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2016-12-14

日記:売春合法化って、公明党が言ってるの???まじて、、、その2

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2016-12-12

日記:売春合法化って、公明党が言ってるの???まじて、、、

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2014-07-20

覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 『ホンネ』使い間違えた? 釈然としない都議会ヤジ謝罪=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年07月16日(水)付。

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くらしの明日

私の社会保障

「ホンネ」使い間違えた?

釈然としない都議会ヤジ謝罪

湯浅誠 社会活動家

 「個人の幸せは、それ自体が目的として尊重されるべきであり、別の目的の手段として位置づけられるべきではない」

 これは正論だ。正論だから表立って反論されない。ただ、大まじめに言ったことのある人なら経験があるのではないかと思うが、ちょっと場がしらける。正論を正論として述べることは、借りてきた言葉をダウンロードしているように見られる。

 「個人の幸せは確かに目的だが、それを追求したほうが経済成長にも資するし、少子化対策にもなるから、追求したほうがいい」

 これは事実上、個人の幸福追求を経済成長とか少子化対策といった目的の手段に「格下げ」している言い方だ。「たしかに目的」と前置きしているものの、実際には後者に力点がある。個人的な会話では、こっちのほうが力強くうなずかれる。言った方も聞いた方も中身のあることが言われたような気がする。

 前者をタテマエと言い、後者をホンネと言う。場に応じて、うまく両者を使い分けられるかどうかであり、タテマエがタテマエであること、ホンネがホンネであることの是非は真剣には問われない。

 女性都議に対して「早く結婚したほうがいいんじゃないのか」とヤジを飛ばした鈴木章浩都議が、6月23日の謝罪会見で繰り返し使ったのは「配慮」「初心」「正常化」という言葉だった(各11回、6回、7回)。配慮を欠いた発言で議会を混乱させてしまった、初心に返って議会の正常化に努めたい、という趣旨だった。

 私はこの謝罪の仕方に、釈然としないものを感じた。

 議会での質問(タテマエ)に対してヤジ(ホンネ)を飛ばした。ところが大事になって私的に使うべきホンネが公になってしまい、議会が混乱した。自分もふだんはちゃんと使い分けているが、今回は結果としてうまく使い分けられなかった。申し訳ない。−−げすの勘ぐりだろうが、どうにもそう聞こえてしまった。

 もし「初心に帰る」ではなく「心(ホンネ)を入れ替える」という言葉があれば、こんな勘ぐりもしなくて済んだだろうが、その言葉は一度も出てこなかった。残念だった。

都議会セクハラヤジ 6月18日の東京都議会本会議で、みんなの党塩村文夏(あやか)議員(36)が晩婚化対策などについて質問中、議員席から「早く結婚したほうがいいんじゃないか」と、女性蔑視のヤジが飛んだ。鈴木都議(51)がヤジを自分の発言と認めて塩村都議に謝罪、所属先の自民会派を離脱した。他にもセクハラと取れるヤジが複数あったため、都議会の議員運営委員長がヤジをとばした議員の再調査を各会派に要請することを決めた。

    −−「くらしの明日 私の社会保障論 『ホンネ』使い間違えた? 釈然としない都議会ヤジ謝罪=湯浅誠」、『毎日新聞2014年07月16日(水)付。

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2014-06-17

書評:本村凌二『愛欲のローマ史 変貌する社会の底流』講談社学術文庫、2014年。

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本村凌二『愛欲のローマ史 変貌する社会の底流』講談社学術文庫、読了。ローマ帝国繁栄下、過剰ともいえる欲望と淫靡な乱交が横行したが、その背景にはローマ人のどのような心性が潜んでいたのか。本書は風刺詩人のまなざしを頼りにしながら、性愛と家族をめぐる意識の変化をあぶり出す。

ローマ社会の性風俗をめぐる風刺詩人たちの声は、時と共に怒りの度合いを強めるが、背景には「『性』にまつわる言動を『汚らしい』ものとして忌み嫌う感性」の兆しが存在する。自己を見つめるストア派の生活倫理が受け入れられるのもこの土壌あってこそ。

家族意識にも際だった変化が訪れる。もともと「結婚」という形態へのこだわりがなかったが、帝政期を通じて同棲や内縁ではなく「結婚」に基づく家族という生活形態が身分や階層を問わず浸透する。「家名を尊重する家族」から「夫婦愛にもとづく家族」へ。

世相の転換の外形には「性の汚れ」の意識と「結婚にもとづく家族」の絆の在り方とが密接に関わっている。内なる世界を重んじる風潮は、結婚した夫婦間に独占される「性」を理想と見る倫理規範として具現化し、それは、キリスト教受容の助走となっていく。

「恥辱と悪徳の実態を問うとは、その根幹において、そこに生きている人々の愛欲の生態に目を注ぐことである」。ローマ人の「性」をめぐる倫理規範の変化を具体的に祖述する本書の議論は、フーコーの観点とぴったり重なってくる。『禁欲のヨーロッパ』と合わせて読みたい。



 





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2014-04-08

書評:角田由紀子『性と法律 変わったこと、変えたいこと』岩波新書、2013年。

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角田由紀子『性と法律』岩波新書、読了。法律における女性差別の是正は筆者らの永年の努力で「1ミリ1ミリ」変わってきたが、問題は山積している。何が「変わったこと、変えたいこと」(副題)なのか。本書はその歴史と最前線を丁寧に概観する。 

男女平等を明文化した新憲法と新民法の制定から半世紀以上たつが、DV防止法制定やセクハラに対する意識の変化も同じだけの時間を要した。「泣き寝入り」を認めるのは人間の意識のみならず、個々の法律においても女性への「冷たさと蔑視」が潜在していると著者は言う。

「夫婦げんかは犬も喰わない」。しかし暴力は暴力に過ぎない。日本社会はプライベートの事象では暴力と認めなかった。そしてそれを法律がそれとなく後押しする。しかし公的世界であれ私的世界であれ暴力は暴力に過ぎない。虚偽と対峙した著者の言葉は重い。

戦前民法は明らかに女性を低い存在と規定して来たが、その意識は変わっていないし、「恥」の意識はまだまだ告発を隠蔽する。加えて、現下の不況は女性の就業・育児環境はますます悪化している。しかし変わらないはずはない。筆者の筆からは希望が伝わってくる。 





岩波新書 - 岩波書店


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