日記:あんときのデジカメ MINOLTA DiMAGE Xt ミノルタ最後のコンパクトデジタルカメラ

■ ミノルタ最後のコンパクトデジタルカメラ
このシリーズ「あんときのデジカメ」では、コニカミノルタ製のデジタルカメラをこれまで2台紹介してきましたが、今回はコニカミノルタではなくミノルタ製のコンパクトデジタルカメラでございます。コニカ(東京)、ミノルタ(大阪)はそれぞれ写真機材を製造販売しておりましたが、2003年、経営統合し、コニカミノルタになるのですが、今回お届けるのは、その2003年4月に発売されたものですから、「最後」のミノルタ製になります。
ミノルタ製のコンパクトデジタルカメラには「DiMAGE X」シリーズというのがあります。2002年発売のDiMAGE X 、およびDiMAGE Xi につづくDiMAGE Xtが今回紹介するカメラで、シリーズとしては3代目、このモデルは後にコニカミノルタになってもDiMAGE Xg(2004年)と続きます。2005年に発売されたコニカミノルタとしては最後の、そしてシリーズとしても最後になるDiMAGE X1は昨年使ってみまして、非常に中途半端なカメラという印象を抱きましたが、ミノルタ時代最後のXtの実力はいかがなものでしょうか。

■ 機械としては大変優れたデジタルカメラ
DiMAGEには、薄型コンパクトシリーズの「X」のほか、今で言うネオ一眼スタイルでハイエンドの「A」、普及型「Z」があります。Xtはワイシャツのポケットにも入るというフレコミですが、この時代(2003年)のライバル機と比べても非常に薄くコンパクトな筐体です。2003年といえば、SONYのDSC T-1が薄型コンパクトの代表選手として有名ですが、こちらと比べても薄くコンパクトにまとまっています。T-1は500万画素に対して、320万画素ですが、この時代はだいたい300万画素で「おお」という時代ですから、こちらの対比はスルーしましょう。
1ヶ月弱、使ってみましたが、機械としては大変優れたデジタルカメラという印象を強く抱きました。(もちろん、最新カメラと比べると酷ですがこの時代の商品と対比すると)レスポンスが非常にいいこと、バッテリーのもちが優秀なカメラで、使っていて全くストレスを感じなかったのは意外でした。1ヶ月弱でだいたい300枚程度撮影したことが、その事実を裏付けているのではないかと思います。
液晶の小ささや、最高感度の低さなど、その時代なりの限界はあると思いますが、使いやすいカメラで、2005年発売のX1とは非常に対照的だなあと思います。勿論X1は800万画素で、液晶も大きいのですが、この2台を渡されてどちらを使うかと問われれば、私自身は間違いなくXtを選ぶと思います。
欠点を探し始めると、そりゃいくらでも出てきますが、決定的な欠点として指摘するならば、カメラのレンズの位置でしょうか。正面右上の角にギリギリに位置するため、カメラを両手で構えると、割と高い確率で、左手の指がレンズに写り込んでしまうこと。もちろん、そのことを理解して構えるように習慣づければ問題はないのですが、とっさにショットしようとして、割と指かぶりの写真を取ってしまいましたので、こちらが欠点でしょうか。なお光学3倍ズームのレンズは、屈曲光学ユニットのため、レンズがせり出したりはしませんので、指とレンズが実際に「当たる」ということはないのですけどね。

■ 2003年製としては非常に優秀なコンパクトデジタルカメラ
でわ、簡単にスペックをおさらい。撮像素子は1/2.7型330万画素CCD。絵作りは、非常に鮮やかながら、LUMIXのようなギラギラしたそれではなく非常にナチュラルな再現で、私としては非常に好感を持つCCDです。白トビもすくなく、光量の著しい対比でも、割と粘って色彩を再現するところにはびっくりです。
レンズは、37−111mmの光学3倍ズーム。屈曲光学式なので、ズーム時にレンズが伸びたり引っ込んだりはしません。ミノルタは割と早い時期からこの方式を採用しており、技術力の高さには驚きました。2005年にはデジタルカメラから撤退してしまいますが、惜しまれるところです。ちなみにf値は2.8〜3.6。望遠端でf値が明るいことも使いやすい理由のひとつになります。
マクロ撮影はだいたいマクロモードを入れて接近するというのがコンパクトデジタルカメラの常ですが、Xtにはマクロモードがなく、そのままでマクロ撮影というスタイルですが、最短撮影距離が15cmのため、もう少し寄りたいというところが欠点でしょうか。
2003年製造のコンパクトデジタルカメラは、本機を含めて8台所有しておりますが、同時期のカメラと対比すると、上位に位置する仕上がりではないかと思います。

以下、作例です。プログラム撮影、ISO100、ホワイトバランスオート、露出補正なし。画像は2048×1536サイズで保存。筐体はiPhone6sで撮影。








↑ 広角端37mmで撮影(A)。


↑ (A)を光学望遠端111mmで撮影。



↑ 広角端37mmで撮影(B)。


↑ (B)を光学望遠端111mmで撮影。





Playing old digital Camera MINOLTA DiMAGE Xt 2003 | Flickr




覚え書:「極夜行 [著]角幡唯介 [評者]宮田珠己(エッセイスト)」、『朝日新聞』2018年03月04日(日)付。


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極夜行 [著]角幡唯介
[評者]宮田珠己(エッセイスト)
[掲載]2018年03月04日

■昼も夜も暗闇、未知の世界に挑む
 
 北極圏には、何カ月もの間まったく太陽が昇らない一帯がある。探検家角幡唯介がその極夜に挑んだ。
 ときに月が地表を照らすことはあるが、ほぼ毎日真っ暗闇のなか、氷河を越え、ツンドラを抜け、白熊や狼(おおかみ)のうろつく海氷の上を相棒の犬とともにひたすら歩く。GPSもなく、景色も見えないのによく目的地にたどりつけるものだ。事前に運んでおいた食料が白熊にすべて食われていたり、強烈なブリザードに閉じ込められたり、読みながら何度も、ああ、こりゃ著者死んだな、と思った。
 角幡唯介の探検記はいつも極限状態に読者を引きずり込む。読むうちに、自宅の快適なベッドで寝ころんでいるのに、早く家に帰りたいと思うほどだ。それほどに臨場感あふれる筆致で、探検というものの厳しさ、探検家の揺れ動く心理まで鮮やかに蘇(よみがえ)らせる筆力は、見事というしかない。
 なかでも今回の探検は別格だ。そもそも昼も夜もずっと暗闇の世界に4カ月もいたら、気がおかしくなるのではないだろうか。恐怖、不安、沈鬱(ちんうつ)と闘う日々。食料が足りない絶望的な状況に陥った彼は、当初の計画を捨て、麝香牛(じゃこううし)を狩るべくさらなる闇の奥へと踏み込む決断をする。だが月の光に地理感覚を惑わされ、いっそう窮地に。
 一方、そんななかにあっても、極夜は荘厳な美しさで探検家を魅了し続けた。地球以外の惑星に降り立ったかのような光景。時間感覚さえ失う異様な状況下で、探検家の思索は、太陽のある世界では想像しえない方向へと深まっていく。
 こんな規格外の探検記は初めて読んだ。地球はもう探検しつくされ、今はもう探検家が活躍できる場所が残っていないと言われる。しかし、人跡未踏の土地は残っていなくても、未知の世界を探検することはできるのだ。
 そうして旅の終わり、探検家は4カ月ぶりに太陽に再会し、世界に色彩が溢(あふ)れる。ぐっときた。
    ◇
 かくはた・ゆうすけ 76年生まれ。ノンフィクション作家、探検家。『空白の五マイル』『アグルーカの行方』。
    −−「極夜行 [著]角幡唯介 [評者]宮田珠己(エッセイスト)」、『朝日新聞』2018年03月04日(日)付。

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昼も夜も暗闇、未知の世界に挑む|好書好日




極夜行
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覚え書:「ファミリー・ライフ [著]アキール・シャルマ [評者]蜂飼耳(詩人・作家)」、『朝日新聞』2018年03月04日(日)付。

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ファミリー・ライフ [著]アキール・シャルマ
[評者]蜂飼耳(詩人・作家)
[掲載]2018年03月04日

■理不尽な出来事いかに慈しむか
 
 インドのデリーからアメリカへ移住し、新たな生活を始める一家。父と母、兄のビルジュ、弟のアジェ。本書は、少年だったアジェの目から捉えられた家族の日々を、回想的に描く小説だ。ある日、兄はプールで事故に遭う。その後遺症によって、本人も家族も苦しむことになる。学業優秀だった兄だが、決まっていた高校進学の道が閉ざされたばかりでなく、身のまわりのことも自分では出来なくなってしまう。家族の暮らしは一変する。
 状態は好転しない。父は酒に溺れ、母はやり場のない怒りに取りつかれたようになる。それでも、家族が兄を見棄(みす)てることはない。アメリカ社会での慣習の違い、人種や宗教の違いなどから生じる困難を少しずつ乗り越え、一家は変化に対応していこうとする。悲しみや苛立(いらだ)ちや罪の意識に襲われることがあっても、それらすべてを抱えて生きていくのだ。
 「僕」は本を読むようになり、ヘミングウェイ関連の書物に目を通す。やがて、自分でも物語の執筆を試みるようになる。「僕たちの苦しみが含まれる文章を書くのだ」という自覚が、十代半ばの少年を強く揺さぶる。「書くことは僕を変えた」。心に抱えるものを言葉に置き換える行為が、少年を成長させていく。
 脳に損傷を受けた兄は、もう一言も喋(しゃべ)ることはできず、目を開けた状態でも見えていない。兄の在り方を受け入れ、それに添いつつ、家族はかたちを変えていき、それぞれに年を取っていく。どのように生きても一生は一生だ。
 理不尽な出来事が人生に残す爪痕を、どうしたら直視でき、どのように慈しむことができるのか。この自伝的小説が発する問いは、どこに、いつの時代に生きても、多かれ少なかれ誰もが直面する悲しみや悔しさや怒りと結びつく。だからだろう、言葉による表現を読む、という体験についての、基本的な姿を何度も思い起こさせるのだ。
    ◇
 Akhil Sharma 71年インド生まれ。8歳の時、家族で米国へ移住。本書で国際IMPACダブリン文学賞など。
    −−「ファミリー・ライフ [著]アキール・シャルマ [評者]蜂飼耳(詩人・作家)」、『朝日新聞』2018年03月04日(日)付。

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覚え書:「みる 昭和の子どもが見た夢」、『朝日新聞』2018年04月14日(土)付。

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みる 昭和の子どもが見た夢

みる
昭和の子どもが見た夢
2018年04月14日
 月面着陸に霞が関ビル、超音速機。本書が扱う時代に園児、小学生だった身に、これらは甘美に響く。未来を信じたあのころ。そして巻頭は、順当に大阪万博。実見前から会場ガイドができたのも、学年誌の特集のおかげだった。
 劇画風のイラストと今見ると粗末な写真が、子どもたちの想像と妄想を刺激した。お勉強系の「科学」と「学習」と、娯楽系の学年誌は子ども向け情報誌の両輪といえた。巻末では後者名物の紙製付録も復刻。当然、「万国博大パノラマ」だ。(大西若人)

 『学年誌が伝えた子ども文化史【昭和40〜49年編】』/小学館/1296円
    −−「みる 昭和の子どもが見た夢」、『朝日新聞』2018年04月14日(土)付。

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昭和の子どもが見た夢|好書好日




覚え書:「砂上の楼閣?社会保障は国難なのか」、『朝日新聞』2017年10月17日(火)付。

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砂上の楼閣?社会保障国難なのか
2017年10月17日


 安倍晋三首相は、少子高齢化を「国難」の一つと位置づけ、総選挙に打って出た。財源の裏づけが乏しいままの社会保障は、危うい砂上の楼閣なのか。受益と負担を改めて考える。

負担増、サービス抑制・・社会保障の未来図はどこに?
 

優先政策、与野党で競って 田中拓道さん(一橋大学教授)
写真・図版
たなかたくじ 1971年生まれ。専攻は政治理論、比較政治。新潟大学准教授などを経て現職。著書に「福祉政治史」など。
 

 日本はいま、三重苦に直面しています。少子高齢化財政赤字と社会的格差です。

 家族が子育ても介護も担う日本型福祉社会は壊れつつあります。少子化が進むのは家族をつくるのが重荷だからです。国の借金はGDP比約200%と、財政赤字は先進国最悪。格差は正規と非正規の労働者、男性と女性、都市と地方の間で広がっています。

 複合的な問題なので、政党には政策をパッケージで示す責任があります。持続可能な社会や経済をつくるには、中長期的な視点から不人気政策も必要になる。しかし今回の総選挙では、政策がパッケージになっていません。ポピュリズムは世界的な傾向ですが、消費税の増税を凍結するにしろ、財政再建を先送りするにしろ、日本では不人気政策を避ける傾向が顕著です。

 日本の政治的争点は、戦後一貫して安全保障や憲法でした。重要な問題ですが、与野党で安保政策が全く異なり、政権交代でころっと変わるのは望ましくない。私が研究するフランスなどヨーロッパでは、右派と左派が生活に密着した問題で選択肢を競い合ってきました。

 ヨーロッパで、日本の消費税にあたる付加価値税が導入されたのは1960年代です。失業や病気、老齢などのリスクを国家が支える代わりに、国民から広く薄く税を集めると決め、福祉国家に向かいました。税率も上がりますが、自分たちに返ってくる感覚があり、大きな抵抗にならなかったのだと思います。

 90年代にグローバル化に直面すると、社会保障の削減や緊縮財政、雇用流動化など新自由主義的な政策を実施します。しかし、市場化だけでは社会の分断が広がり、ポピュリズムの温床になる。ここに新しい左派が生まれました。手厚い福祉はもはや難しいのですが、女性の就労支援など、多様なライフスタイルを保障し、人々を包摂する方向へ政策を刷新しました。

 これらも踏まえて日本の選択肢を考えると、消費税を上げないのなら、市場をより重視した経済政策と雇用の規制緩和が必要でしょう。さらに社会保障、特に高齢者向け支出の削減が必要になる。

 もう一つの選択肢として、多様なリスクに対応し、家族を形成しやすい政策を展開するのなら、ある程度の税を求めることになる。たぶん消費税は20%程度になる。

 ただ、財政再建や年金改革など長期的な取り組みが必要な課題は、国会の中で与野党で合意し、選挙の争点にはしない考え方もあります。だれも税金は払いたくないし、年金も減らされたくありませんから。その上で身近な政策の優先順位を与野党で競い合う。増税を決めた2012年の3党合意は、この点では重要な成果だったと思います。

 (聞き手・編集委員 村山正司)

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 たなかたくじ 1971年生まれ。専攻は政治理論、比較政治。新潟大学准教授などを経て現職。著書に「福祉政治史」など。

 

増税実現、大連立してでも 峰崎直樹さん(元民主党参院議員)
写真・図版
みねざきなおき 1944年生まれ。92年から参院議員を3期務め、民主党政権で財務副大臣などを歴任。引退後に内閣官房参与
 

 税率10%への消費税の増税を決めた2012年の3党合意に、内閣官房参与としてかかわりました。当時の民主党政権が自民、公明と手を携えた、事実上の大連立でした。

 皮肉なことに、政権が順調であればできなかったでしょう。政権交代は果たしても、マニフェストの財源を生み出せず迷走した。合意の2年前、菅直人首相が増税を突如公約に掲げ、直後の参院選で惨敗しますが、野田内閣に受け継がれて実現しました。

 反対は根強く、党の分裂も招きました。でも、高齢化で社会保障費が国の予算の3分の1を占める実態を踏まえれば、消費税は上げざるをえなかった。しかし、低成長経済のもとで負担増を求めることは、非常に難しいことです。大連立のように国会議員の大半が賛同する政治状況をつくり、丁寧にものごとを進めないと、たどりつけないほどの難しさがあります。

 税率5%への引き上げを決めた1994年の消費増税関連法のときも、自民、社会、さきがけの3党による村山連立内閣でした。

 所得税減税を先行させましたが、こうした制度設計を決める税制改革協議会のメンバーに、社会党参院議員として参加しました。共に議論した自民党メンバーの多くは、いわゆるハト派でしたね。

 3党合意のときも、道を整えたのは亡くなられた与謝野馨さんら、自民党の人たちです。保守といわれる自民党ですが、社会保障や財政の健全性を重視する政治家は、専門家や官僚をうまく活用していました。党内で多数派になれなくても、他党と手を結べば増税が実現するという政治力学があるのかもしれません。

 私が政治家になった92年当時、社会党内では消費税へのアレルギーはまだ相当強くありました。その3年前に、三つの内閣を通して3%の消費税が導入されました。税を上げて所得の再分配を高め、生活を豊かにしようという社会民主主義的な勢力は、本来は社会党に育っていなければいけなかった。しかし、高齢社会に備えてグランドデザインをつくる能力は弱かった。

 高度成長の時代から、成長の果実を減税で還元するのではなく、税収増を社会保障や教育に目に見える形で再分配していれば、もう少し国民の側も負担増の議論に入りやすかったはずです。

 政治家の多くは、易(やす)きに流れます。急速な高齢化で、財源がないまま進めた「給付先行型福祉国家」は、砂上の楼閣です。日本銀行の異次元の金融緩和で金利が低いから、少々赤字を増やしても大丈夫という理屈は非常に危うい。

 選挙を考えれば尻込みするのはわかりますが、未来に責任ある政治家は、つらくても厳しい現実を訴え、国民も受け止めていかなければなりません。

 (聞き手・山田史比古)

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 みねざきなおき 1944年生まれ。92年から参院議員を3期務め、民主党政権で財務副大臣などを歴任。引退後に内閣官房参与

 

困窮者、走りながら支える 川口加奈さん(NPO法人ホームドア理事長)
写真・図版
 かわぐちかな 1991年生まれ。大阪市立大2年時に、ホームレス支援のNPO法人Homedoor(ホームドア)を設立。
 

 安倍政権になったからなのか、リーマン・ショックから立ち直ったからなのかはわからないですけど、有効求人倍率は上がりました。でも、生活に困窮する人が減ったわけではないと感じています。

 ホームレスの人やネットカフェで生活する人たちをサポートする活動を、14歳から始めました。現在は四つの仕事でホームレスの人たちを直接雇うほか、支援を受けている人と人手不足の企業のマッチングもしており、うちに来る求人は確かに増えました。

 ただ、相談にくる人は平均で45歳ぐらいと若年化する傾向にあり、20代の私と同世代や年下の人も少なくありません。虐待などで家族による支えが受けられない人、奨学金の返済で家賃が払えなくなった人などさまざまです。若い人たちはすぐに仕事は見つかるけど、非正規で労働環境が劣悪なことが多く、すぐやめざるをえません。ホームレス状態に戻ることを繰り返し、問題を深刻化させています。

 求人倍率の上昇よりも、待遇など雇用環境のいい会社を増やすことが政策的に必要ですが、それだけでは解決しません。複数の社会問題が積み重なった結果としてのホームレス問題なので、支援には柔軟性や多様性が必要です。大きな枠組みで動かざるをえない行政では、支援の解を見つけるのは難しいでしょう。

 そこに私たちがやる意義がある。いま路上で苦しんでいる人がいるならば、やらないよりはまだ、やる方が何かが変わるはず。だれもが何度でもやり直せる社会に変えたいとの思いから、日々模索しながら、支援メニューを磨いています。具体策を行政に提案できるまでになれば、それを全国に広げてくれるのが、政治の力なのだと思います。

 政治家が活動を視察に来ることは多いです。本気で問題を何とかしたいと思っているのか、一種のPRか、二極化している感じです。本気度って、みえてくるものですね。

 選挙公約は聞こえがいいことを並べるのでしょうが、たとえば生活保護制度はいまのままで良いのでしょうか。生活保護から脱却しにくい現状を改善し、必要な人がもっと利用しやすいしくみになってほしい。でも、財源も限られていて難しい。公約であまり取り上げられていませんが、将来に向けて考えなければいけないことでしょう。

 私生活では社会保障の実感は乏しいです。給料の額面と手取りの差の大きさに「こんなに税や社会保険料を払うんだ」と驚くだけです。

 うちで働くおっちゃんたちから「投票行ったって自分の生活変わらんやろ」って言われたこともあります。与党も野党も困窮者対策は不十分と感じますが、投票にも行かないよりはまだ、行く方が何かが変わるはずですよね。

 (聞き手・山田史比古)

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 かわぐちかな 1991年生まれ。大阪市立大2年時に、ホームレス支援のNPO法人Homedoor(ホームドア)を設立。

 

アピタル:オピニオン・メイン記事>

http://www.asahi.com/apital/forum/opinion/
    −−「砂上の楼閣?社会保障国難なのか」、『朝日新聞』2017年10月17日(火)付。

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砂上の楼閣?社会保障は国難なのか:朝日新聞デジタル