覚え書:「荷車と立ちん坊―近代都市東京の物流と労働 [著]武田尚子 [評者]山室恭子(東工大教授)」、『朝日新聞』2017年09月17日(日)付。

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荷車と立ちん坊―近代都市東京の物流と労働 [著]武田尚子
[評者]山室恭子(東工大教授)
[掲載]2017年09月17日
[ジャンル]歴史
 
■帝都をガッチリ支えませんか

 急募! 車曳(ひ)きさん。
 新生日本をガッチリ支えるお仕事です。
 「車夫馬丁」と蔑(さげす)む、けしからぬ風潮が巷(ちまた)にありますが、それは大マチガイ。ご一新後の帝都の興廃は、車曳きのたくましい双肩にかかっているのです。
 日当は50銭ほど。自分の車を持ち込めば、さらに増えます。たとえば日本橋から万世橋まで(約2km)70貫(263kg)の荷を運んで12銭、7回運べば1日84銭、道路工事や工場勤めの2倍以上になります。
 オット、奮励努力は性に合わない? ならば「立ちん坊」はいかがでしょう。急な坂の下に立っていて、重い荷物を積んだ荷車が来たら坂上まで後押しする生業です。手間賃は1回1銭か2銭、飽きたら昼寝のし放題。ある立ちん坊さんは「己(おら)ァ常傭(じょうやとい)のような馬鹿な事はしねい」と自由を謳歌(おうか)しておられます。
 立ちん坊をするなら渋谷がおススメです。世田谷あたりの郊外から野菜を満載した農民の荷車が宮益坂(みやますざか)を登って青物市場を目ざします。帰りは同じ荷車が下肥(しもごえ)を満載して道玄坂(どうげんざか)を登ります。バッチイとおっしゃるなかれ。人糞(じんぷん)で野菜を育てて販売して、老廃物は肥料として畑に回収する。じつに明快な経済の好循環です。そんな循環の荷車を押せば、人生観が変わるかもしれませんよ。
 車曳きは尊い職業。名前は無いけれど有名なあの猫さんからも、ご推薦をいただきました。
 「吾輩は猫である。あるとき裏の車屋の黒に問うた。『一体車屋と教師とはどっちがえらいだろう』。即答であった。『車屋の方が強いに極(きま)っていらあな』。たしかに胃薬飲みの苦沙弥先生より、黒の主人のほうが数段幸せそうだ」
 なんでも陸軍ではさかんに荷馬車の実験をしているそうですが、馬が嫌がってうまくないとか。やはり人力が最強です。帝都で6千人の仲間が待っています。サァ、貴方(あなた)の力で日本を動かしてみませんか。
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 たけだ・なおこ 早稲田大学人間科学学術院教授(社会学)。『ミルクと日本人』『もんじゃの社会史』など。
    −−「荷車と立ちん坊―近代都市東京の物流と労働 [著]武田尚子 [評者]山室恭子(東工大教授)」、『朝日新聞』2017年09月17日(日)付。

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武田 尚子
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