覚え書:「書評:我ら亡きあとに津波よ来たれ(上)(下) 丸山健二 著」、『東京新聞』2016年03月06日(日)付。

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我ら亡きあとに津波よ来たれ(上)(下) 丸山健二 著 

2016年3月6日

◆寄せては返す批判の言葉
[評者]管啓次郎=明治大教授
 異形の作品だ。上下巻、千百ページを優に超える。無限に波打っている。通常の散文ではなく、分かち書きで行頭が一字ずつ落ちてゆき、ついで一気に高まることが繰り返される。このレイアウトだけでも一見に値する。その特異な<頁の景>が描き出すのは何か。
 錯綜(さくそう)するが、物語は歴然とある。一人称の主人公の激しい感情の吐露は極めて長い抒情(じょじょう)詩とも呼べる。彼の内面に渦巻く言葉の氾濫は船酔いを誘うほどで、全面的に太陽の光にみちているのに明るさはそのまま暗闇に反転し、読者は途方にくれるだろう。「なぜか妙に心を打たれる」箇所も頻出する。
 ほの見えてくるのは津波のあとの情景だ。一面の破壊の中、最初は生死もわからない三十歳の男の意識が体験を語り出す。ついで行動がはじまる。茫洋(ぼうよう)とひろがる瓦礫(がれき)の土地に他に人はいない。打ち上げられた船を発見し物資を確保する。家を発見し、死体を発見する。埋葬する。そして…。季節と状況の設定からして、これは東日本大震災を直接に背景とするものではない。むしろその具体的経験をもう一度、古今東西の人間世界の普遍性の中に投げ込もうとする試みだ。
 一回ごとに変化しつつ反復される波の性質を模すような文体が圧倒的だ。同形の言表(げんぴょう)が内容をずらしながら五回、七回と繰り返される。扇を開くように想像力が拡大され、われわれの現実がつねにいくつもの選択肢の一つをそのつど選び取って構成されるにすぎないことが、おのずから感得される。
 その認識を通じて、生死の表裏一体という構造のみが永遠であることが、つきつけられる。その永遠の中で事物は循環し、出来事は回帰する。この作品に唯一の先行者がいるとすれば、それはニーチェ。ただしこちらのニーチェは、ごく卑近な現実と、汚辱の記憶に戻ってくる。生の批判、社会批判、言語批判、そのすべてであるような作品。それはやはり改めて「小説」と呼ぶのがふさわしいのかもしれない。
 (左右社・各3996円)
 <まるやま・けんじ> 1943年生まれ。小説家。著書『正午(まひる)なり』『猿の詩集』など。
◆もう1冊 
 丸山健二著『千日の瑠璃【究極版】』(上)(下)(求龍堂)。身体に障害のある少年が、宇宙との交信によって生命力を取り戻す物語。
    −−「書評:我ら亡きあとに津波よ来たれ(上)(下) 丸山健二 著」、『東京新聞』2016年03月06日(日)付。

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