日記:異なった文化や風俗、言語を持つ人々が、お互いコミュニケートする場合、共通の言葉がいる。それが数学なんです


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 コンピューターの思考方法は、コイントスに似ている。0−1の繰り返しというデジタルな2進法により、思考回路ができている。黒か白かをどんどん積み上げていって、「解」を求めていく。そこに「グレー」の部分はない。高性能なコンピューターほど、その作業は高速でなされる。そして今、現役の社会人や高校生、大学生でパソコンを使いこなせない人はほとんどないといってもいい。大学入試の合格発表はインターネットが使われているし、大学に入ってからも科目登録などにもパソコンは当たり前のように使われている。就職のエントリーシートも、電子メールが増えてきている。
 コンピューターは単純な計算から始まり、今では、数えきれないほど多くの複雑なソフトウェアを搭載するようになった。ジェット飛行機を操縦できたり、スポーツをしたり、戦争をしたり、気候を予報したり、学習したり、料理したり……。それらを、2次元である平面というスクリーンを通して、3次元に生きる私たちは行うようになった。
 生活のテンポは日を追うごとに速くなっている。立ち止まって考えていると、「速くしろ、邪魔だ」と後ろから催促される。とりあえず、歩け、そして、できたら走れ。スピーディーが美徳の社会となった。そうした環境では、コイントス的思考が生きやすい。なにせ、「あいこ」がないのだから、立ち止まる必要がないのだ。
 スピーディーな社会に生きていると、プロセスを省くことが多くなっていく。「どんなことをしても、いい大学へ入れ」「とりあえず、いい会社に入ればいいから」「手段はどうでもいいから収益をあげたい」「結果がすべて」ーー。そうしたスローガンはただ1点、「世の中、結局、金である」に収斂されていく。「なぜ世の中に数学が必要なんですか?」と問われたならば、私はこう答えることにしている。
 「異なった文化や風俗、言語を持つ人々が、お互いコミュニケートする場合、共通の言葉がいる。それが数学なんです」と。
 数学は万国共通の言語だから、それはきちんと原理・法則を理解し、習得させなければならないと、私は強く思う。
 「答えが出さればいい」というのは数学ではない。「どうやって、答えが導かれるのか」を理解していないと、この万国共通言語は適応力を兼ね備えて習得できないのである。
 やっと、言いたいことに辿り着いてきた。30年以上、数学教育に携わってきて、ことにここ10年前後に感じていることが、「数学(算数)なんて、答えが速く出せればいい」という風潮である。そして、その空気は恐ろしいことに、数学(算数)を教える側にも蔓延しているのである。
    −−芳沢光雄『「3」の発想 数学教育に欠けているもの』新潮選書、2009年、4−6頁。

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