覚え書:「ニッポンの宿題 最期の時、どんな形で 会田薫子さん、木澤義之さん」、『朝日新聞』2017年07月08日(土)付。

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ニッポンの宿題 最期の時、どんな形で 会田薫子さん、木澤義之さん
2017年7月8日


認知症が進んだときに希望する治療/年齢別死亡者数(男女計)<グラフィック・小倉誼之>

 医療技術が進み、ものを食べられなくなっても、意識がなくなっても、生きられる時代です。年間100万人以上が亡くなる多死社会。最期の時を、どんな形で迎えるか。どんな医療を受けたいか、受けさせたいか。どう決めればいいのでしょうか。

 ■《なぜ》看取る側の意識改革も必要 会田薫子さん(東京大学特任教授)

 人生の最期を迎える時の医療。医学中心の考えから抜け出すために、最近は終末期医療と呼ばず、厚生労働省は「人生の最終段階における医療」と呼んでいます。

 経済的に豊かな社会にみられる問題です。「生命はどこまでも尊い」という反論しにくい考えと、次々に開発される新しい医療技術があいまって、1分1秒でも長生きさせる延命医療は行って当然で、不要となっても終了できない環境ができ、さまざまな管につながれながら死んでいく「スパゲティ症候群」という言葉も生まれました。治療を尽くさないと外聞が悪いと考える家族の意識もそれを後押ししました。

 終末期医療が改めて注目されたきっかけは、胃に管を通し栄養を送る胃ろうです。21世紀に入り急増、医学的に必要のない高齢者にも多数つくられていると批判されました。意識障害が重く本人の意思が確認できないままつくられ、年単位で延命できる人もいる状況は倫理的か疑問視されました。

 日本老年医学会は2012年に「本人の益にならない医療行為を差し控えたり、開始した後で終了して看取(みと)るのは適切な医療上の選択肢」と表明、複数の学会が追随しました。胃ろうは減りましたが依然、本人に苦痛を与える終末期の過剰医療は解消していません。

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 点滴による水分や栄養分の補給は、最もよく行われる終末期医療ですが、本人には苦痛を伴います。針を何度も刺し直すのは痛いし、余分な輸液は気道内の分泌物を増やし、たんの吸引による苦痛や気道が閉塞(へいそく)するリスクを高め、心臓や肺への負担も大きい。

 人は死期が近づくと、鎮痛鎮静作用がある脳内物質が増えます。水分や栄養分を補給せずに看取るのが、最も苦痛が少ないのです。

 終末期の点滴がなくならないのは、本人より周囲のケアに意味があるからです。医師に尋ねた私の調査では「患者にとって医学的に必要」と答えたのは4割に満たず、「家族の心理的負担軽減」が7割、「医療スタッフの心理的負担軽減」が6割でした。つまり、何もせずに看取るのは、看取る側の心が痛むので、「せめて点滴くらいは」となるのです。

 治療、救命が最上の価値と教育されてきた医師は、人工的な延命措置をやめることで患者の命を縮めてしまうという心理的抵抗が極めて大きい。でも、命を縮めると捉えるのではなく、機械的な延命によって本人の尊厳を損なっている状態を止め、患者の価値観に照らし本人らしい人生の終え方に貢献するのだと、意識を百八十度変えるべきです。点滴を望む家族の意識改革も必要です。

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 医療技術が発達した現在、終末期に必要なのは「技術的に可能なことをやりつくす」のではなく、死にゆく本人が幸せになる方法を探ること。「人工的な延命はしない」も選択肢の一つです。同時に、マッサージなど看護ケアを手厚くすることが大切です。

 延命医療の終了による刑事事件を恐れ、一度始めた治療は中止しないと話す医師もいます。しかし、07年に厚労省が「終末期医療のガイドライン」を出して以来、一度も延命医療終了による刑事事件は起きていません。ガイドラインに沿って意思決定していれば、罪に問われることはないのです。

 医療費も終末期医療を左右します。胃ろうの急増も診療報酬が50%引き上げられたのが一因です。批判が高まり、14年に4割下げられて急減、かわって診療報酬が高い中心静脈栄養法が増えたといいます。病院経営を考えれば延命治療の終了は収入減につながり、やめにくいのが現状です。「引き算の医療」でも、経営を圧迫しない制度を考える時期に来ています。

 (聞き手・畑川剛毅)

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 あいたかおるこ 1961年生まれ。今年4月から現職。専門は臨床倫理学、臨床死生学。著書に「延命医療と臨床現場」など。

 ■《解く》死にゆく過程の可視化大事 木澤義之さん(神戸大学特命教授)

 いまの日本で死について話すことはタブーです。そこに医療の世界の大きな問題があると思います。例えば、重い病気の患者さんが成功率50%の手術を受けるとき、手術が失敗した後のことも考えているでしょうか。僕自身の感覚では、手術自体の説明は医師から十分受けていても、うまくいかなかったときにどうなるかは、ほとんど説明されていません。

 医師には、それを考えるのは自分の仕事じゃない、という感覚がある。患者の救命が第一ですから、ある意味当然です。患者さんも、悪い話は聞きたくない。医師が率直に話すと怒る人もいます。

 でも、成功するイメージをプランAとすれば、うまくいかなかったときのプランBも起こり得ます。そうなると、患者さんは意思を表明できないまま、人工呼吸器や人工透析が続く。延命措置を望んでいなかったとしても、事前に話し合われていないから、なかなか中止できません。

 このような状況に対応するため、終末期医療に関する様々なガイドラインが作られてきました。これらの基本は患者さんによる意思決定です。しかし、プランBが説明されていないと、患者さんがどう考えているかを直接聞くチャンスがなくなってしまいます。

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 昔はいわゆる危篤の状態になれば、長生きはできませんでした。でも今は、医療技術の進歩によって、そこからも長く生きられる。選択肢が増えた分、どんなケアを受けて、どこで最期を迎えたいか、自分で考える時代になってきたと言えます。

 そこで大事なのが、死にゆく過程の可視化です。例えば、療養型病院や緩和ケア病棟がどんなところか分かりますか。在宅ケアではどんなことができて、どんな生活になるか想像できますか。意識が戻らない状態で人工呼吸器につながれたら、どんな経過をたどるか知っていますか。一つ一つわからないことだらけですよね。こうした疑問に応えるための映像資料などを作って、手軽に見られる仕組みが必要だと思います。

 代理決定の準備も重要です。心配をかけたくないからと、書面に希望を書き残しても、希望した背景にあるものが書面だけではわからず、なかなか役立ちません。夫が妻と相談して「延命処置は希望しない」と決めていても、いざそのときに遠方に暮らす子どもが反対した、という話もよくあります。自分の考えや気持ちを、代理決定するであろう人たちと十分話し合っておくことが大切です。

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 プランBの状態になっても、手厚いケアが受けられます。それが緩和ケアです。緩和ケア医の重要な仕事は、患者さんに最期のときを充実して過ごしてもらうこと。その目的のために、患者さんが望む生活や受けたい治療を調整し、痛みやつらさを和らげます。

 しかしながら、日本の緩和ケアはあまりにがんに偏っています。英エコノミスト誌が2015年に緩和ケアのランキング「死の質の指標」を公表しました。日本は80カ国・地域中14位。アジアのトップは6位の台湾でした。台湾の緩和ケアの手法は、日本から持ち込まれたものですが、早くからがん以外の病気にも対応しています。そこに差が出た原因があります。

 15年に日本で亡くなった約129万人のうち、7割はがん以外です。がん患者さんは人生の最終段階でも緩和ケア病棟や在宅で手厚いケアが受けられますが、がん以外の患者さんでは難しい。この状況を改善するべきです。心不全慢性閉塞性肺疾患、神経筋疾患には光が当てられていない。病気の縦割りをやめ、患者さんの状態、困り具合に応じて緩和ケアが受けられる政策も必要です。

 (聞き手・阿部彰芳)

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 きざわよしゆき 1967年生まれ。日本緩和医療学会事務局長。2008年からがん医療に携わる医師への緩和医療研修事業を進める。
    −−「ニッポンの宿題 最期の時、どんな形で 会田薫子さん、木澤義之さん」、『朝日新聞』2017年07月08日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S13024753.html


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覚え書:「三遊亭円朝と民衆世界 [著]須田努 [評者]サンキュータツオ(お笑い芸人、日本語学者)」、『朝日新聞』2017年10月01日(日)付。

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三遊亭円朝と民衆世界 [著]須田努
[評者]サンキュータツオ(お笑い芸人、日本語学者)
[掲載]2017年10月01日
[ジャンル]歴史
 
■噺に映る明治の欲望と暴力

 天保10(1839)年生まれ、明治33(1900)年に没した三遊亭円朝は落語界中興の祖である。20代で「怪談牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」などを創作。速記者に口演を記録させベストセラーを生み、言文一致運動をはじめ、子規や漱石をはじめ明治以降の文学者たちにも多大な影響を与えた。外国作品を翻案した「死神」なども手掛け、作品群も膨大だ。ゆえに、円朝には膨大な先行研究がある。文学、芸能、演劇史などの研究の合流地点だ。しかし本書は歴史学、とくに民衆史という観点から円朝に切り込んだ点が新しい。
 時代の転換点にあり、落語・講談が明治政府から公序良俗に反するものとされかけた時、円朝は自ら政府に歩み寄り、噺(はなし)家一同に民衆の教導者であることを促し、言葉遣いに至るまで注意喚起した。当時東京に200軒以上存在した寄席は、テレビやラジオがない時代、最大のメディアだ。そこに政府が関与してくるのだから、対応しなければ即営業停止である。この国家と娯楽の関係は今も昔も変わらない。円朝は寄席芸人のリーダー的存在として、いわば小言爺(じじい)になりつつ、さらに「塩原多助一代記」を創作し、立身出世物語を展開して国家公認の落語家となったわけである。これをもって、文明開化に妥協し権威主義となった人物とみなす研究者も少なくない。実際は落語家の社会的地位は向上し、結果として落語を守ったともいえる。が、それは政治家としての円朝であり、演者・創作者としての円朝の本質を捉えてはいない。
 本書は、円朝の創作した噺の数々は必ずや当時の民衆の心を掴(つか)んでいたにちがいないという観点で、作品の成立背景や創作意図を読み取るだけでなく、噺のなかに当時の人々の生き方や意識をみてとる。噺のなかでの「欲望」と「暴力」の描き方にそれがあるというのだ。たしかに「塩原多助一代記」を創作した同時期に、「業平文治漂流奇談」という、欲望と暴力に満ち溢(あふ)れた作品も創作している。明治政府になっても国内には暴力がはびこり、社会情勢は不安定だった。円朝は体裁としては体制に従うようにふるまいながら、同時に民衆の心を掴む欲と暴力の噺を提供し、自己実現をしていた。それは客と演者という双方向の関係が望んだ帰結だった。噺は観客と創るものだからだ。そして晩年に「文七元結」という江戸の粋(意気)と義理人情を描いた作品を残していく。
 メディアのなかで、民衆と政府やスポンサーといった「顧客」が望むものを提供し続け、自己実現を果たしていく円朝の姿に、穏やかな気持ちではいられない。
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 すだ・つとむ 59年生まれ。明治大教授(民衆史)。著書に『「悪党」の一九世紀』『イコンの崩壊まで』『幕末の世直し 万人の戦争状態』『吉田松陰の時代』など。
    −−「三遊亭円朝と民衆世界 [著]須田努 [評者]サンキュータツオ(お笑い芸人、日本語学者)」、『朝日新聞』2017年10月01日(日)付。

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覚え書:「親鸞と日本主義 [著]中島岳志 [評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2017年10月01日(日)付。

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親鸞と日本主義 [著]中島岳志
[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)
[掲載]2017年10月01日
[ジャンル]人文
 
■なぜ「国体」に取り込まれたのか

 親鸞といえば、阿弥陀仏のみを信仰し、その信仰を世俗のいかなる価値よりも上位においたため、師の法然とともに流罪となった人物として知られている。その信仰を徹底させれば、国家主義が強まった昭和初期にあっても、世俗に流されることなく、国家に対する批判的な姿勢を保つことができたはずである。
 ところが本書によれば、全く逆であった。右翼団体「原理日本社」に属した三井甲之(こうし)や蓑田胸喜(むねき)、あるいは作家の倉田百三亀井勝一郎ら、親鸞に魅せられた多くの人々は、「絶対他力」「自然法爾(じねんほうに)」という親鸞の思想を都合よく解釈して、「国体」を正当化しようとした。さらには阿弥陀仏の「他力」を天皇の「大御心(おおみこころ)」に読み替えようとした。それは真宗大谷派のような教団の幹部であっても例外ではなかった。
 本書の魅力は、親鸞の思想を人生の指針に据えていると公言する著者が、半ば忘れられた思想家や作家の言説にあたりつつ、なぜこうした矛盾が起こったのかを正面から問い直そうとしたところにある。著者によれば、三井や亀井らは必ずしも親鸞の思想を曲解したわけではない。なぜなら、親鸞の思想自体のなかに、国学を大成した本居宣長にも通じる、後の国体論につながりやすい構造があったからである。
 ただ本書には言及がないものの、真宗大谷派の竹中彰元(しょうげん)のように、昭和初期にも親鸞の思想に忠実たらんとして反戦活動を続け、検挙された人物がいたことを忘れてはならないだろう。たとえその数が少なかったとしても、本書に登場する人々とは異なる思想を、親鸞が提供していた可能性は捨てきれまい。
 本書では、親鸞自身が残した著作が引用・参考文献に全く挙げられていない。親鸞の思想と国体論の関係を解き明かすためにも、いったん鎌倉時代にさかのぼり、原典そのものに立ち入って分析する必要はなかっただろうか。
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 なかじま・たけし 75年生まれ。東京工業大教授(近代日本政治思想)。『ナショナリズムと宗教』など。
    −−「親鸞と日本主義 [著]中島岳志 [評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2017年10月01日(日)付。

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親鸞と日本主義 (新潮選書)
中島岳志
新潮社
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覚え書:「アリ対猪木―アメリカから見た世界格闘史の特異点 [著]ジョシュ・グロス [評者]椹木野衣 (美術評論家)」、『朝日新聞』2017年10月01日(日)付。

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アリ対猪木―アメリカから見た世界格闘史の特異点 [著]ジョシュ・グロス
[評者]椹木野衣 (美術評論家)
[掲載]2017年10月01日
[ジャンル]ノンフィクション・評伝

 
■未知の世界性はらんだ「凡戦」

 1976年6月26日、中学生の私は土曜の半日授業が終わると家へ走った。ボクシング世界ヘビー級覇者モハメド・アリと日本最高峰のプロレスラー、アントニオ猪木の世紀の一戦を、テレビで目撃するためだ。
 だが、壮絶な試合を期待していた私は、唖然(あぜん)とするほど盛り上がりに欠ける展開に肩を落とした。猪木は床に寝そべり続け、アリもまともにパンチを繰り出すことなく試合は終わった。
 なぜだろう。本書でも詳細にわたって取材されている通り、本当の真剣勝負はアリが絶対に負けないためのルール作りにあった。ボクシングにはボクシングの、プロレスにはプロレスのルールがある。無視したらただの喧嘩(けんか)だ。
 どんなスポーツでもルールの改変は絶え間なく行われている。アメリカの黒人でムスリムの英雄アリと、ボクシングからはショーとみなされていた無名の日本人プロレスラー、猪木との「格闘技世界一決定戦」なら、なおさらだ。実は、あの「凡戦」こそ真剣さの証しだった。だが、それは国内の「伝説」であって、アメリカでは認知されぬことと思っていた。それを、アメリカのジャーナリストがこんな本格的な一冊として世に問うとは驚きだ。
 その目線は両雄をめぐる国際政治にまで及ぶ。イラククウェートに侵攻した90年、前年にスポーツ平和党から出馬し参議院議員になっていた猪木はイラクを訪れる。かつての敵アリも続く。人質解放交渉のためだ。あの試合に端を発する猪木ならではの異種格闘技的な横断性が発揮されたのだ。その余韻が先日の北朝鮮への電撃訪問にまで及んでいるのは記憶に新しい。
 やはり、あの試合には未知の世界性が孕(はら)まれていた。他方、打撃と組み技の交錯は「総合格闘技」となり、世界中で探究されるジャンルへと昇華されていく。つまり、真に「特異点」だったからこそ、誰にも気がつけないような「凡戦」だったのだ。
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 Josh Gross 米国の格闘ジャーナリスト。スポーツ・イラストレイテッド誌、英ガーディアン紙などに寄稿。
    −−「アリ対猪木―アメリカから見た世界格闘史の特異点 [著]ジョシュ・グロス [評者]椹木野衣 (美術評論家)」、『朝日新聞』2017年10月01日(日)付。

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覚え書:「社説 核禁止条約 廃絶への歴史的一歩に」、『朝日新聞』2017年07月09日(日)付。

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社説 核禁止条約 廃絶への歴史的一歩に
2017年7月9日

 「核兵器のない世界」の実現に向けた歴史的な一歩だ。

 核兵器保有や使用、実験などを幅広く禁じる初めての条約が国連の交渉会議で採択された。9月から各国の署名が始まり、50カ国の批准で発効する。

 採決では国連に加盟する国の3分の2近い122カ国が賛成した。米ロ英仏中などの核保有国や北朝鮮は交渉をボイコットし、日本や韓国、北大西洋条約機構NATO)加盟国など、米国の核の傘に入る国々もオランダを除いて参加しなかった。

 交渉では「核の使用をちらつかせる脅し」が禁止対象に加わった。核保有国はもちろん、核の傘の下の国が条約に入るのは困難になった。日本の大使は「署名しない」と断言した。

 だが、条約は国際的な規範である。発効すれば、核兵器の抑止力に頼った安全保障政策は国際法上、正当化できなくなる。その意義は大きい。

 すでに中南米や南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアでは核兵器を禁じる非核兵器地帯が実現している。条約で「核兵器は違法」との規範を確立することは、核に固執する国々に政策転換を迫る、さらなる圧力となるだろう。

 そうした国々の政治家や国民に認識してもらいたいのは、核兵器の非人道性だ。

 広島、長崎で20万人以上が殺され、生き延びた人も放射線の後遺症に苦しむ。核保有国は戦後も世界中で2千回を超す核実験を繰り返し、先住民を中心に多くの人々を被曝(ひばく)させた。

 条約の前文は、核兵器使用の犠牲者(ヒバクシャ)や核実験被害者の「受け入れがたい苦痛と被害」に触れた。核がもたらす非人道的な結末を二度と繰り返してはならない、という固い決意が込められている。

 この点で国際社会を失望させたのは、交渉を冒頭で退席した日本政府だ。被爆国でありながら、米国の核の傘に頼る安全保障政策を変えようとしない。

 核・ミサイル開発を急ピッチで進める北朝鮮は深刻な脅威だ。一方の北朝鮮は、米国の核こそ脅威だと反論する。双方が核に依存し続ける限り、核が使われるリスクは消えず、核兵器のない世界も近づかない。

 日本は、条約成立へ向けた各国の動きを、核の傘からの脱却をはかる機会ととらえ、その道筋を真剣に考えるべきだ。

 条約は、加盟国が集まる会合に、非加盟国がオブザーバーとして参加できる規定も盛り込んだ。日本はこうした機会を積極的に生かし、条約への早期加盟の可能性を探ってほしい。
    −−「社説 核禁止条約 廃絶への歴史的一歩に」、『朝日新聞』2017年07月09日(日)付。

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