覚え書:「社説 名著ふたたび 混迷の時代だからこそ」、『朝日新聞』2017年11月03日(金)付。


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社説 名著ふたたび 混迷の時代だからこそ
2017年11月3日

 文化の日。深まる秋の一日、時間を見つけ、スマホを脇に置いて、本の世界にゆっくり浸ってみてはどうだろう。

 近年、古典や名著と呼ばれる作品が、装いを一新して再登場している。思い切った現代語訳に人気作家が個性を競う新訳、カバーや字体の変更。古くさくて読みにくいという印象をぬぐい、新しい読者に届けようという試みが広がり、ずいぶん手に取りやすくなっている。

 中でも一番の話題は、岩波書店の雑誌「世界」の初代編集長だった吉野源三郎がのこした「君たちはどう生きるか」だ。

 初版は日中戦争が始まった1937年。コペルニクスにちなんで「コペル君」と呼ばれる中学生が、自己と社会の関わりをみつめていく岩波文庫のロングセラーを、若者の流行をリードしてきた出版社マガジンハウスが漫画化した。発行部数は2カ月余で43万部に達する。

 「原作には、いじめや貧困など、現代にも通じる問題が描かれている。それらにどう向き合い、まさに自分ならどう生きるかをまじめに考えてみたい、という時代の機運を感じる」と担当者は話す。

 読み継がれてきた作品は、人をとらえて離さない面白さに富み、読み直しに堪える奥行きをもつ。人間の可能性も、卑小さも浮き彫りにして、生きる手がかりを提示する。そんな本が待たれていることを、名著の復活は教えているのではないか。

 気になるのは、こうした読者の期待を出版界全体がどれだけ真摯(しんし)に受け止めているか、だ。

 年8万点近い新刊の7割が、翌年には店頭から消える。現場からは、二匹目のドジョウを狙った企画の多さを嘆き、時間をかけた仕事ができなくなっているのを憂える声が聞こえる。

 書籍と雑誌の推定販売総額は約20年で4割以上落ち込んだ。「公共図書館は文庫本を貸し出さないでほしい」。図書館関係者が集まる会合での文芸春秋社長の発言は、出版事情の厳しさを物語るとともに、文化の担い手の責務とは何か、人びとの間に論議を巻きおこした。

 苦しい台所でも、志をもって地道な努力を続けている出版社は少なくない。利益をあげる大切さは言うまでもないが、目先の利益を追うだけでは、出版文化はますますやせ細る。

 なぜいま、古典や名著が呼び戻され、読者にひとときの幸福をもたらしているのか。その意義を出版関係者はもちろん、社会全体で考え、受け継いだこの財産をさらに豊かにして、次代にしっかり手渡したい。
    −−「社説 名著ふたたび 混迷の時代だからこそ」、『朝日新聞』2017年11月03日(金)付。

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(社説)名著ふたたび 混迷の時代だからこそ:朝日新聞デジタル



覚え書:「名画の中の料理 [著]メアリー・アン・カウズ [評者]野矢茂樹(立正大教授)」、『朝日新聞』2018年04月21日(日)付。


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名画の中の料理 [著]メアリー・アン・カウズ
[評者]野矢茂樹(立正大教授)
[掲載]2018年04月21日

■読む「フルコース」をどうぞ

 本を読むのは料理を食べることとおんなじなのだ。たんに栄養をとるために料理を食べる人もいる。しかし、やはり料理は味わうべきものだ。ゆっくりと、ゆったりと、その一皿を味わう。ああ、そんな本の読み方を忘れていた。
 前菜から始まり、フルコースを堪能するように各章が差し出される。ほとんどは料理にちなんで著者が選んできた絵、小説やエッセイの一節、詩、そしてレシピであり、それらが並べられている。だから、読んでいてもまったく先を急ぐことがない。
 例えばあるページはヘンリー・ジェイムズのエッセイと「フランシス・ピカビア風オムレツ」のレシピ。まず卵8個を塩を加えてよくかきまぜます。
  その卵を鍋に注ぎましょう。
  そう、フライパンではなく鍋です。
  鍋をとろ火にかけ、フォークでひっくり返すようにまぜながら、バター230グラムを少しずつ加えます。
 ほら、なんだかバターの香りが漂ってくる。その左ページにはアントワーヌ・ヴォロンという画家がバターの塊をどどーんと描いた絵。私はそれを見て「なんだこれ」と思わず笑ってしまった。そしてもう一度、ヘンリー・ジェイムズがフランスのブレスを訪れたときの文章に目をやる。
  「ブレスにはまずいバターなんてありゃしませんよ」。女主人がバターを目の前に置きながら、からかうように言った。
 「だからなに?」と言いたくなる人、読まなくてよろしい。でもね、このページを開いているだけでしばし時間が経つのですよ。レシピがまるで詩のようで、ときになまめかしく官能的でさえある。それじゃ、最後にサンドラ・M・ギルバートの詩から。
  真実を求めて どれだけ掘り返そうとしても ニンジンは知らん顔だ
 思わず、ニヤリとする。
    ◇
 Mary Ann Caws ニューヨーク市立大大学院センター特別教授。専門は英文学、仏文学、比較文学
    −−「名画の中の料理 [著]メアリー・アン・カウズ [評者]野矢茂樹(立正大教授)」、『朝日新聞』2018年04月21日(日)付。

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名画の中の料理
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覚え書:「すごい廃炉―福島第1原発・工事秘録〈2011?17年〉 [写]篠山紀信 [文]木村駿 [評者]椹木野衣 (美術評論家)」、『朝日新聞』2018年04月21日(日)付。

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すごい廃炉―福島第1原発・工事秘録〈2011?17年〉 [写]篠山紀信 [文]木村駿
[評者]椹木野衣 (美術評論家)
[掲載]2018年04月21日

■何も生産しない技術を競い合う

 震災後、福島第一原発の視察で構内に入った。緊張して臨んだが、すでに防護服が必要ない場所も多いと聞いて驚いた。「フェーシング」(表面遮水)を始めとする作業が進んだ成果らしい。
 ほかにも現地では、ふだん聞き馴(な)れない最新技術の名が飛び交っていた。多核種除去設備、シルトフェンス、リプレース、サブドレン……。なかでもインパクトが強かったのが、本書でも詳しく取り上げられている凍土遮水壁だ。1?4号機原子炉建屋内への地下水の流入を防ぐため、その周囲を総延長1500メートル、深さ30メートル、厚さ1・5メートルに及ぶ凍土壁で囲んでしまうというのだ。土木の世界では以前からあるようだが、これだけの規模で実施されるのは前代未聞らしく、素人にはまるでSFの世界である。
 読み進めるうち、私は1970年の大阪万博を思い出していた。前例のない「すごい」技術について触れられる際、提供している企業の名が必ず付されるからだ。事実、視察のときもまるでパビリオンのようにその前を通るたび解説が入った。
 大阪万博では、高度経済成長の頂点で、日本を代表する企業が未来の生活を生み出す先端技術を競った。ところが21世紀となり、そのころ未来の技術の一つに数えられていた原発が大事故を起こすと、今度は企業がそれを廃炉にする=無に帰する技術を競い合っている。まだまだ準備段階と言ったほうが近いとはいえ、廃炉への一歩一歩を写真と図解でわかりやすく伝える本書は、まるで21世紀の負の万博のためのガイドブックのようにも読める。
 あれだけの大事故に「すごい」という形容を使うのは気が引けなくもない。しかし見方を変えれば、なにも生産しない技術を競い合う様は確かに「すごい(恐ろしい)」。篠山紀信の写真はそのすごさを、単なる記録とは違う次元で躊躇(ちゅうちょ)なく捉えている。
    ◇
 しのやま・きしん 40年生まれ。写真家▽きむら・しゅん 81年生まれ。「日経コンストラクション」記者。
    −−「すごい廃炉―福島第1原発・工事秘録〈2011?17年〉 [写]篠山紀信 [文]木村駿 [評者]椹木野衣 (美術評論家)」、『朝日新聞』2018年04月21日(日)付。

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覚え書:「百貨店の展覧会―昭和のみせもの1945−1988 [著]志賀健二郎 [評者]サンキュータツオ(お笑い芸人、日本語学者)」、『朝日新聞』2018年04月21日(日)付。

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百貨店の展覧会―昭和のみせもの1945−1988 [著]志賀健二郎
[評者]サンキュータツオ(お笑い芸人、日本語学者)
[掲載]2018年04月21日

■ワクワクに出会う偶然を提供

 百貨店の催事に関する論文を楽しく読んだことがあったので本書を手に取った。著者は小田急百貨店で文化催事を担当していた方で、のちに美術館の館長なども務めた。百貨店の展覧会でどのようなことが行われてきたのか、それが美術館の催事のようにきちんとデータベース化されていないという事実に気付いた著者は、百貨店の枠を超え、それぞれの百貨店がどういう時期にどんな展覧会を開いていたかを記述し、一覧化していく。こうしてトレンドが見えてくる。さながら「百貨店の展覧会」という企画展を楽しむように読んだ。
 美術館などでは紹介されない、画壇の主流からはずれた作家の展示会。写真や漫画などはアートと位置付けられる前から展示を行っていたこと。影絵の藤城清治や、ちぎり絵でも有名な山下清といった人々も扱う。50年代には未知なる場所であった奄美大島や華厳の瀧、のちには南極探検、ヒマラヤ、ネパールといった研究の対象となる地も紹介し、大学や研究機関の科学コミュニケーションの場ともなった。日本人の好奇心が地表を覆いつくしていく様も見て取れる。花嫁修業全盛から「いけばな展」、脱美術展の時期からは文学展、宣伝美術の啓蒙(けいもう)期からは様々なデザイン展まで。
 「昭和のみせもの 1945-1988」という副題は、こうした展覧会がまさに興行であることを象徴している。展覧会目的でその場を訪れる人もいたかと思うが、百貨店という場での展示は、雑多な商品を扱い異なる目的で集まった人たちの目に触れるもの。そこにこれからの需要を喚起したり、好奇心を広げてもらう展示をする。いわば「事故」としてワクワクするものに出会えるセレンディピティを提供するのが百貨店の展覧会だ。現場の人でもあった著者の、百貨店の広告から戦略を見抜く行間読みも説得力がある。文化とは何か、自問自答する姿勢に学ぶところも多い。
    ◇
 しが・けんじろう 50年生まれ。小田急百貨店などを経て、渋谷ファッション&アート専門学校校長。
    −−「百貨店の展覧会―昭和のみせもの1945−1988 [著]志賀健二郎 [評者]サンキュータツオ(お笑い芸人、日本語学者)」、『朝日新聞』2018年04月21日(日)付。

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覚え書:「折々のことば:922 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年11月03日(金)付。

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折々のことば:922 鷲田清一
2017年11月3日

 朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめをらねば子は消ゆるもの

 (河野裕子

    ◇

 口もとを拭い、肌を洗い、むずかる声に安心する。迷い子になるのではないか、神隠しにあうのではないかと、この瞬間も子を案じる母の想(おも)いは、ぬめりと湿りで噎(む)せんばかり。娘の紅(こう)は長じてみずからも歌人となり、裕子の遺した歌の数々に「微細な陰影や湿り気に命を与えるような短歌の生理」が滲み出ていると懐かしむ。永田和宏・淳・紅『あなた 河野裕子歌集』から。
    −−「折々のことば:922 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年11月03日(金)付。

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折々のことば:922 鷲田清一:朝日新聞デジタル






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