ウェブ時代の音楽家

いささか古い記事になるが、平沢進氏によると、音楽家には補償金もDRM(Digital Rights Management、コピープロテクトと考えればいいだろう)も必要ないそうだ。


ITmedia +D LifeStyle:「補償金もDRMも必要ない」――音楽家 平沢進氏の提言


平沢氏は、1999年にメジャーレーベルを離れ、internetでの音楽配信を開始した。CDやDVDの販売もあるが、mp3のダウンロード販売があり、いくつかの楽曲は無料配信もされている。無料配信分について確認しただけだが、一切のDRMは使用されていない。平沢氏の主張からして、販売分にもDRMは無いだろう。
楽曲は、以下の条件でライセンスされている。


著作権及びライセンスについて:
楽曲、及び歌詞の著作権は、著作者である平沢進保有し、e-Licenseが管理しています。当サイトから無料配信される作品ファイルは以下の条件の下で自由にコピー、配布が出来るものとします。
(有料配信ファイルの再配布は出来ませんのでご注意ください。)

1) 作品ファイルに改変が加えられていないこと。
2) 非商用目的であること。

この作品ファイルは個人的な鑑賞を前提に配布されており、それ以外の目的で使用する場合、管理者であるe-License(http://www.elicense.co.jp/)から別途ライセンスを受ける必要があります。

これは、以下のような平沢氏の姿勢の表れだろう。


平沢氏: メジャーレーベルを辞めて自分で配信するようになってからは、作品の売れ行きは伸びて、マーケットも広がってます。無料のMP3配信を監視していると、ダウンロードが24時間止まらないんです。そうしているうちに、次は世界中からCDの注文が入ってくる。そう考えると、無料で音楽を配信すること、コピープロテクトをかけないことは、プロモーションにつながるんです。これはものすごい威力ですよ。お金を払ってまで欲しいと思ってくれなければ、やってる意味がない。違法コピーしてそれで満足してしまうようなものであれば、それは自分のせいだと。作品がその程度のものでしかないと判断する姿勢を、今のところ持っています。

すばらしいと思う一方で、それはすでに氏が名前を知られているからではないか、という疑問がずっと頭の片隅にあった。
ところが、そうでもないらしい。意外なところから、その事例を知ることができた。先日読んだばかりの『ウェブ時代をゆく』(梅田望夫 id:umedamochio)で観察されていたミュージシャン、ジョナサン・コールトンの話。


コールトンの職業はプログラマーだった。しかし彼はフルタイムのミュージシャンとして生きたいという夢を持っていた。一念発起して二〇〇五年九月、彼は仕事を辞めて(妻の収入に最初は依存)、夢の実現に挑戦することにした。曲を週にひとつ必ず書いてレコーディングしブログにアップすることにした(無償で誰もがダウンロード可能、リスナーがお金を払いたければそれも可能)。少しずつ口コミでトラフィックが増え、誘われて行うライブにも以前より人が集まる手ごたえを感じた。コツコツと地道な活動をつつけた結果、現在はブログの日々の訪問者三千人、人気の曲のダウンロードは累計五十万、月収はコンスタントに三千ドルから五千ドルとなり、生計が立つようになった。

コールトンが何をしたかは、『ウェブ時代をゆく』に詳しく書いてあるので割愛する。かなりがんばったとは思うが、特別なことは何もしていない。
コールトンのサイトに行くと、販売されている曲の3割程度が無料で提供されており、mp3 192kpbsとFLAC(Free Lossless Audio Codec)というロスレスフォーマットでダウンロードできる。
mp3の販売ページには、以下のようにある。


All of the songs on this page are 192K MP3s - they are not copy protected in any way, so you can play them on whatever device you like. Songs that I wrote are licensed Creative Commons by-nc (covers and other stuff I don’t own are not).

一切のDRMは使用しておらず、クリエイティブ・コモンズの表示-非営利(CC-BY-NC)のライセンスが適用されているとのこと。「CC-BY-NC」とは、原著作者を表示すれば、非営利に限り、自由に複製、頒布、展示、実演、二次利用が可能というライセンス。詳しくはリンク先参照のことね。
平沢氏よりも緩やかな条件で、しかし生計が立つほどの収入が得られている。
音楽をやりたいから音楽をやるような、純粋な音楽家にとって、これで充分なのではないか。補償金もDRMJASRAC音楽出版会社も必要ない。


平沢氏のインタビュー記事を読んだ印象では、JASRAC音楽出版会社との契約や委託などによって、音楽家は逆に自由を奪われているように感じる。


平沢氏: 例えばメジャーなレコード会社で活動してたとしますよね。レコーディングが終わるとある日突然、出版会社から契約書が届くんですよ。で、契約してくれと。契約条項にいろいろ書いてあるんですけど、契約書が送られて来た時点で、JASRACにもう勝手に登録されているんです。残念ながらアーティストは、著作権に関してまったく疎い。同時に私自身も疎かったがために、そういうものだと思いこんでいたわけですね。それによって、出版会社に権利が永久譲渡されている曲というのがあったりするんですよ。で、JASRACで集金されたお金は、この出版会社を通るだけで50%引かれて、アーティストへ戻るという構造があるんですね。出版会社は“プロモーションに努める”と言いますが、成果は保障せず、どんなプロモーションをするのか何度説明を求めても、回答しないことがほとんどです。大きなセールスが期待できるアーティストについては積極的に動きますが。

JASRACに勝手に登録されている」というくだりは、先日の初音ミクドワンゴの騒動を思い出させるものがある。まともなビジネスでは考えられないことが、当たり前に行われているのだろう。
例えば、JASRACが管理している楽曲は、自分で作曲したものであっても使用料を支払わなければならない。その使用料は、適正に配分されるとして、50%が音楽出版会社にさっぴかれ、手元に来るのはわずかに半額。
金儲けをしたい、有名になりたいというような「音楽家」ならば、それでもいいのかもしれない。マスを追求するなら、規模が必要だろう。音楽など二の次なのだろう。