覚え書:「日曜に想う 衆院選、イソップが教えること 編集委員・曽我豪」、『朝日新聞』2017年10月15日(日)付。

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日曜に想う 衆院選、イソップが教えること 編集委員・曽我豪
2017年10月15日

写真・図版
「あの頃のこと」 絵・皆川明
 現実政局の取材に疲れると、本棚から引っ張り出す本がある。前にも一度引用したが、「イソップ寓話(ぐうわ)集」(中務哲郎訳 岩波文庫)だ。

 今回も、希望の党が登場した辺りから読み返した。相変わらず、登場する狼(おおかみ)や狐(きつね)やライオン、それぞれに、現実の政治家の顔が浮かんできてたまらない。

 選挙期間中ゆえ名前をあげて詳述は出来ないが、病気治癒のために果たせないことばかり神に約束する男の話や、神の怒りを遠ざけると公言するわりには人間の説得など普通のことが出来ない魔法使いの話など、実に興味が尽きない。

 ただ今回、イソップが同趣旨の訓話を繰り返し語ることに気がついた。

 やられたらやり返せ。それが人間を不幸にする。相手の非だけあげつらう者は既に自分が落ちる穴を掘っているのだ。

 そういう一連の作品群である。

 その昔、プロメテウスは人間を造ると二つの袋を首に掛けさせた。

 体の前には他人の欠点を入れる袋、背後には自分の悪い所を入れる袋。それ以来人間は、他人の欠点はたちどころに目につくのに、自分の悪い所は予見できない、ということになった。

 あるいは、蜜蜂の話。蜜を人間に与えるのが惜しくなった蜜蜂がゼウスの所へ行き、針で刺し殺す力を授けて下さいと願った。ゼウスはその嫉(ねた)み心に腹を立て、蜜蜂が人を刺すと、針が抜け、続いて命を失わねばならぬようにした。

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 さて、この政局でも明らかになったように、相手の非倫理性をたたいて力をそごうと願えば、ブーメランのごとく己の非倫理性が問われる。背中の袋や自分の運命が見えなくなるのは常道でない形でたたきのめそうとするからだ。結果残るのは政党政治そのものへの不信だけだ。

 やられたらやり返せはまだある。

 自身の疑惑と改憲戦略をリセットするため、政権が時ならぬ解散に打って出たのは確かに常道でなく奇策だ。ただ、それを逆手にとり、「一強」打破だけを旗印にこれまでの政治路線や政策を度外視して新党へ走り走らせようとしたのも同じく常道ではない。排除の論理を他人に課す者はやがて皮肉にも、自らが排除の論理にさらされる日が来るものだ。

 選挙は結局勝てば官軍だと身もふたもないことをいうなら、普段の政治論議の積み重ねなど意味がない。有権者が審判の力を発揮出来る政権選択選挙が刹那(せつな)的な瞬間芸で決まっていいはずもない。わが国のことわざにもあるではないか。

 人を呪わば穴二つ。

 この選挙で政党政治の姿が大きく変貌(へんぼう)する可能性が出てきた。安保法制体制を支持し改憲を志向する保守と異議を申し立てるリベラル。とりわけ保守は、複数の党に分かれ、公明党という中道を抱えつつも、総体として3分の2を大きく超える新たな力を得るかもしれない。

 だからこそ今、まだなすべきことがある。もとより選挙は国民に分断でなく融和をもたらすためにある。首相指名にせよ改憲の具体の方策にせよ、選挙後の合従連衡で想定外の展開が待つならば、有権者が納得ずくの審判など下せるはずがない。このままでは、不満や後悔、つまり分断の火種が残ってしまうだろう。

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 仮想敵をつくりいたずらに対立を演出してきた劇場型政治にもさよならを言う時が来た。北朝鮮危機への対応から消費増税の可否と使途、原発問題まで、どこが合意できる争点で、どこが本当に相いれない争点か。残る1週間の論戦で、特に保守は国民に納得と安心をもたらすよう語る責務がある。それを怠れば強大な力へ最後の逆風も吹きかねない。

 さすがイソップ、こんな寓話もある。

 ヘラクレスが狭い道を歩いていると地面にリンゴのようなものが落ちていた。踏み潰そうとすると、そいつは二倍の大きさになった。こん棒で殴りつけるとますます膨らみ、道を塞いだ。あっけにとられていると、アテナ女神が現れて言うには「兄弟よ、やめるがよい。それは敵愾心(てきがいしん)であり争いであるのだ。相手にならず放っておけば元のままだが、もみ合うほどに、こんな風に膨れ上がるのだ」。
    −−「日曜に想う 衆院選、イソップが教えること 編集委員・曽我豪」、『朝日新聞』2017年10月15日(日)付。

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