覚え書:「隔離の傷痕 らい予防法廃止20年/2 家族の時、奪った国 「私の過去に謝って」」、『毎日新聞』2016年04月02日(土)付。

Resize1595

        • -

隔離の傷痕
らい予防法廃止20年/2 家族の時、奪った国 「私の過去に謝って」

毎日新聞2016年4月2日 東京朝刊

「祖母の言葉通り、つまらないうそをついてきた」と話す男性=長崎県内で2016年3月11日、野田武撮影

 幼いころ父のことを聞くと、祖母は「仕事で遠くにいる」と答え、事あるごとに「うそも方便」と繰り返した。親戚の家で会うことはあっても、自宅には帰ってこない。長崎県に住む男性(68)には当時、父がいない理由が分からなかった。

 中学3年の時、進路を相談しようと父から届く封筒に記されていた住所を訪ねた。住んでいたのは、瀬戸内海の島にある国立ハンセン病療養所「長島愛生園」(岡山県)に出入りしている医師だった。父の病気のことを初めて知った。自分に症状が出ていないか確認するために診察され、ショックだった。

 医師は園にいる父に電話をしてくれた。島に渡ると、船着き場に迎えに来た父は泣いていた。「遺伝しないから安心しろ」。それ以外、言葉はほとんどなかった。

    ◇

 就職後、男性は結婚を意識した相手の親族から交際を断られた。父の病気が原因だと思った。34歳の時に同郷の女性と結ばれたが、父のことは「国立病院の事務員」と説明した。1996年に77歳で父が亡くなると、一人で葬儀を営んだ。

 妻はがんを患い、54歳で亡くなった。やせ細った姿にかける言葉が見つからず、父の病気を打ち明けた。「なんで気にするの?」。妻の言葉に救われた気がしたが、隠し事をしてきたことに自責の念も募った。

 周囲の差別や偏見に耐えられなかったのか、亡くなった母はいつも精神的に不安定だった。国の誤った政策で、家族も「自分たちは普通ではない」という意識を植え付けられてしまった。「ハンセン病がついて回る人生を断ち切りたい」。男性は、元患者の家族たちが今年になって起こした国家賠償訴訟の原告に加わった。

    ◇

 関東地方の60代の女性の母は、国立療養所「菊池恵楓園」(熊本県)で暮らしている。収容されたのは女性が3歳の時だった。「お母さんは病気で死んだんだ」。父は毎晩のように酒を飲んでいた。

 誰からか毎月届く絵本が楽しみだった。「グリム童話」「怪盗ルパン」。主人公になった気分で何度も読み返した。父から、手縫いの丹前を土産にもらったこともあった。全て母からのプレゼントだったと分かったのは、大人になってからだ。

 97年に父が亡くなると、母は葬儀に駆けつけた。強制隔離の根拠となっていたらい予防法が前年に廃止されていたことを知っていたのか、酒に酔った親戚が母に「これで無罪放免ですね」とささやくのが聞こえた。「母は有罪だったのか」と怒りがこみ上げた。

 母は90歳を超えた。恐らく、園で最期を迎えるだろう。隔離によって奪われた家族の時間が、戻ってくることはない。「国はせめて私の過去に謝ってほしい」=つづく

 ■ことば

ハンセン病家族訴訟

 国の誤った強制隔離政策でハンセン病患者の家族も深刻な差別などの被害を受けたとして、家族59人が国に賠償を求め、今年2月に熊本地裁に提訴した。元患者が起こした国家賠償訴訟では、熊本地裁が2001年、らい予防法の見直しを怠った国と国会の責任を認める違憲判決を言い渡した。これを受けて元患者に対する補償制度ができたが、家族は含まれていなかった。
    −−「隔離の傷痕 らい予防法廃止20年/2 家族の時、奪った国 「私の過去に謝って」」、『毎日新聞』2016年04月02日(土)付。

        • -


隔離の傷痕:らい予防法廃止20年/2 家族の時、奪った国 「私の過去に謝って」 - 毎日新聞



Clipboard01

Resize1162