覚え書:「書評:土の記(上)(下) 高村薫 著」、『東京新聞』2017年01月08日(日)付。


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土の記(上)(下) 高村薫 著  

2017年1月8日

◆神々しくも禍々しい人生
[評者]池上冬樹=文芸評論家
 ここには『マークスの山』『レディ・ジョーカー』のミステリー性は皆無である。『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳(ひ)く馬』にあった物語性もほとんどない。高村薫はかつて「事件」の中に時代と社会と人間の現実性(アクチュアリティ)を盛り込むことに腐心したが、『晴子情歌』以降、人物たちの精神と肉体の中にそれを刻み込み、その刻印を言葉で生々しく官能的に喚起させるようになった。つまり、物語のうねりよりも言葉のエロス、ミステリーではなく純然たる純文学である。
 作品の舞台は奈良県宇陀市の山間集落で、六月の未明、農家の一軒家で、男が激しい雨音で目覚めるところから始まる。寝たきりの妻のオムツを替えなくてはと思うが、しばらくして妻が半年前に亡くなったことを思い出す。
 男にはまだら惚(ぼ)けの兆候があるのだが、それでも妻の交通事故、アメリカにいる娘との不仲、夫をなくした義妹との微妙な接近、農村での複雑な人間関係などを詳(つまび)らかにしていく。妻の事故の背景には不貞があり、また少女の失踪事件なども語られもするけれど、謎が物語の駆動力にはならない。
 前半はやや鈍重だが、中盤から不思議なドライブ感が出てきて、一つ一つの文章が昂揚(こうよう)してくる。“時系列も何もない”混乱した記憶が押し寄せ、“運命に記されている時間の最後の一節へと向かって一日また一日とにじり寄ってゆくという『マクベス』の台詞”のような展開をとげるからである。
 とりわけ効果的なのは下巻の東日本大震災だろう。震災から遠く離れた所から改めて見つめる人間の営為。生も死も、現実も幻想も、時間も空間もない世界で生きていることを深々と実感させてくれる。混沌(こんとん)とした神話的な広がりを示しながら、下世話な世界とつながり、地低く這(は)いずりながらも想像は飛翔(ひしょう)をくりかえし、神々しくも同時に禍々(まがまが)しい人生の変転を読者につきつけるのである。高村薫のみならず、純文学の一つの到達点といえる作品だ。
(新潮社・各1620円)
 <たかむら・かおる> 1953年生まれ。作家。著書『四人組がいた。』『空海』など。
◆もう1冊 
 高村薫著『マークスの山』(上)(下)(新潮文庫)。南アルプスで白骨死体が発見され、東京で連続殺人。合田雄一郎警部補が捜査に当たる。
    −−「書評:土の記(上)(下) 高村薫 著」、『東京新聞』2017年01月08日(日)付。

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