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Essais d’herméneutique このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014-12-08

書評:小島毅『増補 靖国史観』ちくま学芸文庫、2014年。

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小島毅『増補 靖国史観ちくま学芸文庫、読了。天皇中心の日本国家を前提し、内戦の勝者・薩長の立場から近代を捉えるご都合主義の「靖国史観」、これまで外在的批判は多数あったが、本書は「日本思想史を読みなおす」(副題)ことで、思想史的に内在的に批判する。有象無象の議論をこてんぱんにくさす一冊。






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2013-12-02

書評:子安宣邦『思想史家が読む論語 「学び」の復権』岩波書店、2010年。


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子安宣邦『思想史家が読む論語 「学び」の復権』岩波書店、読了。「論語」ほど注解の多い書物はあるまい。しかし、オリジナルとコピーの豊穣さが読み手を幻惑してしまう。本書は、思想史を踏まえた上で、「読む」意義を一新する一冊。本書を読むうちに「論語」と対話する自身を再発見する。

著者が重視するのは、「論語」が弟子たちとのやりとりということ。「論語」自体対話形式だが、副題「学び」の復権こそ、孔子の眼目ではなかったのか。本書は著者の市民講座が素材だが、その講義は、自発的に学ぶ意義を問い直す。

「われわれが見出すのは、なお可能性をもって開いているテキストである。われわれがなお意味を問いうる可能性をもったテキストとして『論語』を見出すことである」。





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2013-06-18

書評:姜在彦『朝鮮儒教の二千年』講談社学術文庫、2012年。

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姜在彦『朝鮮儒教の二千年』講談社学術文庫、読了。本書は朝鮮儒教二千年の歴史を丹念に描き出した労作。中日と対比し朝鮮儒教の独創的展開と東アジア的普遍性を浮き彫りにする。圧巻は李氏朝鮮の朱子学受容と鎖国と開国への経緯。経世済民と切り離された形而上への惑溺は他人事ではなく示唆に富む。

本書は儒教とは何かから説き起こし、儒教を通して朝鮮史を俯瞰するが、著者の記述は学に留まらない。儒教を糸口に、東アジア諸文化との交流の中から、朝鮮半島の独創的な歴史を浮かび上がらせる。その意味で優れた「朝鮮の二千年」を描く朝鮮史ともなっている。

俗に韓国は「儒教の優等生」と評されるが、その経緯と内実に関しては殆ど知らなかった。本書は具体的事実に従い「目から鱗」を落としてくれる。個の世界と共同の世界は本来別々のものではない(「修己治人之学」)。その意義を新たにしてくれる名著といってよい。 








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2013-03-27

書評:小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』藤原書店、2012年。

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小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』藤原書店、読了。儒教社会から脱皮(西洋化)することが近代日本の歩みであるとの通説を打破するのが本書の狙い。著者によれば「日本の近代化は半儒教的な徳川体制を脱皮し、社会を『再儒教化』する過程」であり、福沢諭吉、丸山眞男も朱子学化の当体となる。

朱子学の革新性とは何か。それは「理」の原理である。超越的な道徳原理としての「理」の概念の登場は、「理」に接近したものが上昇(尊い)するから固定的身分制度を否定し、機会均等の原理を提示した。ただし限界も存在する。理に近づき序列を上げる競争としての機会均等は、競争の苛酷さへと通じるからだ。

戦前の天皇制国家は天皇制という「理」に向かう序列化の闘争だし、毛沢東の水平闘争も形式は同じ。著者によれば福澤の独立自尊の原理は、西欧的主体ではなく朱子学的思惟の形式をとり、丸山の思想も朱子学的拘束を受けているとの指摘もある。

本書は、明治の統治システムとその思想と共振した体制教学の特質を明らかにする。この形式は今現代にも続いている。その実空虚に過ぎない「主体化」によって形式される〈序列化〉の思想的枠組みを西洋的「主体」と錯覚していたとハッとする。

手に取るまでややアクロバティックな印象は否めなかったが、独文を経て韓国へ留学した異色の著者の思考実験は、脳を揺さぶり面白く、なるほどと思うことが多かった。外来思想の土着化と東アジアが共有する文化の関係性を考えるうえで示唆に富んでいる。







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2011-09-20

自分で考えると同時に学ぶこと

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 子供は遊技から学習という厳粛な行為へ移行することによって少年になる。子供たちはこの時代に、好奇心、とくに歴史に対する好奇心にもえ始める。子供たちにとって彼らに直接には現われない諸表象が問題になる。しかし主要な問題はここでは、彼らの心のなかに、彼らが本来そうあるべきものに実際まだなっていないという感情が目ざめるということであり、彼らがかこまれて生きている大人のようになりたいという願望が生き生きとしているということである。ここから子供たちに模倣欲が発生する。

    −−ヘーゲル(舟山信一訳)『精神哲学 上』岩波文庫、1965年、128−129頁。

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哲学を講義していると、よく学生諸氏から言われるといいますか、「哲学ってこういうものですよね」ってものの一つが、結局のところ「(哲学とは一人一人が考えるものだから)他者……それは人間の場合もあるし、古典名著といった過去の賢者のそれということも……から学ぶ必要はないし、そういうもんですよね」ってうものです。

たしかに、哲学とは、他人に考えてもらう代わりに「自分自身」で考えるものということは間違いありません。

しかし、恣意的であってはならない……これが哲学的思考のルールといってもよいかと思います。その辺を誤ってしまうと、いかに他人に考えてもらう代わりに「自分自身」で考えたとしても、それは哲学的思索とは全くことなったものになってしまう……その辺を月曜の授業でお話しした次第です。

これは倫理学……何しろ倫理学哲学の一部門ですから……でも同様ですが、既成概念がどれほど正しいものだとしても、自分自身でそれを考える・検証していくのが哲学的思索の始まります。

いわば「それどうよ」ってツッコミ精神といっても過言ではありません。そのツッコミ精神というものが、まさに「知を愛する」ことであり、「自分自身で考える」ということです。

しかし、哲学的思索とは、論理学が哲学のこれまた一部門であるように、恣意的・勝手気まま・矛盾に満ちた論証であることを大変嫌いいます。

この部分を失念してしまうとまあ、まずいわけですネ。

思い起こせば、人類の教師ソクラテス(Socrates, c. 469 BC−399 BC)は「汝自身を知れ」をモットーに、他人思考の当時のアテナイ人たちに「自分自身で考えてみようじゃないか」と対話を繰り広げ、対話によって相互訂正を行い、いわば、臆見から普遍的真理へ到ろうとしました。

ソクラテスはいきた人間と対話しました。しかしこの相互訂正としての対話というものは、人間だけが対象ではありません。時には自然が相手であったりすることも、そして過去の賢者たちが残した知的財産が相手であることもあります。

そうした自分とは異なるものと正面から向き合い検討・検証していくことが自分自身で考えることと同時に必要になってきます(もちろん、その論証のルールを学びその議論の枠内で勧めていくことも大事です)。

ホント、ここを一歩間違えるとそれはとんでもない思考になってしまいますから、少し時間をさいて訳ですが、ここ5年ぐらいでしょうか……、そうした反応・受け止め方が多くなってきているなーってことには驚くとともに一種の恐怖すら感じてしまいます。

自分自身で考える、それと同時に、自分自身の考えが独りよがりなものでないのかどうかそれを確認しながら思索する。そしてその後者の実践事例の一つが広義の対話という概念になるかと思いますが、これをもっと広い意味で捉えるならば、他者から学ぶという構えといってもよいかと思います。

確かに、自分自身で考えることは必要です。しかし自分自身で考えることが、人間や世界、自然や環境と孤立した自分自身を対象として遂行するならば、それはとてもいただけないものになってしまいます。だからこそ、他者から学び、自分自身を検討していく……。

確かに他者から学習しても自分自身で考えなければ意味がない。しかしそれと同時にいくら自分で考えても他者から学習しないのであれば、それは独断専行的な危険な思考に陥ってしまう。

孔子(Confucius,551 BC−479 BC)が『論語』(『論語』為政篇)で「学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し 思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」と指摘する通りです。そしてこの一節で興味深いのは「学んで思わざれば」と同時に「思うて学ばざれば」を併置している点でしょうか。

その意味では、「(哲学とは一人一人が考えるものだから)他者……それは人間の場合もあるし、古典名著といった過去の賢者のそれということも……から学ぶ必要はないし、そういうもんですよね」という言い方は成立できない……という話しです。

自分で考えつつ、他者から学ぶ。

他者から学びつつ、自分でどこまで考えていく。

この車輪の両軸があってこそ哲学的思索は遂行される・・・。

ここを哲学を学ぶうえで、最初にふまえておく必要はありますね。






⇒ ココログ版 自分で考えると同時に学ぶこと: Essais d’herméneutique


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