数百人以上のネットワークをリアルタイムに背負って仕事するのが当たり前になる時代

ここ二日ほど話題にした「次の十年」のキャリア、ネットワーキング、個のエンパワーメントは、読者の方々の関心がものすごく高かったみたいで、コメントやトラックバックを読んでいて、楽しかった。さまざまな視点があってとても勉強になる。有難い。
僕がなぜ「アメリカの大学生のネットワーキングの凄さ」を取り上げたかというと、これはアメリカという国の成り立ちとも密接に関係するが、次のような前提があるからだ。

  • アメリカは徹底的なエリート社会、競争社会(二極化、格差社会は当然の前提)で、高校生くらいから「エリート」は自覚を持って、きわめて戦略的に生きる。好き嫌いは別として。
  • 特に富裕層の子弟が小中高と受けている教育は、はたで見ていてもやっぱり凄いなぁと思うことがよくある。「考える」ことと「表現する」ことを徹底的に仕込んでいるような気がする(アメリカ全般で言っても、上位の学校はだいたいそうらしいけれど)。また彼ら彼女らが進むトップクラスの大学の教育レベルも世界的にみて高い。しかも大学間で競争がある。
  • 日本に比べてアメリカは、大学を出て十年から十五年で、若いエリートたちが社会の中枢(大組織内)でかなりきちんと大きな仕事をし始める。だからエリート大学生の間で、もし新しいワーキングスタイルや考え方が広く定着するのならば、変化を好まないことでは洋の東西を問わない大組織も、米国では案外早く変化するしれない。いくつか前のエントリーで紹介したFast Company誌の記事には軽くそんな記述もある。

もちろん、ネットワーキングの重要性そのものは、昔からそれほど変わらない。仕事のできる人はいい人脈、いいネットワークを持っている。利己的な人が長期的にみていいネットワークを維持できない、というのも別に今はじまった話ではない。永遠の真理だろう。
しかし、そのネットワークを維持・管理するコストが激減したために、同時にしっかりと関係を築いておけるネットワークの構成人数が一桁か二桁増えて、そのネットワーク間でのコミュニケーション・コストが下がり、しかもリアルタイム・コミュニケーションの容易さが増すのが「次の十年」だ。前エントリーで「IT最先端文化が一般に広く伝播する」と指摘したのはこの部分(特に、ネットワークとのやり取りにおけるITリテラシーの高さ、オープンソース世界等に見られるネットワーク間の信頼醸成のプロセスの部分)だ。
それが、ある世代以降のアメリカのエリートたちの「自然な仕事の仕方」になったとき、アメリカという国の在り様に、社会の姿に、組織の競争力に、あるいはそういう社会でキャリアを積むときの戦略に、日本企業の国際競争力に、どういう影響が出るのだろう・・・・・
そんなことを考えていくと、何かやっぱり「衝撃的」だなぁと感じ、世の中はどう変わっていくのだろうと考え込んでしまったのだ。