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Essais d’herméneutique このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014-05-04

書評:野田又夫『哲学の三つの伝統 他十二篇』岩波文庫、2013年。

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野田又夫哲学の三つの伝統 他十二篇』岩波文庫、読了。枢軸時代のギリシアインド中国で同時に誕生したのが哲学。著者はこの3つの伝統に注目し、哲学の大胆な世界史的通覧を試みる。哲学とは「理性をもって自由に答えよう」とする「世界と人生とについての人間らしい考えに達すること」であるという。

第一部六篇で古代から現代に至る世界の哲学史俯瞰し、第二部六篇で、明治以降の日本の代表的な思想家を論じる。二つの焦点は異なるが(政治的主張を持った東西対比は不毛だが)、哲学の原理に「東西の区別はない」し、等しく省みることで未来を展望できる。

哲学以前、人類は宗教に拠って世界と人間を理解した(神話想像力と権威への随順)。哲学はこれに反し「想像力を超えた理性を用い、自由な思考によって、問題に答えようとする」ものである。


三つの古代哲学には多様な考えをそれぞれ含み持つが、それは混乱や対立ではなく「人間の思想の可能性の全てを表現」していたことであり「人間の思想の様々な型」がでていたことに他ならない。それに与ることで「人間らしい考えに達する」ことができた。


「もとの古代哲学のもっていた自由な思考の幅はやや狭められ」てきたのがその継承の過程。だとすれば「自由に真実を求める努力をつづけることにより、これまでよりもさらに積極的に、世界の哲学の歴史に貢献しうる」のではないか。


さすが名著『パスカル』『デカルト』『ルネサンス思想家たち』(全て岩波新書)の著者。いずれも、明晰かつみずみずしい文章で書かれている。基礎的な知識がバラバラで思想史の全体像が見渡せない、とお嘆きの高校生から専門知に惑溺する大人まで広く手にとってほしい。

しょうじきなところ、もうこれだけ、哲学を語ることのできるひとはいないだろうねえ。 





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2014-04-12

日記:「人生とは個性的に価値あるものと信じて疑わない」からこそ

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 アテナイの政治社会へ与えた波紋もさることながら、ソクラテスの登場は、当時の精神的状況を鑑みると、随分な驚きだったのだそうだ。今日でこそ人々は、古くさい日めくりの格言などこころの表面をかすめ去ってゆくにすぎないほどに、人生とは個性的に価値あるものと信じて疑わないが、当時の人々は、「魂」とは、死ねば肉体から消えてゆく息か煙に似たものと考えていたというから、その魂の世話をすることこそ人生の価値と言われて、面喰らったのだろう。天空の彼方に想いを馳せていたかつての哲人たちの眼を、この人生この社会へと振り向かせたその転換は、正確さを期すためとはいえ、しかし哲学史の総体を狭いところに閉じ込めはしなかったか。ソクラテスの偉大な功績、自然学から人間学へと哲学史家たちの言う、しかし彼が見出し、第一に掲げたこの人生この公共性の、宇宙を考えることの多様さ無限さに比べれば、何ほどのものやら。

    −−池田晶子口伝西洋哲学史 考える人』中公文庫、1998年、131頁。

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金曜日から「哲学」の授業が始まりました。

このご時世、グローバルだかキャリア教育だか何だか知りませんが、とにかく、可視化されたかたちでほかのひとより「トク」をする「実践的」な授業が隆盛を極めるなかで、教養をじっくりと耕すことがおざなりになるなか、沢山の学生さんたちが参加してくださり、実にありがたいものだなと思いました。

可視化される数値の背景にある人間を耕していくこと……そこに本来の大学に置ける教養教育の意義があり、競争が悪いわけではないのですけど、競争に追われて、「ほんとうはどうなのだろうか」とじっくり考える機会を失ってしまうと、人間はフト立ち止まったとき、どこから考えていけばいいのか分からなくなってしまうのが常ですが、人間を耕すことを学ぶことはそのきっかけづくりであり、リハーサルでありますので、ともにゆっくりと腰を据えて、哲人たちの言葉に耳を傾けながら、形而上学から形而下を照射していければなと考えております。

短い間ではありますが、どうぞよろしくお願いします。





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2014-02-24

日記:コロンビア大学コアカリキュラム研究会(2) アリストテレス『ニコマコス倫理学』


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 かくしていま、およそわれわれの行うところのすべてを蔽うごとき目的−−われわれはこれをそれ自身のゆえに願望し、その他のものを願望するもこのもののゆえであり、したがってわれわれがいかなるものを選ぶのも結局はこれ以外のものを目的とするのではない、といったような−−が存在するならば、(まことに、もしかあるものがなければ目的の系列は無限に遡ることとなり、その結果われわれの欲求は空虚な無意味なものとなるであろう、)明らかにこのものが「善」であり「最高善」(ト・アリストン)でなくてはならない。してみれば、かかる「善」の知識はわれわれの生活に対しても大きな重さを持つものではないであろうか。

    −−アリストテレス(高田三郎訳)『二コマコス倫理学 上』岩波文庫、1972年、16頁。

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金曜日は、2回目のコロンビア大学コアカリキュラム研究会。

アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を教材に、少しつっこんだ議論を交わすことができました。

前回はプラトンの『国家』を取り上げましたが、イデア論をめぐるプラトンとアリストテレスの認識が異なるが如く、『ニコマコス倫理学』におけるアリストテレスは、やはりどこまでも「等身大」の思考を心がけながら、常識のもつ「馴化」に抗おうとする姿勢が特徴的ではないかと思います。

倫理とは確かに共同体生成の要でありますが、しかしながら、同時に、それはその要を無批判に受け入れるものでもない、否、どこまでも検討する立場であることを常に随伴させる知的営みです。

その二重の契機こそ、(第一哲学には属し得ない場合もあるのですが)「人間」の事柄をどこまでも「人間」の事柄として、絶えず脱構築していくダイナミズムに倫理学の魅力はあるのかも知れません。

参加されたみなさまありがとうございました。

さて、反知性主義とオリンピックよろしく感動「病」が席巻する現在。古典を読む価値がどこにあるのかと尋ねた場合、それは、騒音を遮り、「わたし」の世界へ退行するために紐解くのではなく、騒音がインチキであることを完膚無きまでに粉砕するがゆえに、滅び亡き価値と対話し、新しい時代を切り拓き行く知性を錬磨するためではなかろうか、と思ったりです。

どうも、反知性主義と感動「病」に飲み込まれ、世間に迎合して松明を掲げ大声をあげる輪に次々を加わる人々が多いこと、そしてそれに「眉をひそめ」ながらも、彼らを対象化するだけで、アカデミズムを気取りながら、私の世界へ退行する御仁が多いゆえ、最後に念のためという話しです。












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2013-11-12

書評:坂口ふみ『ゴルギアスからキケロへ 人でつむぐ思想史2』ぷねうま舎、2013年。

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坂口ふみ『ゴルギアスからキケロへ 人でつむぐ思想史2』ぷねうま舎、読了。ソフィストのレトリックを退けたプラトンは真実を観よという。しかしレトリック=修辞学こそヨーロッパ精神の要でもある。言葉には限界があるが、人間は言葉を信じる。この二律背反=思想史の課題に本書は切り込んでいく。

レトリックとは単なる言葉遊びや支配の道具ではないし、真実を伝えるためには必要不可欠だ。限界を承知して遂行する−−著者はその伝統をゴルギアスやキケロに遡る。雄弁さは不要だが、中庸な懐疑と柔軟な臨機応変な態度がそれをたらしめる。

主張とそれに対する単純な反発を最も嫌うのがレトリックの伝統なのかも知れない。言葉で人と向き合うこと−−健全なヨーロッパ精神の伝統をたぐる魅力的試み。シリーズ「人でつむぐ思想史1」(『ヘラクレイトスの仲間たち』の続編。併せて読みたい。

坂口ふみ『ゴルギアスからキケロへ 人でつむぐ思想史2』ぷねうま舎 人でつむぐ思想史? ゴルギアスからキケロへ - 出版社:株式会社 ぷねうま舎 悪名高いソフィスト、ゴルギアスから、政治闘争の渦中を生きたローマの弁論家キケロへ。ひとの驚きと喜び、傷みと悲しみから、思想史を読み直す、人でつむぐ思想史。

 

坂口ふみ先生といえば、やはり『個の誕生』(岩波書店)のインパクトが凄かった。しかし昨年来より刊行中の「ひとでつむぐ思想史」シリーズ、これもはっとさせられる。時代がイエスかノーかの二者択一をより強く迫るだけに、冷静に向き合っていく、水脈をたどっていくことは大事ですね。









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2013-10-31

覚え書:「引用句辞典 トレンド編 [大学入制度改革]=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年10月26日(土)付。

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引用句辞典

トレンド編

鹿島茂

[大学入試制度改革]

教育の本質はエロス

文科省には無理な話

ソクラテスよ、人間はみな、子を宿している。これは体の場合でもあっても、心の場合であっても、同様にいえることだ。そして、時が満ちると、子をなしたくなる。われら人間は、そう生まれついているのだよ。だが人間は、醜いものの中で子をなすことはできぬ。美しいものの中でなければならぬのだ。

(プラトン「饗宴」中澤務訳 光文社古典新訳文庫)

 文部科学省が教育再生実行会議の提言を受けて、センター試験を廃止し、「基礎」と「発展」の二段階からなる達成度テストにかえると言い始めた。

 教育現場にかかわっている人間にとっては「またかよ、もう、いいかげんにしてくれ!」というのが本音だろう。とにかく、文部科学省が(審議会の答申という形式はとるものの)なにか「改革」を思いつくたびに、事務仕事の量が倍になり、教育どころの騒ぎではなくなるのが常だからだ。極論すれば、文部科学省とは、雑務を増やし教育を阻害するためにのみ存在する官庁である。「最も良い文部科学省とはなにもしない文部科学省である」と囁かれているのを当の役人は知っているのだろうか? 制度をいじれば教育の質が向上すると考えるその発想法がそもそも誤りなのである。教育というものに携わったことのない彼らは教育の本質というものをまったく理解していないのだ。

 では、教育の本質とはいったい何なのか?

 プラトンに言わせると、それはエロスであるということになる。エロスとは生き物に子を産むようにしむける神である。死をまぬがれぬ動物はエロスに導かれて、より良きもの、より美しきものを統合して子をなさんとする。自己をより良くより美しく永遠に保存し、不死にしたいからである。

 しかし、人間という特殊な動物にはこうした生物学的自己保存願望のほかにもう一つ、自分が獲得した「知」を同じように永遠に保存したいという本能がある。しかも、より良く、より美しいもの(つまり優秀な生徒)を見つけてその中に自己を保存したいと欲するのだ。「そのような者たちは、通常の子育てをする夫婦よりもはるかに強い絆と堅固な愛情で結ばれることになる。なぜなら、彼らが一緒に育てている子どものほうがより美しく、より不死に近いのだから。どんな者でも、人間のかたちをした子どもよりも、このような子どもを自分のものにしたいと願うことであろう」

 もちろん、ここにはプラトン特有の少年愛的なエロスが暗示されている。しかし、プラトンが本当に言いたいのは、教育というのは本質的にエロスの支配する領域であり、知を獲得したおのが自己保存本能に駆られて行う再生産にほかならないということだ。この意味で、教育ほどエロチックなものはない。

 少しでも教育に携わったことのある人ならこうした教育のエロチシズムというものが理解できるはずだ。教育は、それがうまく行けば、教える側には大きなエロス的快楽をもたらすのであり、この快楽があればほかに何もいらないほどなのである。文科省の役人に決定的に欠けているのは、こうした教育へのエロス的側面への理解である。教えることが好きで好きでたまらない人間のヤル気をそぐこと。文科省の役人の狙いは、どうもここにあるとしか思えないのである。(かしま・しげる=仏文学者)

    −−「引用句辞典 トレンド編 [大学入制度改革]=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年10月26日(土)付。

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