覚え書:「文化の扉:はじめての地政学 帝国主義の産物、透ける世界情勢」、『朝日新聞』2016年03月20日(日)付。

Resize1338


        • -

文化の扉:はじめての地政学 帝国主義の産物、透ける世界情勢
2016年3月20日


はじめての地政学<グラフィック・白岩淳>

 地政学的リスクが高まる――。国際ニュースなどでこんな言葉を聞いたことがないだろうか。この「地政学」、欧米列強が植民地獲得に血道をあげるなか、その理論的裏付けとして誕生した。

 国が境を接するところ争いが生じる。その際、国家はどうあるべきか。これを考える地政学が改めて注目を集めている。山内昌之佐藤優両氏の『新・地政学』は新書売り上げでベスト10入りした書店も。雑誌でも盛んに特集が組まれる。

 国際地政学研究所上席研究員の奥山真司(まさし)さんによると、地政学の成立は19世紀後半。地理の研究が進み、領土獲得競争が激化するなか、ヨーロッパで産声をあげた。

 古典的地政学にはいくつかの枠組みがある。代表がシーパワー理論だ。米のマハンは18〜19世紀の大英帝国を研究。世界制覇の要因は海上支配だとし、「海を制する者は世界を制する」と述べた。

 一方、英のマッキンダーが唱えたのがハートランド理論。彼はドイツやロシアの領土拡張傾向を危惧し、守りが堅く、海洋勢力が進入していけないユーラシア大陸の中心部(ハートランド)にこそ目を向けるべきだと主張した。

 この二つを下敷きに生まれたのがリムランド理論だ。米のスパイクマンが唱えたもので、ユーラシア縁辺部にあるリムランド(周縁地域)こそが重要と説き、米の国家戦略に影響を与えた。

    *

 しかしこの地政学、戦後の日本では重視されてこなかった。ナチス・ドイツとの関わりのためだ。

 ミュンヘン大教授のハウスホーファーは「国家にはそれを支えるエネルギーを得る領域(生存圏)が必要」と主張した地政学者で、1924年にアドルフ・ヒトラー地政学を講義。影響を与えた。

 たとえばヒトラーは著書『我が闘争』などで、民族の存在の自由を確保するためには十分な領土の確保が必要と説くが、これはハウスホーファーの主張そのものだ。

 また、ハウスホーファーは教授になる前の1908〜10年、駐在武官として日本に滞在。地政学を研究し、ドイツは極東における日本のように拡張すべきだと説いた。これらの要因が重なり、地政学は日独両国で忌避される。

    *

 この状況は今も基本的に変わらない。講座を持つ大学は少なく、「学問といえるのか」との声さえある。

 だが、地政学で眺めると世界が見えてくるのも確かだ。地政学には「内海を制する者が周辺地域を支配する」という考えがあるが、これは21世紀海上シルクロード構想をはじめ、南シナ海で経済的・軍事的に蠢動(しゅんどう)する中国の姿と重なる。「古代ローマは地中海を、米はカリブ海をおさえたから一帯を支配できた。もし南シナ海を中国が確保したら、米はアジアから退かざるを得ない」と奥山さん。

 また、米国が戦略的に重視する東アジア・西欧・中東はどれもユーラシア周縁のリムランドに位置する。「リムランドには航路の要所チョークポイントが多く、その支配は海上交易の鍵を握る。米は地政学に倣(なら)い戦略を進めている」

 現在も各地で紛争が相次ぐ以上、幅広い視野から自国の行方を考える視点は欠かせまい。この機会に虚心に向き合ってみてはどうだろう。

 (編集委員・宮代栄一)

 <読む> A・T・マハン『マハン海上権力史論』(北村謙一訳、原書房)、H・J・マッキンダーマッキンダー地政学』(曽村保信訳、同)は古典ながら必読。地政学の活用という点では、ロバート・カプラン『地政学の逆襲』(櫻井祐子訳、朝日新聞出版)が読み応えがある。

 <訪ねる> 地政学が重視する場所の一つがチョークポイント。海上交通路の要所で、そこを押さえれば水路や、ひいては大洋全体を支配できる。日本近海の歴史的なチョークポイントとしては壇ノ浦の合戦が行われた関門海峡や、日露戦争の際にロシア艦隊が通過を試みた対馬海峡などがある。

 ■「領土偏重」にすぎた 軍事ジャーナリスト・田岡俊次さん

 国家の対外政策に人文地理的視点が重要なのは当然のことです。しかし、今から考えると、19世紀から20世紀初頭という帝国主義の全盛期に生まれた地政学は、あまりに「領土偏重」であったと私は思います。

 当時は農業が経済の柱でした。しかし、現代では商工業やサービス業がそれにとって代わり、領土面積よりも、資本、技術、情報、労働者の質・量が国力を測る要素になりました。

 海運のコストが著しく低下したため、自国や属領ではなく、他の国から安い資源を輸入する方が有利となり、さらには海外市場も軍事力で得られるものではなくなりました。その結果、米国は、中国・日本・ドイツの市場と化し、かつ最大の貿易赤字国となってしまっています。

 地政学の理論のうち、私が卓見だと考えるのは、A・T・マハンの唱えたシーパワー理論です。

 彼はシーパワーを海軍力だけではなく、海運・造船・漁業を含む海洋力としてとらえています。

 今日の中国海軍は米海軍とはいまだ比較になりませんが、造船、漁業は世界一で、中国は実はすでに大海洋国となっている。このような視点こそ大切なのです。

 ◆来週の「文化の扉」面は休みます。
    −−「文化の扉:はじめての地政学 帝国主義の産物、透ける世界情勢」、『朝日新聞』2016年03月20日(日)付。

        • -

http://www.asahi.com/articles/DA3S12267294.html


Resize1332


Resize1072