覚え書:「『3分の2』議席は万能の力か ハンガリー進む権力集中」、『朝日新聞』2016年06月06日(月)付。

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「3分の2」議席は万能の力か ハンガリー進む権力集中
編集委員・豊秀一


 野党の反対を押し切って新たな憲法を作る。チェック機関である憲法裁判所の権限を弱める。その一方で、メディア規制を強化する――。ハンガリーで権力の一元化が進んでいる。2010年、中道右派「フィデス・ハンガリー市民連盟」が総選挙で、憲法改正に必要な「3分の2」の議席を獲得したことに端を発する。選挙での大勝は、政権に万能の力をもたらすものなのか。現地を訪ねた。

連載:ポピュリズムの欧州「オルバン編」
■新たな憲法、個人より共同体

 ハンガリーの首都、ブダペスト。中央を流れるドナウの河畔にあって、ひときわ威光を放っているのが、築110年を超える国会議事堂だ。ここに、厳重に保管されているものがある。「聖なる王冠」。王国時代からの権力の象徴だ。

 2012年に施行された新憲法の前文にあたる「民族の信条」には、この王冠が登場する。「我々は……民族の統合を体現している聖なる王冠に敬意を払う」

 オルバン・ビクトル党首率いるフィデスは10年、当時与党だった社会党への不信票を一挙にとりこみ、386議席のうち263議席を獲得、政権を奪還した。これを「投票所革命」と位置づけ、矢継ぎ早に憲法の部分改正を10回以上繰り返し、並行してまったく新しい憲法を制定した。

 新たに憲法に盛り込まれた規定からは、個人の権利より民族や共同体を重くみる思想が浮かび上がる。

 ▼個人の自由は、他者との共同においてのみ、展開することができると信ずる

 ▼我々の共生の最も重要な枠組みが家族及び民族

 ▼何人も……その能力及び可能性に応じた労働の遂行により、共同体の成長に貢献する義務を負う

 狙いは何か。第1次オルバン政権(98〜02年)で報道官を務めた、週刊誌編集長のボロカイ・ガーボルさん(54)は言う。「経済危機が深刻化する中で、働いて国家に尽くすよう国民の価値観を変えようとした」。世界金融危機の波をもろに受け、社会党政権末期の09年、失業率は約11%に達した。

 一方、憲法学者のマイティーニ・バラージュさん(41)は「民族主義的な主張は、政権が権力を強めるための一つの手段」とみる。「そればかりか、民族や共同体を強調することで、敵/味方という分断を社会に持ち込んだ。難民排斥の動きはその一例だ」

 昨年夏、難民の入国を阻むため、オルバン政権が国境にフェンスを次々と作ったことは記憶に新しい。欧州連合(EU)諸国との協力を拒み、強権的な政治姿勢を象徴する出来事だった。

憲法裁判所の人事も介入

 政権の対決型政治スタイルは、新憲法の制定過程でも発揮された。

 新憲法の案が国会に提出されたのは11年3月。わずか9日間の審議で1カ月後に成立させた。賛成262票、反対44票、棄権79票。「3分の2」の威力を見せつけた。

 社会党の国会議員、バーランディ・ゲルゲイさん(39)は「新憲法をつくること自体には反対ではなかったが、与党は全く聞く耳を持たず、合意を取ろうとしなかった」と振り返る。

 政権はチェック機関である憲法裁判所も政治のコントロール下に置こうと、人事にも手をつけはじめる。

 ハンガリーをはじめ東欧など旧社会主義国では80年代末の体制転換後、憲法裁判所制度を導入。立法による権利侵害に対し、憲法裁判所が積極的に違憲判断を出すことで、立憲主義を定着させてきた。

 ところが政権は、野党抜きでも憲法裁判所の裁判官を任命できるよう憲法を変え、予算や税、財政に関する法律を裁判所の審査の対象から外してしまった。

 「違憲の法律の憲法化」という状況も生まれた。憲法裁判所が家族や宗教に関する法律の規定を「憲法違反」と判断すると、これに反発した政権は13年、法律ではなく憲法のほうを改正し、違憲の規定を憲法に書き込んだ。さらに新憲法が施行される前の憲法裁判所の裁判の効力は失われる、と明記した。

 元大統領で、90〜98年に憲法裁判所長官を務めたショーヨム・ラースローさん(74)は言う。「憲法裁判所の果たしてきた役割を台無しにするものだ。1人の人間に権力が集中し、立憲主義とは呼べない状況が生まれている」

■「バランス欠く」メディアに罰金

 メディアを規制する独立機関の再編や公共放送職員の大幅リストラなど、オルバン政権は次々にメディアへの介入を始めた。とりわけ、国内外で激しい議論を巻き起こしたのが、11年1月施行のメディア法だ。

 法律の主な内容は、規制機関「国家メディア・情報通信庁」の下にある「メディア評議会」が、新聞やテレビ、ラジオなどの報道内容について、?バランスを欠いている?民族、宗教、マイノリティーの尊厳を傷つける――などと判断した場合、メディアに罰金を科すというもの。罰金の額は新聞で最大9万ユーロ(約1千万円)、テレビが最大74万ユーロ(約9千万円)だ。

 これに対し、国内の報道機関は猛反発し、欧州委員会欧州議会などからEUの基本理念である報道や表現の自由を脅かしかねないとの批判が相次いだ。ハンガリー政府は、外国籍メディアをメディア法の適用対象から除外するなどしたが、微修正にとどまった。

 リベラル系の全国紙「ネープサバッチャーグ」は当時、新聞の1面全面を23カ国語で表記された「ハンガリー報道の自由は失われた」の文言で埋め尽くし、抗議の意思を表明した。

 現在の編集長、ムラニアンドラーシュさん(41)は「政府から直接圧力を受けたことはないが、政府系の広告が明らかに減り、収益に影響している」と話す。さらに「公共放送で政府批判が報じられなくなった」とも。例えば新憲法の施行直後の12年1月、ブダペスト市内で数万人規模の抗議デモがあったが、ごく小さな扱いだったという。

 メディア状況を監視する民間シンクタンクのメンバー、ウルバン・アグネシュさん(42)は「大幅なリストラで公共放送が政府のプロパガンダ機関になってしまった」と見ている。

 オルバン政権に批判的なラジオ局「クラブラジオ」に周波数が割り当てられないという問題も起きた。11年12月、全く実績のなかった別のラジオ局に周波数が割り当てられたことで、クラブラジオ潰しではとの批判が高まった。

 クラブラジオ側が裁判で勝訴し、現在は別の周波数で放送を続けている。同社を経営するアラト・アンドラーシュさん(63)は「広告収入は激減したが、基金を作って1万5千人の市民が寄付で支えてくれている。我々は決してコントロールされない」と話した。

     ◇

憲法改正国民投票必要なし

 ハンガリーの国会は一院制で、国会議員の3分の2以上の賛成があれば憲法改正ができる。日本のような国民投票は必要ない。現在の与党は2010年と14年の総選挙でいずれも「3分の2」の多数を得たが、15年の補欠選挙で敗れ、現有議席は「3分の2」をわずかに下回っている。

     ◇

■個人が義務果たす社会に トローチャーニ司法相

 新しい憲法を作った狙いはどこにあるのか。トローチャーニ・ラースロー司法相(60)に聞いた。

     ◇

 ハンガリーは政治的、経済的、道徳的な三つの危機に陥っていた。汚職が繰り返され、累積債務は膨らみ、政治家はうそをつく。これまでの憲法は、危機に対応できなかった。

 グローバル化が進み、国と国の価値観の差がなくなっている。人々は消費することばかりに関心が向かい、責任や義務は置き去りにされる。共同体を守るため、我々のアイデンティティーとは何かを決定したことに新憲法の意義がある。

 二つの世界観がある。個人の人権を中心に置く考えと、社会の中に個人を位置づけ、伝統や歴史を尊重する考えだ。我々は後者の世界観、価値観を言葉にし、国民に伝えたかった。

 労働に関する価値観が憲法に入ったことも重要だ。手当など給付を中心とする福祉国家ではなく、仕事をする義務を果たし、個人が責任をとる社会作りを目指す。家族に関しても親に子供を育てる義務があるのと同様に、子供も大人になれば、年老いた親の世話をする道徳的義務がある。

 憲法裁判所の権限を弱めたと批判があるのは承知している。私も4年間判事を務めたが、体制転換後の20年間、憲法裁判所が国の価値観を判決の形で表明していた。憲法の上に憲法裁判所があり、憲法以上の権力を持っていた。新憲法によって、この上下関係を変えたに過ぎない。

     ◇

■〈視点〉傍観者ではいられない

 合意形成を欠いた新憲法の制定、司法の独立への介入、国家による特定の価値観の押し付け……。ハンガリーで目の当たりにしたのは、「数の力」を背景にした「非立憲」的な政治の姿だ。しかし、すべて憲法や法律の定めにはのっとっている。民主主義の一つの帰結なのだ。

 「独裁は決して民主主義の決定的な対立物でなく、民主主義は独裁への決定的な対立物でない」。ナチスの独裁を正当化したドイツの法学者、カール・シュミットは著書「現代議会主義の精神史的状況」に記す。

 民主主義は時に多数の専横を生む。だからこそ、憲法で権力を縛るという立憲主義の考え方を手放すわけにはいかない。立憲主義が根底におくのは、「多数で決めたことでも、だめなものはだめ」。自由で民主的な社会には、民主主義と立憲主義をバランスよく使っていく術が不可欠だ。

 ハンガリーで起きている立憲主義に対する民主主義からの挑戦。「非立憲」的政治は、日本でも進んでいる。傍観者でいられるだろうか。(編集委員・豊秀一)
    −−「『3分の2』議席は万能の力か ハンガリー進む権力集中」、『朝日新聞』2016年06月06日(月)付。

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覚え書:「書評:天使の誘惑 新木正人 著」、『東京新聞』2016年08月21日(日)付。

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天使の誘惑 新木正人 著

2016年8月21日
 
◆時代の傷に自分重ね
[評者]井口時男=文芸評論家
 著者は一九四六年生まれ。一九六〇年代後半の昂揚(こうよう)した新左翼運動に身を投じ、敗北し、リトルマガジンにいくつか印象的な文章を書き、やがて沈黙したらしい。当時の文章を中心に集めた本書は、初の著書にして遺稿集となった。
 もともと「革命」だの「闘争」だのといった荒々しさには縁遠く、十代の頃から『更級日記』を愛読し、保田與重郎と日本浪曼派に心惹(ひ)かれていたという若者が新左翼運動に参加したのである。著者の傷は深く、かつ屈折している。
 あえてまとめれば、テーマは「ナショナリズムと革命」ということか。著者がこだわる『更級日記』の少女は無垢(むく)なるものとしての、歌手・黛ジュンは傷ついたものとしての、ナショナリズムのあえかなシンボルなのだろう。しかし、どの文章も、直線的な論理を忌避するかのように、とりとめもなく崩れていく。その自壊のスタイルがユニークだ。
 自分の傷を時代の傷に重ねて点検しようとしながら、傷口を開く手つきがそのまま傷口を隠す手つきに変じてしまう。体験を論理によって正当化しようとする行為をあさましく感じてしまうのだろうか。書きながら書いていることを恥じているような文章なのだ。若き日の太宰治を六〇年代末の状況に投げ込んだらこんな文章を書いたかもしれない。
 一時代の青春の小さな記念碑である。
 (論創社・3024円)
 <しんき・まさと> 1946〜2016年。「遠くまで行くんだ…」などの同人誌に所属。
◆もう1冊
 江中直紀著『ヌーヴォー・ロマンと日本文学』(せりか書房)。フランスと日本の同時代文学を読み解いた遺稿論集
    −−「書評:天使の誘惑 新木正人 著」、『東京新聞』2016年08月21日(日)付。

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天使の誘惑
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新木 正人
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覚え書:「書評:山の霊異記 霧中の幻影 安曇潤平 著」、『東京新聞』2016年08月21日(日)付。

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山の霊異記 霧中の幻影 安曇潤平 著

2016年8月21日
 
里山を歩き、紡いだ話
[評者]宇江敏勝=作家・林業
 中年になってから著者は無理のない里山を楽しんでいるという。時間をかけてゆっくりと歩き、麓の温泉にひたって地元の酒や料理に舌鼓をうつ。言い伝えの残る古刹(こさつ)を訪れ、妖しいはなしに耳をかたむけることもある。
 十六篇の短篇小説が収められていて、山の雰囲気を堪能することができる。とくに麓から仰ぎ見る富士山のたたずまいがよい。純白の衣をまとった山容に、ゆるやかに広がる青い裾野は女性的な優雅さを感じさせてくれる。しかし低山とはいえ気象が一変して、濃い霧に包まれることもある。雨に濡(ぬ)れて体温が急速にさがる危険。そして亡霊や妖怪がいつとはなしに寄ってくるから油断はならない。
 「推定古道」は、箱根峠からの雨の日の古道で、物の怪(け)にとり憑(つ)かれて道に迷うはなし。「声が聞こえる」は、遭難死した亡霊の声に誘われて、谷底にあやうく転落しそうになったはなし。「ついてくる女」は、二人連れの男の登山者に髪の長い見知らぬ女がついてくる。夜がふけて女はテントを覗(のぞ)き込み、そこからの出来事に読者は戦慄(せんりつ)させられる。
 人は自然に身をゆだね、濃密な関係をもつことによって、不思議なものに出会ったり感じることができる。八月十一日が新しい祝日「山の日」になったが、霊異という観点から山の奥深い魅力を教えてくれる一冊といえようか。
 (KADOKAWA・1404円)
 <あずみ・じゅんぺい> 作家。著書『山の霊異記−赤いヤッケの男』など。
◆もう1冊
 工藤隆雄著『山のミステリー』(山と渓谷社)。山の幽霊ばなしをはじめ、この世のものとは思えない不思議な実話集。
    −−「書評:山の霊異記 霧中の幻影 安曇潤平 著」、『東京新聞』2016年08月21日(日)付。

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山の霊異記 霧中の幻影 (幽ブックス)
安曇 潤平
KADOKAWA/角川書店 (2016-07-02)
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覚え書:「書評:日本人が知らない 最先端の「世界史」 福井義高 著」、『東京新聞』2016年08月21日(日)付。

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日本人が知らない 最先端の「世界史」 福井義高 著

2016年8月21日
 
◆「日独同罪論」の非を論証
[評者]平川祐弘=東京大名誉教授
 竹山道雄を読み直す企画で関川夏央が『ビルマの竪琴』の背景にふれ、「無謀きわまりないインパール作戦」と書いた(『こころ』32号)。竹山も終生そう思っていた。だがスガタ・ボースが米国で刊行したチャンドラ・ボース伝(本邦未訳)によると、その作戦にも三分の理があり、日本軍と共に戦ったボース指揮のインド国民軍は、時の経過とともに独立インドで高く評価されているという。パル判事の東京裁判批判もそうした線に沿って生まれたのだろう。日本とインドは歴史戦争で同盟国たりうると福井義高氏はいう。
 そんな「日本人が知らない世界史」の史実を鋭い筆致で紹介する著者は、東大法科出身、米国で学位を取り、国鉄勤務後、大学教授に転じた。歴史科出とは背景が異なり、目の付け所が違う。英独仏露の言葉に通じ、同一事件を表裏ともに見る。すると新視野がおのずと開け、センター試験で暗記した教科書史観が音を立てて崩れ出す。爽快だ。新型の知的歴史家の登場である。
 昨今のわが国には、文明史的に世界を眺め、その中で日本の位置を見定める林健太郎、田中美知太郎といったタイプの人がいなくなった。戦後、史学会を支配した左翼教授はもはやマルクス・レーニンを唱えることもできず、受験派史学の権威となったようだ。
 しかし、福井氏は問う。スターリンと手を組んだ者たちは果たして正義だったのか。ルーズベルト側近の共産党スパイはどうか。こうした問題提起は中西輝政氏ごのみだが、それよりも歴史修正主義論争が語られ、軍国日本とナチス・ドイツを同列に論ずることの非が整然と論証される「日独同罪論の落とし穴」の鋭さの方に私は感心した。この第一部は圧巻で、政治や歴史を語る者には必読の章といっていい。
 第三部では「大衆と知識人は、どちらが危険か」を論じ、焦眉の急の移民問題について民衆の本音に耳を傾けることの必要を強調している。時宜に適した分析である。
 (祥伝社・1728円)
 <ふくい・よしたか> 青山学院大教授。著書『鉄道は生き残れるか』など。
◆もう1冊
 楊海英(ようかいえい)著『逆転の大中国史』(文芸春秋)。最新の考古学や文化人類学の成果をもとに、ユーラシアの視点から中国史を相対化する試み。
    −−「書評:日本人が知らない 最先端の「世界史」 福井義高 著」、『東京新聞』2016年08月21日(日)付。

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日本人が知らない 最先端の「世界史」
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覚え書:「憲法を考える:生存権の魂 東京大学名誉教授・神野直彦さん」、『朝日新聞』2016年06月07日(火)付。

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憲法を考える:生存権の魂 東京大学名誉教授・神野直彦さん
2016年6月7日

神野直彦さん=恵原弘太郎撮影

 6人に1人が貧困層に陥った経済大国ニッポン。三食に事欠く子どもたち。「下流老人」になりかねないと震える高齢者。人間らしく暮らせる生存権を盛り込んだ憲法があって、なぜこんな事態になったのか。欧州の財政や社会保障制度に詳しく、「人間の経済学」を説いてきた神野直彦さんに問題のありかと解決への道を聞いた。

 ――日本国憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という生存権を掲げています。しかし、施行から70年近く経つというのに、実現しているようには見えません。どうしてこんなことになるのでしょうか。

 「まず、国家が国民の生命、生活を守るという考え方がうまれ、現代に至った歩みを振り返りましょう。人権は、言論の自由や思想信条の自由など、権力からの自由を保障する自由権と、欧州で発展した幸福追求の権利である生存権などの社会権に大別されます」

 「国家に実行を求める生存権は、20世紀初頭前後、しきりに主張され始めました。このころ、資本主義の矛盾として長時間労働や失業などの負の側面が目立ち始めたためです。明確な制度として位置づけられたのが、第1次世界大戦後、ドイツのワイマール憲法でした」

 「こうした動きと呼応して、1891年5月、当時のローマ法王レオ13世が『レールム・ノバルム』というメッセージを世界の教会、聖職者たちに向けて呼びかけました。『新しき事柄』とか『回勅』と訳されていますが、20年以上続く大不況で失業と貧困があふれた時代に、社会にどういう取り組みが求められるかを文章として出したものです」

 「副題は『資本主義の弊害と社会主義の幻想』で、貪欲(どんよく)に利益を追求する資本主義の病理は明白だが、かといって社会主義で解決がつくというのは夢物語だ、という趣旨です。このような時代に生存権が唱えられたのは、まさに弊害から具体的に人々を守る処方箋(しょほうせん)だったと言えます」

 「1世紀を経た1991年5月、東西冷戦の終結という、世界史的変化の時代に登場した法王ヨハネ・パウロ2世が新たな回勅を出そうと、私の恩師である経済学者、故宇沢弘文氏を呼んで、現代の課題を問いかけました。宇沢先生の答えは、前回の副題を逆転させた『社会主義の弊害と資本主義の幻想』でした」

 「法王の祖国ポーランドなどの東欧諸国が、社会主義の非人間的な抑圧から解放された途端、何でも競争、何でも市場と言い始め、非常に不幸な状態に陥ってしまったことを憂えたからです。こうした転換期の混乱は、今も続いています」

 ――時代が大きく変化して、旧来の処方箋では効き目が出にくくなったのですか。

 「そうです。19世紀末から、日本で憲法25条ができる20世紀半ば過ぎまで、世界の先進国では産業の主役は鉄鋼、造船など重厚長大型や自動車、電機などの製造業で、担ったのは、専ら筋肉労働を提供できる男性労働者たちでした」

 「彼らは働いた対価として賃金収入を得る一方、主として女性が、家庭にいて子育てや親の面倒などで支えました。仮に、男性労働者が、病気やケガなどで働けなくなり、収入がなくなった場合は、国家や企業が金銭的な補償をして支えるという福祉の仕組みが広がりました」

 ――しかし「ゆりかごから墓場まで」と手厚い社会保障をスローガンにした英国が膨大な財政支出を賄えなくなり、サッチャー政権は福祉に大なたを振るいました。今、日本も高齢化の急速な進展で従来型の福祉を支え続けられるかが疑問です。

 「金銭で補填(ほてん)する型の社会保障が限界に達したのです。それは世界でお金の流れが変わったからです。福祉の財源を集め、必要な人に配分するためには、まず、豊かな人に税金をかけて、貧しい人に給付しなければなりません。お金の流れを国境で管理することが不可欠です」

 「戦後長く、米国のドルを中心に固定相場が維持されるブレトンウッズ体制の下、お金の動きは国境の内側で統制されましたが、70年代後半に体制を支えてきた米国経済にかげりが出て、一気にお金がボーダーを越えて取引されるようになりました。この結果、税金を払って福祉の資金を支えてきたお金持ちたちが、より税金の安い国に資産を移す現象が進んだのです」

 「所得や消費、資産に応じて税金を負担する割合である租税負担率が高い国は経済成長しにくくなる一方、日本のような低い国が成長する時期が一時はありました。しかし、負担が低ければ、結局は財源を国債増発で賄うか、福祉の水準を切り下げるしかありません。その行き着いた先が、財政赤字にあえぐ今の日本です」

     ■     ■

 ――そうなら、弱者にお金を回してきた福祉は先行き真っ暗ということですか。

 「そんなことはありません。北欧諸国では、お金ではなく、サービスの現物給付が充実されました。育児や養老といった福祉分野に加え、旋盤工だった人をソフトウェアのプログラマーに変えていく再訓練、再教育などのサービスが手厚く施されたのです」

 「現物給付なら、嗜好(しこう)品やギャンブルに投じてしまうような浪費は起きません。結果的に財政支出も低くすみます。同時に労働者を高度化させて、産業構造の転換という変化にも対応できるのです」

 ――どういうことですか。

 「20世紀末から、重厚長大型の産業の中心が、中国など新興国に移った一方、日米欧の先進国では知識集約型、情報サービスの分野が目覚ましく拡大しました。通信、パソコンなどの機能が一体となって持ち運べるスマホが各自の持ち物になったのが代表例ですね」

 「こうした産業は、女性の柔軟でしなやかな能力を必要とします。他方、経済のグローバル化が進んで、各種製品の価格の国際競争が激しくなった結果、男性の賃金が抑え込まれて、それだけでは家計を賄えなくなり、一家で働かなければならなくなったことも、女性が家庭から出て働くきっかけになりました」

 「そうなると、従来は主として女性が担ってきた育児や介護を、公的なサービスなどで補わないと家庭が維持できなくなってきます。これに加えて、産業が高度化した社会では、再訓練、再教育されないと雇ってもらえない。高度化した仕事につける人と、そうでない人との間に、賃金などの格差が生じてしまい、そのまま放置するとずっと追いつけないということになる。そして警戒しなくてはならないのは、そのしわ寄せは個人だけではなく、高度化できない国全体に及び、そうした国では経済成長が難しくなるというマイナス面の効果です。現在の日本は、再教育が十分ではないから高度化が遅れているのです」

     ■     ■

 ――政治家や行政は、これまで通り家庭や企業が支える日本型福祉が機能するから、今後も大丈夫だと言っています。

 「政治家は『1億総活躍社会』を唱え『皆さん働きなさい』といっています。現状でそうしたら、お年寄りや子どもの面倒を見る人がいなくなります。今ですら保育所が足りなくて、働く女性たちが負担を感じています。親の介護で離職する人が少なくないのも、日本型福祉が過去のものになった証拠です。家庭や企業を競争の場にさらした先進国では、公的部門が支えなければ、落ちこぼれた人、弱者は市場経済のリスクにさらされ続けてしまうのです」

 ――日本の経済や社会の現状からみて、憲法25条は一人ひとりの安全網にはならないということですか。

 「生存権が戦争直後に盛り込まれたことは画期的でしたが、なにせ『最低限度の生活を営む権利』で、対象も狭く理解されがちです。産業も家庭も、姿を大きく変え、もはや十分にすくい取れません。『日本国は、危機に陥った個人や家族を支援する、国民相互が支え合う社会国家である』といったものに、生存権の内容を進歩、拡充させる必要があります。そうすることで、人間の尊厳と魂の自立が可能になるのです」

     *

 じんのなおひこ 1946年生まれ。専門はドイツ財政学。税制、社会保障など公共経済の研究を重ね、地方財政審議会会長を務めた。「『分かち合い』の経済学」などの著書多数。

 

 ■条文放置は立法府の怠慢 小池聖一さん(広島大学教授)

 憲法25条は、日本国憲法をつくる過程で、当時社会党選出の衆院議員だった経済学者、森戸辰男が主張して追加されました。連合国軍総司令部(GHQ)の憲法草案にはなかった規定です。

 私は、森戸が初代学長を務めた広島大学に赴任して、彼の業績を深く知るようになりました。

 森戸は第1次世界大戦後のドイツに留学し、そこで生存権を盛り込んだワイマール憲法と出合いました。

 そこには「経済生活の秩序は各人をして人間に価(あたい)する生活を得しむることを目的とし正義の原則に適合することを要す」と書かれています。

 餓死者が出ると恐れられた戦後の食うや食わずの時代、米国が重んじた基本的人権憲法に盛り込んでも、肝心の国民の生命が損なわれてしまっては何にもならない。「最低限度の生活を営む権利」を憲法で保障すべきだ、と考えたのです。

 つまりこの条文は、終戦直後という緊急、特殊な事態を前提につくられたもので、戦後70年もたって、なおそのまま維持されているとは森戸は考えていませんでした。

 当然、その後の発展、変化した経済状況に適した内容の生存権が追求されるべきで、条文も改正されて当然と認識していました。

 いま与野党を含めて、25条の改善が議論の俎上(そじょう)にのっていないのは不思議なことです。あまりに当たり前の内容ですから、誰も疑問を持たないのでしょうか。

 最低限の生存権を守るための、最後の砦(とりで)になっているのはありがたいことかも知れませんが、格差や貧困がはびこっています。

 森戸が生きていたら「世界でも有数の経済大国になり、これだけ豊かさを満喫しているにもかかわらず、25条しか弱者を守るよりどころがないとは、一体どうしたことか」と怒り出したに違いありません。

 森戸たちの世代は、右も左も、議会制民主主義を強めていこうという考えを持つ人たちが多かった。それがいつしか尻すぼみとなり、行政権だけが強まって、本当の意味で、国民の権利を維持、発展させようという政治勢力がなくなってしまった。

 生存権が、終戦直後の状態に放置されているのは、立法権を担う議員たちが怠慢を続けている証左といえるかも知れません。

 (聞き手はいずれも編集委員・駒野剛)

     *

 こいけせいいち 1960年生まれ。専門は近現代史。外務省を経て2008年から現職。広島大文書館長。
    −−「憲法を考える:生存権の魂 東京大学名誉教授・神野直彦さん」、『朝日新聞』2016年06月07日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12396477.html





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