覚え書:「憲法を考える:国家緊急権 橋爪大三郎さん、中野明安さん」、『朝日新聞』2016年04月19日(火)付。

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憲法を考える:国家緊急権 橋爪大三郎さん、中野明安さん
2016年4月19日

 東日本大震災以来の「震度7」である。おりしも大災害や戦争、テロなどの非常時に政府の権限を強める国家緊急権を憲法に位置づけるかが国会で議論になっている。歴史を振り返ってみれば、国民を守るという大義と、国家による権力の乱用は、常に背中合わせだった。

 ■認められても、条文化は不要 橋爪大三郎さん(社会学者)

 国家緊急権とは何か。すぐに政府が行動しないと、国民の生命や安全を守れない。社会秩序も維持できない。でも根拠になる法律がない。そんな緊急事態に、政府が超法規的に行動する権限のことです。これは権限である以上に、国民への義務でもあるのですね。

 国家緊急権を行使すれば、憲法違反になります。そうならないよう、自民党改憲草案は、緊急事態条項を設けるとしています。

 国家緊急権について考えなければと思ったのは東日本大震災がきっかけでした。もっと大量の放射性物質が漏れ出し、首都圏に向かっていたら。「関東全域の住民を48時間以内に強制的に域外に立ち退かせる」みたいな政府の命令が必要になっていた。憲法の保障する居住地選択や移動の自由を制限し、移動手段も無理やり確保せねばならない。その上で、避難順番の決定などに始まる対応は、困難をきわめたでしょう。

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 現行憲法下でも、非常時に備え「公共の福祉の観点から合理的な範囲」で、国民の権利を制限する法律を制定しておくことはできます。けれど一刻一秒を争う修羅場で、のんびり法律をつくっている暇がない。それにどんな法律も想定外の出来事には対応できない。最後の切り札が国家緊急権です。では、だれがどうやってその権限を行使するのか。法律の教科書には書いてありません。

 国家緊急権は、主権者である国民が、自分の生存や安全を守る権利に基づきます。その権利は自然権で、法律よりも根源的です。刑法の「正当防衛」や「緊急避難」は、生命や安全を脅かされた個人が、自分を守る権利を認めています。集団としての国民も、緊急事態に見舞われた場合には政府に、平時の法律には基づかなくても、必要で適切な行動をとるように、授権するのだと考えられる。

 国家緊急権は、憲法の条文をはみ出しても、憲法の精神に合致していると言えます。憲法は、主権者である国民から、政府に宛てた授権の契約書。人間のつくった契約書なので、緊急時になって不十分だったと分かることもあります。そのとき、契約書に書いてないからと、国民の生命と安全を危険にさらしてよいでしょうか。政府が、平時には絶対のものである憲法にあえて縛られず、必要で適切な行動をとることは正しい、と言えるのです。

 国家緊急権の行使は正しいとしても、憲法違反。そこで、政府の行動がほんとうに「必要で適切」だったのか、事後に検証することが大事になります。政府の責任者は、憲法違反の政治責任をとって辞職する。そして国会に喚問されて、国政調査権による検証に協力し、場合によっては刑事責任を問われるべきです。この決意と覚悟なしに、国家緊急権を行使すべきではありません。

 ゆえに、自民党改憲草案のように、国家緊急権の条項を憲法に盛り込むのは不適切です。ダムにあいた穴のように、憲法秩序を掘り崩してしまうことになります。

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 緊急事態に備えたければ、いろいろなケースごとに法律を多くつくる、「緊急事態法制」を充実させるべきです。これでかなりのケースに対応できます。それでも想定外の事態は起きる。そのとき政府は国家緊急権を行使して、あとでその責任を負うべきです。憲法に緊急事態条項があると、国家緊急権の発動が合法的になってしまい、事後の検証も政府の追及もやりにくくなる。安易に緊急権を濫用(らんよう)して下さい、と言っているようなものです。

 国家緊急権について今のうちに議論しておくのは、大規模災害、テロや疫病、ハイパーインフレなど、いつ起こっても不思議でないさまざまな緊急事態に備えるのに役に立ちます。民主主義と憲法について国民がもう一歩踏み込んで考える、よい練習問題にもなるでしょう。

 (聞き手・永持裕紀)

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 はしづめだいさぶろう 48年生まれ。13年まで東京工業大教授を務め、現在同大名誉教授。「国家緊急権」「日本逆植民地計画」「ジャパン・クライシス」など著書・共著多数。

 ■災害対策、理由にする危うさ 中野明安さん(弁護士)

 憲法に国家緊急権を創設することには反対です。災害対策に必要という意見がありますが、不要などころか有害ですらあります。

 大災害時に内閣に権限を集中させる措置は、現行法にすでに盛り込まれています。災害対策基本法では首相は災害緊急事態を布告し、物資の流通制限や、価格統制をできます。大規模地震対策特別措置法では地方公共団体への指示、警察法では警察の一時的な統制、自衛隊法では部隊などの派遣を要請できます。

 立ち入り禁止区域の設定や、建物の除去のためだとも聞きますが、現行法ですでに都道府県知事ができることになっています。日本弁護士連合会が行った被災自治体への調査では、むしろ国から自治体に権限を委譲してもらいたいという声が圧倒的に多かった。

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 こうした法律には、災害時とはいえ、憲法が保障する国民の権利を制約する性格があり、憲法違反にならないよう整備されました。医療や建設の関係者が災害対応にあたる「従事命令」も、憲法の禁ずる「苦役」とならないよう検討された上で定められています。

 つまり、災害時に必要なことは、憲法による人権保障という抑えの利いた法律の中でできるようになっているということです。批判を恐れずに指摘すれば、そうした点について政治家も政府・自治体も勉強不足だと思います。

 もちろん現行法も万全ではなく、必要があれば法改正や新たな立法をすればいい。被災地での法律相談を通じて法律に欠けている点に気づかされるたび、私たちは政治に働きかけてきました。東日本大震災後には、3カ月以内だった相続放棄の判断を同じ年の11月末まで延ばしてもらいました。災害弔慰金の受け取りを、同居する兄妹にも認めるよう動きました。

 災害対応で肝心なことは、法律の効果的な運用・活用と、そのための準備です。その意味では、国家緊急権は有害です。いざという時には国が何とかしてくれると根拠もなく思うようになり、事前準備に力を入れなくなることが考えられます。それに必要な予算措置も減ってしまうでしょう。

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 阪神淡路大震災から支援に取り組んできてつくづく思うのは、「事前に準備をしておかなければ、助かる命も助からない」ということです。ふだんからの気づきにもとづく備えがどれだけあるかが生死を分けます。被災者が直面する状況を考えた場合、国家が権力を集中させることで役に立つ場面は私には全く想像できません。

 そもそも国家緊急権とは、国家の存立を維持するために憲法秩序を一時停止するものです。これは国家権力の乱用を防ぐ立憲主義と、憲法が保障する国民の自由や権利の観点から大きな問題があります。

 多くの国の憲法に国家緊急権が明示されているのに、日本国憲法にないのはおかしいと主張する人もいます。しかし私たちは、戦前に憲法上の非常措置が乱用された反省からあえて外したのだという日本国憲法制定の経緯を忘れるべきではありません。憲法制定時の審議で、担当大臣もそう答弁しています。戦前のドイツで、民主的なワイマール憲法に国家緊急権が盛り込まれた末、独裁が進んだ重い教訓もあります。

 ではテロ対策としてはどうか。災害対策と同じで、刑法などの法律で対応できます。特別法が必要になるかもしれませんが、国家緊急権がなければ対応できないという話ではありません。感染症対策についても同様です。

 国家緊急権があれば大丈夫だと思うこと、そう思わせてしまうことは、危険です。熊本地震への対応でもその必要性は見当たらないばかりか、内閣からの指示が現地の状況とそぐわない弊害すら出ています。災害対策を口実に持ち出されることには、怒りすら覚えます。

 (聞き手・北郷美由紀)

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 なかのあきやす 63年生まれ。災害時の支援活動を続けて20年超。日弁連「災害復興支援委員会」委員長。企業法務のほか、事業継続などの危機管理分野にくわしい。
    −−「憲法を考える:国家緊急権 橋爪大三郎さん、中野明安さん」、『朝日新聞』2016年04月19日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12316749.html





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