2009-11-27
■[コミュニケーション]キモイって言われて傷つきましたって泣くのって、自ら「オタク」を否定してなくね?
子供同士の中で使いがちな、ちょっと悪ぶっている言葉の数々。大人から見たら「そんな言葉使うんじゃない!」と尻ひっぱたきたくなる所かも知れません。そんな言葉を何も考えず使う人間の方が、世間にどう見られているかも分かっています。
しかし後ろめたい思いをしながらオタクをやっていた人間にしてみたら、それは相手の視線からの自分の否定です。学校社会自体狭い世界です。もうそこに居場所は、無いんです。
創作活動と「晒されたもの負け」の恐怖。 - たまごまごごはん
「キモイ」のは「行為そのもの」に対してであって「キモイ」と言ったからって人格否定までしているわけじゃないよね、というのがまずあって、そりゃあ物心ついてから四六時中、それこそおはようからおやすみまでメシ食うとかトイレいくとかいう生理反応以外の全てを「オタク」に捧げていますよっていうなら当該の事象に対して「キモイ」と言われたら全人格否定になる、のかもしれないのだけれども、それはそれで尊敬に値するんじゃね、と思ったりするのだけれども、そうじゃなくて学校行ったりするような日常生活も送っていて趣味として同人やってるんだったらそれを否定されたからってその人の全人格を否定されたわけでもなんでもない筈。
そりゃあ好きな事や好きなもの、感動したから放った表現に対して「キモイ」と言われたら傷つくでしょう。傷付かない人がいたらお目に掛かりたい、とは思うのだけれども「居場所」を失う程の事なんだろうか。
「そんなに怖いなら、やめればいいじゃん」
その通りです。やめればいい。オタク趣味から足を洗えばいい。
でも、感動して泣いたことを否定できるのか?
作品を読んで心揺さぶられて、本当に好きになった物を、自分は否定出来るのか?
できるわけ、ないでしょう?
キモチワルイかもしれない。誰にも理解されないかもしれない。ただその時感激して心を揺さぶった物を愛しているだけなんです。誰にも迷惑なんてかけていない。
だから、見ないで。構わないで。
意味わかんね。
キモイって言われたくらいで「感動して泣いたこと」や「作品を読んで心揺さぶられて、本当に好きになった物」を何故否定しなければならないのか。
誰に何を言われようと自分の「好き」という気持ちを変える必要なんかないんじゃね?
てゆーか。
『キモチワルイかもしれない。誰にも理解されないかもしれない。ただその時感激して心を揺さぶった物を愛しているだけなんです。誰にも迷惑なんてかけていない』と思うなら誰かに見られようと見られなかろうと関係ないよね。
何故『だから、見ないで。構わないで。』ってなるんだろう。
「好きなもの」を「表現(表に現した)」結果、誰かに「キモイ」という反応という名の「表現」が帰ってくる可能性はあるのだけれども、表現というのは常に「光(承認)」と「影(批判)」が付いて回るものではないのだろうか。光が強ければ強い程影は濃くなるのは自明なわけで。
キモイと言われた事をきっかけに『見ないで。構わないで。』という思考に帰結するのは、自分の好きなもの、愛しているもの、ひいては「オタクである」事を否定しているんじゃないだろうか。
オタクは一般のレベルより劣っている。そう思い込んでしまっているのは実はオタク側だ、なんてこともあるのですが、そう感じてしまうのは無邪気で何も考えていない、たった三文字です。
「キモイ」。
劣っているとか勝っているとか決めるのが誰でもない「オタク」である自分であるというのは皮肉というかなんというか。
「キモイ」って言われたら言葉自体がネガティブワードだから傷つくのは仕方ないとしてとしてもその結果として『見ないで。構わないで。』という他者からの干渉を廃絶する事によって自らを「守ろう」とする行為自体が「オタク」という状態を否定しちゃってる。
本当に『キモチワルイかもしれない。誰にも理解されないかもしれない。ただその時感激して心を揺さぶった物を愛しているだけなんです。誰にも迷惑なんてかけていない』と思うなら「キモイ」って言われたくらいで「オタク」である自分を『見ないで。構わないで。』なんて思う筈もない。
ミニスカ履いてる女の子が「あんたの為に履いてるわけじゃない。あたしが好きで履いてるんだからジロジロ見るな!」って言うって話は時々目にするけれど、このディスクールのような態度を何故オタクが取ろうとしないのか私にはわからない。
「キモイ」って言われたら「あんたに読んで欲しくて作ってるわけじゃない。キモイって言うお前がキモイんだ」って言えば良いでしょ。まあそこまで言わなくてもそう思っておけば良いんじゃね。
自分が好きでしている事に対してネガティブな眼差しが向けられる事は避ける事が不可能であったり、あるいはそうした眼差しに傷付くのは「仕方のない」事だとしても、だからって自分がオタクである事に負い目を感じる必要は全然ないんじゃね。好きなら好きを貫けば良いじゃん。
人に理解されたり、よろこばれようなんて思うな。
むしろ認められないことを前提として、
自分を猛烈につき出すんだ。
壁を破る言葉 P41より
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