日記:権力を批判できない宗教は宗教ではない。けだし名言である。

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三宅洋平の選挙フェスで、公明党を推進することに、信仰の立場、そして普遍的道義の立場の二重の根拠をもって否と唱える創価大学卒業の有志が登壇した。

このことが話題になっているし、その奮戦にはエールを送りたいと思う。ただその過剰な賛同および非難に関しての有象無象が雨後の竹の子如く特攻アタックを繰り広げてくるので少しだけ補足しておきたい。

まず、三宅候補の情熱は横に奥としても、その政策及び世界理解に関しては??の軽挙妄動が否めないのは事実であるし、選挙で投票しようとは思わない。しかし、このスピーチは実によくできたもので、「アベ政治を許さない」創価学会員の「否」というものではあっても、三宅氏への応援メッセージには一切なっていない。選挙フェスでのメッセージをなんとか積極的に導き出し意義付けをしようとしても、せいぜい、投票しよう、自公政治を終わらせようという以上には取ることが出来ない。まずこの点には留意したいし、その細心の注意には敬意を覚える。
※言及するまでもないがまともな識者も同じ論調である。

次に、批判者の殆どが……それは公明党を応援するのではなく信仰する創価学会員がほとんどといってよいのだが……、彼の登壇について「ニセの創価学会員」「エキストラ」なる当てこすりをもってして批判と錯覚している事実に衝撃を覚えてしまう。

何が衝撃かといえば、彼自身がどのような人物なのか、どのような言説なのかということを何ら精査しないままに、自らの立場と相いれない人間を「排除」して批判した「つもり」になっていることだ。そしてその「排除」して批判した「つもり」の言説が、昨年来より繰り広げられている、「安保反対の創価学会員はニセの学会員、共産党の手下」云々(竹谷とし子参議院議員北側一雄衆議院議員)のレッテル貼りのデッドコピーとなっている点だ。

あらゆる世界宗教に見られる普遍的な……それはア・ポステオリだとしても……立場にはいくつか共通点があるが、その一つは、自ら考えること、自ら精査することをもって人間の自律と説き、それを信仰の中核に据えるというものだ。日蓮の思想的系譜とは、そういう立場に対して足を引っ張る日本的惰性に対峙したものだから、人間の自律を促す思想的営為といってよく、どこまでも「造られた」「容易された」都合の良い「物語」に準拠して事足りるというものではない。

しかしながら、精査のないままに「排除」して批判した「つもり」の言説で「ことたれり」という態度ほど、“どこまでも「造られた」「容易された」都合の良い「物語」に準拠して事足りるというものではない”世界宗教の論理と程遠いものはない。

彼自身をよく知る人間の一人として、一言申し添えておきたい。

バカも休み休みにしろ。

創価学会の広報室は昨年8月、学会員の政治的立場は自由であるとコメントを出している。政治的立場だけをクローズアップして「本物の学会員でない」とレッテル貼りをすることがどのような意味を持っているのか考えたことがあるのだろうか。それは、レッテルを貼られた人間の信仰および全人性を否定することにほかならない。阿呆か、馬鹿かというのとは水準が違いすぎるのだ。

公明党を信じたいのなら信じれば良い。自民党を勝たせることが大勝利と信じたいのであれば信じればよい。しかし信仰的水準における「信」と、政治における「信」(この場合はどちらかといえば信頼であろうが)とはレイヤーが違うし、封建時代とは異なる世俗世界における信仰とは「排除」ではなく「包摂」…ここではあえてカール・ラーナーに対する包摂主義批判は横には置く…でなくてはならない。

最後にひとつ。創価学会は日本社会においては、俗に「貧乏人と病人の集まり」と揶揄され故なき批判罵倒を繰り返し浴びせられてきた。それは、まさに日本的惰性に退治してきたがゆえの、故になき罵声であった。そして信仰に属しているかいないかに関わらず、世界を良くしようと努力奮戦してきた。これは創価学会の歴史において輝かしき一線ではないかと思っている。

しかしながら、アベ政治を翼賛する今、どこに立っているのか。

「僕らはかつて、貧乏人と病人の集まりだとバカにされて、いじめられてきた。でも今バカにする側にまわっているんじゃないでしょうか」。

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氏家 両親が信仰を受容しておりましたので、僕は生まれたときから学会員でした。日蓮大聖人のお手紙も論文も学びましたし、池田名誉会長の著作もすべて読みました。信仰活動も熱心にしましたが、いつも留意してきたことは、−−そしてこれはどの信仰においてもそうですが−−、信仰とはその信仰者にだけ通用するローカルな教えではないという理解でした。トインビーは古くさい、ガルトゥングは外国人といった議論で、公明党を支援するために普遍的な教えを特定の人にだけしか通用しない理解に脱臼させようとするのは非常に危ない。現在の議論は、日蓮大聖人、そして創価学会、池田名誉会長のもっていたユニバーサルな志向を、結局は、田舎のまじない宗教みたいなものへ歪曲させてしまうのではないでしょうか。

天野 なんでそうなってしまったのか。組織として勉強会もやってますし、御書学習会(日蓮大聖人の書物を学ぶこと)もやってるのに、なんでそういうふうに劣化してしまったのかなと。

粟津 社会学的にいうと、初期のころというか戦後の創価学会の、六〇年代とか七〇年代の会員層というのは、やっぱり貧病争の都市下層民たち、要するに農家の次男とか三男が都市に出てきて、それでも大企業には入れず町の工場などで働く人たちが、宿命転換によって生活もよくなるという希望をもって実践してきました。そういう人々を励ます宗教であったわけです。高度成長もあって多少はよくなったかもしれないけれども、最近の社会学の研究では、この構図はそれほど変わっていないということです。そういう実際に支持している末端の会員の人たちと、高学歴、高収入の信濃町幹部や公明党の人たちといったエリート層とのあいだに、大きな溝がある。特にいまは格差社会で、ワーキングプアとかシングルマザーとか、そういう人たちがたくさんいますので、そういう人たちの利益をこそ代表すべきなのではないでしょうか。首脳部は誰を代表してものをいっているんだよという感じが率直にしますよね。
    −−島薗進、中野晃一、天野達志、氏家法雄、粟津賢太「緊急座談会 安全保障法制に反対し、公明党の方針を危惧する創価学会員に聞く」、渡邊直樹責任編集『宗教と現代がわかる本2016』平凡社、2016年、177頁。

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ハチ公前1万人 三宅洋平“選挙フェス”に創価大有志が参戦
2016年7月4日


三宅洋平候補(左)と学会の「三色旗」を手にマイクを握った竹原氏/(C)日刊ゲンダイ

 全国で最も聴衆を集める参院候補なのは間違いない。東京選挙区の無所属候補で音楽家三宅洋平氏(37)が2日、「選挙フェス」と銘打った街頭演説を渋谷ハチ公前で開催。聴衆の数は1万人規模で、ステージ前はごった返し、移動もままならない状態だった。

 10代後半の若者から子供連れの夫婦、年金暮らしを始めたとおぼしき老紳士など、老若男女が広場を埋め尽くし、あふれた聴衆はスクランブル交差点の対岸で演説に耳を傾けた。昨年夏の国会前の「戦争法」反対集会のムードが、渋谷に蘇ったかのようだ。

 そんな熱気ムンムンの中で“事件”は起きた。司会の女優・木内みどりが「公明党の在り方に疑問を持っているようです」と紹介したのは「安保法に反対する創価大学有志の会」の呼びかけ人、竹原弘樹氏。聴衆から大きな拍手を浴び、三色旗を持った仲間と一緒にステージに登ってマイクを握った。

「ひい婆ちゃんからの信心で、学会4世です。本来なら公明党支持者であるはずなんですけれども、ちょっと無理です。こんなこと言うと、怖いんですけど、指をくわえて権力を暴走させるわけにはいかないのですよ」

「なんで、創価学会は、公明党は安倍さんとグルになって好き勝手やっているのでしょうか」

 池田大作名誉会長の自衛権増強に反対する発言を紹介しながら、竹原氏は熱っぽく訴えた。

「『安保を批判すると、地獄に落ちるぞ!』と幹部から言われました。創価学会創価大は学問の自由とか、言論の自由とは程遠い、思想統制の世界に変わってきています。それって、僕のひい婆ちゃんが望んだ世界なんでしょうか」

「今も熱心に支援活動に動いておられる全国827万世帯の学会員さんに伝えたい。自分の信仰を、自分の人生を、自分の幸せを、組織の意思に任せるのは終わりにしましょう!」

 最後まで大歓声と割れんばかりの拍手に包まれていた。学会の若者だけではない。「これまで選挙に行かなかった5000万人の気持ちをブチ込んで欲しい」と呼びかける三宅氏のボランティアには、全国から志願者が続々と集まっている。大手メディアの泡沫扱いは、現実を無視している。

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ハチ公前1万人 三宅洋平“選挙フェス”に創価大有志が参戦|日刊ゲンダイDIGITAL



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