誰かがやらなければならない仕事だが、中島氏ならできる。今後に注目したい。
−−「今週の本棚:橋爪大三郎・評 『アジア主義−その先の近代へ』=中島岳志・著」、『毎日新聞』2014年12月28日(日)付。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20141228ddm015070022000c.html