覚え書:「オピニオン:選べない国で 藤田孝典さん、安田菜津紀さん、工藤啓さん」、『朝日新聞』2016年01月01日(金)付。

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オピニオン:選べない国で 藤田孝典さん、安田菜津紀さん、工藤啓さん
2016年1月1日
 
 さまざまな選択肢を自由に選べる社会に――。1990年代以降、日本ではそんな声が高まった。だが現状はむしろ、選ぶことができず、息苦しくなってはいないか。「選択」をキーワードに、この国のあり方を考える。

 ■老後の貧困、「公正」築き防げ 藤田孝典さん(NPO法人「ほっとプラス」代表理事

 ソーシャルワーカーとして、生活困窮者の支援を10年以上してきました。最近は、普通の生活をしてきたサラリーマンが貧困に転落するケースが増えています。

 高齢になって仕事を退くと、多くは年金に頼らざるを得なくなります。1カ月の平均給与が38万円だった人が40年間、厚生年金保険料を支払ってきたとして試算すると、現時点で受け取れる年金は月約16万5千円。平均給与が25万円なら約13万円にしかなりません。

 病気で医療費がかさんだり、熟年離婚で収入が半分になったりすると、暮らしは維持できなくなります。多くの高齢者は薄氷を踏むような状況で暮らしています。

 私は「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」を「下流老人」と名付けました。憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることが難しい人たちです。

 「下流老人」は決して、放蕩(ほうとう)の末に身を持ち崩した人たちではありません。例えば、飲食店の正社員を経て介護の仕事に真面目に取り組んできた男性は、働いていた時の賃金が低く、両親を介護する離職期間も長かったため、厚生年金は約9万円。自身の糖尿病などで医療費がかさむようになり、食費に困って路上の野草を食べて飢えをしのいだそうです。最初の相談時には、身長が約180センチあるのに、体重は約50キロしかありませんでした。

 「自分がこんな状態になるなんて思いもしなかった」という高齢者の相談は増える一方です。今後の日本社会に中流は存在しなくなり、老後の生活を選べる「一握りの富裕層」と、選択の自由がない「大多数の貧困層」に分断されていくのではないでしょうか。

 労働者の4割に達した非正社員の多くも、このままでは「下流老人」の予備軍になると考えています。新しい働き方の選択肢として前向きに評価する風潮もありましたが、企業が人件費削減に利用した側面が強く、多くの非正社員が低賃金や雇用の不安によって厳しい生活を強いられています。

 結婚して子供が生まれた時、知人から「ブルジョアじゃないと育てられないね」と言われました。非正規雇用年金問題などで将来に不安を抱える若い世代には、結婚して子供を産むという当たり前のことさえ、ぜいたくになってしまっています。

 もはや高齢者に限らず、子供や若者、シングルマザーの貧困も社会として見過ごせる水準にはありません。しかし、国や自治体による社会福祉制度の情報開示は十分ではない。複雑な仕組みにもかかわらず学ぶ機会を用意せず、個々人の「申請主義」に任せて福祉の選択肢をわかりやすく示さないのは、「選択の自由」以前の問題だと思います。

 さらに、格差是正のためには所得の再分配機能を高めることが欠かせません。所得税の累進税率を上げ、資産課税を強化して富裕層から多くの税金を取ることが必要だと考えますが、政治で議論されそうな気配はありません。

 与党による軽減税率導入をめぐる経緯を見ると、消費税増税は既定路線のようです。「薄く広く負担を求める」と説明されてきた消費税は一見、公平に見えますが、所得の少ない人ほど負担が重くなる「逆進性」がある。いま大切なのは、機会の平等を守るために、真に公正な税制とは何かを考えることだと思います。

 世の中に持つ者と持たざる者が生まれるのはある程度、仕方のないことだと思います。ただ、格差が広がった場合、是正しなければ社会は成り立たない。教育費の無償化や低家賃の公営住宅の拡充など、貧困の連鎖を防ぐ公的な安全網を整備することが急務です。

 生活困窮者が自殺や路上生活に追い込まれることなく、「生まれてきてよかった」と、再び自らの人生を選択できる公正な社会を実現すべきです。私たちは「そんなのは無理だ」と簡単にあきらめずに、粘り強く社会の再構築を目指すべきだと思います。

 (聞き手・古屋聡一)

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 ふじたたかのり 1982年生まれ。聖学院大学人間福祉学部客員准教授。反貧困ネットワーク玉代表。ブラック企業対策プロジェクト共同代表。著書「下流老人」がベストセラーに。

 ■若い人に届く言葉で政治を 安田菜津紀さん(フォトジャーナリスト)

 政治に選択肢がない、選びたくても選べないと言われます。その通りですが、私はそれ以前に、そもそも政治と関わる方法の選択肢がとても少ないように思います。

 例えば昨年、盛んになった国会前のデモ。確かに政治と関わる選択肢の一つです。デモに参加することによって自分の意思を表明する、という。ただ、安保法制には疑問があるけれど「安倍(首相)はやめろ!」と叫ぶのには抵抗があるという若い人たちもいる。私もその一人です。

 激しいデモに行くのか、だんまりなのか、どっちなんだという、無言の圧力みたいなものがあったような気がして。「デモに行けない自分は何も出来ていない」と無力感を持ったという高校生もいました。デモに行く、行かないの間に、もっと多様な選択肢や関わり方があった方がいい。

 昨年8月、高校生たちが主催して高校生100人と与野党の国会議員が議論するイベントがあり、私は分科会の司会役をしました。生身の国会議員と話すのは初めてという人がほとんどで、「会ってみたら、ネットやメディアで受けていた印象と違った」「別に敵じゃないんだと実感した」と。議員の側も「こんなに意識のアンテナを広げている子たちがいる」と驚いていました。

 SEALDs(シールズ)のような抗議行動も大事だけれど、日常的に対話すること、生の対話を重ねていくことも大事なはずです。日頃のコミュニケーションが健全にとれていないと、投票でも正確な選択はできないですから。発信するだけ、声を上げるだけではだめ。相手に届かなければ、コミュニケーションしたことにはならないですね。

 政治家と高校生のやりとりを見ていて思ったのですが、若い人たちに届く言葉をもっと使ってほしい。歌手のさだまさしさんの話をした与党の幹部がいましたが、高校生たちはポカーンとしていました。知らないですから。野党の幹部が「ぼくもAKBを聞いています」と言って、すり寄ろうとする努力は感じましたが、肝心なのはそういうことではないと思う。

 高校生が最も反応したのは、ある政治家が「この中で大学に行きたい人はどれだけいる? 奨学金を考えている人は?」と話しかけた時でした。身近な問題から始めて、「では、それに通じる政治って、今どうなっていると思う?」と問いかけた。うまいです。視点の置き方が違う。

 政治家のみなさんに考えてほしいのは「自分が何を伝えたいか」ではなく、「若い人たちが何に問題意識を持っているか」です。彼らはやがて社会を築く側になります。政治とつながっていると実感を持てたかどうかで、大きく変わるはず。そのきっかけをつくり、共通言語を見つけた政党や政治家が、やがて支持を得られる可能性が出てくるのかな。そこに変化の兆しが見えるかもしれない。

 今年は参院選の年です。国政選挙では、大きな声で叫ばれる問題がどうしても選択肢の主役になりがちです。次は安保法制に賛成か反対かが焦点だと言われる。私も大事な問題だと思う。でも、そうやっていったん選択肢がつくられると、その裏で声の出せない人たちの問題が切り捨てられてしまわないでしょうか。例えば生活保護は、子供の福祉はどうなのか。

 消費税増税の問題もそう。被災地の取材などで施設で暮らす高校生たちと接する機会が多いのですが、増税されたら「買っているおにぎりの数を少し減らさないと」と言っていました。彼らにとっては、おなかのすき具合と直結する問題なんです。

 メディアで大きく取り上げられて、多くの人に「問題だ」と共有されないと「問題」にならない。でも当事者たちは、自分から声を発するのが難しい立場にあることがほとんどです。政治とは、小さな声を置き去りにしないことが役割ではなかったでしょうか。まずそこから正さないと選択肢が偏ってしまい、選択する機能自体がマヒしてしまう気がします。

 (聞き手 編集委員・刀祢館正明)

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 やすだなつき 1987年生まれ。東南アジア、中東、アフリカなどの難民や貧困を取材。ウガンダエイズ孤児たちの写真で2012年に名取洋之助写真賞。共著に「ファインダー越しの3.11」。

 ■就職、やり直せる環境広げて 工藤啓さん(NPO法人「育て上げネット」理事長)

 今の就職は履歴書で厳しく選別され、「中退」や「1年以上の無職」が記録されていれば、正社員としての採用にはなかなか行き着けません。「正規」のルートから一度でも外れれば、やり直しが難しい社会なのです。

 私が若者たちの就労を支援するNPO「育て上げネット」を設立したのは2004年。大学を中退し、米シアトルの2年制大学に留学して会計学を学んでいましたが、若者の雇用問題に取り組もうと帰国しました。学習塾をしていた両親が自宅に預かっていた不登校の子どもたちと共に生活した体験が、その背景にありました。

 仕事のない若者は低学歴の比率が高いのは事実です。でも、有名大学を卒業しても就職に失敗する人はいる。誰もが仕事のない若者になる可能性があるのです。

 若いのに仕事をしていないことに対し、「やる気がない」という固定的観念や自己責任論が根強くあります。しかし、会社を辞める際の理由で目立つのは「上司らとの人間関係」であり、心身の健康を崩して退社せざるを得ないことも多い。こうしていったん無職になると、なかなか次の選択肢が見つからないのが実情です。「やる気がないだけ」という自己責任論だけで、解決に結びつくのでしょうか。それは思考の停止です。

 私たちは月5万円程度を払ってもらい、就職に向けた週5回の訓練と研修を若者たちにしてきました。お金を出している大半は親ですが、10年前と比べると、費用を払う家庭の経済的余力が乏しくなっているのを実感しています。

 そこで、小売りチェーンや金融機関などから寄付を募り、就労基礎訓練に無料枠を設け、14年10月からは自宅からの交通費を支給する試みを始めました。たとえ訓練が無料でも、参加できない人がいると聞いたからです。我々の本部がある東京・立川に新宿からJRで往復するだけで900円余り。昼食2日分に相当する人にとって二の足を踏む金額なのです。交通費を払うことにしてから集まった34人の多くは母子家庭でした。

 仕事を求める若者がよい形で「働く」ことの実現に寄与したいとの思いがありました。3カ月の訓練と、実際の企業でのインターンシップ(就業体験)を経て91%は進路が決まりました。企業の立場からすれば、「一緒に働きたい若者」と分かったうえでの採用です。履歴書から入る就職プロセスを、インターンシップを仲介することで逆転させたわけです。

 このために私たちが負担した交通費は、1人あたり月に平均1万円、最大で4万円です。もし彼らが仕事に就けず、生活保護を受けるようになっていたら、彼らの人生にとっても、社会保障の観点でも損失になっていたでしょう。行政も無料の就職相談を開いていますが、交通費の支給までは「前例がない」と踏み切りません。こうした取り組みの一端を、私が民間議員を務めている「1億総活躍国民会議」でも報告しました。

 私は、社会運動からNPOを発足させたわけではありません。小さな実践を重ねながら、国に政策を提言したいと考えています。成功事例は自分たちだけでなく、社会全体で共有できたらと思うからです。パソコンで言うなら、OS(基本ソフト)を入れ替えるのではなく、少しずつアップデートして改良していく手法です。省庁や自治体では、若者を担当する部署がはっきりしていません。こうした行政の縦割りの溝を埋める事業をしている、ともいえます。

 選択肢があることはとても重要です。ただ、仮に選択肢があったとしても、選択できる人と、そこにたどりつけない人がいる現実がある。選択できる環境を広げていかないといけません。

 この3年ほどは一時期の不景気を脱し、中堅企業からも「いい若い人はいない?」と声がかかるようになりました。少子化もあり、人手不足が雇用に結びついてきています。弱者にやさしい社会であるとともに、経済を強くする成長も必要だと考えています。

 (聞き手・川本裕司)

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 くどうけい 1977年生まれ。01年に任意団体「育て上げネット」を1人で始め、04年に認定NPO法人に。若者の就労支援のほか保護者の相談、高校生のキャリア教育なども。共著に「無業社会」。

 ◆シリーズ「選べない国で」は、次回は5日に掲載予定です。
    −−「オピニオン:選べない国で 藤田孝典さん、安田菜津紀さん、工藤啓さん」、『朝日新聞』2016年01月01日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12141256.html





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