「シリコンバレー精神」(ちくま文庫、8月10日発売)

シリコンバレー精神―グーグルを生むビジネス風土」(ちくま文庫、640円)が、8月10日に発売されます。アマゾン、紀伊国屋での予約販売が始まりました。

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=YK-0003130
僕は、著作を量産するタイプではないので、本を出版する機会があれば、できるだけ丁寧な仕事をすべく心がけていますが、前著「シリコンバレーは私をどう変えたか」の文庫化が決まって悩んだのは、ちょうど五年前(2001年8月10日)に出た前著に何を増補すれば、この本をいま読む意味が増すのだろうか、ということでした。それを考えて実践することに、四月末から五月末までの一ヶ月は没頭していました(その頃ブログ更新が滞っていた理由)。
まずは「文庫版まえがき」を全文転載します。

 本書は、一九九六年秋から二〇〇一年夏にかけてのシリコンバレーを、私の経験をもとに描いたものである。世界の片隅にあって小さく輝いていた「天気のいい田舎町」が、インターネット時代の到来とともに世界経済に大きな影響を及ぼす存在となり、その後のネットバブル崩壊で苦しみ、そこから立ち直ろうと必死の努力を始めるまで、五年間の物語である。
 「月に一通」と決めてこの時期に書いた「シリコンバレーからの手紙」が、『シリコンバレーは私をどう変えたか』(新潮社)という一冊にまとまり、二〇〇一年八月に出版された。文庫化にあたり、本書は、本文への加筆修正はせず、「文庫のための長いあとがき――シリコンバレー精神で生きる」を増補した。そして「シリコンバレー精神」という考え方を提示する「長いあとがき」を基点にし、本書を構成するそれぞれの「手紙」へ、ネット上のリンクをたどるかのように読める本にし、「シリコンバレー精神」と改題した。
 通常の本のごとく最初から順に読む場合には、すでに私たちが「次の五年間」(二〇〇一年秋から二〇〇六年夏)を過ごし、シリコンバレーのネットバブル崩壊の焼け跡でグーグルという怪物が育ち、ネットの世界、情報の世界に革命的変化を引き起こしたことを、頭の片隅に置いておくとよいかもしれない。本書では、わずか一箇所にだけ、まだ何ものにもなっていない頃のグーグルが出てくる。グーグルが水面下で未来を構想していた頃に、私を含め、世の中は、誰に注目し、どんなことに悩み、何に一喜一憂していたのか。現在から近過去を振り返ってそんな読み方をしていただくと、次代の担い手たちが今も世界中のどこかに必ず居て、未来について私たちとは全く違うことを考えているはずだ、という想像力が生まれるのではないかと思うのだ。

僕が書く対象は、シリコンバレーや情報技術産業やウェブの進化といった「激しく動く世界」。だから「一九九六年秋から二〇〇一年夏にかけてのシリコンバレー」について同時代的に描いた内容を、現在という高みから眺めると、どうしても「修正」を加える誘惑にかられます。「ああ、こんなことを書いていたか」と恥ずかしくなるような部分もあるにはあるのですが、本文には加筆修正を加えず、「文庫のための長いあとがき――シリコンバレー精神で生きる」を書き下ろして、増補することにしました。当時の判断における誤りや失敗も「長いあとがき」の中で総括しました。
書き始めたら、結局、400字原稿用紙60枚分のボリュームになり、本当に「長いあとがき」になりました。アマゾン、紀伊国屋のサイトには、本書の目次がすべて掲載されていますが、「文庫のための長いあとがき――シリコンバレー精神で生きる」の目次だけ抜き出すとこんな感じです。

シリコンバレー精神」とは/そのときグーグルは何をしていたのか/未来を創造する営みが水面下で続けられていた歴史/起業家主導型経済にバブルやモラルハザードの発生は必然/「シリコンバレー精神」だけがメカニズムを補強できる/活況を呈したシリコンバレーでまたバブルが起こるか/「シリコンバレー精神」でモノを書く/「二〇〇一年秋から二〇〇六年夏」のこと/その後の私

たぶん本欄の読者の方々には、「文庫版まえがき」でも書いたように、シリコンバレー精神」という考え方を提示する「長いあとがき」を基点にし、本書を構成するそれぞれの「手紙」へ、ネット上のリンクをたどるかのように読んでいただくと、「全く新しい読書経験」ができるのではないかと思います。
ウェブ進化論」が出て以来、ネット上のコンテンツと本の違いや、本の未来についてよく質問を受けます。特に文庫や新書のような手軽な本の場合、本(著者)が読者に提供できる価値は、コンテンツ自身の価値もさることながら、「その本を読んでいる時間」という経験なのではないかと僕は思っています。
そこでこういう工夫をすることによって、前著を何年も前に読んでくださった方や、このブログを毎日楽しみに読んでくださっている方にも、この「シリコンバレー精神」という新しい本を読むことで「全く違う経験」ができるように意図しました。
最後に、「長いあとがき」の冒頭を少しだけ引用しておきます。

「どうも何か大きな変化の真っ只中にいるようだ。でも具体的に未来がどうなるのかは全くわからない。」
そんな環境下で、私たちはどう生きるべきなのか。
限られた情報と限られた能力で、限られた時間内に拙いながらも何かを判断しつづけ、その判断に基づいてリスクをとって行動する。行動することで新しい情報が生まれる。行動する者同士でそれらの情報が連鎖し、未来が創造される。行動する者がいなければ生まれなかったはずの未来がである。未来志向の行動の連鎖を引き起こす核となる精神。それが「シリコンバレー精神」である。
今がそこそこ平穏なら変化などしたくないと誰しもが思う。「次の十年」に限っていえば、別に変化しなくても大丈夫だろうという考えはたぶん正しい。それ以降はどうかだって? そんな先のことはわからないよ。だから、考えたって仕方ない。いまは動かなくてもいいんだ。未来の姿が見えるのを待ってからでもぜんぜん遅くないさ・・・。そういう考え方の対極に「シリコンバレー精神」がある。
私は十二年前(一九九四年秋)にシリコンバレーにやってきた。「シリコンバレー精神」が空気のように充満するこの地で、私は本当に変わった。
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