感動の書「永久保存版 羽生VS佐藤全局集」

最近いちばん感動した本がこれである。
宿命のライバル、羽生善治佐藤康光の全局(公式戦107局目まで)の棋譜がすべて掲載された永久保存版である。感動したと言っても、この本を全部読みつくす(本当に味わいつくす)までにはきっと何年もかかるので、感動を予感したと言ったほうが正確かもしれない。
この本には谷川浩司による「新しい将棋の創造」という文章が寄せられていて、その中にこんな一文がある。

二人の戦いは、互いに竜王位をかけて競い合った第26局までと、鋭角的な佐藤が総合力の羽生に勝てなかった第27局から第62局と、佐藤が大胆な作戦を用意するようことで存在感を示せるようになった第63局以降と、三つに分けられるようだ。

永久保存版 羽生vs佐藤全局集

永久保存版 羽生vs佐藤全局集

第63局っていつのどんな将棋だったろうと並べてみた。四年前の第51期王将戦第一局で佐藤のスズメ刺しが炸裂した印象深い将棋だった。もちろんコンピュータのデータベースに向かってもいいのだが、この本の将棋を並べるときは、将棋盤の前に正座して一手一手並べていくのがいい。
今年は「ウェブ進化論」が世に出たりして僕にとっては思い出深い年だったので、何か記念になるものを買おうと思い、ついこの間、前から欲しかったすごくいい将棋の駒を買った。その駒を盤の上に並べると、立ち上ってくるものがぜんぜん違う。この本の将棋を、その駒で一手一手並べていくと、本当に時が経つのを忘れる。
たとえば第63局のあと第72局までの10局を順に並べていくと、それらがわずか二ヶ月の間に指され(二つのタイトル戦が同時並行で行われていたから)、佐藤がずっと勝てなかった羽生から王将位を初めて奪取するまでの二ヶ月の「時の流れ」が、盤上を追体験することで感じられて、心から感動できるのである。
僕は趣味を聞かれると、意識してその一つとして「将棋鑑賞」(「将棋」ではなく)と書く。子供の頃は道場に通ったりして将棋を指すのが大好きだったが、あるときから、棋譜を並べて鑑賞することのほうが好きになったからだ。先日、羽生さんに頼まれて将棋連盟で講演したときに、米長さんから講演のテーマ(「将棋の魅力の伝播、将棋の普及のためにネットにどう積極的に関わっていくか」)以外で「何か一つだけと言われたら将棋界にどんなアドバイスをいただけますか」と質問されて僕が言ったのは、いまはほとんど存在していない「将棋を鑑賞する」という概念が新たに必要なんじゃないかということだった。たしかに将棋には勝ち負けがある。ある程度強くならないと将棋の面白さはわからない。だから「強さ」がすべての基準になる。でもいまの「将棋の普及」って「将棋を指すこと」「将棋が強くなること」に傾斜しすぎていて、「将棋を見てどう楽しむか」という視点が欠けているのではないか、と思うのである。どんなスポーツでも競技人口以上に大きな観戦人口というものがあって、それがそのスポーツの成立を下支えしている。そこを意識的に耕していかなければならないと強く思うのだ。そのことを短い時間で申し上げた。
じつは、僕の親友でさまざまな芸能の興行に携わっているプロ中のプロがいるのだが、彼は将棋タイトル戦のDVDが存在しないことに、大きな機会損失ではないかと驚いていた。僕も考えたことがなかったが、たしかに羽生VS佐藤のタイトル戦のDVDがあれば必ず買い揃えるだろう。DVDという素材の中に、その将棋の魅力をふんだんに盛り込む工夫は絶対にできるはずであり、それが「将棋鑑賞」というジャンルを耕すことになるだろうと思う。
昨年夏、第76期棋聖戦第三局「羽生・佐藤戦」を、淡路島まで二泊三日で観戦に行った。日本で休暇を取ったのは八年ぶりだった。それが、この本では第87局なのであるが、昨年夏から、再び「羽生・佐藤戦」のタイトル戦がぐんと増え、しかも面白い将棋が連続している。同時代的にこの名勝負を鑑賞できる幸福を、改めてこの本から痛感した。