煩悩是道場 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2010-05-24

[]何故「まおゆう」の話題は「はてな界隈」でしか会話されていないのか


個人的には一スレ目で挫折なうな「まおゆう」ではありますが「まおゆう」の話題が「はてな界隈」だけでしかされていない、という話題には興味があるので少しだけ。

気になるのは、「はてな」以外でほとんど話題になっていないことだ。

「まおゆう」で検索した場合はてなダイアリーの記事は大量に出てくる。

(はてなダイアリーはディレクトリー形式なので、検索結果がまとめられてしまうが)。

FC2アメブロSeesaaなどで「まおゆう」の記事を書いている人は極端に少ない。

Twitterで「まおゆう」の言及はかなりたくさんあるのだけど、

よくよく見れば、maoyuのハッシュタグで話しているのは、

はてなダイアリーで批評サイトをやっている人たちが中心だったり。

「まおゆう」が盛り上がっているのは、作品の力なのか、はてなの同調圧力なのか、というあたりも興味深い。

はてな以外に拡散していない「まおゆう」

個人的には、はてなムラ的同調圧力は非実在であると信じているので、何か他に要因があると思うんですね。

で、いろいろ考えて以下のような要因があるのではないか、と考えました。


◆「その人」と「その話題」に興味がないと「情報」が届かない

私は上記エントリブックマークコメント

「今話題のtwitter」を使っても結局は興味のある人にしか拡散しないんじゃねという事を実証しているようにも思える

http://b.hatena.ne.jp/ululun/20100522#bookmark-21686026

と書いたのですけれど、ソーシャルメディアで話題が拡散する為には

1.「話題を拡散する人」とfollow関係にある

2.「話題」を見かける

3.followしている人がツイートしている話題に興味を持つ

4.当該の情報にリーチをする

5.リーチした情報をツイートする

というサイクルが不可欠になります。

ツイッターのような場所で「まおゆう面白いよまおゆう」というツイートが「見られる」時間は極めて短いという事は横にしても、『「まおゆう面白いよまおゆう」というツイートを見る事が出来るのは「まおゆう面白いよまおゆう」というツイートを流している人をfollowしていないと決して見る事が出来ない』という問題があります。

ツイッターに代表されるソーシャルメディアマーケティング(笑)を語る時に、この視点が欠落している事は可成りあります。つまりfollow数が多くてもツイートしている話題を「受け取る側」が興味を示さないと、その情報は流されてしまう。

ソーシャルメディアというのは何処までいっても個別のユーザ、即ち私なら私がfollowをしている*1ツイッターユーザーのツイートが「全て」であると言っても過言ではありません。

「誰をfollowするのか」というのはユーザさんが個人個人で決める事ですから、流れているタイムラインも全て異なる、と言っても過言ではありません。


この事はウェブログにおいても概ね同様の事が言えます。

はてなの場合「はてなブックマーク」という仕組みが存在しますけれど、はてブとか使って面白そうな情報無いかなとか探す人って残念ですけれどあまりいないと思うんですよw じゃあ多くの人がどうやってブログなどの情報にリーチしているかっていうとYahooニュースだったりするんじゃないですかねw ああいうところで「今、こんな事が話題です」って書かれているのを読んで、話題になっているサイトとはどんなところぞや、って来るんじゃないんですかね。

あるいは「友達が開設しているブログ」もしくは「友達がブログで紹介している記事」らへんから来る。

こうした行動を取る人というのはイノベータ理論で言う所のアーリーマジョリティあるいはレイトマジョリティに属します。

少なくともアーリーマジョリティにリーチする為にはイノベーターとアーリーマジョリティを合算した16%という数字に達しなければなりませんけれど「まおゆう」はそこまで達していない可能性がある。


◆「話題」を認知しも検索したり対象を消費しようとまではしないんじゃね?

さて「まおゆう面白いよまおゆう」というツイートやブログエントリを経由して「まおゆう」を認識したとして「まおゆうってなんぞ」と思って検索をしたり実際に「まおゆう」を読む人は、それ程多くはないのではないか、という事も考えられます。

ツイートやブログエントリの中に「まおゆう」のハイパーリンクが書かれているならクリックするかもですけれど、そうでない場合「まおゆう」というキーフレーズを頼りに検索をしなければなりません。

それだけでも「手間」だとは思いますけれども、仮に検索をしたとして、じゃあ「まおゆう」を読むのかと。

冒頭にも書いたように「まおゆう」は個人的にはNGだったのですが、NGじゃなかったとしても結構な文章量で、あれを読み通そうと思ったら「小説何冊分」かの文章量と格闘をする事になるわけで、それだけでも障壁だと思うのです。

検索した結果辿り着いた情報なり商品なりを「消費」するには時間的・金銭的コストを対価として支払わなければなりませんから、それこそ「一瞬で笑える」ような短いものであるならともかくとして「まおゆう」のように「消費=読む」事に時間的コストが掛かるであろう事が明確である場合、消費する事に躊躇したり、あるいは一スレ目だけを読むだけにとどまる人もいるかもしれません。


◆読んだ人がみんな感想を書くわけじゃないんじゃね

いつも批評系のブログを書いている人ならともかく「今日もうちの怪獣クンはご機嫌なのでしたぁ」的なブログを書いている人がまおゆう読んだからって感想を書くのかっていう疑問はある。

というより。あれだけの長い文章を読んで既にいろんな人がいろんな事を書いていたら書けなくね?

そうでもない?


◆何故「まおゆう」の話題は「はてな界隈」でしか会話されていないのか

何故「まおゆう」の話題は「はてな界隈」でしか会話されていない仮説として私は

1.「まおゆう」が認知されていない

2.「まおゆう」を認知しても検索したり読んだりしていない

3.「まおゆう」を読んでいても言及していない

の三つを仮説として書きましたが、何故「まおゆう」の話題は「はてな界隈」でしか会話されていないのかに対する直接的な答えではないようにも思えます。というより上記三つだけを仮説として書いただけで締めるとそう突っ込まれるww

元エントリの問いは『FC2、アメブロ、Seesaaなどで「まおゆう」の記事を書いている人は極端に少ない』であり、その問いからは、アーリーアダプターやイノベータであっても平均的にどのウェブログサービスにもいる筈なのに「はてな界隈」にしか「まおゆう」に関する話題をしている人がいないように見えるのは何故なのか、という問いだと思うからです。


で。これは結果論なんだと思うんですね。

つまり「まおゆう」を認知し、興味を持ち、感想を書いたりツイッターのハッシュタグで会話をしようとするモチベーションを所有している人が「たまたま、はてなを使っている率が高かった」というだけなのではないかという。


Tsukurimono Addictさんは『はてなダイアリーで批評系サイトをやっている人たちが中心』とお書きになられているのですが、この文章からは批評系のエントリを書いているブロガーさんが『FC2、アメブロ、Seesaaなど』にもいらっしゃるようにも読み取れるのですけれど、『「まおゆう」で検索した』という文章からの推察ではあるのですけれど特定の批評系・書評系のウェブロガーさんを名指しにしているわけではない。

即ち「何故dankogaiやスゴ本さんや 橋本大也さんや松岡正剛さんは「まおゆう」を批評しないのか」ではなく『何故「まおゆう」の話題は「はてな界隈」でしか会話されていないのか』という問い立てからは「まおゆう」はもう既にイノベータ理論的に見てもアーリーアダプター中・後期にまで認知され、話題になっている→もっと多くの人が反応しても良い筈なのに、何故「はてな界隈」だけなの?同調圧力?という事なのかな、と思ったのですけれども、結果論というか絶賛したり批判したい人が「たまたま」はてな界隈にいたってだけなんじゃないかなって思います。


◆「まおゆう」はキャズムを超えるか

先日「まおゆう」が書籍化される、という話をTogetter で読んだのですけれども、個人的には書籍化されるあたりで404髭男爵猊下が「献本御礼。「まおゆう」こそSFである。大量のSFを読んだ私が弾言する」的な提灯とも本気の大絶賛とも言えない書評をしてamazon総合一位とかになったりツイートしたらiPadで1万名無ダウンロードキャンペーンとかしたらキャズムを超えるかもねと思ったり思わなかったり。

結論も何もあったもんじゃないけれど、個人的には「まおゆう」であれなんであれソーシャルメディアというスキームだけでキャズムを超えるのは難しいんじゃね、と思ってます。オウンドメディア、アーンドメディア、ペイドメディアの三つのメディア(検索メディアを分ける人やサードパーティメディアという概念最近では出ているようですけれど)を相互補完的に使う事が「キャズム越え」を促進する手掛かりになるかもね、と思うと同時にイノベータ理論にせよAISASにせよ「こうすれば、こうなる」という「法則」ではなく「結果の一つ」なのではないか、とも思うのです。


◆本論と無関係なおまけ

個人的には「まおゆう」読む前にペリーローダンファウンデーションシリーズダーティペア*2を読むべきとも思うのですけれど、「古典SF読めよ」的感想って「第9地区」を絶賛しているエントリを読んだときにも抱いた感想だったりもします。

「第9地区」や「まおゆう」を読んで凄いと言ってる人達がそうした"過去の"SFを読んでいないというよりは過去の作品は過去の作品として決別をした上で"今"目の前に同時代的に"ある"物語を楽しみたいという欲求があるのかもしれない。

SF語るならSF1000冊読めよ、と言われていたものだけれども、その言説が"正しさ"を裏付けるものとして"古典"を知った上で"今"の作品に対する評価・評論をなすべきだ的なものがあったように思うのですけれども、「第9地区」や「まおゆう」を凄いと言っている人達にはそうした前提無しに"今"目の前で進行している出来事に興奮したいんだよ、という気持ちがあるのかもねえ、と根拠無しに思ったり思わなかったり。


*1:されている、では決してありません

*2:これだけは外せないね!ロロロロシアルーレッ!

通りすがり通りすがり 2010/06/09 02:12 「〜〜読んでそんなに評価するなら〜〜読んでみろ」
「新進気鋭の話題作?は!笑わせる、過去の名作・古典作品読み返して来い」

ぶっちゃけ、そんなこといってたらキリないんですよね。
文学の歴史を積み上げてきた古典作品は過去に絶賛された選りの作品群でもあり、
確かにそれだけ賞賛される歴史の証明としての価値はあるでしょう。

しかし現代社会を何気なく生きているだけの専門学者でもないライトな読み手に、
それは「裏づけされた正しさ」と言えるほど、ある種の絶対性など無きに等しいのですよ。

仮に今後100年の間に歴史に名を残すような文学作品が生まれたとしましょう、
今私たちが読んでいるような作品も古典と呼ばれる日も来るかもしれない、
時代が流れれば流れるだけ文学作品なんて積み重なっていき増えていくでしょうが、
100年後に生きている自称SF好きのAさんがいたとして、AさんがSFを語りたいと思ったら
どれだけの古典作品を読めば「裏打ちされた知識」とやらを元に
「正しく作品を評価できた」と言えるのでしょうか、また、200年後は?300年後は?
山の様に積まれた古典作品とされる歴史を網羅しなければ、今を語ることも許されず、
正しいとか正しく無いとかで他人から卑下されなきゃいけないのでしょうか。

ようはどーでもいいレベルのそんなもんなんです、そんなもんの中で、では一体何が大事かって
それはどんな作品でも、1ページめを開いた時から個人が個人の主観でもって
あれやこれやと、その個人だけが感じられる気持ちに他ならないと私は思いますよ。

ululunululun 2010/06/11 09:53 コメント有り難うございます。
そうですね。SF千冊問題ですとかファーストガンダム問題というのは、このブログをお読みの方、そしてコメントをくださったあなたなら説明をする必要のない話だと思うんですよ。
ただねー。第9地区の時もそうだったんですけれど、まおゆう絶賛している人達(特にはてな界隈と呼ばれる人達)が、そういう作品群を読んでいない筈がなかろうよ、というのはあるんですよ。なのでなんでスルーしているかな、というのはちょっと疑問。
勿論ガンダム最新作すごいよという事を話題にしているのが小学校高学年くらいの子供だったら「ファーストを知らないでガンダム語るな」みたいな事を言うのは大人げないよね、とは思うんですけれどねw

投稿したコメントは管理者が承認するまで公開されません。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証