日記:「知った気でいる」という幻想
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要するに、人間は実に多くの場面で、「知った気でいる」という幻想のなかにいて、本人もそのことに気づかずにいる、ということである。だからソクラテスは、この病の治療に邁進したのである。それがソクラテスの行った「問答」であった。
この場合、治療を受ける人間が自分の病に気づけば問題はないが、気づかない場合、ソクラテスの問答は痛い目を味わうだけのものになる。身体の病気での治療でも、治療というものはたいがい不快なものである。自分がそのために苦しんでいる病には治療が必要であり、不快な処置がそのための最高の治療なのだとわかれば、人はがまんもする。しかし、自分が病をもっていることに気づいてさえいない人間が不快な治療を受けたとしたらどうなるのだろうか。おそらく、不当な処置だと怒り狂うだろう。
まさにそういうことが起きたのである。自分の病に気づかずにソクラテスの治療を受けた人びとは、ソクラテスを嫌悪し、恨むようになって、結局これが原因になってソクラテスは裁判所に引き出されて死刑になったのである。ソクラテスの弁明のはじめに「真実のすべてをわたしは知っている」と公言しているのは、このことなのである。
−−八木雄二『古代哲学への招待』平凡社新書、2002年、42頁。
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覚え書:「売れてる本 屍人荘の殺人 [著]今村昌弘」、『朝日新聞』2018年01月14日(日)付。
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売れてる本 屍人荘の殺人 [著]今村昌弘
売れてる本
屍人荘の殺人 [著]今村昌弘
2018年01月14日
■密室殺人トリックにほれぼれ
巻を措(お)く能(あた)わず、とはまさにこのこと−−。鮎川哲也賞を受賞し話題沸騰の新人・今村昌弘のミステリー『屍人荘の殺人』がそれだ。未読者からのお叱りが怖いのでネタバレは自制しておく。ともあれ一方には僻地(へきち)のペンション紫湛荘(しじんそう)を事件の現場とし、そこに人物たちが足止めされる「クローズドサークル」の古典性がある。他方、そんな足止めを余儀なくさせる「意外な」限界状況が恐ろしさに拍車をかける。なんでこんな無惨(むざん)な外界なのに、屋内でも凝りに凝った密室殺人が続くのか。
「位相の異なる二つ」が同時に進行することで緊張と迷彩が生じるのが本作の基本運動だ。犯人の特定にはその二つを解きほぐす必要がある。読者はそれに巻き込まれる。興奮必至。
冒頭は大学の映画研究部の夏合宿への出発を綴(つづ)るラノベ調。ところが映画撮影よりもOBのコンパ目的が明るみに出て暗雲が立ち込め、92頁(ページ)の大きな悲鳴で一挙に作品はホラーへ接続する。しかもそれがやがて本格ミステリーと調和する。ジャンル融合、しかも序破急。
謎解きを請け負うのは大学2年の探偵少女・剣崎比留子だ。彼女が自分のワトソン役に切望するのがミステリ愛好会の大学1年葉村譲。「ホワイダニット」(なぜ事件が起こったか)に固執する前者と、「ハウダニット」(どのように事件が起こったか)にこだわる後者。これは推理の二元性だ。クールにみえる比留子にちりばめられた萌(も)え要素。純粋な推理主体にみえて決定的な黙認を行う葉村。「悪役」とみえた数人に現れる崇高な悲劇性。これらも人物設定に仕込まれた二元性だろう。超常現象が犯行に利用されることと併せ、さまざまな「2」が作品に脈打っている。「第2」の殺人でのエレベーターのトリックにも惚(ほ)れ惚(ぼ)れとした。
消去法による「本格」的な犯人特定が終わり、気づけば大枠となった陰謀と主役男女がまだ残っている。そう、作品は続編の「2」も予告しているのだ。
阿部嘉昭(評論家・北海道大学准教授)
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東京創元社・1836円=9刷15万部 17年10月刊行。著者は85年生まれ。本書は「このミステリーがすごい!」「週刊文春ミステリーベスト10」「本格ミステリ・ベスト10」で1位に。
−−「売れてる本 屍人荘の殺人 [著]今村昌弘」、『朝日新聞』2018年01月14日(日)付。
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覚え書:「売れてる本 もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら 青のりMAX [著]神田桂一、菊池良」、『朝日新聞』2018年01月21日(日)付。
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売れてる本 もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら 青のりMAX [著]神田桂一、菊池良
売れてる本
もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら 青のりMAX [著]神田桂一、菊池良
2018年01月21日
■ネット発、文体そっくりさん
昨年はフランスの文豪レーモン・クノーの『文体練習』が出版されて70周年。同じ場面を99通りの文体で書き分けた超絶技巧の名著だ。同じく昨年、そのスピリットを受け継ぐ本が出版された。「文豪」たちがカップ焼きそばの作り方を100通り書いた本。その続編が本書だ。
なぜカップ焼きそばなのか。同じインスタント食品でもカップラーメンには本物志向がある。それとは異なり、本物であることを禁じられているのがカップ焼きそば。本書で「野坂昭如」が言及しているが、そもそも「ゆでてるだけ」。つまり焼きそばのそっくりさんなのだ。
ここに登場する「文豪」も全員そっくりさんである。著者たちが誰にも遠慮することなく文体模写したものだ。2年ほど前、著者の一人が村上春樹風の文体でカップ焼きそばの作り方をツイートして人気に。その後、相棒を得て大量生産が可能になり、今に至る。手塚治虫タッチでおなじみ、田中圭一によるイラストの参加も効果的だ。
「文豪」の選定に脈絡がないのも面白い。「はじめに」と「おわりに」は、前作に引き続き「村上春樹」が担当。「ゲーテ」や「森鴎外」など教科書級の文豪も出てくるが、「西村京太郎」や「岡田利規」「ブルゾンちえみ」といった現役の人気作家、タレントが大半を占める。「バイラル・メディア」「ラーメン屋のこだわり」といった人間ですらない「文豪」も交じる。
「村上春樹」だけで一冊にする構想もあったようだ。しかし彼だけにこだわってもこれほどのヒットにはならなかっただろう。SNS時代の今、誰もが知る有名な「文豪」を探すのは難しい。すぐに消費され、忘れられてしまうからだ。実際、この本でも知らない名前と出会う。でも、その「知らない」ことを恐れる必要がない。元ネタがわからなくても検索すればすぐ出てくるし、「似てる」かどうかの評判も知ることができる。熱湯……いやネット世代に共有される「文豪」カタログといえる。
福永信(小説家)
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宝島社・1058円。第1弾の『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』が17年6月、第2弾の本書が12月に刊行。計15万部。購入者の約35%が40−50代の女性だという。
もし文豪たちがカップ焼きそばの 作り方を書いたら 青のりMAX
−−「売れてる本 もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら 青のりMAX [著]神田桂一、菊池良」、『朝日新聞』2018年01月21日(日)付。
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宝島社
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覚え書:「著者に会いたい 「福沢諭吉」とは誰か―先祖考から社説真偽判定まで 平山洋さん」、『朝日新聞』2018年01月14日(日)付。
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著者に会いたい 「福沢諭吉」とは誰か―先祖考から社説真偽判定まで 平山洋さん
著者に会いたい
「福沢諭吉」とは誰か―先祖考から社説真偽判定まで 平山洋さん
2018年01月14日
■21世紀の客観的な福沢像を示す
日本の近代を振り返るときに、外せない重要人物の一人が幕末明治期の開明的な思想家、福沢諭吉(1835−1901)だ。福沢の評価をめぐっては、戦後になって「侵略的絶対主義者」との批判的学説が登場。その論拠が岩波書店の福沢諭吉全集「時事新報論集」(第8−16巻)にあるという。
だが、そもそもこの新聞社説を集めた「論集」には無署名の筆者が複数おり、福沢本来の思想とは異なる時局迎合的な社説が混在しているという。その複雑な背景を指摘し、2004年の自著『福沢諭吉の真実』で「市民的自由主義者」としての福沢像を改めて示したのが、日本思想史研究者で静岡県立大学助教の平山洋さんだ。
本書ではさらに、福沢の著書の原形となる社説を追究する過程で「それらの大部分が福沢全集に未収録だったことが判明した」という。また明治天皇の「五箇条の誓文」や坂本龍馬の「新政府綱領八策」が福沢の『西洋事情』などをベースにしている点、福沢が現憲法につながるような「交詢社憲法草案」に関与した点など、新たな観点にも触れていて興味深い。
気になるのは、暫定的であれ、反証例が出されたらその確度を再検証するなど共同研究が行われてもよいはずだが、現状はどうか。
平山さんは「難しい」と話す。学説の違いは平行線のままで、権威筋も版元も動く気配はなさそうだ。だからなのか、平山さんは独自に福沢の著書の本文や全集未収録の福沢執筆と推定される社説をテキスト化し、「誰もが読めるように」ネット上で公開。さらにそれらを基に、著書や社説にクセとして残る福沢の語彙(ごい)や文体を時事新報の無署名社説と比較検討する地道な作業を続けている。
「私は還暦までに、福沢が健康だった頃の全社説の起草者を判定する目安をつけたい。福沢の起草ではない社説を福沢の思想の反映とすることはできません。批判はしても差別はせず、個人の独立だけでなく国家の独立も説いた福沢の先進的で普遍的な思想を再確認し、21世紀にあっても色あせることのない客観的な福沢像を私は示したい」
(文・写真 依田彰)
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ミネルヴァ書房・3780円
−−「著者に会いたい 「福沢諭吉」とは誰か―先祖考から社説真偽判定まで 平山洋さん」、『朝日新聞』2018年01月14日(日)付。
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http://book.asahi.com/reviews/column/2018011400010.html
覚え書:「平成とは プロローグ:1 さらば「昭和」、若者は立った」、『朝日新聞』2017年08月27日(日)付。
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平成とは プロローグ:1 さらば「昭和」、若者は立った
2017年8月27日
写真・図版
昭和と平成、多様化する人生すごろく<グラフィック・岩見梨絵>
(1面から続く)
今年5月、ネット上に投じられ、議論の輪が広がった文書がある。水面に放り込まれた石のように。
「不安な個人、立ちすくむ国家」と題された65ページの文書を作ったのは、経済産業省に所属する20代、30代の官僚30人。ダウンロードは140万回を超え、ネット上で賛否が渦巻いた。
内容は、国家官僚が作成したとは思えないものだ。何しろ、「国家が立ちすくんでいる」ことを認めているのだから。
「現役世代に極端に冷たい社会」「若者に十分な活躍の場を与えられているだろうか」。少子高齢化、格差と貧困、非正規雇用、シルバー民主主義などの現実を背景に、そう文書は問題提起する。
なかでも目を引くのは、「昭和の人生すごろく」という言葉だ。「昭和の標準モデル」を前提にした制度と価値観が、変革の妨げになっている。つまり、終わった昭和にすがり付いているのが日本だという。
平成世代の官僚が、文書の作成にかかわった。基準認証政策課の伊藤貴紀(26)、コンテンツ産業課の今村啓太(27)は共に、東日本大震災後に官僚になっている。
「平成は当たり前が当たり前でなくなった時代。このままではまずいという危機感は、若手ほど強いように思う」と伊藤。「日本の今後を支えるのは若い人たち。資源の配分でも、そんな世代を重視するべきでは」と今村は語る。
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昭和と平成。基本的に、天皇の代替わりによる時代の区切りと社会の変化に因果関係はないはずである。しかし、単なる偶然ではあるものの、平成という時代は、大きな社会変動とぴたりと重なった。
世界規模では冷戦終結と同時にグローバル経済が開花し、IT革命が進行した。国内ではバブル崩壊と55年体制の終わりが同時に訪れた。そして、人口減少が急ハンドルを切る。
右肩上がりの経済、会社丸抱え人生、両親と子2人の標準家族、分厚い現役世代に支えられた社会保障。そんな「昭和の前提」が崩れたのに、日本は有効な手を打たなかった。そのツケは、若い世代にことさら、重くのし掛かる。
梅雨明けぬ7月中旬、霞が関のビルの一室に、経産省の文書に触発された人々が集った。
今村や伊藤ら官僚にくわえ、シンクタンクやNPOの職員、地方公務員ら多様な人材が参加した。ここでも中心となったのは、平成世代である。
若者が地元に興味を持つにはどうしたらいいか。そんなテーマで集まった分科会で、愛知県新城市の若者議会の試みを紹介したのは、室橋祐貴(28)だった。
少子化で人口が少なく、投票率も低いから、政治への影響力が薄い。そんな若年層の声を政治に届ける利益団体、「日本若者協議会」の代表をしている。
20代の政治参加を可能にするため、被選挙権年齢と供託金の引き下げを求めているが、その手法はロビー活動だ。SEALDsが安保法制反対デモをしていた一昨年の夏も、自民党本部で議員らと会合をしていた。若者政策を推進する超党派議連を作るのが次の一手だという。
平成が始まる直前に生まれた。地元では小中学校が次々と廃校になり、高齢者施設に衣替えした。社会が急速に変化しているのに政策を打ち出すスピードが遅すぎる。室橋を動かすのは、そんな思いだ。「平成は変化に追いつけなかった時代。若い世代にもっと早く、バトンを渡すべきでしょう」
もっと直接的に、若者が政治に踏み込む手助けをしようと考えているのは、岐阜県垂井町議の太田佳祐(31)である。
地方議員を目指す若手を集めた勉強会「登竜門」を呼びかけた。10年後、20年後の当事者になる若者こそ、政治の意思決定にかかわるべきだと思うから。
「立候補する際、地元の自治会長にどうあいさつをしたらいいでしょうか」。今年7月、名古屋で初会合を開き、政治に興味を持つ社会人や学生のそんな質問に、若手議員が答えた。
太田も加わる「ユースデモクラシー推進機構」代表の仁木崇嗣(30)が目指すのは、「デジタル時代の自由民権運動」だ。2年前の統一地方選で当選した1985年以降生まれの議員はわずか136人。その少数派たる若手議員の地元を自分の足で回ってネットワーク化し、「シルバー民主主義」とは対極の名を付けた。
若い世代ほど政治にかかわるべきだと仁木も言う。「党派や思想が違っても、同じ時代の変化を共有する私たちの世代は、横につながることができる」
*
時代のバトンを次世代に渡し損ねているのではないか。そんな問いかけをしたとしたら、平成世代はこう言うだろう。
何をいまさら、と。
子どもの数が減り続けるなか、若者を不安定雇用に押し込めれば、どうなるか。みんな、年長世代は分かっていたはずだ。朝日新聞は10年前、就職氷河期に社会に出た世代を「ロストジェネレーション」と呼び、非正規雇用や時代の変化に苦しむ若者たちについて報じた。私は、取材班の一員だった。
分かっていたのに手を打たなかったのは、自分も含めた上の世代である。
経産省の前身、通産省の官僚だった作家の堺屋太一(82)は20年前、朝日新聞に「平成三十年」という小説を連載した。人口が減少するなか、東京一極集中が続いて地方は衰退、国の借金は増え続ける。そんな平成30年の日本を描いた未来予測小説だ。単行本化した際の上巻の副題は「何もしなかった日本」。
「現実は、その予想よりもさらに『何もしなかった』のが日本でしょう」と堺屋は振り返る。
小説の登場人物は、こう言う。「1990年には冷戦の戦勝国でした。だが、そのあとの28年間は敗退続きです」
経産省の若手官僚らによる文書は最後に、こんな言葉を強調している。
〈この数年が勝負〉
数年が経てば、平成という時代は終わる。それが単なる偶然に過ぎないとしても。
(敬称略)
■ぬるま湯から跳び出して
今の日本は「ゆでガエル」だ。そんな例えを取材中、何度か耳にした。水にカエルを入れて、ゆっくり熱すると、跳び出すきっかけを逃して死ぬという、あの真偽不明の寓話(ぐうわ)である。
昭和とは環境が変わっているのに、考えや仕組みを変えられない。その負債は若者に回され、未来を育む土壌が傷めつけられていく。焼き畑農業のようなやり方では、社会のバトンは次世代に手渡せない。
私を含めた年長世代の多くは今もぬるま湯につかっている。最初に枠から跳び出すカエルは、若い世代からこそ出てくる気がする。(編集委員 真鍋弘樹=51歳)
−−「平成とは プロローグ:1 さらば「昭和」、若者は立った」、『朝日新聞』2017年08月27日(日)付。
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(平成とは プロローグ:1)さらば「昭和」、若者は立った:朝日新聞デジタル