覚え書:「書評:全南島論 吉本隆明 著」、『東京新聞』2016年5月22日(日)付。

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全南島論 吉本隆明 著  

2016年5月22日
 
◆国家以前の共同体の歴史
[評者]古橋信孝=武蔵大名誉教授
 現代の知の大部分はでき事を受けて対症療法的に消費されるか、そういう事態に抵抗して、古層のものを普遍として導こうとするか、どちらかである。
 知を人間や社会の総体に及ぼそうとした時代があった。第二次世界大戦の敗北によって、戦争に至った明治以降の帝国主義的な体制への反省と、これからどのような社会をつくっていくか、マルクス主義、民主主義への希求からだ。社会がそういう方向のいわば全体知を求めていたのである。
 一九五〇年代に登場した吉本隆明はそういう知の先端に存在していた。戦争中自分を軍国少年に向かわせた思想家や文学者が簡単に戦後の社会に迎合していったことに疑問を抱き、知や文学芸術にかかわる転向者たちへの批判から、さらに社会や文学を論ずる根拠を求め、『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』を書くことになった。つまり吉本は、人間や社会を全体からみていく知を追い求めた。そしていわゆる沖縄復帰運動をきっかけとして、国家に克(か)つには国家以前の共同体を対置する以外ないと考え、「南島論」を書いたのだ。
 その吉本の南島にかかわる著述、講演、対談をすべて集めた大著が本書である。沖縄にはその国家以前が遺(のこ)されている。兄弟姉妹の関係のオナリ神信仰は家族の最も基層のものであり、その関係を基軸として親族が成立し、親族と家族との矛盾があらわれたとき、共同体が登場するというようにして、国家以前の共同体が登場するという。
 吉本は沖縄をたんに古層として掘り起こすだけでなく、歴史として位置づけているのだ。古層志向も結局現代を反対側から支える意味をもたされ、消費されてしまう。そこから逃れるにはこの歴史化と全体知が唯一の方法ではないか。吉本は「南島論」の先に「アジア的段階」「アフリカ的段階」という歴史を考えるようになっていった。
 論の当否は別にして、本書は現代の知の根源からの再考を迫ってくる。
(作品社・5832円)
<よしもと・たかあき> 1924〜2012年。思想家・詩人。著書『最後の親鸞』など。
◆もう1冊 
 吉本隆明著『アジア的ということ』(筑摩書房)。マルクスが世界史の最初期とした世界像を解読し、日本を歴史的に位置付ける。
    −−「書評:全南島論 吉本隆明 著」、『東京新聞』2016年5月22日(日)付。

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