会話シーンにおける人物配置

アニメの会話シーンにおける人物配置にはおもに2パターンある。「対面」か「横並び」かだ。

対面だといかにも喋っています感があって、どちらかというと横並びの方が自然体に見える気がする。構えていない感じというか。では、横並びの方が対面よりも良いかというと、そんなことはない。重要なのは、場合によって使い分けるということだ。


たとえば、『天体のメソッド』2話の人物配置はその使い分けが巧妙だ。この回は主人公の乃々香が柚季と出会い、円盤を町から追い出そうとする柚季の活動になかば強引に参加させられるという話であった。

まず、乃々香と柚季の初対面のシーンは対面で見せる。横並びではない。お互いの素性がよくわかっていないのにいきなり横並びは変なのである。もちろん、柚季が一方的に乃々香に迫るのを見せるため、というのもあるだろうが、そういったディスコミュニケーションもまた、ある程度は初対面であるという部分から来るものだろう。



続くシーンではさっそく横並び。つまりある程度打ち解けたわけである。しかし、円盤に関する意見がかみ合わなくなってくると、柚季は激昂し出す。そこでまた両者は向き合ったりする。つまり、「向き合う/向き合わない」を使い分けている。横並びというのは、デフォルトで向き合っていない状態のことだ。しかし、だからこそ、そこであえて向き合うというのは被写体の強い意志を反映することになる。柚季は乃々香に賛同してほしい思いで身体を向け、対する乃々香は柚季の機嫌をうかがうように目を向けるのである。これは対面では描けない表現である。


横並びにおいて、重要になってくるのはそういった「視線の動き」だ。乃々香は常に柚季のことを気にしている。だから彼女は横並びであろうと、柚季の方に控えめながら目を向けている場面が多い。対する柚季は自分本位だ。柚季はそこまで乃々香に目を向けない。目を向けるときは、自分の思いをストレートにぶつけてくるときだ。この二人の非対称性はそういった横並びでの視線の動きから読み解くことができる。



たとえばこのシーンでは(ちゃんとした横並びではないが)、柚季は乃々香に目を向けて、円盤の反対活動に協力してくれたことに感謝の意を述べる。最初のカットでは、柚季は乃々香の方を見ていない。横並びでは前を向くからだ。しかし、だからこそ、「目を向ける」という動作(差分)を描けるのである。それに対して、乃々香はずっと柚季を見ている。描かれ方が違うのである。ストレートな柚季と、それに振り回される乃々香。主体的な柚季と受動的な乃々香。ここでも二人は非対称だ。



柚季は行き過ぎた行動を乃々香に制されてしまい、拗ねる。ここでの逆向きの横並びは両者の意志が正反対にあることのメタファーになるわけだが、重要なのは、それでも乃々香は柚季の方にちらっと目を向ける点だ。柚季の考えには同調できないが、それでもやはり気にしているのである。完全に対立しないニュアンスを乃々香の視線の動きが与えてくれる。もちろん、これもまた対面では描けない表現である。



物語終盤でふたたび「対面」が登場する。柚季が円盤の出現した島に行こうと乃々香を誘うシーンだ。まっすぐに乃々香を見つめる柚季には揺るぎない信念が感じられるだろう。しかし、対面というのはデフォルトで向き合った状態である。つまり、むしろここでは向き合わない状態に移行する者の方がより強い意志を反映するようになる。このシーンで言えば、乃々香が柚季に目を向けない部分である。目が向かないのがデフォルトの横並びでは描きづらい「拒絶」の描写は、対面にすることでストレートに描き出される。



そして、二人で池に落ちて横並びに戻る。が、ここで二人の関係性は逆転していることに気付く。これまで乃々香がずっと柚季に目をむけていたのが、逆になるのである。つまり、柚季が乃々香に目を向け、対する乃々香は目を向けない。これまで分かりやすく積み重ねてきた横並びの関係がここにきてひっくり返ったわけである。しかし、ここで乃々香は柚季を見限ったわけではない。



つまり、これまで柚季を気にしてばかりだった乃々香が自分自身で判断するようになったということだ。自分で考え、柚季に気を使うわけでなく、彼女に目をむけるように変わった。最後の横並びで向き合う配置は、彼女たちが非対称から対称の関係へと変化したことを示しているように見える。


ここまではシーンごとに「対面/横並び」が変わる演出であったが、一方で、同じシーンに横並びと対面を使い分ける作品もある。たとえば、『四月は君の嘘』の3話。

ここは、有馬がピアノを弾けなくなった理由を宮園に語るシーンである。最初は横並びの会話。途中から対面となる。この切り替えは、「何気ない会話」から「重要な会話」への移行と重なる。つまり、有馬がピアノの音が聞こえないのだと白状する箇所を境に、横並びから対面へと変わる。そしてその対面は、宮園が自身の伴奏者として有馬を任命するという見せ場まで続くのである。横並びが自然体であるなら、対面は真剣だ。目を見て話すということは、その言葉が相手に伝えたいものであるからなのだ。横並びを前座とし、続く対面のシーンを最大の見せ場としたのがこの場面なのである。


ところで、そんな対面を頻繁に使用した作品があった。『ガールフレンド(仮)』の1話だ。

椎名心実がクロエ・ルメールを探すのに、友人や先輩たちに会って話を聞いているわけだが、その際の会話シーンは全て対面である。では、対面のシーンがすべて見せ場だったかというとそんなことはない。何故なら、ここでは前座としての横並びがないからだ。この場合むしろ、対面にすることで登場人物を次々と紹介していくことが重要だったのである。じっくりと腰を据えて長話するわけでもなし、急ぎの用だったということもあって、ここで横並びするのも変だという話だ。


しかし、対面ばかりの中でも横並びになる場面があるのだとすれば、その横並びは特別なものになるだろう。実は1話にはそれがある。どこかというと、クロエ・ルメールと再会するラストシーンである。

ここでは二人が再会を果たし、ベンチに座って横並びとなる。「ベンチに座っただけだろ」と思われるかもしれないが、1話においては、ベンチに座って横並びになったことが重要であり、ここで対面じゃなくなったということが重要なのである。クロエとそれ以外を差別化しているのである。ここでの横並びは、彼女たちが1話を通して誰よりも打ち解けたことを示す証左となるだろう。

まとめ
・初対面は「対面」、打ち解け会ったら「横並び」
・「横並び」で向き合おうとする動作には、主体の強い意志が反映される
・「横並び」から「対面」への移行では「対面」こそが見せ場となる

ところで、会話は何も立ち止まってするばかりではないだろう。歩きながら話すことだってある。

歩きながらだと、当然「対面」はあり得ないわけだが、その代わりに縦並びをする可能性が出てくる。といっても、普通に楽しく会話したいなら、横並びが一番だろう。しかし、その会話が普通の会話ではないとき、縦並びというイレギュラーがしっくりとハマることがある。


たとえば『甘城ブリリアントパーク』4話のラスト。

ここでは、仕事のミスに落ち込む千斗へ、可児江が自身の境遇を語るシーンだが、縦並びで歩きながら話が進行する。そこで互いに目が合うことはなく、両者の関係は非対称に描かれるが、ゆえに前を行く可児江は千斗にとって非常に心強い存在に映ることだろう。そして、境遇を一通り話し終えた可児江は立ち止まり、千斗の方へ振り返る。そこで彼は千斗に助言する。この縦並びから振り向きへの移行はワンセットだ。向き合わない状態から振り向くことで、見つめ合うという行為が強調される。同時にそこでの発言も重要なものとなる。こういった非対称性や振り向きの動作は横並びではできない部分だ。


同様の例として、『四月は君の嘘』の4話から。

ここでは有馬が宮園に手を引かれ、ステージへと向かう。そしてステージ袖で宮園が一度立ち止まり、有馬の方を振り向く。そこでの宮園の一言こそが彼女の本質をつくものであり、それを受けて有馬の心にあるわだかまりは解消する。

まとめ
・縦並びが描く関係は非対称(前が強い、後ろが弱い)
・縦並びと振り向きはセット。核心をつく言葉は振り向いてから発言される


ところで、以上の話は「二人」で会話する場合の人物配置であった。実際には、二人以上の場合も当然ある。そうなってくると、配置よりもカッティングの影響力が大きくなることもあるだろう。たとえば『失われた未来を求めて』の部室のシーンなどがそうなのだが、部員6名が不規則に配置される(規則的に配置されたら逆に不自然だが)代わりに、カッティングで巧く繋いでいるようなところがあったように思う。


しかし、それは場合によりけりなところもある。いくら人数がいても、たとえば縦並びで一番後ろにいる人物というのは心に憂いを抱えていたりするものだ。というわけで、複数人でも配置が重要になることもある。あるいは、部屋や教室のレイアウトなどが配置を決定する場合もあるだろう。このあたり、考えていくとキリがないわけだが、「最善の配置」というのはどういった場面にも存在するものなのだろう。ある場面ではずらーっと横並びにさせる配置が最善であったとしても、別の場面では最悪になることだってきっとあるのだ。