My Life Between Silicon Valley and Japan このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-04-22

[] 「グーグルをどう語るか」を巡って

佐々木俊尚氏の「グーグル」が日本から届く直前に、佐々木氏が「本の話」(文藝春秋刊)

http://www.bunshun.co.jp/mag/hanashi/index.htm

に寄稿された自著解題の文章「グーグル革命」は正夢か悪夢か」を読んだ。素晴らしい文章なので、この文春「本の話」サイトにアップされたら是非皆さんも読まれるといいと思う。

僕の名前が出てくるのである友人がFAXで送ってくれたものだが、この文章の冒頭はこう始まる。

梅田望夫さんの『ウェブ進化論』(ちくま新書)がベストセラーになり、インターネットの最先端に多くの人が関心を持つようになっている。この本を読んだ多くの人は、「海の向こうのシリコンバレーではこんなことが起きているのか」とびっくりしているのはないか。だが『ウェブ進化論』で語られているような「本質的変化」は、実は日本のさえない地方の企業から始まりつつある。

私がこの『グーグル Googleーー既存のビジネス破壊する』で描こうとしたのは、そうした地方の物語である。地方のさえない(と思われていた)零細企業と、グーグルという世界最先端のインターネット企業がどう結びついているのか。そこにある「本質的変化」を描き出そうと考えたのだ。

この文章には佐々木さんのパーソナル・ヒストリーも綴られる。毎日新聞社会部の記者だった佐々木さんは、90年代後半インターネットの出現に感動し、38歳のときに会社を辞めてしまう。同僚からは「馬鹿じゃないの」と嘲笑された。そしてネットバブルは弾ける・・・

幻想は崩壊したのである。

・・・・・

しかし---。

2004年頃から、状況は再び劇的に変わってきた。

・・・・・

さえない地方の零細企業グーグルというアメリカから入ってきた強力な武器を手にすることによって、巨大企業を凌駕する力を持ちつつあるのだ。

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する  文春新書 (501)

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)

佐々木俊尚著「グーグル」の真骨頂は、佐々木さんが、社会記者としての実力をいかんなく発揮して書かれた「グーグル日本零細企業の結びつき」を詳細に描く第二章「小さな駐車場の「サーチエコノミー」、第三章「一本の針をさがす「キーワード広告」」、第四章「メッキ工場が見つけた「ロングテール」」にある。

ウェブ進化論」では描いていない「日本零細企業の現実のストーリー」がここにある。

ところで、ジャーナリスト森健さんから「文藝春秋」次号のグーグル記事について取材を受けた。たけくまメモ「Google暗黒特集」

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_638f.html

はてなブックマークの人気エントリーの上位に来ていたから、ひょっとしたら取材が来るかなと思っていたら、案の定来た。森さんとは以前も別の雑誌の取材で話をしたことがあり旧知だったので、「暗黒特集なんですか?」と最初に聞いてみた。

「えーっ、そんなことないですよ」

たけくまメモ、読んでないの?」

「あっ、読んでません」

みたいな会話から、取材が始まった。森さんは「グーグルの問題点も指摘しますが、暗黒特集なんてとんでもない」と繰り返していた。森さんも佐々木さん同様、グーグルの達成を驚きとともにきちんと評価した上で、問題点も指摘しなければならない、と考えるバランス感覚の持ち主である。「文藝春秋」次号を楽しみにして待ちたい。

僕は森さんの取材に答えて色々なことを話したから、どの部分が引用されるかはわからないが、「グーグルの問題点を語る難しさ」の理由について少し時間をかけて話した。

たとえば「たけくまメモ」で昨年しきりに取り上げられた「Google AdSenseからの契約破棄通知」問題を例に取れば、竹熊さんがお書きになった、

ある種の「人間味」をバッサリと切り捨てたところにあの会社の凄みと真価があるのも確かですけどね。アドセンス以外のサービスは確かにすごいものだし。でもこの「人間味の切り捨て」というか、人間を目方で量るような態度は、Googleの強みであると同時に弱点でもあると思う・・・・・

というのはまさにその通りなのだ。

もう少し言えば、こうした末端で起きている不幸な出来事(当事者である一ユーザにとっては大事件)も、億単位のユーザを相手に一本のシステムで全部を完璧に処理しようという長期的ゴールの実現を企図するグーグル開発陣にとっては、「例外処理」という位置づけにしかならない、ということなのである。

普通会社なら、生身の人間の痛みみたいなものを、生身の人間が相手して、何とか個別処理をしようと考えるが、グーグルは個別処理を嫌う。

開発陣によって問題点は完全に把握されているが、開発陣の関心は、こうした「例外」が少しでも起こらないようシステムを改善する(新しい要素を取り入れつつ数学の問題を解き続けるみたいな感覚)、という方向にしか向かない。

個別の「不幸な出来事」は実験途中のバグだと認識し、バグ情報をもとに改善に向かう。振り返って、出てしまったバグの後始末をやろうとはしない。「やろうとしない」が言いすぎならば、「適当ローカルオフィスで何とかしておいてね。でも、そんなことのために組織作ったりするなよ。予算も使うなよ。だって来年にはシステムがうんとよくなって、そんな問題が発生する確率は下がるかもしれないからね。じゃあ、よろしくー」が、グーグル開発陣の感覚なのである。

「だって、まだ作っている最中のシステムなんだよ。」

と彼らは本心では開き直っているのだ。

2月23日の「「ウェブ進化論」とグーグル

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060223/p1

でも

ただ「グーグルのここまでの達成」の意味は、現代の常識としてできるだけ多くの人がきちんと理解しておく必要があると思ったのだ。本書の感想の中に「グーグルを礼賛しすぎている」というのが散見されるが、少なくとも「グーグルのここまでの達成」については、いくら言葉を尽くして称賛しても足りないと僕は考えている。そのくらい大きなことをネットの世界にもたらした会社だと思う。

むろんこれからのことはわからない。でも「これからのことはわからない」からという理由で、両論併記で「グーグルの良さと問題点」を併記して書き手としてリスクをヘッジするという態度をとるには、その達成の程度が凄すぎる、というのが僕の判断だった。

と書いたように「ウェブ進化論」では、グーグルの本質をポジティブな「語り口」で語った。ではグーグルの問題点を指摘する「語り口」には、どんな言葉が必要だろう。

それには、かなりの創造性が必要になるということだけはわかる。なぜなら普通の「語り口」では、グーグルの中枢部に、その言葉は届かないからである。

もっともっと技術的に深い言葉(場合によっては、コード交じりのDanさんの文章みたいな)で、しかも創造性溢れる提携提案型の(グーグルがその性格上あまり関心を持たない領域でチームを組んで、問題点を解決していきましょうね的)指摘が必要になるのだろうと、今は想像しているが、まだそういう言葉の姿を、僕はとらえ切れていない。

hnder2001hnder2001 2006/04/22 13:14 ウメツさん おはようございます 
朝早くおきるのが苦にならないのが好きなことだという文がありました。社会の大変革がおきつつある予感がいたします。netは
あの世でしょうか。

v6エバンジェリストv6エバンジェリスト 2006/05/22 12:04 梅田さんの大学院での後輩です(たぶん覚えてはおられないと思いますが)。トラックバックがはれませんでしたので、コメント欄からですみません。

「googleの実力を測る実験」
http://blog.goo.ne.jp/v6arano/e/a88b8f95bdba643d742ed1ba98d9f98e

さいとうさいとう 2006/06/25 01:09 「ウェブ進化論』を拝読して学生時代から30数年ぶりに知的感動を伴っての読書体験を致しました。
 それはジャンルは全く異なるものですがフロイトの一連の書物を読書体験した時と今回のそれとが同質の衝撃を私にもたらしました。
 共にその読書体験が私にとって全く新たな領域の知の認識を与えたことにありますが、それと同時にフロイトが生涯のテーマとした『共同体自我論』の検証がグーグルの登場によって現実性を帯びてきたと感じるからです。
 不特定多数無限大の意思が本当に良質なのか,共同体の頭上にそれがテクノロジ−であったとしても「超自我」が存在し得るのか、あるいは存在してもいいのか,フロイトの時代から100年以上を経過して出会ったテーマに私なりに感動しています。次の書物を楽しみにしております。

saitousaitou 2006/07/02 02:08  7月1日の日経新聞文化欄で吉本隆明氏のインタビューが掲載された。吉本氏の近況を活字を通じて知るのは久しぶりのことだ。81歳になったという。吉本氏は60年,70年の新左翼闘争ではその理論的支柱になっていたと目されていた人物だ。代表的著作『共同幻想論』は今でもその時代の活動家の人たちの胸に残っているケースも少なくないだろう。
 吉本氏は文芸評論の分野でも異才を発揮した。その集約とも言える『言語にとって美とは何か』は個々の文学表現の中からその時代に生きる人々が共有する感性や美意識を紡ぎ出しその成立ちやメカニズムを論理化しようとした。
 この時代にはインターネットという不特定多数無限大の表現行為は存在していなかった。今、吉本氏は不特定多数無限大の表現行為という格好のサンプルを前にしてどのような分析をおこなっているのだろうか。
 グーグルの進化は,テクノロジーの側面で見る限りその圧倒的な存在感と強さは梅田氏の述べるごとく疑問の余地もない。
 しかし、グーグルがそのテクノロジーを使って人間にとって『有効』あるいは『幸福』あるいは『文化的」などの要素を含んだ事業の実現を目的としているのであれば、不特定多数無限大の意思が良質であることは絶対とまでも言わずとも重要な要素であることは間違いなさそうだ。
 梅田望夫氏と吉本隆明氏,異なるジャンルの思想家,企業家であり,両氏の間で思索の交流があるのかどうかは分からないが
「ウェブ進化論」あるいは「共同体幻想論」をまくらにしてグーグルの未来像についての対談が実現しないだろうか。

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