飛行機内等移動中の読書

さてまた金曜日から出張兼休暇で出かける。今回はいろいろと移動が多いので、近いうち読もうと思いながらも読めずにいた石光真清の手記(遺稿)四部作『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』に挑戦しようと思う。

城下の人―石光真清の手記 1 (中公文庫)

城下の人―石光真清の手記 1 (中公文庫)

曠野の花―石光真清の手記 2 (中公文庫)

曠野の花―石光真清の手記 2 (中公文庫)

望郷の歌―石光真清の手記 3  (中公文庫 (い16-3))

望郷の歌―石光真清の手記 3 (中公文庫 (い16-3))

誰のために―石光真清の手記 4 (中公文庫 (い16-4))

誰のために―石光真清の手記 4 (中公文庫 (い16-4))

参考リンク
http://homepage2.nifty.com/tanizoko/isimitu_makiyo.html

勉強能力、学習能力、本欄の想定読者層

一連のエントリーには、いろいろコメントやトラックバックをいただいているが、中でも「カウンセリング・ルーム:Es Discovery 」の「社会における職業選択と自己アイデンティティの確立の問題」
http://charm.at.webry.info/200506/article_26.html
からはたくさんのことを学ぶことができました。ぜひご一読を。僕の問題意識も正確に理解した上で、また「勉強能力」(『プラグマティックな勉強能力(合目的的な勉強能力)』と『非プラグマティックな勉強能力(教養・趣味の勉強能力)』に更に分類される)と「学習能力」の違い、その違いと「対人能力」の関係を定義した上で、議論をこのようにまとめて下さっている。

食べる為の仕事が決定的に不足するのではなく、自己の社会的アイデンティティに伴う自尊感情や過去の経歴や業績にまつわるこだわりのようなものによって『結果として職業選択の幅が狭まる』というのが実際的な状況だと思います。
とはいえ、やはり梅田さんが想定しているような高学歴者層(あるいは、社会的アイデンティティ確立と自己の存在意義が完全に重複している層)の人たちであれば『職業を主体的に選択せずに仕事が得られればそれでよい』という判断を下す事には非常な苦悩と逡巡が伴うのではないでしょうか。

そう、確かに、そういうふうに表現できるような気がします。

私は、社会的アイデンティティは、自己アイデンティティの一部であって全体ではないと思いますが、“仕事・職種・地位・収入・所得・人脈といった社会的属性”を“自己のアイデンティティの核心”として持っている人が多いという事実はあります。
そして、そういった社会的属性にプライドや高い価値を見出す事自体は、批判されるべきことではなく、むしろ社会人としての責任をまっとうしようとする意志の表れであり、経済活動への積極的な参加や創造的な職業活動という面で高く評価される部分も多くあると考えられます。

は、本欄で想定する読者層の全部ではないが、かなり大きな塊の部分を正確に表現されているように思う。
この内容を少し発展させて考えれば、本欄の想定読者としては、「仕事・職種・地位・収入・所得・人脈といった社会的属性」の中でも特に、「ITの最先端やその応用領域」に関わる「面白さ」を「創造的な職業活動」として追求したい、成熟した安定を求めるのではなくせっかく可能性が目の前にあるのならチャレンジしてみたい、という意志を強く持っている人たちをイメージしている、ということになるだろうか。
僕自身そういう生き方をずっと追求した挙句に日本を離れたがそれに後悔はないし、日本の若い世代から同じように考える人たちがもっとたくさん現れて、若いときからいきいきと活躍できる環境(ベンチャーという狭い意味ではなく、大企業の中や、さまざまな開発現場においても)が日本にももっと増えればいいな、シリコンバレー等海外で活躍する若い日本人ももっと増えたらいいなと、いつも思いながら本欄の更新を続けているわけです。
いただいたトラックバックで、また頭の整理ができたことを感謝したい。