My Life Between Silicon Valley and Japan このページをアンテナに追加 RSSフィード

2005-06-25

[] 「勉強特権階級の没落

楠正憲氏の「わたしのチープ革命

http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20050626/p1

が面白い。フォーサイト誌「ウェブ社会[本当の大変化]はこれから始まる」

http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u105.html

を一部引用してくださっているわけだが、この「わたしのチープ革命」もブログならではの、商業誌では書きにくい内容で、僕がこの論文の中に書き込みきれなかった「本音の部分」を補っていただいている。本欄でここ数日にわたって、僕がなぜ「勉強好き少年」云々などという言葉を使ったり、「大企業に勤める同世代の連中」について思い巡らせているのか、ということとも密接に関係する。

楠氏は自らが記者志望だったということもあり、新聞記者という職業を例にあげて本論を書かれているが、ポイントはここだ。

寄らば大樹,いわれたことを手際よくこなしていれば将来を約束されていたはずの人々には世知辛い世の中になったのかも知れないけれども,少なくとも僕にとってはフェアな競争が約束され,人生の幅も大きく広がった.チープ革命の進展は,活字やIT・放送・通信だけでなく,もっと幅広い範囲で無意味な障壁を崩していくことになるのだろう.それは一部の特権階級にとっては悪夢だけれども,才能ある疎外された人々と多くの消費者にとっては朗報のはずである.

文中の「寄らば大樹,いわれたことを手際よくこなしていれば将来を約束されていたはずの人々」イコール「一部の特権階級」とは、僕が前エントリー

日本の一流大学を出て日本の一流企業に勤める」良さというのは他の人生選択肢と比較して相変わらずある。だから気をつけなくちゃいけない。大組織の大組織たるゆえんは、大きな枠組みの中で広義の「知の創出」に専念してさえいれば、そこから先の「泥仕事」(「勉強好き」で「勉強ができて」高学歴の人たちは「組織の外に開かれた対人能力」を必要とする「カネに絡む」ような仕事をよくこう表現する)は誰か別の人がやってくれる(効率のよい分業みたいなものかな)、という仕事がかなり多く存在していたし、今も存在しているからだ。けっこういい仕事なのですよ、これが。見ていて羨ましくなるほどに。元「勉強好き少年」たちにとっての温床であり続けてきたが、ここがこれからは危ない。

「次の10年」の大変化が直撃するのはこの層であり、この層の予備軍だ。そして変化が直撃するともろいのもこの層だ。

と書いた「この層」と狭義には合致している。たぶん楠氏は社会全体を見渡してもう少し広い範囲のことをおっしゃっているのではないかと思うが、「一流大学から一流組織へ」と進む上でこれまで最も有効だった能力は「勉強能力」であったはずという意味で、「勉強特権階級とでも呼ぶことにして、そう大きな間違いはなかろう。これから起こるのは、「勉強特権階級の没落なのである。

もし僕が日本の大組織の再建を任されたとしたら、まずすることは「この層」の中で飛び切りすぐれた人材(プロスポーツ選手クラス)をほんのわずか残し「この層」の大半を組織から一掃することを「組織のゴール」と設定し、そのためにはどういう順番で何をやっていくべきかを考えていくだろう。むろんこれは夢想に過ぎないのだが、残念ながら一掃しなくちゃいけない「この層」に、同世代の知人・友人の顔がたくさん浮かんでくる昨今なのである。

[] 「ブログは面白いな」と改めて思った

雑誌新聞原稿の締め切りが重なっていて、ここに何か書いている場合じゃないんだけれど、あんまり面白いので、朝起きるとどうもこっちを書いてしまう。それで他のことが押せ押せになっていく昨今だ。

トラックバックいただいた「勉強のできない人から職を奪う生き方の提案」

http://deztec.jp/design/05/06/25_job.html

を是非読んでほしい。このエントリーの一つ前に書かれた「梅田望夫さんが見ている、どこか遠い世界」

http://deztec.jp/design/05/06/23_real.html

だけだと色々な読み方ができてしまうが、この二つをセットに読むと徳保さんというこの二つのエントリー筆者の凄さがよくわかる。

宮台真司が「まったり生きろ」と言い、森永卓郎が「年収300万円幸福論」を説く中で、「そこまで書いちゃまずいだろう」という(たぶん)自己規制ゆえに書けなかった(だろう)ことが、ここにはちゃんと書いてある。コマーシャルメディアでは色々な理由で書かれにくいいタイプの文章という意味で、ブログというメディアの真の可能性を実感した一瞬でもあった。徳保さん自ら「残酷な話」とあえて強調し、

年収300万円で納得できるなら、お勉強のできる人は幸せになれます。ただしそれは勉強できない(しない)人から仕事を奪った結果です。でも自分ひとりの幸せを考えるなら、まずはそれでいい。私が書いているのは、そういう残酷な話です。

こうお書きになっているが、全くおっしゃる通りで、こちらのほうへ向かっていく生き方はあります。だから、僕が「全く役に立たない」とか「使い物にならない」と表現したのは、厳密に言うと不適切でした。でも、徳保さんのおっしゃるような「生き方」で「食える」だけでなくちゃんと幸福になるためには、「勉強能力」とは全く異次元でもっと奥の深い「人生の達人」的素養を実は必要とします。大変化に直面しても何とかしようともがく中で多くを学び成長しちゃんと稼いでサバイバルしようという「生き方」よりも、ある種の人々にとっては、とてつもなく難しいことなのだろう、と僕は考えています。逆に言えばこの「ある種の人々」が、徳保さんから問われた「本欄の読者層は誰なのか?」という問いの答えになっているのかもしれません。

でもこういうふうに頭を整理できたことはとても有難いことでした。「ブログは本当に面白いな」と改めて思いました。

あれれあれれ 2005/06/25 09:21 「ある種の人々」だけでなく、多くの人々にとって難しいことなのでは・・・と思います。森鴎外の「高瀬舟」を思い出しました。僕もたぶん「ある種の人々」側に属している人間なので、徳保さんのエントリーはとても興味深かったです。

ある種の人々というのは、そのような概念とは逆で、現状に常に満足しない人々のことなのでしょうね。自分自身についても、世界についても。そういう人々にとっては「現状維持」自体が悪なんですよね。悪というか、つまらない。

そういう性質の裏にある欲求は何なんでしょうね。安定よりもリスクを好むというのは、現状に対して常にある種の憎悪を抱いているということなんでしょうか?むずかしいです。

kiya2014kiya2014 2005/06/26 07:22 上の人が激しくキモい件

aaaa 2005/06/27 23:57 印刷会社に行ってもreplacableであることに変わりはないと思う。