覚え書:「インタビュー:永遠平和と安保法 元月刊『PLAYBOY』編集長・池孝晃さん」、『朝日新聞』2016年03月29日(火)付。

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インタビュー:永遠平和と安保法 元月刊「PLAYBOY」編集長・池孝晃さん
2016年3月29日


池孝晃さん=山本和生撮影
 
 敗戦を告げる玉音放送から70年7カ月と14日。月刊「PLAYBOY」など雑誌編集の最前線で大衆と向き合い、18世紀ドイツの哲学者、カントの名著「永遠平和のために」の新訳本を世に送った編集者は何を見てきたのか。今、何を語るのか。戦後の安全保障政策を転換する安保法が施行される29日。その言葉に耳を傾けた。

 ――9年前に企画・編集した「永遠平和のために」が今、読まれているそうですね。

 「カントの著作を、ドイツ文学者の池内紀さんにわかりやすい言葉で抄訳してもらい、2007年に出版しました。以後、絶版のような状態でしたが、安保法案が話題になっていた去年6月に復刊されました。じわじわ売れて3刷になったそうです」

 ――積極的平和主義を掲げる安倍晋三首相にも、ぜひ読んでほしいですね。

 「じつは、お渡ししたんです。復刊直後の7月15日、安保法案が衆院の委員会を通過した夜のことです。池内さんと私、担当編集者の3人で、東京・赤坂のそば屋で食事をしました。周囲には黒塗りの車がとまり、報道陣も集まっていました。店に安倍さんがいたんです。この本は彼にこそ読んでほしいと話していたので、おかみさんを介して差し上げました。こんな偶然って、あるんですね」

 ――その安保法が施行されます。カントは何と言うでしょう。

 「平和への歩みは遅々としているけれども、いつか永遠の平和が実現するのを期待して歩むことが大事なんだ、とカントは言っています。人類の歴史は戦争の歴史だからこそ戦争のない社会を、と理想を掲げたんですね。隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって『自然な状態』ではなく、敵意で脅かされているのが『自然な状態』である。だからこそ、平和状態を根づかせなければならない、と。共通の敵でもない別の国を攻撃するために軍隊を他国に貸すことがあってはならない、とも言っています。まさに集団的自衛権のことでしょう」

 ――戦後日本の安保政策の転換点になります。

 「この70年あまり、僕たちの国は一度も戦争をしなかった。カントが照らした道を世界で最も忠実にたどったのは戦後の日本でしょう。転換点を迎える今、思い浮かぶのはカントのこんな一節です。『たまには、老哲学者の言葉に耳を傾けてはどうか』」

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 ――この本を編もうと思い立ったのはどうしてですか。

 「03年3月のことです。米国のイラク爆撃の様子をテレビで見ました。映像がすごくリアルで、それはもう驚きでした」

 ――戦争と平和を論じる本が売れる、という編集者の嗅覚(きゅうかく)が働いた、ということですか。

 「最初に思ったのは、あの爆撃の下には普通の人々が暮らしているということです。身がすくむ思いでした。幼い頃、戦地で負傷した叔父が帰ってきて土間に担ぎ込まれた時、近所の人が集まって、ものすごくざわついた雰囲気だったのを覚えています。焼夷(しょうい)弾から逃げて転んだ祖母は腰の骨を折って、寝たきりになった。そんな記憶がいっぱいある。戦争が普通の人々の生活や人生を大きく変えるということは、やはり覚えておかねばなりません」

 ――そんな経験を……。

 「戦争というのは、体験するのとそうでないのとでは全然、違うんですね。60年安保の時、僕は大学生でしたが、運動に参加した同世代も多かれ少なかれ、戦争を体験していました。戦争が終わり、これからは希望を持って、それぞれの道を歩もうという時代でした。けれども、岸信介首相は米国との同盟を強め、平和憲法を変えようと考えていました。だから安保に反対だ、と」

 「しかし、70年安保の中心になったのは戦後生まれの団塊の世代です。当時、『戦争を知らない子供たち』という曲がヒットしました。まさに戦争を知らない若者たちの一部が、過激な暴力闘争に突入し、72年に連合赤軍あさま山荘事件が起きます。警察が鉄球で建物を壊す場面で、どこかのテレビ局がサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』を流していたのを覚えています。こんな闘いの先に、どんな夢や希望があるのか、僕にはさっぱり理解できなかった」

 ――その後、創刊に関わった月刊「PLAYBOY」日本版の読者は「戦争を知らない」若者たちだったのでしょう。

 「米国版の翻訳とオリジナルの記事で編集しました。白人女性のヌードグラビアが話題になりましたが、藤原新也さんら当時の若手写真家によるアジアやアフリカの写真紀行、三島由紀夫に関するスクープ記事など政治や社会、文化まで硬派な記事を並べました。エロからサルトルまで、です」

 「じつは、日本で若者が立ち上がる日は、もう来ないだろうと思っていました。でも、政治的に挫折しても問題意識を持つ若者の関心に応えたかった。権力に敗れた若い人たちに、世界へ飛び出して目を開いてほしかったのです。75年5月21日に発売された創刊号は、45万8千部がその日の午前中に売り切れました」

 ――エロと哲学。まさに雑誌という感じがします。

 「ところが、80年代に入ると、若い人たちは自分の半径3メートルにしか関心を向けなくなった。政治的闘争なんて、どこにもないのですから、当然かもしれません。ファッション誌やサブカルチャー誌が好まれ、若者は政治や社会を語ることを退屈だと考えるようになったようです。86年、僕は46歳で書籍編集へ移り、好きだった欧州の作家の翻訳書を手がけます。プルーストジョイスなどです。政治的な闘争に参加するより、本を読んでいたいというクチなので楽しかったですね」

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 ――しかし、と。

 「僕が若い人たち相手の仕事を離れて、好きなことをしている間に、戦後生まれが7割を超え、戦争体験を持つ政治家も次々に政界を去っていった。自衛隊イラクに派遣され、長く戦争とは無縁だった日本がそうもいかない感じになってきた。僕は編集者として何をやっていたのか、と考えました。子会社・綜合社での定年も見えはじめたころです。編集者人生の最後の1冊で若い人たちに何かを残したい。そう思った時、手に取ったのがカントの『永遠平和のために』でした。日本の憲法がその精神を受け継いでいる、と聞いたからです」

 ――自信作ですね。

 「難解な書ですが、平易な言葉で若い人に伝えたい。そう考えているうちに、06年に安倍さんが首相になって、憲法改正を堂々と唱えた。戦後生まれの政治家の言葉に、頭を殴られたような気がしました。僕に残された時間は少なかった。カントを早く出したい、と焦る思いでした。刷り上がったのが07年11月、ちょうど定年退職の日です。安倍さんは出版の2カ月前に退陣していましたが」

 ――返り咲いた安倍首相は、29日に施行される安保法が平和をもたらす、と訴えます。

 「カントは行動派の政治家の特徴として『まず実行、そののちに正当化』『過ちとわかれば、自己責任を否定』と述べています。また『力でもって先んじなければ、力でもって先んじられると主張する』という指摘にもハッとさせられます。他国への侵略に絡んでの指摘なので安倍さんとは前提が違いますが、力でという発想は重なるようにも見えます。しかも、こうした主張を受け入れる国民が少なくない。多くの人にとって、僕が体験した戦争はもう、遠い出来事になっているのでしょう」

 ――夏の参院選では、18歳が選挙権を持ちます。戦争どころか、バブル景気も知らない世代です。

 「18歳は、憲法改正国民投票もできますね。だからこそ、自分の考えを持って政治に参加してほしい。そのために世界にはこんな考えもあるということを知ってほしい。今の日本は、200年前、遠い欧州の哲学者が唱えた『永遠平和のために』という呼びかけに応えているか。自身で考え続けてほしいのです」

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 いけたかあき 1939年生まれ。62年集英社入社。78〜82年まで「PLAYBOY」日本版編集長。文芸出版部取締役を経て、綜合社(当時)社長。2007年退職。 

 

 ■理性とユーモア、本質突く 上智大学教授・寺田俊郎さん

 「永遠平和のために」は、哲学者カントが亡くなる9年前、71歳のときの著作です。

 1724年生まれのカントが生きた18世紀は戦争が絶えませんでした。オーストリアがフランス、スペイン、スウェーデン、ロシアと結び、プロイセン、イギリスと戦った七年戦争など、ヨーロッパのほぼすべての国が戦争と関わり、時とともに死者が増えていくような時代でした。カントの言葉を借りれば、平和があるとすれば「墓場の平和」だと思われるような時代です。

 この本は、こうした戦乱期を生き抜いた老哲学者が、平和に向けた提案を世に問うたものです。理性によって考える道筋をつくったカント哲学の集大成、思索の結晶と言っていいでしょう。

 カントは、今でいう民主主義的な社会と、国籍にとらわれない世界市民の精神が「永遠平和」をもたらす、と訴えました。コスモポリタニズムと呼ばれます。高いモラルに支えられた崇高な理念には「絵空事」といった批判もありますが、きわめて現実的な思考の持ち主でした。

 たとえば、世界市民社会を実現するには一気に国境をなくすのではなく、あくまで国民国家をもとにすべきだと考え、国際連合を構想しました。また、紛争解決の手段としての暴力は否定しても、自衛のために武器を取ることは否定しませんでした。

 この著作を出したのは、国王が検閲を復活させるなど政治的な圧力がかかる中でのことでした。平和を唱えることはおのずと時の為政者との対決を意味します。それでも、ユーモアや諧謔(かいぎゃく)のオブラートに包みながら、巧みに、鋭く本質を突く言説を展開したのです。

 「政治家たちは、哲学者は夢のようなことばかり言う、とバカにしている。だから、私が夢のようなことを言っても目くじらを立てないでもらいたい」と皮肉を込めた言葉も残しています。

 「永遠平和のために」は冷戦後の新秩序を模索するなかで、刊行200年となる1995年ごろから、あらためて世界で読み直されています。カントは、理性的な思考力だけでなく、ジャーナリスティックな目と人間への鋭い洞察力を備えていました。だからこそ、その言葉は時を超えても色あせないのだと思います。

 (聞き手はいずれも諸永裕司)

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 てらだとしろう 1962年生まれ。専門は哲学。共著に「カントを学ぶ人のために」「世界市民の哲学」など。
    −−「インタビュー:永遠平和と安保法 元月刊『PLAYBOY』編集長・池孝晃さん」、『朝日新聞』2016年03月29日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12282416.html





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