覚え書:「折々のことば:699 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年03月19日(日)付。
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折々のことば:699 鷲田清一
2017年3月19日
今の子供たちの最大の不幸は、日常に自分たちの意思で何かが出来る、余白の時間と場所を持てないことだ。
(安藤忠雄)
◇
自立心を育もうと言いながら、大人たちは保護という名目で、危なそうなものを駆除して回る。そのことで子供たちは緊張感も工夫の喜びも経験できなくなった。安全と経済一辺倒の戦後社会が、子供たちから自己育成と自己管理の機会、つまりは「放課後」と「空き地」を奪ってきたと、建築家は憂う。著書「建築家 安藤忠雄」から。
−−「折々のことば:699 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年03月19日(日)付。
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http://www.asahi.com/articles/ASK3974SVK39UCVL031.html
覚え書:「ポピュリズムとは何か [著]ヤン=ヴェルナー・ミュラー [評者]齋藤純一(早大教授)」、『朝日新聞』2017年06月04日(日)付。
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ポピュリズムとは何か [著]ヤン=ヴェルナー・ミュラー
[評者]齋藤純一(早大教授)
[掲載]2017年06月04日
■異論を認めない「反多元主義」
近年、ポピュリズムという言葉をよく耳にするようになった。5月に行われたフランス大統領選の際も、マリーヌ・ルペン候補が代表的なポピュリストとして注目された。しかし、この言葉が何を指すかは明確ではなく、多用される「大衆迎合主義」という訳語にも問題がある。
本書は、「ポピュリズムとは何か」という問いに明快に答える。ポピュリズムの本質的な特徴は「反多元主義」にある。それは、自分たちだけが「真の人民」を代表していると主張する思想・運動を指す、と。
既成の体制を打破しようとする「反エリート主義」や移民排斥を掲げる「排外主義」は、「真の人民」とそうでない者との線引きは多様でありうるという点で、ポピュリズムを定義するのに十分な基準ではない。また、ポピュリストは、人々との直接的な結びつきを重視するものの、代表制を否定しないし、特定の社会経済的な集団を支持基盤とするわけでもない。
ポピュリズムを権威主義などから区別する特徴は、道徳主義的な反多元性にある。「真の」(道徳的に正しいとされる)人民を排他的に代表している以上、いかなる反対派もその正統な代表ではありえない。異論を認めないこの反多元主義こそが、あらゆる立場に対等な発言権を保障すべき民主主義を脅かす。
ポピュリズムは、民意を置き去りにする政治に抗し、民主主義をその制度的硬直から救うとする、有力な議論もある。それに対して、著者は、ポピュリズムを民主主義にとっての「真の脅威」と見る。それは、民主主義の内部から生まれるが、ナチズムがかつてそうであったように、特定の人々から市民としての対等な地位を剥奪(はくだつ)し、民主主義の条件を掘り崩していく。
人民を単一、等質の実体であるかのように描くことにポピュリズムの真の問題がある。著者のこの見方は、人民は単数形ではなく、つねに複数形でとらえられるべきであると強調したH・アーレントやJ・ハーバーマスにつらなるものである。
東欧、トルコ、中南米に目を転じると、ポピュリストは反体制ではなくすでに体制の側にある。再来するポピュリズムの脅威を理解するためには、それを病理的なものとみなすのではなく、人々が世界各地でその台頭と存続を許しているのはなぜかを実証的にも探る必要がある。
「人民」の構築ではなく、「多数派」の形成を、という著者の主張には異論もありうる。それでも、ポピュリズムを的確に定義し、民主主義は多元性を失ってはならないとする本書の議論には十分な説得力があり、アメリカ、日本の現政権を理解するうえでも示唆に富む。
◇
Jan−Werner Muller 70年、ドイツ生まれ。米プリンストン大政治学部教授(政治思想史・政治理論)。著書に『カール・シュミットの「危険な精神」−−戦後ヨーロッパ思想への遺産』。
−−「ポピュリズムとは何か [著]ヤン=ヴェルナー・ミュラー [評者]齋藤純一(早大教授)」、『朝日新聞』2017年06月04日(日)付。
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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2017060400004.html
覚え書:「百年の散歩 [著]多和田葉子 [評者]椹木野衣 (美術評論家)」、『朝日新聞』2017年06月04日(日)付。
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百年の散歩 [著]多和田葉子
[評者]椹木野衣 (美術評論家)
[掲載]2017年06月04日
■通りの名に誘われてぐるぐる
扉を開けて題字を通り過ぎ目次までたどり着くと、十ほどの名前が日本語とドイツ語で並んでいる。いずれもこれから始まる「百年の散歩」の通過地点となるベルリンの通りで、哲学者から革命家、画家や彫刻家、詩人などの歴史的な人物にちなんで名付けられたものばかりだ。
だが、街を散策していれば世界中どこでも出くわす偉人たちの銅像のようには、通りは本人を模倣してくれない。まっすぐだったり、曲がっていたり、枝分かれしていたりして、むしろ人間離れしている。目次をめくるとあらわれる地図がそうであるように。
それでもひとたび名がつけば、通りはそれらしくかれらにたたずまいを寄せる。ときにはその名の分泌する蜜に惹(ひ)かれた人を虫のように引き寄せ、その通りならではの巣にもよく似た店が顔を出し、不意に誰かが足を踏み入れるのを罠(わな)さながらに待っている。
通りの一角で「あの人」を待ち続けている「わたし」もそのひとりだ。だが、約束はいつも果たされることはなく、結局「その人」はあらわれない。待つだけの「わたし」は、いつのまにか通りの名を手綱にしている。
行ったこともない遠い土地に想(おも)いを馳(は)せたり、まだ幼かったころの記憶をよみがえらせたり、果ては死んだ子供の幽霊に出会ったりして、考えなくてもいいはずのことを延々と考え続ける。そして不安な旅に出る前夜の鞄(かばん)のように、ぎゅうぎゅうになるまで頭の中に言葉を詰め込み、想念で破裂しそうになる。結局、街に憑(つ)かれているからだ。
だが、詩人に由来する最後のマヤコフスキーリングは通り(シュトラッセ)ではない。輪(リング)だ。同じ道でも、輪は通りのように左右の端がないことで、位相幾何学(トポロジー)的に内と外をひっくり返せる。ならば、始まりと終わりのある百年の散歩もここで終わりだ。そのとき、ベルリンという街と「あの人」の代わりに姿をあらわすものとは。
◇
たわだ・ようこ 60年生まれ。小説家、詩人。ベルリン在住。日独両言語で執筆。著書に『献灯使』など。
−−「百年の散歩 [著]多和田葉子 [評者]椹木野衣 (美術評論家)」、『朝日新聞』2017年06月04日(日)付。
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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2017060400005.html
覚え書:「字が汚い! [著]新保信長 [評者]宮田珠己(エッセイスト)」、『朝日新聞』2017年06月04日(日)付。
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字が汚い! [著]新保信長
[評者]宮田珠己(エッセイスト)
[掲載]2017年06月04日
[ジャンル]人文
■上手になりたい!50代特訓ルポ
タイトルを見た瞬間、自分がこの本を書いたのかと錯覚した。
字が汚い!
実に身に覚えがある。
書き初め後にみんなで記念撮影したとき、自分の字が映らないよう半紙をふり回していた小学校時代の記憶がよみがえる。
「お前、なんで踊ってんの?」と同級生にふしぎがられたのである。いろいろ事情があるんだよ!
きっと同じように身につまされる人は多いはず。
著者はあるとき自分の字に軽く絶望し、上手(うま)くなろうと決心、まずは30日間の特訓を試みる。だが、五十路(いそじ)に至るまで汚かった字が30日できれいになるはずもない。もっと根本からやり直さないとだめだと、次はペンにもこだわり、教室にも通いはじめる。
それでもなかなか上達せず、せめて味のある字が書きたいとヘタウマ字にも探りを入れる。まったく身につまされる展開だ。われわれはみなそうやってヘタウマ方面に希望を抱くのである。もしくは開き直る。壮絶に字が汚いコラムニストの石原壮一郎氏の言葉が素晴らしい。
「きちんとした字を書く人は“世間様に恥ずかしくないきちんとした人間じゃなきゃいけない”みたいなことを考えているわけですよね。(中略)じゃあそれが面白味のある大人なのかと」
あはは。単なる逆ギレとしか思えないが、今となっては心の手本にしたい。
本書には字の練習と並行して、政治家や作家、スポーツ選手の字を参照したり、字の先生や下手な人へのインタビューを行ったり、かつて流行(はや)った丸文字のその後やサインと印鑑の関係など字をめぐる考察も多く収録されている。欧米では字の美醜へのこだわりがないという話は意外だった。
最終的に著者は味のある字に到達できたのか。写真が載っているので、ぜひ自分の目で確かめてほしい。終始笑える楽しい本だが、涙なくして読めなかった。
◇
しんぼ・のぶなが 64年生まれ。編集者・ライター。著書に『東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか?』など。
−−「字が汚い! [著]新保信長 [評者]宮田珠己(エッセイスト)」、『朝日新聞』2017年06月04日(日)付。
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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2017060400006.html
覚え書:「親鸞、教科書記述に変化 「教えを発展」修正の動き 法然が劣ると誤解生む?」、『朝日新聞』2017年03月17日(金)付。
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親鸞、教科書記述に変化 「教えを発展」修正の動き 法然が劣ると誤解生む?
2017年3月17日
親鸞の肖像画
浄土宗を開いた法然(ほうねん)と浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)。高校の倫理の教科書は、法然の教えを「徹底」「発展」させたなどの表現で、親鸞を説明してきた。だが、この記述では法然は親鸞より劣ると誤解を与えかねないとして、教科書の表記を見直す動きが相次いでいる。
法然(1133〜1212)は比叡山で学び、43歳の時、阿弥陀仏の本願を信じ、ひたすら南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば極楽浄土に往生できるという「専修(せんじゅ)念仏」の教えに目覚めた。親鸞(1173〜1262)は29歳の時に法然の弟子となった。
京都学園大の平(たいら)雅行教授(中世仏教史)によると、法然と親鸞が活動する前の院政期、民衆に広まりつつあった仏教観では、生き物を殺すと地獄に落ち、漁業も農業も森林伐採も殺生になる。生きるための労働で罪を重ねて悪人となるため、その償いが必要だとされた。
これに対し、法然は「すべての人間は平等に善人」であり、いわれのない罪意識にとらわれる必要はないと説いた。一方、親鸞は「すべての人間は平等に悪人」であり、自分の罪深さを自覚した者こそが救われると説いた。2人とも、民衆が押しつけられていた悪人視から、民衆の心を解き放った。
古典的な真宗学は、法然の善人論は悪人の自覚が不徹底とされ、親鸞が法然を発展させたと考えた。この考えをもとに教科書では、親鸞が法然の教えを「さらに徹底」「継承し発展」などと記述してきた。
しかし、朝日新聞が調べたところ、「高校倫理」を発行している主要な6社(7冊)のうち、2017年度から使われる予定のものも含めた4社(5冊)が徹底や発展という表現をやめ、親鸞は「独自に」「新たな教説を生みだした」などと変えていた。
第一学習社は昨年発行の教科書から、親鸞は「法然の教えを継承しつつも、独自の道を歩むこととなった」と改めた。山川出版も17年度から使われる教科書で「(法然の教えを)独自に展開して」とした。
「徹底」と表記している東京書籍と実教出版の2社も修正を検討していると回答した。東京書籍は「時代が進むにつれ、思想が徹底されたという意味で使っている。決して法然が親鸞より劣るという意図はない」。実教出版も「生徒に誤解や先入観を与えるのであれば修正も検討する」としている。
■宗議会で取り上げ
何がきっかけなのか。浄土宗が14年、宗の国会にあたる宗議会で取り上げ、宗総合研究所が1950年代以降から15年度刊行までの高校の倫理や現代社会など341冊の教科書を調べた。昨秋まとめた報告書によると、6社(7冊)のうち3社(4冊)が自主的に表現を改めたと結論づけた。ただ教科書会社に修正を求めることはしていないという。
変更理由について、第一学習社は「浄土宗が調査していることなどを著者に相談して改めた」と説明。東京書籍は「仏教界から指摘されたことはないが、著者もこの問題を認識している。相談して修正を検討する」としている。
調査の中心になった林田康順(こうじゅん)・大正大教授(浄土宗学)は「公正であるべき教科書が優劣をつけるのは、教育基本法の精神に反する。教科書会社が自主的に修正したことは大いに評価できる」と話す。
浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)と真宗大谷派(本山・東本願寺)はそれぞれ「高校教科書の記述は、その時点での客観的、学術的研究の成果を正しく反映すべきだ」、「教科書会社側が学界などの見識を踏まえ、総合的に検討して見直したと思う」とコメントする。
■「共通点を伝えて」
法然と親鸞の関係をどうみるべきか。法然が親鸞について語った言葉は記録上残っていないが、法然に対する親鸞の言葉は多く残る。親鸞の妻・恵信尼(えしんに)は娘に宛てた手紙で親鸞の言葉を引用し、「上人の渡らせ給はんところには、人はいかにも申せ、たとひ悪道に渡らせ給ふべしと申すとも」(法然上人が行かれるところには誰が何と言おうとも、たとえ地獄であろうともお供します)と記した。親鸞がいかに法然を敬っていたのかがうかがえる。
平さんは「法然と親鸞は論の組み立て方が違うだけで、同じものを目指した。オリジナリティーは法然にあり、親鸞は法然の議論をすっきり整理した。人間の平等を説いたことが共通する」と指摘。「法然が親鸞より劣るというのは、現在の研究からみても時代遅れ。教科書では2人のささいな違いよりも、共通点を伝える方が大事だ」と話している。(岡田匠)
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法然が開いた浄土宗の教えをさらに徹底した
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法然の念仏の教えをさらに徹底させ
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法然の弟子となり(中略)専修念仏の継承者となった
<第一学習社>
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法然の教えを継承し発展させた
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法然の教えを継承しつつも、独自の道を歩むこととなった
<数研出版>
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法然の教説をうけついだ親鸞は、専修念仏をより深く、内面からとらえた
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法然の教説を受け継ぎつつ、新たな教説を生みだした一人
<山川出版>
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法然の教えをさらに徹底して
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法然の教えを受けつつ、それを独自に展開して
<東京書籍>
法然の教えをさらに徹底した
<実教出版>
法然の専修念仏の教えをさらに徹底させ
−−「親鸞、教科書記述に変化 「教えを発展」修正の動き 法然が劣ると誤解生む?」、『朝日新聞』2017年03月17日(金)付。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S12845352.html