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2007-01-23

[]動けよ手足 動けよ手足を含むブックマーク

僕はどんくさい。どうもうまく手足というか、体全体を統率できないのである。

寝起きが悪い僕は、毎朝のように遅刻ギリギリに家を出て駅の階段を駆け上るのだが、どんなに急いでいても一段とばしが出来ない。よって走りつつも一段ずつを踏みしめて上るわけだが、足の前後運動が著しくトロいため、さほど歩い上るのと変わらない。なのにしっかりコケるのだ。どんくさいにも程があろうというものだ。

そんな僕が最初に就職したのが、小さい印刷・編集会社だった。ファッション誌の制作などをしていたのだが、こういう雑誌仕事はほんとうに息つく暇がない。ページレイアウトを作ってるのにモデル写真が来ない、来たと思ったらサイズも違うし商品も違う。すべてがやり直しとなって、午前3時にデザイン会社へ車を飛ばすなんてのはザラであった。

そう、ザラであったのだが、いかんせん僕はどんくさい。車を飛ばす事が苦手なのである。

その日は横浜のデザイン会社によった後、首都高を恵比寿方面へと走っていた。芝公園付近の長いカーブにさしかかったあたりで、やや混んできたのか、車間距離がつまり始めた。「ああ渋滞かなぁ」と落胆した直後、前の車が急ブレーキを踏んだのである。

急転直下の出来事に僕が反応できるわけもなく、ブレーキすら踏まずにまっすぐ突っ込んだ。大きな衝撃と共にボンネットがめくれ上がって視界をふさぎ、シュゥーという音でエンジンは停止。よく事故の瞬間は視界がスローになるというが、僕の場合はまったくそんな事はなく、「あ、ブレーキ踏んだ?」 ドーン! 「ぎゃー」 ボンネットボーン! ってな感じだった。

修羅場になると出るのが本性だ。僕がまず思ったのは、「いかにしてごまかすか」。動転した頭で出した対策は「ブレーキがいきなり壊れた」などという3秒で嘘とバレる言い訳であった。

ニュース犯罪者の言い訳を聞いて「アホか」と冷笑していた僕であったが、いざ自分に降りかかってみると、「ブレーキ壊れた」などという噴飯物の言い訳をしようとしている。

それどころか、内心は「いける!ごまかせる!」と確信していたのだ。加えて、ブレーキを踏んだ記憶がないのがプラスになるとピピーンときた。ブレーキが壊れたからこそ、ブレーキを踏めなかったという仮説が成り立つのでは無いか。逆に。逆じゃないけど。以上の思考の後、稚拙ウソを並べ立てる決心をして車外に出た。

すると追突された前車のドライバーが駆け寄ってきたので、計画通りにウソをつこうとしたのだが、「ブレーキが!ドンて!踏んで!」などと、意味不明な事を言ってしまった。どんくさいことに、ウソひとつつけないのである。ニュースでよく「容疑者は・・・と、意味不明な供述を」と言われるが、あれ?あれ? それは僕だった。

舞い上がる僕の言葉を遮り、前車のドライバーは 「車内でガムを落としてしまって、取ろうとよそ見して、前が詰まっていることに気づかずに・・・急ブレーキを踏んだんです」などと平謝りに謝ってきた。さらに、どうやらその急ブレーキも間に合わなかったらしく、前の車に激しく追突している。

なんだか雰囲気的には、「僕はあんまり悪くない」感じになってきているではないか。ほんとうに「ブレーキが壊れて!」などという3秒でバレる嘘をつかずに良かった。いや、つけずに良かった。どん臭くて得をしたケースである。

警察が手配したレッカー車に同乗し、事故車を引っ張りながら首都高から降りた。その最中ラジオでは「芝公園付近で事故、渋滞10キロ」と、僕のせいで出来た渋滞をアナウンスしていた。「僕ですか?」という問いかけに、レッカー車の運転手は「ですね」と無表情で答えた。

そのままトヨタディーラーに事故車を持ちこんだあと、恵比寿のデザイン会社に電車で行き、朝の4時まで働いた。そういう会社だったのである。

半月ほどして、修理の終わった車をトヨタディーラーが持ってくるという。点検の為に係長と一緒に駐車場で待っていると、トヨタの兄さんが「どうもーっ」という明るい声で、完璧に直った事故車に乗ってきた。

兄さんが停めやすいように、僕は「ちょっと動かして場所あけます!」と、気を利かせてそばの車に飛び乗り、ドアを開けて後ろを確認しながらバックした。

そのまま細い路地に入ろうと、ぐいぐいバックしていたとき、開けていたドアが電柱に引っかかり、バツン!という音と共に有り得ないとこまで開いた。180度開いたドアを初めて見た。車体前方の側面を叩いたドアは、ゆっくりともげた。また、ブレーキは踏まなかった。

トヨタディーラーの兄さんが「どうもーっ!」といいながら、新たな事故車の乗って帰った。

僕はどんくさいのである。

2006-09-14

[]バングラデシュのすすめ バングラデシュのすすめを含むブックマーク

ちょうど一年前の今頃、バングラデシュを旅行していた。

とりたてて特筆すべき観光名所も無く、まさに雑然とした都市と交通の要衝となっている船着き場、そしてお節介な人々が魅力の国であった。世界最貧国のひとつであるバングラデシュに住む人々は、格差とか収入差とか差別などの発想が入り込む余地もなく、ただただ、「おれ、そして家族」という信念のもと、生活に根を張ってニヤリと笑って人生をこなしているようだった。

首都のダッカを歩いていると、それこそ万の数のリキシャが走っているのだが、なぜかひとりのリキシャ夫と何度も何度も顔を合わせてしまい、そのたびに後ろに乗りこんで案内してもらった。

リキシャとは、人力車自転車版のようなもので、自転車の後部を人が座れるように改造したものである。横に二人くらい座れるシートで屋根もついている。

と、ここまでバングラデシュとリキシャの事について書いてきたのは、僕がリキシャに乗っている時に撮った映像をここにアップできるようになったからである。はてなダイアリーの新機能で、youtubeを貼り付けられるようになったのだ。そこでさっそく使ってみたくなったわけだ。

ということで、僕が撮った「首都ダッカでのリキシャ目線映像」です。見つめすぎると酔うんで、離れて見てみて下さい。いや、どうってことないんですけど。

 

 

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ここからは、あまりに少ないバングラデシュの旅行情報を。行く予定の無い人にはまったく無意味であります。

まず、ダッカでぜひ乗って欲しいのは、観光のハイライトであるショドル・ガットから出る客船である。これは船体両脇についた水車を回して推進力を得るという古き良きタイプの船だ。このタイプではおそらく、世界で商業運行している最後の船だと思う。

しかし、チッタゴン(Chittagong)やボリシャル(Barisal)まで乗っていければいいのだが、日程的にそこまでいけない人、あんまりダッカから離れたくない人は、チャンドプール(Chandpur)という中継地で降りるといい。だいたい3時間ぐらいの船旅が楽しめる。夕暮れの出航であり、広大なブリゴンガ川の水平線に沈む夕日、さらには沿岸にポツリポツリと見える街の光。それらを古式ゆかしい船に乗って眺めるのである。ちなみに、お願いすればコックピットに連れて行ってもらえる。

チケットの買い方だが、チッタゴンで降りる場合は街のBIWTCオフィスで買うのだが、チャンドプールで降りる場合は直接船に乗り込んで買うことになる。出航が18:00で、16:00頃になると船着き場に船が着いているので、そこで買う。値段は一等200タカ。個室は与えられないが、快適なので一等がいいと思う。

さて心配はチャンドプールに到着してからであろう。夕暮れ出航ということは、チャンドプールにつくのは夜の9時過ぎになる。よってそこからホテル探しとなるのだが、チャンドプールのホテル情報を日本で得るのは非常に困難であるため、ここで書いておきたい。

・HOTEL RAJANIGANDDA

・HOTEL PRINCE

だいたい一泊シングル200タカくらい。エアコン付きは300タカくらいか。

チャンドプールの船着き場からリキシャに乗って約30分。運賃はだいたい15タカ。延々と暗い道を通るのでかなり不安感を覚えるが、上記のホテルならほとんどのリキシャ夫が知ってるので大丈夫だと思う。

あと、雨期に東北のシレットなどにバスで向かうと、完全に道が水没している。湖のど真ん中の水面をバスで走るという恐ろしい経験が出来る。いつなんどき道を踏み外して川に落下するかハラハラである。

などなど。他にも何かご質問があれば、答えられる範囲でお答えしますので。観光という文脈ではまったくと言っていいほど話題とならないバングラデシュであるが、けっこう楽しいところなので行ってみて欲しい。僕はもう行かないけど。

2006-07-16

[]人生の整合性 人生の整合性を含むブックマーク

山手線のつり革にぶら下がっていたら、となりに韓国人の男女が立った。

僕は、なにか必死に議論している彼等の会話の盗み聞きをしていた。

韓国語リズムに僕が慣れてきたタイミングで、いきなり「でも、そういうのはダメじゃん」という日本語が聞こえてきた。さっきまでの流ちょうな韓国語にいきなり入り込んだ日本語。そのコントラストは、なぜかすごく鮮やかだった。

彼等は続けて同じ会話を日本語で行う。どうやら職場であるレストランのオーナーに不満があるらしく、それは休みが少ないとか給料が低いとか、ほんとうにありふれた内容だった。

しかし、韓国語から日本語に変化し、不明から解明へとだんだん明かされていく会話からは、彼等の生活や育ち、考え方や欲しいものが見えてくる。これはやはり、とても興味深い体験だった。

前に紹介した「シナリオ創作の基本」で、いかに「劇的要素を組み立てるか」を語っておいてなんだが、会話の盗み聞きをしていると、物語は「劇的要素」がなくても成立すると思える。

ハリウッドでは、その創世記から「原因→結果」というルールの下に劇的要素を創作し、明快な映画世界中に輸出してきた。

それへのアンチテーゼとして、真逆を行こうとしたのがフランスでのヌーヴェルバーグ初期であると思う。映画の中でひとつの現象が発生し、物語が展開する。別にその現象に原因がなくてもいいだろ?いきなりそれが起きて、至って普通の出来事でもいいだろ?と、開き直って見せたのである。

この直感的なハリウッド映画への反抗は、すごくフランスらしい。ハリウッド映画を見せ続けられたフランス国民は、それが明快であるが故に、そこで描かれる「アメリカ的な生活」をすり込まれていく。合理的な資本主義のもと、画一化されたプラスティック製の社会。だからフランス人知識層は反発する。「これはまさに文化的侵略だ」と唱えるのである。

他方、アメリカ大嫌いな中東にもハリウッド映画は輸出されるわけで、それによるアメリカ的文化の浸透を知識層は「堕落」と断じた。イスラーム的には「堕落へ導く映画」を輸出し続けるのがアメリカなのである。この辺にも中東人がアメリカを嫌う一因があったりして面白い。

フランス映画でも中東(イラン)映画でも、この「原因→結果」からなる劇的要素を排除した映画が多く作られている。それを受け入れる文化はそれぞれに違うのだろうが、両方とも「面白い」。「楽しい・ワクワク」じゃなくて、「興味深い」という意味の面白さ。

韓国人の会話を聞いていて、ついつい僕は平凡から非凡への変化を期待する。不満は爆発するものだと思い、願いは叶うとどこかで期待する。頑張れば、報われる。目標を持てば、達成される。成功への100の法則。いまこの時間を大切に。

ああ、やっぱりハリウッド的な発想になっている。