覚え書:「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 東日本大震災5年 九州大教授・吉岡斉さん」、『毎日新聞』2016年03月04日(金)付夕刊。

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特集ワイド
この国はどこへ行こうとしているのか 東日本大震災5年 九州大教授・吉岡斉さん

毎日新聞2016年3月4日 東京夕刊
脱原発」を諦めるな 福島事故の廃棄物処理すら険しい

 吉岡斉さんに会うのは約3年ぶりだった。東京電力福島第1原発事故を経験しても原発存続にかじを切ったこの国の行方を識者に語ってもらう「原発の呪縛 日本よ!」シリーズの取材に応じてもらって以来。当時の記事をお見せすると「写真は今より若いなあ」と相好を崩した。でも、柔和な笑顔はそう長くは続かなかった。

 時計の針をインタビューした2012年末に戻そう。野田佳彦首相(当時)の下で行われた総選挙で民主党は大敗し、第2次安倍晋三政権が発足した直後。吉岡さんは憂えていた。「原発の危険を知った民主党政権によってエネルギー政策が変わり始めたのに、政官の原発推進派がまた力を持ち始めるのでは」と。


再稼働後に緊急停止した関西電力高浜原発4号機(手前)。奥は3号機=福井県高浜町で2016年2月29日午後、本社ヘリから貝塚太一撮影
 その予想は震災から5年を前に、現実になりつつある。福島第1原発事故が発生し、東日本一帯が放射能汚染の危機にさらされた時、多くの人が強く「脱原発」を願ったはず。だが、安倍政権は14年4月、原発を「重要なベースロード電源」と位置付けることを閣議決定し、安全が確認された原発を再稼働させる方針を決めた。そして経済産業省は30年の電源構成比で原発の目標を「20−22%」とした。この国は再び原発依存への道を歩み始めた。

 政府の方針に応えるかのように、九州電力は川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)を、関西電力は高浜原発3、4号機(福井県)をそれぞれ再稼働させた。さらに震災後に規定された「40年ルール」が骨抜きにされる懸念が生じた。原子力規制委員会が2月24日、運転開始から40年以上が過ぎた関電高浜原発1、2号機について再稼働のための安全対策が規制基準を満たす、と認めたのだ。今後も老朽原発の「延命」にゴーサインを出し続ける可能性がある。

 一連の流れを吉岡さんはこう見ている。「電力業界や原発推進派の国会議員、科学者らは、事あるごとに『40年ルール』に強く反発してきました。今後、規制委のメンバー交代などを好機と捉え、40年ルールを撤廃させる可能性も大いにある。それだけではない。政府、特に経産省は、できるだけ多くの原発を再稼働させ、原子力政策を再建したいと考えている。原発の新増設も完全に諦めたわけではないでしょう」。原発推進の旗を降ろしていない政府の姿を感じ取っている。

 吉岡さんの主張は「脱原発」だが、同時に一定の時間が必要だとも訴えている。「原発には事故のリスク、使用済み核燃料の最終処分などに巨額の費用が必要というデメリットがあります。しかし、新しくて安全上の立地条件もよい原発を稼働させることまで否定はしません。そうではない原発廃炉にするとともに、新増設は認めない。そうすれば十数年以内に原発ゼロにできるのです」

 いわば「猶予期間付き」脱原発論。これに対しては、「即ゼロにすべきだ」と批判されることもある。それでも信念は揺らがない。

 その信念を現実化すべく、吉岡さんは脱原発政策を市民サイドから発信する民間団体「原子力市民委員会」の座長を務め、メンバーとともに廃炉などに向けた政策を研究・発表している。福島事故の放射性廃棄物のリスク低減策だけをとっても、道のりは長く、そして険しい。

 時々自嘲気味に「御用学者」と自らを呼ぶ。その訳は長年にわたり政府の審議会の委員を務め、国の原子力政策を間近に見てきた経験があるからだ。

 「御用学者」としての出発点は1997年に原子力委員会高速増殖炉懇談会の委員に就任したこと。その後も原発関連の政府委員として発言を重ねてきた。その時は何を考えていたのだろう。

 「政府の委員会に出入りすることで得られる情報があるし、原発推進派の表情の変化で彼らの本音が分かることもある。ひょっとして彼らの考えを変えるきっかけをつかめるかもしれない、と思っていました。もちろん政府の言いなりにはなりませんでした」

 そして一貫して「原発は政府の介護がなければ成り立たない非常に劣った技術だ」と推進論に抵抗してきた。そんな中、国際事故評価尺度で、チェルノブイリ事故(86年)と並ぶ「レベル7」とされた福島第1原発事故が起きた。

 原発事故から約3カ月後の11年6月、政府の原発事故調査・検証委員会の委員として福島第1原発に入った。防護服に全面マスク、線量計を身に着けての現場視察。線量計は高い値を示し、暑さで体中からは大粒の汗が噴き出した。現場作業員の苦労を実感した。別の機会には、古里を追われ仮設住宅で暮らす住民の話も聞いた。「これほど大量の放射性物質が外部に出て、国土の相当部分が汚染されるとまでは考えが及ばなかった……」。科学者としての後悔にさいなまれた。そして東電の安全対策のずさんさと、それを黙認していた政府の姿勢を目の当たりにした。

 東電の責任を追及する声はやまない。勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人が、検察審査会による「起訴相当」の議決を受け、2月末、業務上過失致死傷罪で強制起訴された。政府事故調の目的は責任追及ではなく再発防止だと吉岡さんは理解してきた。が、あれほどの事故を起こした責任は免れてはならないとも思い続けてきた。「法廷で少しでも真実が解明され、責任の所在が明らかになれば」と期待する。

都市住民も「受害者」意識を

 5年という時の流れの中で、脱原発に向けて前進したことはあるのだろうか。吉岡さんに尋ねると「それは……」としばらく間を置いてから口を開いた。「再稼働が政府や電力会社の思い通りには進んでいないことでしょうね」

 安倍政権は大多数の原発を再稼働させると思えるのだが、吉岡さんの見方はやや異なる。「規制基準をクリアしたとしても、国民はそれで安全だとは思っていない。一方、政権は原発を推進したいとの思いを抱えつつも、意外に用心深い。その理由は国民の厳しい視線を恐れているからです。もし閣僚らが『原発の新増設が必要』という趣旨の発言をしたら、すぐさま政権の基盤が揺らぐかもしれない」

 政府は原発回帰をさらに進めたくても、世論はそれを認めない−−。だからこの世論を維持していかねばならない、と吉岡さんは説く。

 では私たちはどんな心構えで原発と向き合っていくべきか、とも問うた。すると「まず都市住民は原発によって損をしてきたと考えるべきです」と言う。予想しなかった答えで、すぐにはその意味が理解できなかった。大都市に住む住民は危険な原発を人口の少ない地域に押し付け、電力という便利なエネルギーを享受してきた「受益者」だ、という説明なら分かるのだが。

 都市住民を「受害者」とも表現する。つまり「被害者」の側面もあるというのだ。

 「都市住民は原発の電力を受けていますが、火力発電を選んでいれば、電気料金はもっと低く抑えられたかもしれない。この火力と原発との差額分が損。しかも都市住民はその選択もできず、膨大な額に上る福島事故被害修復のコストを負担させられている。今後も核のごみ、廃炉といった費用を負担せねばならない。それに、福島事故では首都圏も放射能汚染が広がる危険が極めて大きかった。都市住民も、そういう当事者意識を持ち続けてほしい」

 事故は収束していないのに原発の再稼働が進み、脱原発への道は狭まったようにも見える。それでも「希望もある」と語る。支えは、意識の高い若者の存在。エネルギー問題の歴史と現状を教える吉岡さんの授業は200席以上が埋まる。受講者は震災前の倍で、学内有数の人気講義だ。「多分、原発をどう考えればいいのか、関心を持っている若者が多いからでしょうね」

 学生に向けて、こんなメッセージを発したことがあるという。「私は何年か先には年金生活者になり、原発負の遺産を始末するお金はあまり払えなくなります。その点は若い方へ謝らねばなりません」。原発を止められなかった世代の一人として頭を下げた後、こう続けた。「あなた方がもし原発の存続を望むなら、さらに後の世代にまで核のごみの後始末といったツケを払わせることになる。それでいいのですか? これから人口減少社会を迎え、原発の後始末に回すお金の余裕があるのでしょうか?」

 この問い掛けに、学生たちは真剣な目を向けてきたという。思いはつながっていく。こう感じているのだろうか。この話をしている時の吉岡さんの表情は、少し晴れやかになったように見えた。【江畑佳明】

 ■人物略歴

よしおか・ひとし

 1953年、富山県生まれ。東京大理学部卒。同大院理学系研究科博士課程単位取得退学。和歌山大助教授などを経て、現在は九州大院比較社会文化研究院教授。専門は科学技術史。著書に「脱原子力国家への道」など多数。
    ーー「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 東日本大震災5年 九州大教授・吉岡斉さん」、『毎日新聞』2016年03月04日(金)付夕刊。

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