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2018-10-15

日記:さるかに合戦に立憲主義を想起する中学生の解釈に瞠目

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昔は強い権力者が弱い農民を武力で押さえつけ、長い間政治を行ってきた。力ではかなわない農民が、時の権力者に反発し、分かりやすい話に夢を託して抵抗を示したのがさるかに合戦「声 反権力の夢を託した農民たち」『朝日新聞2018年10月13日付。

さるかに合戦に立憲主義を想起する中学生の解釈に瞠目しました。

本来、利害も関係世界も全くことなるカニ、ハチ、クリ、うすたちですが、権力者の横暴に黙っていることができないという決起がサルカニ合戦にキモであるとすれば、21世紀になって「一揆」に決起しなければならぬ時代になったのか……。などと思ったりします。柔軟な思考に拍手したいと思います。

で……。立憲主義って何よってツッコミをされるならば、中学校で履修していますよと応えるほかありません。義務教育ってすごいですね(笑


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覚え書:「社説 外国人住民 日本語学習の支援を」、『朝日新聞』2018年01月20日(土)付。


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社説 外国人住民 日本語学習の支援を

2018年1月20日

 日本に住む外国人の数が昨年、240万人を超えた。この5年間で四十数万人の増加だ。しかし日本語が理解できず、社会に溶け込めない人も多い。生活や学習に欠かせない日本語教育を支援する制度が必要だ。

 優先すべきなのは、子どもへの学習支援である。

 文部科学省の16年度の調査では、公立の小中高校などで日本語の指導が必要な児童・生徒は約4万4千人いる。国際結婚で親のどちらかが日本人であっても、両親が外国語で話すため、日本語を十分理解できないまま学齢期に達する例もある。

 文科省は4年前、日本語の能力が不足している子どものため、別教室で日本語や算数などを教えられるよう制度改正した。だが、実施しているのは外国人の多い自治体が中心で、4割弱。放課後などの日本語指導で対応している学校もある。

 地域によっては、NPOの日本語教室頼りなのが現状だ。

 15歳で来日した日系ペルー人4世のオチャンテ・村井・ロサ・メルセデスさん(36)=奈良学園助教=は、日本語が理解できないことに苦しみ、三重県伊賀市のNPOが開く日本語教室に通いつめた体験をもつ。

 「子どもが多様な将来の夢を描くには、社会の支えを制度化することが必要」と話す。

 浜松市など外国人住民の多い22市町は昨年11月、「外国人集住都市会議2017」を津市で開き、外国人住民の日本語学習の機会を国が保障するよう求める津宣言を採択した。

 首長からは、専業の日本語教師の育成▽日本語教育に取り組む企業への助成制度▽日本語習得者の在留資格での優遇――などのアイデアが出た。

 こうした背景には、外国人とのトラブルを未然に防ぎたい事情もあろう。同時に人口減が進む中、外国人住民が地域社会の一員として能力を生かし、活躍できる仕組みを作ることは、町の活性化に不可欠だという考えもあるのではないか。

 国は現実を正面から受け止め、財政、人材両面での支援策を具体化するべきだ。

 労働人口が減少する中、政府は外国人技能実習生制度などで事実上、外国人労働者の受け入れを拡大してきた。その是非はおき、結果として在留外国人が増えている現実を前に、共生社会の実現に向けて環境を整えることは避けられない課題だ。

 この問題では超党派の「日本語教育推進議員連盟」が16年に発足、基本法の制定をめざしている。実態に即した議論が国会で広がることを期待する。

    −−「社説 外国人住民 日本語学習の支援を」、『朝日新聞2018年01月20日(土)付。

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(社説)外国人住民 日本語学習の支援を:朝日新聞デジタル





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2018-10-14

覚え書:「平成とは あの時:4 大震災時代の幕開け 阪神・淡路の教訓は 大阪社会部・加戸靖史」、『朝日新聞』2018年01月18日(木)付。

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平成とは あの時:4 大震災時代の幕開け 阪神淡路の教訓は 大阪社会部・加戸靖史

2018年1月18日

写真・図版

五百旗頭真さん=堀内義晃撮影

 あのとき、戦後日本が揺さぶられた。1995(平成7)年1月17日午前5時46分、大都市神戸などを襲った阪神・淡路大震災キーワード新潟東日本熊本……。その後も地震は続き、「次の大震災」が確実に迫る。阪神の教訓を、私たちは胸に宿しているか。

 ■耐震化 「強いはず」住宅続々倒壊

 轟音(ごうおん)と激しい揺れ。兵庫県西宮市に住む神戸市職員(当時)の稲毛(いなげ)政信さん(71)が庭に飛び出すと、木造の自宅2階部分が地面に崩れ落ちていた。近所の人と梁(はり)を切り、がれきをかき分ける。2階で寝ていた高校2年の長男和太(かずた)さん(当時17)の顔はきれいだったが、目覚めることはなかった。

 「なぜわからなかったの」。妻の一言が胸に突き刺さった。大学院建築を学び、市役所でも建築畑を歩んだ1級建築士なのに、戦後まもなく建った自宅の危険性に気づかなかった。「関西に大地震はない」「木造住宅は地震に強い」と思い込んでいた。

 《最も犠牲者を出したのが住宅の倒壊だった。耐震基準が大幅に強化された81年以前に建てられた木造建築の家に被害が集中した。》

 「まさか」。深夜、山陽新幹線の被害状況を見て回ったJR西日本大阪建設工事事務所長(当時)の池田靖忠さん(71)はあぜんとした。新幹線だけで8カ所の高架橋が崩落した。「営業運転中だったらどうなったか」

 旧国鉄以来、土木技術者の道を歩み、鉄道土木構造物は関東大震災級の地震に耐えられる、とばくぜんと信じていた。

 《揺れは、都市部の土木構造物を直撃した。神戸市東灘区阪神高速神戸線では高架橋が635メートルにわたって横倒しになった。》

 「あなたの家も、すぐに耐震補強を」。稲毛さんは07年の定年退職後、全国を回って訴えてきた。「自分の無知で和太を死なせた」。罪滅ぼしの思いがあった。

 《95年12月に、耐震改修促進法が施行された。耐震基準を満たさず補強が必要な住宅は2003年の推定1150万戸が、13年には同900万戸に減った。だが、熊本地震でも基準に満たない住宅が倒壊し、多数の死者が出た。》

 関東大震災翌年の1924年に国は耐震規定を初めて法制化した。ただ木造住宅の規制は全般にゆるく、戦後はより安い建築がもてはやされた。「国は手厚い補助金耐震改修の義務化で国民の命を守るべきだ」と稲毛さん。

 《震災後、国は構造物の耐震化を促してきた。新幹線高架橋は補強をほぼ終えた。だが、熊本地震では九州新幹線の回送列車が脱線。道路橋の落下も相次いだ。》

 池田さんは後に、JR西の鉄道本部長や子会社社長を歴任した。後輩たちをこう戒める。「起きてほしくないことは『起こらない』と思いがち。『起きるかも』と思って、対策をとっていかないと」

 ■共助 ボランティア元年の次へ

 靴職人だった村井雅清(まさきよ)さん(67)は震災の2日後、工房がある神戸市長田区に立った。街は猛火に襲われ、焼け野原だった。

 《被災地では、1年で延べ137万人のボランティアが活動した。当時のアンケートでは、7割超が30歳未満の若者だった。》

 全国から届く物資。港湾作業の経験がある村井さんは仕分けが得意だ。元暴走族、不登校だった子、勤め先を辞めた若者。ボランティアの中で自然とリーダー格になっていった。「指示されなくても、みな自分で困っている人を見つけ、寄り添っていた」

 1995年5月、ロシアサハリン大地震が起きた。被災地ボランティア団体は結束し、毛布などを現地へ送った。被災地同士で「痛みの共有」ができた。村井さんは98年に被災地NGO恊働(きょうどう)センターを設立し、支援を続ける。

 《95年は「ボランティア元年」と呼ばれた。活動団体を支えようとする機運が高まり、98年3月に特定非営利活動促進法が成立した。》

 広島出身の頼政(よりまさ)良太さん(29)は神戸大に入った2007年春、恊働センターの後押しで、能登半島地震被災者足湯を提供するボランティア活動に参加した。湯で気分がほぐれたお年寄りの漏らす本音に触れ、のめり込んだ。

 15年に村井さんからセンター代表を引き継ぎ、16年4月に起きた熊本地震被災地に通う。「震災の経験者に学び、実践を繰り返して、自分のものにしていきたい」

 《現在は、災害時は地元の社会福祉協議会が、ボランティアの受け入れ窓口となる形が定着した。》

 村井さんは「来ると混乱する」とボランティアを統制し、被災地入りを止める声が目立つことを懸念する。「阪神が『ボランティア元年』と呼ばれたのは、多様な人々が自ら進んで集まり、被災者一人ひとりを支えたから。『ボランティア2年』に向け、あの原点を見つめ直すべきではないか」

 ■心構え 「想定外」をどう減らすか

 現代の過密都市は「無数の市民を巻き込んで、大地震による耐震テストを待っている壮大な実験場だ」。地震学者の石橋克彦さん(73)が1994年8月に出した「大地動乱の時代」の一節だ。

 《ビル倒壊、延焼火災、液状化インフラの崩壊など、石橋さんが挙げた危険は現実となった。》

 それから23年。「日本社会は驚くほど何も変わっていないのでは」。石橋さんの表情が曇る。

 震災翌年の96年、神戸大教授になった。「わかっていたなら、危険性を事前に教えてくれ」という被災者の声を聞いた。その時、日本の海岸に立ち並ぶ原発が思い浮かんだ。97年には、地震原発事故が複合して起きる「原発震災」の危険性を初めて提唱した。

 「原発地震で被害を受けるとすれば、大きなファクター(要因)として津波もありうる」

 10年3月、東京電力柏崎刈羽原発新潟県)の安全性を確認する県の有識者委員会で、石橋さんは「地震の想定は十分」とする東電側に食い下がった。東電だけでなく、他の委員も冷ややかだった。

 《東日本大震災で、東電福島第一原発が「想定外」の津波に襲われたのは、その1年後だ。》

 「想定外」をどう減らすか。石橋さんは「直近の災害は眼前で起きたことにとらわれがち。むしろ『起きなかったことは何か』をよく考えたほうがいい」と説く。

 東日本大震災後、もっぱら津波対策が強調される。だが次の地震阪神以上の強震動が広域を襲うかもしれない。「地震は止められないが、震災は人間の努力で軽減できる。大都市への集中を見直すなど、この列島の自然条件に合った暮らしを取り戻すべきだ」

 ■この列島、誰もが被災者に ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長・五百旗頭真さん

 私たちは思いがけず「大震災の時代」に生きている。戦後、地震の平穏期が続いたのは不思議な偶然に過ぎない。「震災はない」という安全神話を卒業し、誰もが備えていかなければならない。

 私もかつて、神話にとらわれていた一人だった。

 23年前の早朝、ドーンという大衝撃で目を覚ました。大地の魔神が家をわしづかみにし、引き裂こうとするかのようだった。私にできたのは、妻との間で寝ていた6歳の末娘が魔神に連れ去られぬよう、押さえることだけだった。

 神戸大生も39人亡くなり、私は弔い合戦を決意した。重い犠牲に報いるには、大災害を乗り越えられる社会を考えていくしかない。

 震災後、妻と娘2人は広島の親しい家族のもとに「疎開」した。末娘が近所のお姉ちゃんたちに連れられ、嬉々(きき)として学校へ向かう姿に涙があふれた。「神戸は独りぼっちではない。全国の人が支援してくれている」と実感した。

 この経験が私の原点だ。「被災地の人々を見捨てない」「全国で支え抜く」「できる限りのことをする」を基本にしてきた。

 この列島の住人は、誰もが被災者になりうる。「連帯と分かち合い」をもって支え合う以外に、大災害は克服できない。

 そんな「国民共同体」の意識は強まっていると感じる。阪神大震災後、政府は「私財再建に公費を投入できない」とかたくなだったが、2500万人もの署名を背景に、98年に被災者生活再建支援法が成立した。東日本大震災後は、復興に充てる新税の導入を多くの国民が支持してくれた。

 だが事前の備えはどうか。熊本地震被災地でも「地震はこないと思っていた」との声を聞いた。

 直近の強烈な災害ばかりにとらわれてはいけない。例えば阪神大震災では家屋倒壊の被害が大きかったが、首都直下地震では関東大震災同様、大火が猛威を振るう恐れがある。防災対策はいつも複数の事例を視野に検討すべきだ。そうした点で、首都直下地震の備えは驚くほど遅れている。

 南海トラフ地震津波被害は、東日本大震災を上回るだろう。人々の命をどう守るか。日本海側から太平洋側まで被害をもたらした1586年の天正地震のような内陸部大地震も心配だ。

 非日常的な最悪の事態を考え、対処策を国民全体で共有していく必要がある。

     *

 いおきべ・まこと 1943年生まれ。専門は日本政治外交史。神戸大教授の時に阪神・淡路大震災に遭う。東日本大震災後は政府復興構想会議議長、熊本地震後は熊本県の復旧・復興有識者会議座長を務めた。2012年から熊本県立大と機構の理事長を兼ねる。近著に「大災害の時代 未来の国難に備えて」。

 ■私と平成 大阪社会部・加戸靖史(かどやすふみ)(44)

 私は阪神・淡路大震災を知らない。23年前は東京の大学3年生。ボランティア活動に赴いた友人もいたが、私は行こうとまでは思わなかった。

 入社し、奈良支局の記者になった1996(平成8)年春、幼児期を過ごした兵庫県西宮市を訪れた。母と何度も訪ねた西宮北口駅周辺の商店街が一変していた。あちこちに広がる更地に、息をのんだ。

 以来、震災取材は遠ざけていた。被災地が抱える問題はあまりに広く、大きい。「震度7」の瞬間を知らず、直後の街の惨禍も見ていない。東日本大震災の時も、任地の広島にいた。テレビの向こうで押し寄せる津波水素爆発した原発。今さら私に、何ができるのかと。

 取材を終えて今、考える。「何もできない」は本当か。行動しない自分の正当化ではなかったか。この国の誰にとっても次の災害は「ひとごと」ではない。体験を「わがこと」として語る人たちに耳を傾け、「ひとごと」だと思っている人たちにどう響かせるかを徹底的に考える。それこそが、記者である自分にできることではないか。

     ◇

 ◆「平成とは あの時」は次回、2月に「ベルリンの壁崩れる」を予定しています。

 ◆キーワード

 <阪神・淡路大震災> 兵庫県淡路島北部を震源に、神戸市などで震度7を記録。6434人が死亡、4万3792人が重軽傷を負った。県のまとめでは、直接死亡者の72%が建物の倒壊や家具の転倒による「窒息・圧死」だった。高齢者らの孤独死も大きな問題になった。

    −−「平成とは あの時:4 大震災時代の幕開け 阪神淡路の教訓は 大阪社会部・加戸靖史」、『朝日新聞2018年01月18日(木)付。

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(平成とは あの時:4)大震災時代の幕開け 阪神・淡路の教訓は 大阪社会部・加戸靖史:朝日新聞デジタル

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覚え書:「折々のことば:997 鷲田清一」、『朝日新聞』2018年01月20日(土)付。


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折々のことば:997 鷲田清一

2018年1月20日

 誰かがいつも側にいて、黙って、あるいはうなずきながら聞いているのだった。

 (小岩勉)

     ◇

 原発の誘致か反対かで大きく揺れる中、1984年に運転を開始した女川原発。数年後に漁村の暮らしと生業(なりわい)を撮り始めた写真家は、訪れた家々で、地域に走った深い亀裂をめぐる話に耳を傾ける。傍らにはいつも静かにそれを聞く人がいた。重い話が多かったが、互いの心持ちを黙って思いやる、そんな支えあいがここにはあることに救われる。写真集『女川海物語』から。

    −−「折々のことば:997 鷲田清一」、『朝日新聞2018年01月20日(土)付。

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折々のことば:997 鷲田清一:朝日新聞デジタル





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2018-10-13

日記:じっと手を見る

若い頃、通勤電車でつり革を持つ自分の手を見て、「なんてきれいなんだろう、モデルにでもなれそうだ」なんて悦に入っていた…後期高齢者になって、じっと手を見た。シミ、シワ、なんとにぎやかなこと、と愚痴る。一生懸命働いて、二人の子供を育てた。「声 じっと手を見た 生きた証し」、『朝日新聞2018年10月10日付。

「声」の欄投稿へのオピニオンというよりはひとつ名随筆のていです。

現実問題として、老いたるひとびとのほうが、「今の若者」より悲惨な例に事欠くことはありません。しかい、それでも、美魔女という言葉が象徴的ですが、老いを嫌悪するガジェットが溢れて、無味無臭や若返りみたいなことにリソースが注がれる社会というのは、何かがおかしいような気がします。

元気に生き抜くことは大事ですけどネ。

「クリニックではなく観光ツアーに参加できたらいいのになあと思いながら、私も目的の医院向かって足を運んでいる」。

僕もじっと手を見つめたいと思います。



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覚え書:「社説 阪神大震災 体験に学び、備えよう」、『朝日新聞』2018年01月17日(水)付。


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社説 阪神大震災 体験に学び、備えよう

2018年1月17日

 未明の街を襲った阪神・淡路大震災から17日でまる23年となった。失われた6434人の命を無にしないため、惨事の記憶と教訓を次世代継承する営みを粘り強く続けたい。

 神戸市中央区の東遊園地には、亡くなった人の名を刻んだ「慰霊と復興モニュメント」がある。17日に、遺族や市長らが追悼の言葉を述べる場だ。

 その銘板の横で昨年末、「あほ」「ばか」などの落書きが見つかった。誰が何のためにやったかはわからない。被災者を傷つける許せない行為だ。

 「1・17のつどい」の実行委員長は「ここがどんな場所か知らず、想像もしなかったのだろう」といい、体験継承の取り組みが「伝わっていなかったのか」と深刻に受け止めた。

 広場では、2年前から公募で決めた文字を竹灯籠(どうろう)で描いている。今年は最も多かった「伝」。風化が進み、人の記憶から忘れ去られることがないよう、伝えたい。そのために何ができるかを考える狙いだ。

 今、神戸の街並みから被災の痕跡を見いだすことは難しい。震災後に生まれたり転入したりしてきた市民は4割を超えた。市役所では職員として震災を経験していない人が半数以上を占める。それでも被災地が抱える問題には敏感でありたい。

 災害復興公営住宅では、昨年、誰にもみとられずに「孤独死」した人が64人いた。平均年齢は75・3歳。同住宅での孤独死は計千人を超す。被災者以外の人も含まれるが、身寄りと死別し、地域とのつながりを失ったお年寄りも少なくない。

 灘区災害復興公営住宅内にある「ほっとKOBE」では、学生と被災した住民らが交流している。何日も話さず、笑ってもいない。そんな人が会話を通じて笑顔を取り戻す。こうした取り組みが何より大切だ。

 震災20年までは「復旧・復興」、21年からは将来のリスクに備えるステージに――。兵庫県はそんな考えで街づくりを進める。そのための出発点は、震災体験と教訓ではないか。

 被災直後、全国からボランティアが駆けつけたことは、その後の被災者支援の先例となった。神戸の訴えが国会を動かし、被災者への現金支給に道を開いた被災者生活再建支援法もできた。地域社会で助け合う大切さも、震災を機に確認された。日頃の交流を維持することは全国どこでも重い課題だ。

 悲惨な体験をした人が記憶を伝える。それに共感する力が、災害を減らし、命を守る手がかりとなるだろう。

    −−「社説 阪神大震災 体験に学び、備えよう」、『朝日新聞2018年01月17日(水)付。

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(社説)阪神大震災 体験に学び、備えよう:朝日新聞デジタル





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2018-10-12

覚え書:「日曜に想う 角界に春風の吹く日を待つ 編集委員・福島申二」、『朝日新聞』2018年01月14日(日)付。

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日曜に想う 角界に春風の吹く日を待つ 編集委員福島申二

2018年1月14日

写真・図版

「話に花が咲く」 絵・皆川明


 力士の男ぶりは色々だが、そのたたずまいの魅力をひとことで言うなら「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」であろうと思う。辞書には、春風がのどかに吹くさま、性格や態度がゆったりとおおらかなさま、などとある。

 江戸期の俳人、高井几董(きとう)が〈やはらかに人分け行くや勝角力(かちずもう)〉と詠んだ句は雰囲気をよくとらえている。

 土俵の上の気迫みなぎる勝負は、むろん相撲の醍醐味(だいごみ)だ。しかし鬼の形相の土俵からひとたび下りれば、春風駘蕩を身にまとって悠々と振る舞う。「おすもうさん」と肩に触れたくなる姿がいい。

 しかし元横綱日馬富士暴力事件に端を発した騒動は、相撲を春風駘蕩から遠いものにした。異様な醜状をさらしたうえ、余波も広がって、あろうことかモンゴル出身力士たちへの冷ややかな非難や雑言も目立っている。

 重く刺々(とげとげ)とした空気をひきずって、大相撲はきょうから初場所が始まる。

 ちょうど50年前、1968(昭和43)年の初場所は、外国人関取の草分け高見山の新入幕が話題をさらっていた。この場所、高見山は9勝6敗で敢闘賞を受ける。オールドファンの耳には今も「高見山ハワイマウイ島出身」の場内放送が懐かしく残っていることだろう。

 当時の新聞は、健気(けなげ)に伝統社会に溶け込もうとする高見山を伝えている。最高位は関脇幕内優勝が1回。十分強いが大関横綱には届かなかった。広く愛されたのは、人柄もさることながら、「出る杭」までには至らなかった微妙な塩梅(あんばい)もあってのことではなかったかと、少し皮肉な想像をめぐらせてみる。

     *

 ここ一時期、相撲界は不祥事と道連れだった。またかの感もあるが今回は状況が違う。大看板の白鵬が当事者に含まれている。苦境の大相撲を一人横綱として支えた人がバッシングの渦中にいる。

 白鵬は15歳で来日した。何カ月もどの部屋からも声がかからず、あきらめて帰国する前日に宮城野部屋に「拾われた」のはよく知られた話だ。あとになって思えば、この奇跡のような紙一重に一番救われたのは、日本相撲協会だったろう。身から出た毒で徳俵に足のかかった大相撲を、双葉山に次ぐ63連勝を果たすなど無類の強さで引っ張ってきた。相撲人気は上げ潮となって盛り返した。

 あの頃の白鵬には、ほれぼれするような春風駘蕩の風情があった。土俵での態度や取り口など本人にも省みる点はあろうが、これほどの力士が、協会内のあつれきや、一部の排外的な空気の中で色あせてしまうとしたら惜しいことだ。

 伝統はむろん大切だが、「日本人以上に日本人」を外国人力士の褒め言葉にする時代では、もうあるまいと思う。

     *

 騒動が続いていた昨年暮れ、朝日川柳にこんな句が載った。

 〈品格が有っても無くても評論家〉

 〈品格をふんぞり返って語る人〉

 10年ほど前、小紙が各分野の100人に「品格のある人とは」とアンケートしたら「品格などと言わない人」という答えが複数あったのを思い出す。「品格」とはどうやら、言った者勝ちで人を叱りつけられる便利な言葉であるらしい。

 抱き合わせるように聞くことの多かった言葉が「国技」である。明治末に「両国国技館」ができて広まった言葉というから、それほど苔生(こけむ)して古いわけではない。当時の新聞によれば「国技という新熟語も妙だが、角力(すもう)ばかりが国技でもあるまい」という冷評もあったそうだ。

 今年は「明治150年」だが、文明開化期の相撲は存亡の危機にあった。急速に西洋化する世の中で、裸体のような力士の姿が「野蛮」という批判にさらされた。禁止論まで湧いて出た。そうした歴史の波をくぐって今の姿がある。

 時は流れて、番付表には外国人力士のしこ名が並ぶ。国技という言葉が排外のニュアンスをまとうことのないよう、いまは細心の注意を払うときだろう。

 そして、私たちは「是々非々」をもってファンの「品格」としたい。「非」に対してはものも言うが、是は是として勝負を楽しませてもらう。やっぱり春風駘蕩がいい。誹謗(ひぼう)や中傷は禁じ手である。

    −−「日曜に想う 角界に春風の吹く日を待つ 編集委員福島申二」、『朝日新聞2018年01月14日(日)付。

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(日曜に想う)角界に春風の吹く日を待つ 編集委員・福島申二:朝日新聞デジタル


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覚え書:「折々のことば:995 鷲田清一」、『朝日新聞』2018年01月18日(木)付。


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折々のことば:995 鷲田清一

2018年1月18日

 元気出せ! ねえちゃん

 (道ですれ違ったおっちゃん)

     ◇

 昔、劇団の稽古に通っていた主婦の田中昌代さん。演技にも人間関係にも行き詰まり、うつむき加減で歩いていた時、自転車に乗ったある男性からすれ違いざま声をかけられた。突然のこの声に生き返ったと懐かしむ。おっちゃんだってほんとはしょげていたのかも。見知らぬ人と人のそんな遭遇がかつてあった。真宗大谷派東京教区編『わたしの出会った大切なひと言』から。

    −−「折々のことば:995 鷲田清一」、『朝日新聞2018年01月18日(木)付。

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折々のことば:995 鷲田清一:朝日新聞デジタル





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わたしの出会った大切なひと言

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2018-10-11

日記:「なぜ、親切にしなければならないのか」を自分自身で考える意味

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私たちは人に親切にした時点で、すでに大切なものを手に入れているのである。もし私が木であったら、困っている人が目の前にいても手を差しのべることはできない。親切を繰り返すことで、私たちは存在価値を積み上げていくのではないか。「声 親切にする 自分の価値創る」、『朝日新聞2018年10月6日付。

例えば、“「ありがとう」の言葉が聞けたときには自分の存在価値を認めてもらえたように感じる”ということを嘲笑うことは簡単なのですが、それ以上に大切なことは、この人は「なぜ、親切にしなければならないのか」を自分自身で考えていることです。

道徳や倫理の議論で大切なことは、与えられた規範他律的に受容するのではなく、自分自身でとことんと考え、それを自律的に内面化していくことではないでしょうか。

外からポンでは、道徳や倫理は機能し得ませんから。








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覚え書:「科学の扉 「想定外」を考える 免震脅かす長周期パルス 特殊な揺れ、超高層ビルに影響」、『朝日新聞』2018年01月14日(日)付。


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科学の扉 「想定外」を考える 免震脅かす長周期パルス 特殊な揺れ、超高層ビルに影響

2018年1月14日

写真・図版

超高層や免震建物に影響が大きい長周期パルス

 《その時、何が》

 ある日突然、激しく地面が動き、超高層ビルが大きく揺れた。ビル内では人々が大きな衝撃を受けた。固定していない家具が倒れ、天井パネルは落下。ファイルや書類も棚から落ちた。悲鳴、何かが壊れる音、警報音が重なる。開かなくなったドアをたたく人、停止したエレベーターの中に閉じ込められた人――。もし、活断層が大きく動くと、近くの超高層ビルはどうなるのか。

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 2016年4月の熊本地震で、震度7を観測した熊本県西原村。京都大防災研究所の岩田知孝教授(強震動地震学)が記録を解析すると、小刻みな揺れに続き、脈打つような大きな揺れがみえた。「長周期パルス」と呼ばれる特殊な揺れだ。揺れが1往復する時間が「周期」で、2秒以上を「長周期」と呼ぶ。西原村の揺れの周期は約3秒だった(図上の波形)。

 地面の揺れの周期により、影響を受けやすい建物の高さは変わる。長周期になるほど、高い建物がより影響を受ける。西原村で観測された最大毎秒2・6メートルの揺れは、国が示した超高層ビルの設計用の揺れのレベルを上回る。もし西原村超高層ビルがあったらどうなったのか。

 工学院大の久田嘉章教授(地震工学)らは、高さ約120メートル29階建ての鉄骨でできたビルで試算したところ、最上階は最大左右に2・9メートル揺れた。はりや柱が損傷、揺れがおさまってもビルに変形が残った。「建物の中にいる人は、頭を守って机の下に隠れるくらいしかできない。家具の固定だけでもしてほしい」と久田さん。

 超高層ビルの課題はこれまで、「長周期長時間地震動」だと考えられてきた。東日本大震災では、55階建ての大阪府咲洲庁舎(大阪市)は最大で左右に2・7メートル揺れた。建物の揺れやすい周期と地盤の揺れやすい周期が一致して揺れが大きくなり、長く続いた。

 こうした揺れに対しては、地震エネルギーを吸収する「ダンパー」の効果が高い。ところが、長周期パルスの場合、建物の変形や損傷が一気に進みかねず、ダンパーの効果は長周期長時間地震動ほど期待できない。地面が大きく動いて段差が残れば、建物が傾く恐れもある。

 ■設計工夫の途上

 長周期パルスの影響は、「免震支承」という装置で揺れを抑える建物でも心配されている。

 免震支承は変形することで地面の揺れとの共振を避け、地震エネルギーを吸収する。地面の動きが大きく、変形が大きくなりすぎると、免震支承が壊れたり、周囲の擁壁(ようへき)に建物が衝突したりする恐れがある。衝突を避けるために、建物と擁壁の間隔を広くするには、用地が必要でコストがかかる。

 大阪大の宮本裕司教授(建築耐震工学)によると、変形が大きすぎる時だけ働くダンパーをつけ、擁壁にぶつかる前に変形を抑える対策がある。免震支承などが支え切れなくなったとしても、建物を支える構造にする方法もあるという。

 想定より大きな揺れに対しては、衝突を許すという考え方もある。だが、これまで衝突を想定していなかったため、建物への影響については、よくわかっていない。詳しく調べて、擁壁の抵抗力などを解明する必要があるという。

 建物の柱やはりを強くしたり、建物や擁壁に衝撃を和らげる緩衝材をつけたりして、衝突の被害を減らす対策もある。

 「新たな観測記録を天が与えた課題ととらえ、日本の耐震設計をレベルアップするステップにしたい」と宮本さんは言う。

 ■活断層と関連

 長周期パルスには2種類ある。一つが、西原村で観測されたタイプ。マグニチュード(M)7級以上の地震が起こり、地表に断層のずれが達した場合、その近くだけで観測される極めてまれな現象だ。地震波に地殻変動の影響が加わって生じると考えられている。西原村では、断層に平行な東西方向で強い揺れが観測された。

 政府地震調査委員会は、主な活断層を調べ、揺れを予測する手順を公表しているが、こうした大きな揺れは想定していない。岩田さんは「台湾などで観測例があるが、日本では初観測。被害につながる可能性があるので、予測法の研究が始まっている」と話す。

 もう一つの長周期パルスは、地下深いところで断層が動き、地震波が重なって大きな揺れになるタイプで、断層と直交する方向に出やすい。同じ仕組みで、周期が短いパルス状の強い揺れが生じることもある。阪神大震災で観測されたタイプだ。

 長周期パルスは全国どこでも生じるわけではなく、まれな現象でもある。ただ、久田さんは「大規模な活断層の近くであれば、万が一の対策が必要になる。活断層の位置や規模、地震の発生間隔などを調べて建物のリスクを判断してほしい」と話している。

 (編集委員・瀬川茂子)

 ◇「科学の扉」は毎週日曜日に掲載します。次回は「地磁気の謎」の予定です。

    −−「科学の扉 「想定外」を考える 免震脅かす長周期パルス 特殊な揺れ、超高層ビルに影響」、『朝日新聞2018年01月14日(日)付。

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(科学の扉)「想定外」を考える 免震脅かす長周期パルス 特殊な揺れ、超高層ビルに影響:朝日新聞デジタル





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