覚え書:「メルケル独首相、講演全文」、『朝日新聞』2015年03月10日(火)付。

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メルケル独首相、講演全文

2015年03月10日

写真・図版講演するドイツのメルケル首相=9日午前11時54分、東京・築地の浜離宮朝日ホール、西畑志朗撮影

 まずは何よりも本日はこうしてお招きいただき、ご紹介いただいたことに感謝申し上げます。大変温かいお言葉をいただきました。私にとって、朝日新聞に招かれたということは大きな光栄です。朝日新聞は世界でもっとも発行部数の多い新聞の一つであるのみならず、大変伝統のある新聞社でもあります。その歴史は独日の交流の初期の頃にまでさかのぼるほどです。

 ■日独関係の歴史

 142年前のきょう、1873年3月9日、岩倉使節団がベルリンに到着しました。岩倉具視特命全権大使として率いる使節団がヨーロッパ諸国を訪れ、政治、経済、社会など様々な分野で知見を深める旅行をしたのです。岩倉使節団は、私が考えるに、日本の世界に向けて開かれた姿勢、そして日本の知識欲を代表するものだと思います。そしてこの伝統は、この国において今でも変わらず守られています。

 そして日本人とドイツ人の間には、この間に多様なつながりが生まれています。経済や学術であれ、芸術や文化であれ、私たちはアジアのどの国ともこれほど熱心な交流はしておりません。60の姉妹都市提携があり、わが国に110を超える独日協会が存在していることも、そのよい例です。また、独日スポーツ青少年交流や、JETプログラム(外国語青年招致事業)で日本を訪れる若いドイツの学生も特別な懸け橋をなしているといえましょう。

 こうした長い活発な交流のリストの中で、一つ取り上げて紹介したいのが、ベルリン日独センターです。ベルリン日独センターは30年前に、当時の中曽根康弘首相とヘルムート・コール首相によって設立されました。今日にいたるまで、様々な会議、文化イベント、交流プログラムなどが開催されてきました。本日の講演会も朝日新聞とベルリン日独センターの共催で行われています。日独センターにおいて、日独間の対話のために尽力されている皆様に、ここで心からの感謝を申し上げます。

 ■大震災と復興

 明後日、2011年3月11日に発生した東日本大震災からちょうど4年になります。この地震は、巨大な津波、さらには原子力発電所事故、すなわち福島での大きな原発事故を引き起こしました。この地震津波原発事故の三重の災害による恐ろしい破壊と、人々が悲嘆にくれる姿の映像は、私の目にはっきりと焼き付いています。私たちの心は、愛する人々をこの震災で亡くした皆様の気持ちとともにあります。生き延びはしたものの今も故郷に帰ることのできない人々とともにあります。そして日本国民の皆さんが復興に立ち向かう際に示している共同体意識には大きな感銘を禁じ得ません。

 ■戦後70年とドイツ

 破壊と復興。この言葉は今年2015年には別の意味も持っています。それは70年前の第2次世界大戦の終結への思いにつながります。数週間前に亡くなったワイツゼッカー元独大統領の言葉を借りれば、ヨーロッパでの戦いが終わった日である1945年5月8日は、解放の日なのです。それは、ナチスの蛮行からの解放であり、ドイツが引き起こした第2次世界大戦の恐怖からの解放であり、そしてホロコーストユダヤ人大虐殺)という文明破壊からの解放でした。

 私たちドイツ人は、こうした苦しみをヨーロッパへ、世界へと広げたのが私たちの国であったにもかかわらず、私たちに対して和解の手が差しのべられたことを決して忘れません。まだ若いドイツ連邦共和国に対して多くの信頼が寄せられたことは私たちの幸運でした。こうしてのみ、ドイツは国際社会への道のりを開くことができたのです。さらにその40年後、89年から90年にかけてのベルリンの壁崩壊、東西対立の終結ののち、ドイツ統一への道を平坦(へいたん)にしたのも、やはり信頼でした。

 そして第2次世界大戦終結から70年がたった今日、冷戦の終結から25年がたった今日、私たちはドイツにおいても日本においても、振り返れば目を見張るような発展を遂げてきました。繁栄する民主主義国家として、独日両国そして両国の社会には、権力分立、法の支配、人権、そして市場経済の原則が深く浸透しています。両国の経済的な強さは改革、競争力、そして技術革新の力に根ざすものです。通商国、貿易輸出国として、両国の自由で開かれた市民社会はグローバル経済に支えられています。したがってドイツと日本は、自由で開かれた他の国々や社会とともに、自由で規範に支えられる世界秩序に対して、グローバルな責任を担うパートナー国家なのです。

 ■ウクライナとアジア情勢

 しかし、この世界秩序は当たり前のものではありません。むしろ危機にさらされていると言えましょう。国際法に反してクリミア半島を併合し、ウクライナ東部での分離主義者を支持することによって、ロシアは、94年の「ブダペスト覚書」で明確に認めた領土の一体性を守るという義務をないがしろにしました。ウクライナは、他の国々と同様、完全な主権に基づいて自らの道を決定する権利を持っているのです。私は日本政府が同じ立場を共有し、必然的な回答として経済制裁をともに科していることに感謝しています。しかし、私たちはともに外交的な解決策をも模索しています。だからこそ私はフランスのオランド大統領やヨーロッパと環大西洋のパートナーとともに、そしてもちろん日本とともに、数週間前にミンスクでまとまったウクライナ危機を乗り越えるための合意が実際に実行されることに力を注いでいるのです。ウクライナ東部での自由な地方選挙とどこにも妨げられることのない自国の国境管理は、ウクライナが領土の一体性を取り戻すのを助けるのみならず、ロシアとのパートナーシップに対しても新たなはずみを与えることになります。また、クリミア半島も、未解決のままにしておくことは許されません。

 日本とドイツは、国際法の力を守るということに関しては共通の関心があります。それはそのほかの地域の安定にも関連しています。たとえば東シナ海南シナ海における海上通商路です。その安全は海洋領有権を巡る紛争によって脅かされていると、私たちはみています。これらの航路は、ヨーロッパとこの地域を結ぶものであります。したがってその安全は、私たちヨーロッパにもかかわってきます。しっかりとした解決策を見いだすためには、二国間の努力のほかに、東南アジア諸国連合ASEAN)のような地域フォーラムを活用し、国際海洋法にも基づいて相違点を克服することが重要だと考えます。小国であろうが大国であろうが、多国間プロセスに加わり、可能な合意を基礎にした国際的に認められる解決が見いだされなければなりません。それが透明性と予測可能性につながります。透明性と予測可能性こそ誤解や先入観を回避し、危機が生まれることを防ぐ前提なのです。

 ■テロとの戦い

 ただし、私たちは今、そうした対話の可能性が明らかに限界に達しているという状況にも直面しています。基本的な価値と人権が極めて残酷な形でないがしろにされているからです。とりわけ、シリア、イラクリビアとナイジェリアの幅広い地域で荒れ狂う国際テロが私たちの前に立ちはだかっています。「イスラム国」(IS)、ボコ・ハラムは、自分たちが信奉する狂気じみた支配欲を満たそうとしないあらゆる人、あらゆるものを破壊しようとしています。ISによる日本人人質2人への残虐な殺害行為、フランスの週刊新聞シャルリー・エブドの風刺画家と記者への暗殺事件、それに続くパリのユダヤ系スーパーの客たちへの襲撃事件。こうした野蛮な出来事は、自由と開かれた世界のために断固としてみんなで手を取り合って立ち向かわねばならないという信念を、かつてないほど固くさせるものです。そして、この点において、ドイツと日本は手を携えて立ち向かっており、憎しみや人間性を無視する行為に対する闘いの中で、私たちはさらに強く結びついていくのです。

 私たちは、ドイツが議長国を務める今年のG7(主要7カ国首脳会議)でも、国際テロへの資金の流れ、人の流れを一つずつ断っていくことに力を注ぎます。これには、各国の財務大臣が取り組むことになります。そして、私たちは、現地でISのテロに立ち向かうすべての人々に対し、政治的、軍事的な支援を惜しみません。とくに、イラクの新政府とクルド地域政府がその対象となります。その他にも、私たちは日本とともに、ISのテロが生み出した難民の苦しみを軽減するための支援をしていきます。これは、私たちの人道的な責務であり、私たちの安全保障上の利害とも強く結びついています。

 この二つの要素は、ドイツと日本がアフガニスタンで展開してきた積極的な活動についてもいえることです。両国で一緒にこの国の治安部隊をつくり上げ、支援してきました。教育制度と保健制度を設け、新しい道路を造りました。その結果、01年以降、アフガニスタンの人々の生活はずいぶんと改善されています。日常的な治安は必ずしも十分ではないとはいえ、この国から国際テロの脅威を発生させないという最も重要な目標は達成されています。

 ■核不拡散の努力

 日本とドイツは、核兵器による脅威を抑え込む点で協力することでも一致しています。15年は、広島と長崎に原爆が投下されて70年になります。その記憶からは、未来への責任が生まれます。このようなことは二度と起きてはなりません。日独両国は常に全力で軍縮と軍備管理に取り組んでいます。

 その一環として、イランの核武装をくい止めるという共通の目標を追求しています。平和利用に疑念が生じるような核の利用はいっさいあってはなりません。そのための協議は今、重要な段階にさしかかっています。

 私たちが目指しているのは、単に地域紛争の火種を消すことではありません。軍拡と核拡散を阻止するという、より高次の課題があるのです。その意味で、北朝鮮の名前もあげないわけにはいきません。

 ■国連安保理の改革

 こうした根本的な問題が示しているのは、国際協力と国際的な組織が持つ信頼性と解決能力がいかに重要かということです。だから、日独両国は、ブラジル、インドとともに国連の強化と安全保障理事会の改革に尽力しています。

 その歩みは非常にゆっくりとしか前には進んでいませんが、世界の平和、安定の機会を逃さないためには、世界のすべての地域が、現実にふさわしいあり方で安保理の重要な決定に参画せねばならないと確信しています。

 ■G7の重点課題

 そして、G7もまた、世界の課題に挑戦しています。G7は、共通の価値観と確信に基づいて行動しています。日本は来年、G7の議長国をドイツから引き継ぎます。だから、両国は手に手を携えて、緊密に協力していきます。

 ドイツが、議長国としてとくに重点を置くのは地球温暖化防止問題です。この問題をあえてあげるのは、15年が温暖化防止への重要な年になるからです。12月にはパリで開かれる国連の会議で、野心的ともいえる防止策を20年から拘束力のある形で発効させられるかどうかが問われます。だから、G7では、低炭素社会の開発に向けて参加各国が主導的な役割を果たしていくように取り組んでいくことを考えています。なおかつ、それが豊かな暮らしを犠牲にするものではないことをはっきりと示すつもりです。豊かな暮らしは、これまでとは違う方法でもたらされねばなりませんが、放棄すべきものではありません。そのための技術革新を世界中で推し進め、とくに途上国を支援していきます。いずれにしても、私はドイツで6月に開かれるG7で、パリの温暖化防止会議で大きな成果があがるように強力な発信をしたいと思っています。

 この温暖化防止問題と緊密に関係しているのは、いかにしてできるだけ持続可能なエネルギーを確保するかという問題です。従って、私たちはG7としてのエネルギー安全保障をもっと発展させていきたいと思います。エネルギー市場の透明性と機能をできるだけ高めることが重要です。とくに、エネルギーの効率を高めることで、そのコストを下げることができます。

 G7の他のテーマには、保健に関わる問題もあります。例えば、エボラ出血熱の問題から私たちが学んだことをどうするかです。さらには、女性をめぐる問題も取り上げたいと思います。とくに途上国における女性の自立と職業教育に関わる問題です。

 ■ドイツと日本、共通の挑戦

 多国間の枠組みでのドイツと日本の協力は重要な側面を持ちますが、二国間のパートナーシップももちろん、重要な側面になります。私ども両国は同じような挑戦に直面しています。それゆえ私たちは向かい合って互いに多くの事柄を学ぶことができるのです。顕著な例としては、私たちの社会の人口統計学的な変化に対し、どんな答えを見いだすのか、ということが挙げられます。

 私たちには似通った課題があります。若い世代に過剰な要求をせずに社会保障制度をいかに安定的に維持できるのか、人口流出が著しい地方の生活条件をどう改善するのか、高齢化社会の中で活力と創造的な力をどうやって保持するか。

 私はつい先ほど、独日研究に深く関わっている研究者の方々と、このようなことを話しました。私たちの豊かさを維持するために必要な専門家の基盤をどう守っていくか、も大切です。

 ドイツでは連邦政府の人口動態に関する戦略の枠組みの中で、私たちはこうした様々な課題に取り組んでいます。

 たとえば、女性の就労の改善や仕事と家庭の両立、ライフワークを長く持つことに加え、私たちは外国からの熟練労働力にも重きを置いています。欧州域内には移動の自由があり、私たちは、欧州諸国からドイツへの労働力を手に入れることができます。欧州以外の国からの労働力についても関心は高いので、私たちは移住の条件を改善していきます。日本では、「Let Women Shine」のスローガンのもと、政府が女性の就労を推進しています。一連の法案によると、企業や行政機関で女性のクオータ(割り当て)制の導入を検討しているということですが、先週、長い討議の末に、ドイツの連邦議会でも同様の法案が可決されました。

 統計を見ると、企業の幹部の地位にある女性は、まだまだ少ない状態です。明日(10日)は日本の女性リーダーたちと意見交換する機会があり、大変楽しみです。

 ■人口減と経済・社会の課題

 人口動態の変化に直面している今、専門家の確保を促進することは、私たち両国の経済が将来的に成功するのに中心的な要素になります。それによって私たちの高い生活水準も維持できます。日本もドイツも長い間、経済的に成功しています。そういった背景からも、独日の協力は大変に意味が大きい。独日の企業はすでに、多くの協力をしていますが、同行の経済代表団は新たな協力が始まることを期待しています。

 私たちの現在の経済活動を今後も維持していくためには、非関税障壁など、貿易の障害になるようなものを取り除かなければなりません。日本と欧州連合(EU)との自由貿易協定(FTA)は、経済に価値ある貢献ができるので、可能な限り早く交渉を進め、調印する必要があります。そのことで、多くの雇用を創出することもできます。

 両国での高度な技術分野での協力は揺るがないでしょう。たとえばデジタル化の分野には多くの可能性があります。また、技術革新力と経済的な成功は、教育や科学、研究に密接に関わっています。今後、この分野での交流も深めていきたいと思います。これに関しては、今日の午前中に研究者とも意見交換することができました。

 また、日本の周りには韓国、中国、ベトナムなどのダイナミックに発展している国々があります。私たちは、この地域だけで研究、教育などの協力をするのではなくて、周りの地域にも交流を広げていく可能性があるのではないかと思います。現在、独日の交流は非常に良い状態にありますが、良いものもさらに良くすることもできます。

 特に再生可能エネルギーや海洋、地球科学、環境の研究などで今後もさらに可能性があるでしょう。ドイツは外国の学生に、留学先として人気がある国ですが、もっと日本の学生や研究者がドイツに来てくれたらうれしいし、そのような学生のために、英語で勉強できるような環境を拡充しようと思っています。そして日本の経済界の方々が、日本の学生や、仕事を始めたばかりの若い人々をドイツまたは外国にもっと送り出してくれるような、そういう態勢をつくってもらえるようにお願いしたいと思います。

 そのことによって、キャリアにプラスになるように、つまり、外国にいたからといってキャリアにマイナスにならない環境づくりが必要です。EUの中には、「エラスムス」というシステムがあって、学生に教育期間の一部を外国で過ごすよう促しています。外国で過ごした時間は無駄ではなくポジティブな時間です。

 日本の学生、研究者をドイツで心から歓迎したいと思います。1873年に岩倉使節団がドイツに来た時と同様、皆さんを歓迎したいと思います。両国は当時のように互いに、そして世界に対して、好奇心を持ち続けたいと思います。本日は皆さんにお話しできただけでなく、今から意見交換ができることを喜ばしく思います。お招きに心から感謝します。

 【質疑応答の主なやりとり】

 講演後の質疑応答の主なやりとりは次の通り。

 ■隣国との関係

 ――歴史や領土などをめぐって今も多くの課題を抱える東アジアの現状をどうみますか。

 「ドイツは幸運に恵まれました。悲惨な第2次世界大戦の経験ののち、世界がドイツによって経験しなければならなかったナチスの時代、ホロコーストの時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれたという幸運です。どうして可能だったのか? 一つには、ドイツが過去ときちんと向き合ったからでしょう。そして、全体として欧州が、数世紀に及ぶ戦争から多くのことを学んだからだと思います」

 「さらに、当時の大きなプロセスの一つとして、独仏の和解があります。和解は、今では友情に発展しています。しかし、隣国フランスの寛容な振る舞いがなかったら、可能ではなかったでしょう。ドイツにもありのままを見ようという用意があったのです」

 「なぜ私たちがクリミア半島の併合の問題だとか、ロシアによるウクライナ東部の親ロシア派への支援にこんなにも厳しい立場をとっているのか。領土の一体性を受け入れることが、過去、現在とも、基本秩序だからです。これが、いわば欧州の平和秩序の根幹をなす柱だからです。数百年の欧州の状況をみると、国境はいつも動いていました。今日の国境を認めず、15〜18世紀の状況を振り返る限り、決して平和をもたらすことはできない。アジア地域に存在する国境問題についても、あらゆる試みを重ねて平和的な解決策を模索しなければならない。そのためには、各方面からのあらゆる努力を続けなければならないのです」

 ■脱原発の決定

 ――日本では女性の政治家が少なく、女性の職業としての政治家は大変だという印象を持っています。今までの政治家人生で大変だったこと、とりわけ原発廃止を決定した際のことを聞かせて下さい。

 「例えば、脱原発の決定という場合には、男性か女性かという違いは関係ないと思います。私は長年、核の平和利用には賛成してきました。これに反対する男性はたくさんいました。そうした男性たちは今日では、私の決定が遅すぎたと言っています」

 「私の考えを変えたのは、やはり福島の原発事故でした。この事故が、日本という高度な技術水準を持つ国で起きたからです。そんな国でも、リスクがあり、事故は起きるのだということを如実に示しました。私たちが現実に起こりうるとは思えないと考えていたリスクがあることが分かりました。だからこそ、私は当時政権にいた多くの男性の同僚とともに脱原発の決定をくだしたのです。ドイツの最後の原発は2022年に停止し、私たちは別のエネルギー制度を築き上げるのだという決定です」

 「ですから、男性だから、女性だからという決定ではありません。あくまでも政治的な決断であり、私という一人の人間が、長らく核の平和利用をうたっていた人間が決定したことなのです」

 「私はたくさんの方に支えられてきました。一方で、最初は私への疑念もありました。最初の選挙が一番大変でしたが、一回踏み出して女性でもうまくいくと分かると、それがだんだんと当たり前のことになるのですね。やはり前例をつくることが大事。前例ができれば、それがいつか当然のことになります」

 ■格差の問題

 ――社会格差の問題が、移民と結びつき、欧州での一連のテロ事件の背景になっています。経済や教育の格差が過激派につながる懸念が広がる中で、ドイツ政府はどういう対策をとる方針でしょうか。

 「1960年代初めになり、ドイツの奇跡の経済成長で労働者が不足するようになりました。このため、一時的な安い労働力を外国から招きました。イタリアやスペイン、もっと安価なトルコから労働力を受け入れることになりました」

 「一方で、移民社会の構造的問題としては、平均的な教育水準が低く、学校の成績もどうしても上がらないということがあります。私たちはその社会的統合に尽力しました。まずドイツ語を学んでもらい、統合に努めました。かなり多くのイスラム教徒のマイノリティーもいるし、いろいろな宗教の存在が新たな課題をもたらしています」

 「大きな課題は、北アフリカやシリア、イラクアフガニスタンなどからの難民です。昨年は20万人の難民申請があり、今年はさらに多くなるかもしれません。これが私たちの直面している一番大きな課題と言えるでしょう。ただし、ドイツ人の間では、これまでになかったような移民受け入れに肯定的な姿勢も出てきています。ドイツの労働市場は非常にいい状態で、この何十年と比べて失業率が低いこととも関連しているでしょう」

 ■言論の自由

 ――表現の自由メルケル首相は関心を持っていると思います。言論の自由が政府にとってどのような脅威になり得るでしょうか。

 「私は言論の自由は政府にとっての脅威ではないと思います。民主主義の社会で生きていれば、言論の自由というのはそこに当然加わっているものであり、そこでは自分の意見を述べることができます。法律と憲法が与えている枠組みのなかで、自由に表現することができるということです」

 「34〜35年間、私は言論の自由のない国(東ドイツ)で育ちました。その国で暮らす人々は常に不安におびえ、もしかすると逮捕されるのではないか、何か不利益を被るのではないか、家族全体に何か影響があるのではないかと心配しなければならなかったのです。そしてそれは国全体にとっても悪いことでした。人々が自由に意見を述べられないところから革新的なことは生まれないし、社会的な議論というものも生まれません。社会全体が先に進むことができなくなるのです。最終的には競争力がなくなり、人々の生活の安定を保障することができなくなります」

 「もし市民が何を考えているのかわからなかったら、それは政府にとって何もいいことはありません。私はさまざまな意見に耳を傾けなければならないと思います。それはとても大切なことです」
    −−「メルケル独首相、講演全文」、『朝日新聞』2015年03月10日(火)付。

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