日記:値札は物事の本当の価値を見えなくする。


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 最近、友だちの子のベビーシッターをした。友人は困っていて、ぼくには時間があったから、喜んで小さいイライジャを何時間かあずかったのだ。一緒に公園に行ってお絵かきをし、「動物の記憶」とかいうゲームでイライジャにこてんぱんにされたのも楽しかった。もしも友人が有料の託児サービスを利用していたら、彼女、イライジャ、ぼくの三人とも、ずいぶんちがった経験をしたことだろう。友人は、知らない人に息子をーーおそらくおおぜいのうちのひとりとしてーーあずけるのに、いくらかのうしろめたさを感じたと思う。また、コミュニティの支援をあてにできない現実に、ちょっぴり疎外感を味わったに違いない・もちろんお金だってかかる(その支払のためにもっと長い時間働かなければならないから、有料託児サービスの必要はさらにふえる)。イライジャにとってみれば、継続的な信頼関係にない人たちとすごすはめになり、あまりくつろげなかっただろうし、慣れた場所での外遊びもできなかっただろう。そしてぼくは、午前中のひとときに、世界の美しさについて三歳児から教わることの多さを思いださせてもらえなかったわけだ。人どうしの頼りあい、相互依存の精神を理解することにより、ぼくら三人のあいだの関係性もまた強まった。この関係性はさらに、相互依存の精神を強固にする。次にぼくが困ったときは、こうした人間関係がものをいい、友だちの誰かが助けてくれるだろう。
 そんな人間関係を有料のサービスに換えてしまう動きが、ぼくらの暮らしのさまざまな場面に次々と入りこんできている。その行きつく先はコミュニティの崩壊だ。豊かな自然を利用すべき「資源」と読み替えた結果、生態系の破壊にいたるように。何かに対して対価を支払うこと、値段をつけることは、その数量化を意味する。単なる数字のひとつと化し、独自性も、関係性も、万物との相互依存性も、どこかへ追いやられてしまう。食料、日陰、屋根、土壌構造を提供してくれる樹齢五百年の大木ではなくて、一万ポンドの価値を持つ木製品となる。その人固有の希望、夢、欲求、悲しみ、喜び、境遇を持ち、ケアを必要としている女性ではなく、年に三万ポンドの負担を納税者に課す「福祉サービス利用者」となる。ありのままの姿を見ずに、金銭的な価値を見ているのだ。値札は物事の本当の価値を見えなくする。子どもの世話を金銭的視点からのみとらえていたら、互いに学びあい、支えあい、はぐくみあう、すばらしい機会を失ってしまう。森林を金銭的視点からのみとらえていたら、いずれ人間はこの地球上に生きられなくなってしまうし、ほかの無数の生物も生きられなくなってしまう。
    −−マーク・ボイル(吉田奈緒子訳)『無銭経済宣言 お金を使わずに生きる方法』紀伊國屋書店、2017年、48−49頁。

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Moneyless man | Environment | The Guardian



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無銭経済宣言 お金を使わずに生きる方法
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覚え書:「神秘大通り(上・下) [著]ジョン・アーヴィング [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)」、『朝日新聞』2017年10月22日(日)付。

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神秘大通り(上・下) [著]ジョン・アーヴィング
[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)
[掲載]2017年10月22日
[ジャンル]文芸

■自由になれない、14歳の記憶

 1980年代、アメリカ文学を読むのが、ちょっとオシャレだった時代がある(物語の内容がオシャレだっていうことではないんだけど)。ジョン・アーヴィングは当時の文学界のスーパースターだった。『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』『サイダーハウス・ルール』……。懐かしい書名が次々に思い出される。
 そのアーヴィングが25年の構想を経て発表した久々の新作が『神秘大通り』である。
 主人公はフワン・ディエゴ。アメリカ在住、アイオワの大学で教鞭(きょうべん)もとっていた54歳の作家だが、彼は40年前の記憶から自由になれない。14歳の自分にしょっちゅう戻ってしまう彼は〈自分のふたつの人生を「平行に並べて」繰り返し、たどり直してい〉るのに等しかった。
 かくて二つの物語が同時並行的にスタートするのだが、これがまあ、どちらも波乱万丈なんてものじゃないのだ。
 14歳のフワン・ディエゴは、1歳下の妹ルペとメキシコのオアハカ市に住む「ゴミ捨て場の子ども(ダンプ・キッド)」だった。フワン・ディエゴはトラックに轢(ひ)かれて足に障がいがあり、ルペは喉(のど)の障がいで兄以外には話す言葉が通じない。イエズス会が仕切る孤児院から、彼らはやがて怪しげなサーカス団に身を寄せることになる。
 一方、いささか冴(さ)えない中高年になった54歳のフワン・ディエゴは、ある目的のためフィリピンを目指して旅行中である。そこに現れたセクシーな美人母娘。心臓病を患っており、しかも恋愛経験がほとんどない彼はバイアグラの力を借りてアバンチュールに励むが……。
 長い物語ではあり、途中で飽きるかなとも思ったが、後半に待ち受けている衝撃の展開に目が覚めた! 14歳でこんな悲劇を体験したら、青年期も壮年期も、そりゃあ「余生」になっちゃうかもね。
 ゴミ捨て場から拾い出した焼却寸前の本で、スペイン語どころか英語までマスターしたフワン・ディエゴ。特殊な能力の持ち主で、人の心を読んだり、過去や未来を見たりできるルペ。〈あたしたちが奇跡なの〉とルペはいった。〈兄さんにはべつの未来があるんだから!〉
 黒い肌のマリアとして知られる「グアダルーペの聖母」への信仰を含むメキシコ特有のカトリック事情。「空中歩行芸人」と呼ばれる少女たちにセーフティーネットなしで高さ25メートルでの曲芸をさせるサーカス団。さまざまなモチーフをちりばめながら進む物語は、さながら万華鏡のごとしである。読者をことごとく煙(けむ)に巻き、もしかしたらすべてが妄想?と思わせる結末まで目が離せない。
    ◇
 John Irving 42年生まれ。米国の作家。68年に『熊を放つ』でデビューし、『オウエンのために祈りを』『サーカスの息子』『また会う日まで』など長編を次々発表している。
    −−「神秘大通り(上・下) [著]ジョン・アーヴィング [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)」、『朝日新聞』2017年10月22日(日)付。

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覚え書:「花びら供養 [著]石牟礼道子 [評者]佐伯一麦 (作家)」、『朝日新聞』2017年10月22日(日)付。

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花びら供養 [著]石牟礼道子
[評者]佐伯一麦 (作家)
[掲載]2017年10月22日
 
■静まった言葉が浮かび上がる美

 水俣病を物語った『苦海浄土』を代表作とする石牟礼文学が、私にとって真に迫って感じ取れるようになったのは、アスベスト禍と東日本大震災に遭ってからのことだった。
 本書の冒頭に置かれたエッセー「花の文(ふみ)を」を、震災後に初出誌で読んだときのことはいまだに忘れない。震災をめぐる文章の数々に、言葉は浮くものだと痛感させられていた日々の中で、坂本きよ子という女性を、存在を知ってから四十余年という歳月をかけて粘り強く鎮魂した文章は、いったん深く沈み込み静まり返った言葉が、桜花の下の浮遊感とともに改めて浮かび上がってきたような美しさを湛(たた)えており、強い肝銘(かんめい)を受けた。
 石牟礼はきよ子本人との面識はなく、書き留められたのは、後に同じく水俣病で亡くなったきよ子の母親が語った言葉。「きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身を縛っておりました」「私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。曲った指で地面ににじりつけて、肘(ひじ)から血ぃ出して」
 そして、チッソの方々、世間の方々に、文ば書いて下さい、と石牟礼に懇願する。「桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に」と。本書のタイトルの由縁である。
 また、「知らんちゅうことは、罪ぞ」という患者の言葉は、アスベスト禍の現場を巡った折にも、呻(うめ)くように吐かれたものだった。単行本未収録の評論・エッセー集である本書には、「風土の神々」と題された講義も収録されており、これから石牟礼文学に触れようとする者には恰好(かっこう)の導きとなるだろう。桜色の地に田中恭吉の版画を配した装幀(そうてい)が趣を添える。
    ◇
 いしむれ・みちこ 27年生まれ。『十六夜橋』『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』『石牟礼道子全集』など。
    −−「花びら供養 [著]石牟礼道子 [評者]佐伯一麦 (作家)」、『朝日新聞』2017年10月22日(日)付。

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覚え書:「ヒストリア [著]池上永一 [評者]末國善己(文芸評論家)」、『朝日新聞』2017年10月22日(日)付。

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ヒストリア [著]池上永一
[評者]末國善己(文芸評論家)
[掲載]2017年10月22日
[ジャンル]文芸
 
■沖縄からボリビアへ、魂の奔走

 故郷の沖縄を描き続けている著者の4年ぶりの新作は、第2次大戦後に沖縄県人が南米のボリビアに移民した知られざる歴史を題材にした壮大な物語である。
 沖縄戦を生き抜いた少女・知花煉(ちばなれん)は、過酷な経験によってマブイ(魂)を落としてしまう。戦後の闇市で成功した煉だが、表に立てた男が共産主義者だったことからアメリカ陸軍の諜報(ちょうほう)部に追われる身となる。ボリビアへ逃走した煉を待ち受けていたのは、農地とは名ばかりの原生林だった。
 重労働に加え、大河の氾濫(はんらん)や疫病が移民を苦しめるが、煉は、女子プロレスラーカルメン、日系3世のイノウエ兄弟の協力もありしたたかに世を渡っていく。転んでもただでは起きないパワフルな煉には、読者も勇気がもらえるだろう。
 だが米軍諜報部は追及を諦めておらず、煉は生活を守るため、親米派と反米派が争い、ナチスの残党が暗躍する南米で政治がらみの危険な仕事を請け負う。その頃、煉から分離したマブイは革命家のゲバラと恋仲になっていて、煉の本体もキューバ危機へと向かう激動の渦に巻き込まれる。
 南米文学のマジックリアリズムの手法を取り入れてきた著者が、冷戦下の南米を舞台に選んだだけに、歴史小説、幻想譚(たん)、国際謀略小説などの要素が詰め込まれ、面白さも増している。
 ソ連に備えるため米軍基地が増強された沖縄を離れた煉だが、一種の棄民として沖縄県人が送られた南米は、冷戦の最前線だった。この展開は、日本の戦後復興が、二重三重に沖縄の犠牲の上に成り立っていた事実に気付かせてくれる。
 沖縄戦でマブイを落とした煉は、戦争を嫌い、ゲバラの武力革命にも懐疑的だった。そのため煉は、マブイを戻して自分の中の戦争を終わらせ、平和をもたらすために奔走する。この終盤が感動的なだけに、ハッピーエンドを拒み、沖縄の怨念が決して過去の問題ではないと突き付けるラストには、衝撃を受けるはずだ。
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 いけがみ・えいいち 70年生まれ。作家。94年デビュー。『テンペスト』『シャングリ・ラ』『黙示録』など。
    −−「ヒストリア [著]池上永一 [評者]末國善己(文芸評論家)」、『朝日新聞』2017年10月22日(日)付。

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ヒストリア
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覚え書:「やまゆり園事件が残したもの:中)障害者と一緒、豊かな生 40人働くパン屋「ぷかぷか」」、『朝日新聞』2017年07月25日(火)付。

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やまゆり園事件が残したもの:中)障害者と一緒、豊かな生 40人働くパン屋「ぷかぷか」
2017年7月25日
 
パン教室で親子と一緒にパンをこねるユースケさん(左)=横浜市緑区(画像の一部を加工しています)
 ■自由な接客、ファンも

 横浜市緑区にある団地の一角に、「ぷかぷか」というパン屋がある。牛乳と卵を使わず、天然酵母と国産小麦で作る素朴なおいしさを売りにしている。ほかの店とちょっと違うのは、およそ40人の知的障害者が働いていることだ。

 レジに立つのは「おしゃべりと計算担当」の辻克博さん(32)。「ベネチア、イタリア、マッターホルン、スイス……」と、つぶやきが途切れない。パンをトレーに載せていくと、暗算で金額を教えてくれる。「丁寧な接客」はないが、つぶやきをBGMとして楽しみに来る人もいる。

 新しい人を見ると、さっと近づきマシンガントークを始めるテラちゃんこと寺沢郁美さん(24)。「フェイスブックやってますか? 今日もぷかぷかがんばります」。人なつこい彼女に誘われ、フェイスブックで友達になる人も多い。

 一見、パン職人風のユースケさん(35)は、注目されると「見るなよ」と照れて隠れるシャイな性格。でも、子どもたちが大好きだったり、店の前に並ぶ花の手入れを毎日したり。ぶっきらぼうだが、心優しい。

 開店は2010年の春。高崎明さん(68)が30年間勤めた養護学校を定年で辞め、退職金をつぎ込んだ。

 養護学校の子どもたちは、できないことも多いが、社会の規範に縛られない自由な発想があった。いつしかほれ込み、知的障害がある人たちと「一緒に生きていきたい」と思った。

 集まった障害者たちは、ほかのスタッフと対等な「メンバー」。当初はマニュアルに沿った接客を試みたが、違和感がぬぐえず、自由気ままに接客する現在のスタイルに。「独り言がうるさい」と言う人もいたが、パンの評判が口コミで広まると、少しずつ受け入れられていった。今では、それぞれのメンバーにファンがついている。

 ■店の空気、ブログで

 昨年7月、障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた事件のニュースで、施設の元職員だった植松聖(さとし)被告の「障害者はいない方がよい」という言葉を知った。「ちゃんと人として入所者とつきあっていなかったんじゃないか」。こう感じた高崎さんは、メンバーのエピソードをブログで紹介し、「障害者はいた方がいい」と反論した。

 店外のテーブルで、よく突っ伏して寝るセノーさん(25)はブログに何度も登場する。かつて「働かない」と言われて福祉作業所にいられなくなったが、今は居眠り姿に親しみを感じる人も多い。「そこにいるだけで場を和ませる立派な仕事」と高崎さん。「障害者はマイナスの存在」という空気が、植松被告を生んだのではないかと考える。

 事件について発信したブログの文章は1年間で60本に達した。真正面から批判するのではなく、ぷかぷかの空気を伝えることで、事件を考えようと呼びかけ続けている。

 事件後、「植松被告の言葉も理解できる」という女性が来店するようになった。最近、その女性から「『あなたはあなたでいいんだよ』と自分に言ってもいいのかも、と思えた。ぷかぷかに救われた」というメールが届いたという。

 年に数回は、地域の人とパン教室を開いている。そこでも、ぷかぷかの空気を伝える。辻さんが歌い出したり朗読を始めたりすると、エプロン姿の子どもたちがパンをこねる手を止めて周りに集まってくる。ユースケさんは、お湯を沸かして全員分のお茶をせっせと入れる。

 今月1日のパン教室に参加した寺居葉子さん(38)は、3年ほど前からの常連だ。それまで障害のある人とは「縁のない人生」だったが、「接するのにハードルがあるかと思ったけど、みんな自然体で話しやすい」と話す。2人の子どもたちからは、よく「ぷかぷかに行こうよ」とねだられるという。

 25日からは、地域の人とメンバーが同じ机を囲んでお昼ごはんを食べるカフェを始める。「障害者と一緒に生きると豊かになる」。高崎さんの思いは強くなっている。(船崎桜)

 ◆あすの(下)は、施設の取り組みを紹介します。
    −−「やまゆり園事件が残したもの:中)障害者と一緒、豊かな生 40人働くパン屋「ぷかぷか」」、『朝日新聞』2017年07月25日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S13053900.html





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