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2017-08-29

日記:歩きながら考える「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」

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 明らかに前輪の様子がおかしいので、仕事の帰りにサイクルショップ寄ろうと考え出勤してすぐに、自転車パンクした。職場に連絡してから、自転車を押して7キロほど強歩。今日は猛暑日で、「残暑が厳しい」というほどの生やさしさでは到底ないほどのギラギラと照りつける日差しをモノともしなかったのは、おそらく常日頃からの鍛えのたまものだ。

 行きつけのサイクルショップで、前輪のタイヤとチューブを交換、どうやら1カ月前に交換したタイヤの初期不良らしい。無償で行ってもらいラッキーだった。作業が済んでから、スタッフの方と少々雑談。自転車乗りなのに自転車について詳しくない。部品の交換のタイミングや自転車バージョンアップなど、専門家の意見には「目から鱗」で驚いてしまった。

 荷物を積めないクロスバイクでの移動が日常生活の基本だから、「対面販売」を伴う買い物はあまり利用しない。だから、書籍やデジタルガジェットのほか、衣類に関してもネット通販で購入するケースが必然的に高くなる。生協など加えれば「対面販売」を全く利用しなくても事済むという話はまんざらウソでもないだろう。

 買い物全般について、専門の販売員に聞かなくても、ある程度のことは専門書を読んだり、適切な優良サイトで調べれば済むのも事実だ。それでも、サイクルショップでのたかだが3分程度の雑談は、「それが事実だとしても、全てではない」というもう一つの事実を召喚したのだ。

 たしかに、自分で全てを済ませることは不可能ではなく事実だ。しかし、それでも「通じている人に聞いてみる」ということの意義は大きく、自分で調べる以上の意味を持っているのも紛れもない事実である。

 「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」という孔子の言葉がある(『論語』為政第二・一五)。要は「学んで、その学びを自分の考えに落とさなければ、身につくことはない」のだが、同時に「いくら自分で考えても人から学ぼうとしなければ独断専行になって危険である」との意だ。これは学問にだけ限定される話ではない。



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2016-11-04

日記:香川県善通寺市「空海まつり」から護国神社境内での「菊花展」へ至る道程での雑感

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昨日は、日中、総本山善通寺で行われていた「空海まつり」をちら見してきました。

空海まつりといっても、宗教的なソレではなく、テキ屋の並ぶカラオケ大会云々という地域の季節の「催し」というていでした。

かつて空海の生誕地・善通寺に18年に住んでいて、まあ、いまさら、島流しみたいになって戻ってきて、改めて地域を見渡してみると知っているつもりで知らないことばかりというのが実情でした。

哲学は驚きから始まるとは、プラトンアリストテレスの共通した認識ですが、少し、空海とか善通寺の勉強をしてみようと改めておもった次第です。

※指摘されるまでもなく、密教一般の呪術性に対する敬遠感は否定しませんが、広くまとめるならば、制度宗教としての日本仏教自体が呪術ですから、まあ敬遠してもしゃーないという話ですし、活字の学問だけでは見えてこないものもあるのが現実世界ですから、積極的に「理解」していきたいなと思った次第です。それから私の自身の宗教受容は、進行としてはバルト的な受容であり、他宗教への態度は、ユニテリアン的理解。疑似宗教に対してはティリッヒ的理解です。

そんで、隣の護国神社境内にて菊花展をやっているので、そちら足を運ぶと、……その神社の由来を知っているのか知らないのか知らないけど、多分知らないと推察しつつ、まあ、地域の神社のひとつ(付け加えると自分ちの近くの大麻神社延喜式掲載「やしろ」ですけど、護国神社は、「日本の文化」(なにそれおいしいの)という「伝統」とは全く縁のない西洋社会に媚びた国民国家の近代の産物という捏造された「やしろ」な訳ですが、753のお祝いに人が集まってました。

そういう民度の残念感とかいうと「これだから、大卒は」というのが田舎なんですけど、それでもやっぱり残念ですよ。しかし、ネトウヨみたいなのは横に置きつつ、知らないけれどもクラスタのひだにも入っていかないと田舎では暮らしていけないんだなーと思ったりです。

護国神社境内で資料館があることも、この歳になるまで知りませんでしたが……在香川県時代は剣道の奉納試合で訪れる程度だったので……、立ち寄ると、例のごとくのパンフレットの山。これはこれで引き続き対峙の必要が要やなと思ったりです。



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2013-07-14

覚え書:「輸血医ドニの人体実験―科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎 [著]ホリー・タッカー [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年07月07日(日)付。


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輸血医ドニの人体実験―科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎 [著]ホリー・タッカー

[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2013年07月07日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■血は畏怖の対象、生命の定義問う

 現代では、ごく当たり前の処置方法である輸血だが、他人の血を注入することに対して、どこかで怖いとも思う。血に対して抱く畏怖(いふ)心は、本能なのか文化なのか。

 いずれにせよ、血液型や免疫や消毒、細菌の知識があるからこそ、医師に腕を差し出せるというもの。本書はそれらがまだなにもわかっていない17世紀に英仏で行われた輸血実験にまつわるブラッディな歴史ノンフィクションだ。

 17世紀の科学はまだ黎明(れいめい)期。迷信や錬金術も跋扈(ばっこ)する。中世まで教会は死体解剖に否定的で、学問として盛んに行われたのはルネサンス期からのこと。

 けれども死体はあくまでも死体。生存中の心臓や血液の動きなどはわからない。そこで行われたのが、動物による生体実験だ。犬猫、果ては蛇や鰻(うなぎ)を生きたまま切り開いて心臓を観察し、血液の流れを追うことを繰り返した末に、ようやく17世紀初頭に血液は身体中を循環しているのだと「わかる」。そうしてやっと、流れる血に別の生物の血を足し入れたらどうなるか、つまり輸血への第一歩がはじまる。

 英仏で競うように動物から動物への輸血、そしてフランス人医師ドニによって動物から人間(!)への輸血実験が行われ、いったん成功したかに見えたものの、3度目の実験の後、被験者は死亡する。しかもあとからそれが毒殺であったことが判明したにもかかわらず、輸血実験はその後150年間も凍結してしまう。ドニの野心も、潰(つい)える。

 現代の知見からすれば、早すぎた実験かもしれないが、殺人をしてまで1世紀半もタブーにしたことの意味は、重い。自然哲学と迷信、イングランドとフランス、カトリックとプロテスタント、医学界の政治と功名心、そして多くの貧民を生み出していた大都市パリとロンドンの階級社会。丹念に叙述されたこれらの対立項を追っていくと、科学主義の登場に揺れながらも、やはりまだ多くの人々にとって、血は畏怖の対象であったことが読みとれる。

 人の命を救いうるなにかが実験によって「できそうになる」たびに私たち社会を構成する全員が、人間や生命をどう定義するのか、無理やり考えさせられることになる。それは現代の先端医療でも全く変わらない。あまりにも難しい問いだ。発見されなければ考える必要もないのにと、思うときすらある。だからこそ、この事件を読めて良かったと思う。現代懸案の先端技術も数世紀経てば輸血のように「当たり前」になるのだろうか。

 ともあれ、被験者はもちろんのこと、実験初期の被験動物たちが流した大量の血潮に感謝しつつ、輸血技術を享受したいものだ。

    ◇

 寺西のぶ子訳、河出書房新社・2940円/Holly Tucker ヴァンダービルト大学医療・健康・社会センター、フランス・イタリア語学部准教授(医学史)。「ウォールストリート・ジャーナル」「クリスチャン・サイエンス・モニター」に寄稿。米テネシー州在住。

    −−「輸血医ドニの人体実験―科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎 [著]ホリー・タッカー [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年07月07日(日)付。

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2013-07-04

覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『家と庭と犬とねこ』=石井桃子・著」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。


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今週の本棚:堀江敏幸・評 『家と庭と犬とねこ』=石井桃子・著

毎日新聞 2013年06月30日 東京朝刊


 (河出書房新社・1680円)

 ◇「愛すべき小農場」の夢をはぐくんだ心の軌跡

 敗戦の前年、「自分の生き方に迷っていた」石井桃子は、秋田県から生徒たちを連れて川崎の軍需工場へ働きに出ていた女学校の先生、Kさんと出会う。子どもたちとひとつになっているその姿に打たれて工場を訪ね、交流を深めると、心を開いて数年来の夢をKさんに語った。「愛すべき小農場」での自給自足。売るものも少しつくって、夜は勉強にあてる。

 驚いたことにKさんは、それをいっしょにやろうと言い、翌年、一九四五年の春に、子どもたちの身の安全を考えてふたたび秋田に帰ると、将来の農場になりうる山地を、郷里の宮城県で本当に見つけ出してしまったのである。

 のちに「ノンちゃん牧場」と呼ばれるこの土地を開いて三年後に書かれた「山のさち」から、二〇〇二年の「私の手」まで、本書には右の決断の背景を記した文章を柱として、半世紀以上に及ぶ歳月を見渡す文章が収められている。石井桃子は一九〇七年生まれ。二八年に日本女子大学校英文学部を卒業したあと、出版社で編集者をしていた。「自分の生き方に迷っていた」というその状況の内実については、べつの著作に当たるほかないのだが、五〇年代に書かれたものには山での暮らしと東京での暮らしが対比され、後者にはもう以前とおなじ気持ちで住むことができないという自省を伴う記述が、微妙な屈折と共に繰り返される。

 東京の人々は「殺人電車」に揉(も)まれ、わざとらしい、上滑りの言葉を受け入れている。「学校のことよりも映画のことにくわしい学生や、電気冷蔵庫をもっているおくさんが、農村の人たちより、えらくもなんともないことは、だれにだってはっきりわかる」(「都会といなか」一九五四年)。「文化生活」の背後にあるものを、彼女は実際に農村に行き、そこで暮らし、土地に縛られながら都会の人間に食糧を供給してくれた人たちの後を追ってみて、はじめて理解した。容易に食べていけないことも、身に染みてわかった。そのうえで、田舎を離れることを選択したのである。

 話を戻すと、宮城の山から三十分のところにある農家に部屋を借りて土に鍬(くわ)を入れたのが、八月十五日。山に入った女性たちは、大事な肥やしになる自分たちの排泄(はいせつ)物を借り主に提供してしまうのが惜しく、また雪のなかを通うのはいかにも大変だというので、近所の大工さんと青年団の何人かの手を借りて畑の近くにあった木小屋を改造し、その年の十二月、厳寒の季節に移り住む。やがて迎えた山での正月、力になってくれた人たちとの思わぬ餅つき大会の模様は、羨むべきどたばたと束(つか)の間の幸福に満ちあふれた、一篇の胸躍る物語である。

 農業体験と並んで重要なのは、「イノウエキヌ子」という名を与えることになった愛猫の横顔、「波長が合う」作家(ウィラ・キャザー)との出会い、「母の要領を得たような得ないような手料理」を軸にした家族の思い出など、「愛すべき小農場」の夢をはぐくんだ過去の生活である。とりわけ、小学生の頃、みなに不器用さを笑われながらも、ゆっくり着実に「コブコブした」カンジンこよりをつくって先生にほめられたという同級生の挿話が胸に沁(し)みる。

 戦後の石井桃子の仕事の、よい意味でのしたたかさ、芯の強さ、そして希望を少し上回りそうになる諦念を胸のうちに押し返そうとする覚悟の出所は、ひらがなを多用した一見やわらかい文章に隠されている、その「コブコブした」節目にこそあるのではないか。簡単にはほどけないこよりのような言葉の息吹が、ここにはあるのだ。

    −−「今週の本棚:堀江敏幸・評 『家と庭と犬とねこ』=石井桃子・著」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。

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