覚え書:「特集ワイド 元自民党タカ派の遺言 安倍首相、覚えてますか?」、『毎日新聞』2016年05月20日(金)付夕刊。

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特集ワイド
自民党タカ派の遺言 安倍首相、覚えてますか?

毎日新聞2016年5月20日 東京夕刊

 参院選が近い。大勝して、悲願の改憲に乗り出したい安倍晋三首相は「今の憲法には自衛隊という言葉がない」(3日、改憲派集会へのメッセージ)と9条改正に意欲的だ。1960年代にも同じような主張をした自民党きってのタカ派議員がいた。安倍首相は覚えておられるだろうか。その彼が晩年には「自衛隊を愛するからこそ9条を守らねば」と訴えたことを−−。【吉井理記】

 その人の名は、箕輪登さん。北海道小樽市出身の元衆院議員だ。医師から転じ、67年衆院選で旧北海道1区で初当選。81年の鈴木善幸内閣で郵政相を務めた。防衛政務次官衆院安保特別委員長も務めた経験から、一般的には防衛族議員として知られる。

 「箕輪先生、か。懐かしいなあ。5月(14日)で亡くなって10年ですか……」

 衆院議員会館で、しばし目を閉じて思いにふけるのは、元衆院議長、民進党横路孝弘衆院議員(75)である。

 箕輪さんの主張は「自衛隊は必要な防衛力で合憲で、有事法制の整備も欠かせない」との立場。当時は「自衛隊の存在を憲法に明記を」と9条改正も訴えていた。今ではさして珍しくない主張だが、60−70年代には自民党内でタカ派と目されていた。

 旧社会党議員だった横路さんは同じ選挙区で何度も戦った。「北海道は革新系が強くてね。当時の社会党非武装中立路線、ほかの自民党議員もリベラル寄りで。でも箕輪さんは改憲論者で『自衛隊は必要だ』と。自衛隊を票田にしていたからやっぱりタカのイメージでしたなあ」

 横路さんは“政敵”の箕輪さんと議員時代に私的な交流はなく、引退を聞いた後も久しく名前を思い出すこともなかった。だから箕輪さんが2004年1月、小泉純一郎政権が行ったイラクへの自衛隊派遣(03−09年)の差し止めを求め、国を相手に札幌地裁に訴訟を起こした時は驚いた。

 あれから12年。地球規模で米軍などへの後方支援を可能にする安全保障関連法が3月に施行された。横路さんは言う。「あの法律で自衛隊の海外活動の枠が一気に広がってしまいました。箕輪さんがお元気なら? 怒髪天をつく、ですよきっと」

イラク派遣「自衛隊員への裏切り」

箕輪さんの葬儀で、参列者に配られた礼状。死去の3カ月前、札幌地裁で開かれたイラク自衛隊派遣差し止め訴訟で最後に出廷した時の箕輪さんの言葉を、妻や娘が選んで刷り込んだ=佐藤博文弁護士提供
 箕輪さんが訴訟で訴えたのは、自衛隊イラク派遣は武力行使を禁じた憲法9条に違反するという内容だった。

 「札幌の弁護士会が開いている市民向けの相談電話があるんだけど、そこに03年12月、箕輪さん本人が『元国会議員の箕輪ですが』と相談を求める電話をかけてきて。最初は冗談かと思いました。僕も学生時代は箕輪さんを『タカ派自衛隊寄りの悪いヤツ』だと思っていたんで」。訴訟弁護団の事務局長を務めた札幌市の弁護士、佐藤博文さん(61)はこう振り返る。

 訴訟は全国に広がり、11地裁で争われた。しかし、すべて敗訴。08年の名古屋高裁判決だけが、請求自体は棄却しながらも「航空自衛隊による多国籍軍の空輸は違憲」と原告の主張を一部認めた。

 「箕輪さんの『自衛隊専守防衛のための最低限、必要な自衛力で、だからこそ合憲である。日本が侵略されたわけでもないのに、自衛隊を海外派遣するのは専守防衛の枠を逸脱する』という立場は、保守の主張としては新鮮でした。湾岸戦争以来、どんどん海外活動を広げるやり方が我慢できなかったようです。タカ派と言われていたが、ピシッと筋が通っていました」

 箕輪さんは提訴に先立ち、イラク特別措置法(03年成立)に反対する手紙を自民党の国会議員全員に送っていた。提訴は、反応がない小泉政権への抗議でもある。安倍首相は当時、党幹事長だった。引退した箕輪さんがそこまで海外派遣反対にこだわったのはなぜか。晩年、秘書役を務めた札幌学院大名誉教授(平和学専攻)の坪井主税(ちから)さん(74)はこう回想する。

 「箕輪さんから、何度も防衛政務次官時代の話を聞きました。立場上、隊員に訓示する機会が多い。彼は『日本に急迫不正な侵害が起きた時は、専守防衛として、みなさんの力で国民の安全と生命を守ってもらいたい。その任務を全うしていただくみなさんに感謝します』と言っていたそうです。海外派遣を認めたら、専守防衛ではないのに必ず犠牲者が出る。それは自分が頭を下げて任務の全うを頼んだ自衛隊員への裏切りだ。そう考えていたんです」

専守防衛参院決議知り、猛勉強
 箕輪さんが防衛族議員の道を歩んだのは、議員になりたてのころ、自衛隊の合憲性が争われる裁判が相次いだことが背景にあった。

 亡くなる3カ月前の06年2月、札幌地裁の口頭弁論で箕輪さんは、専守防衛を前提にした自衛隊合憲論を持論とするようになった経緯について、次のように証言した。

 「自衛隊違憲なら、自衛隊法を作った自民党、いや、むしろ議員をやめようと。それで当時の佐藤栄作首相に相談したら『違う。自衛隊専守防衛、攻められた時に独立を助けるためのものだから違憲じゃないんだ。もっと自衛隊法を勉強しろ。参議院では自衛隊の海外派遣を禁じる決議もした』と諭され、自衛隊や法律を学び始めたんです」

 箕輪さんが議員になる前に秘書として仕えた佐藤栄作は、安倍首相の大叔父。箕輪さんが「勉強しろ」と叱られたのは、54年の参院決議だ。この決議は今も有効だが、法的拘束力はない。決議の年に生まれた安倍首相が安保法を成立させたことで、ますます有名無実のお題目になった。

 参院決議を踏みにじった安倍首相に箕輪さんと同じように憤るのは、新潟県加茂市小池清彦市長(79)だ。元防衛官僚で防衛研究所長や教育訓練局長を務め、92年に退官。現職時代は箕輪さんと接点はなかったが、ともに自衛隊イラク派遣に反対したことで親交が芽生えた。

 「専守防衛で固めてきたのに、今や安保法の施行で後方支援名目とはいえ、自衛隊は世界中どこでも海外派遣できるようになった。必ず多くの犠牲者を生む。箕輪さんは泣いておられるでしょう」

 小池さんも箕輪さんも戦争を知る世代。小池さんの叔父はフィリピンで戦死し、妻の父親は沖縄で戦死した。箕輪さんも軍医として陸軍に従軍した。箕輪さんが引退直後の90年に出した自伝「腰を据え脊筋伸ばして」(非売品)には、戦争体験のほか、全盲でマッサージ師だった父と暮らした少年時代、近所で垣間見た朝鮮人差別への怒りなどがつづられている。

 小池さんが嘆息する。「箕輪さんの根底にはそういうヒューマニズムがあるんです。だから自衛隊員は国の宝で、何があっても彼らを死なせてはいかん、と。本来の任務ではない集団的自衛権行使や海外派遣でなら、なおさらです。『一将功成って万骨枯る』と言いますね。箕輪さんは枯れる『万骨』に思いを寄せた。最近の政治家は『一将』ばかりです。憲法解釈を変え、自衛隊を海外に出して功を成したい、と……」

「米国と一緒に戦争」憲法、許せない
 専守防衛を前提にした自衛隊合憲論を唱えた箕輪さんが、改憲を諦めたのはなぜか。坪井さんは、箕輪さんの胸の内を解説する。「9条改正で自衛隊を明記すれば、もう普通の軍隊です。イラク派遣のやり方を見ていて、今後、米国から集団的自衛権行使を求められれば日本は断れないだろう。それは自衛隊員との『約束』に背くことになる。そこに気づいたんでしょう」

 99年5月の毎日新聞インタビューでは「9条は抽象的な書き方ではいけない」と改憲論を続けていた箕輪さんは、イラク戦争後、護憲に傾く。「いま憲法改正論議が出ておりますけれども、9条の精神はどうしても残しておきたい」(04年5月の札幌市での講演録)▽「アメリカが戦争すれば一緒に戦争する。そのための憲法にしようというのは許されない」「9条改悪に反対だと意思表示することが大切」(05年5月の医療労働者団体「民医連」機関誌でのインタビュー)。護憲にかじを切った箕輪さんが、再び自衛隊憲法への明記を主張することはなかった。

 06年5月、箕輪さんの葬儀で、参列者に配られた礼状を佐藤さんに見せてもらった。亡くなる3カ月前のイラク訴訟に出廷した最後の法廷で述べた言葉が刷られていた。

 <何とかこの日本がいつまでも平和であって欲しい 平和的生存権を負った日本の年寄り一人がやがて死んでいくでしょう やがては死んでいくが死んでもやっぱり日本の国がどうか平和で働き者の国民で幸せに暮らして欲しいなと それだけが本当に私の願いでした みのわ登>

 箕輪さんと同じ旧北海道1区を地盤にした町村信孝衆院議長が昨年6月、死去した。安倍首相は葬儀で「安全保障環境は厳しさを増しています……町村先生のバトンは私たちが受け継ぎます」と誓った。では、もう一人の先輩のバトンはどうなるのか。安倍首相に、箕輪さんの遺言をかみ締めてもらいたい。

 ■人物略歴

みのわ・のぼる
 1924年北海道小樽市生まれ。医師、佐藤栄作元首相の秘書を経て67年から衆院議員連続8期。72−73年防衛政務次官、81−82年郵政相。90年に政界引退し、2006年死去。
    −−「特集ワイド 元自民党タカ派の遺言 安倍首相、覚えてますか?」、『毎日新聞』2016年05月20日(金)付夕刊。

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