My Life Between Silicon Valley and Japan このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-06-15

[] サバイバルのための人体実験を公開すること

ネットイナゴ問題については、はてなブックマーク開発者id:naoyaダイアリーを基点に皆さんと一緒に考えていくことになります。僕もときどき参加します。

さて、僕が何かを書くと「ポジティブだ」という意見を述べる人がいる。誰が何をどう読みどう思おうと自由だが、そんな低レベルなところで思考停止してもらいたくないなぁと正直には思っている。

ウェブ進化論」の中で、

大きな環境変化が起きたときに、真っ先に自分が変化しなければ淘汰される

というのが「シリコンバレーの掟」だと書いた。また「ウェブ人間論」の中で、自分の生き方について、

社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルするか」を最優先に考える

と書いた。第三者的な立場で世の中を分析してある世界が全体としてこうなっていますよ、こうすべきですよ、ということを書く人は僕以外にもたくさんいるので、そこはもうやる気が起きない。できるけれど、少なくともブログでは書くつもりがない。そうではなく、いま起きている変化を総合的に考えて、こう生きると、こういう新しいことをやると、サバイバルできる可能性が高くなるんじゃないかな、と真剣に考えたことを「人体実験」として実行に移して、それを若い人たちのために公開して参考にしてもらおう(それがささやか社会貢献)と思っているということだ。共感しない人は読まなければいいだけ。

たとえば「フューチャリスト宣言」への感想で、「この人たち(茂木さんと僕のこと)はネットが好きで好きで仕方ないんだなあ・・・」という感想を読むことがある。茂木さんの本心がどうかは僕は知らないが、少なくとも僕は「好き嫌いでいえばネットに対してニュートラルであっても、傍からこいつはネットが大好きなんだと見えるほどどっぷりとネットに浸かって、ネットの凄いところ良いところを増幅する能力をできるだけ若いうちに(もうぜんぜん若くないけどね)身体に浸み込ませることこそが、中長期的なサバイバルに絶対につながる」と確信したから、そういう「人体実験」を五年前に始めた、というほうが「本当のところ」に近い。

「モノを書く」ということでいえば、十年先も第一線に位置して「モノを書けば、書いたものを多くの人に読んでもらえる」という状況を仮に「サバイバル」と仮定するなら、やりたいやりたくない、というような感情よりも、ブログを全開放にしたり、本への感想を何から何まで二万以上全部読むというような経験をいまから積んだほうが、他の「モノを書く」人たちが気づいていないことをたくさん学ぶことができ、それが新しい時代を生きる上で必須な経験になるに違いなく、またその経験は過去の誰もが経験したことのない素晴らしいことも含むはずで、その経験を通して強靭になることがサバイバルにつながる、そう思うから「人体実験」をしているのである。

ポジティブとかネガティブとか、感情をそのまま発露するような低レベルの話をしているんじゃないんだよ。これまでの常識を疑わずに生きたときに本当にサバイバルできるかどうかもわからないほど大変なこれからの時代に、「サバイバルするための戦略性って何? 」っていうことを考え抜いて、あんまり誰もやっていないことかもしれないけれど、きっとこういうことが勝負どころなんだろうな、と確信したことを逐一、行動に移して、それを公開しているだけなのである。

オプティミズムは意志だ」というのも、そういう文脈でのこと。僕自身が、生来の傾向として、心からありとあらゆる局面で「オプティミズムを貫いて」生きているなんて短絡的に想像してほしくないなと思う。そういう意志を持って世の中を眺めるほうが、今の時代はサバイバル確率が上がるだろう、と考えているというほうが近い。

ネットの良い面ばかりを言う」とよく批判を受けるが、「ネットは良いものだ」と思っているから書いているなんて短絡的に考えないでほしい。「ネットは悪い、誰かがこの状況を何とかすべきだ」という思考回路を働かせて静観を決め込むよりも、良い面を見つめてでもネットの海に飛び込んで、能動的に何かをして、厳しい目にあったりもしながら強くなっていくほうが、特に若い世代は、中長期的にサバイバル確率が上がるだろう、そのほうがうんとよく生きることができるだろう、そう確信しているのである。

小飼弾氏がいいことを書いている

「優秀」であることの価値がここまで暴落し、そしてその暴落が今後も止まらないであろうことに、優秀な人々に対して憐れみを感ぜずにいられない。今や優秀な何かは、あっという魔にネットをかけめぐり、何千diggされ、何百はてブされて地球を一周するころにはコモディティになっているのだから。

それに代わって登場したのが、「強靭」の価値だ。強靭は一日や二日では身に付かない。しかしそれが身に付く過程で「優秀」もおまけについてくる。そこでは頭が良いことではなく、頭が強いことが決め手となるのだ。

そして、なんともありがたいことに、頭の強さは頭の良さほど素質の影響を受けない。頭の強さには、才能ではなく経験がずっと素直に反映される。しかし、経験が頭の強さに変わるには、その痛みを受け止めて感じ取らなければならないのだ。それを避ければ、経験もあなたを避ける。そして強さもあなたから逃げて行く。

本当にそうだと思うよ。

通りすがりの亀通りすがりの亀 2007/06/15 08:44 批判云々はレベルの違いではなく、単純に立場の違いだろうと思う今日この頃。

疑問符の手前疑問符の手前 2007/06/15 08:45 ニートに近い生活をしている20代前半の者です。
サバイブルという言葉の使い方そのものが気になります。
今回の投稿で幾度も使われていますが、
シリコンバレーにて何年も仕事をしていると
変化の質と速さが恐怖へと変化するのでしょうか。。?
面白さと楽しみを追求していれば、
サバイブルという言葉は出てこないと思うのです。
それとも、考え方が甘いのでしょうか>>?

通りすがり通りすがり 2007/06/15 23:29 感情そのままって低レベルなんでしょうか?
僕にとってはサバイバルよりずっとハイレベルで重要です。
でもそこまで言い切られるとなんかある意味感服しました。

通りすがり通りすがり 2007/06/16 04:50 サバイバル確率について一言。
前回の戦争のとき、戦時という新しい状況にOptimisticについていったほうが、サバイバル確率は高かった。道徳的倫理観で戦争反対すると牢獄行き。軍人や軍事産業似従事したほうが家族も含めてよい生活を手に入れる確率は高かった。
おっしゃるとおり、オプティミズムは意思です。
殺されそうなら相手を殺すという明るい楽天性があると、生命としては生き残る確率が高くなります。
人類は崇高な倫理観で生きていくと滅亡するのでしょうか?悩ましいです。

おたく星人おたく星人 2007/06/17 01:41 「原爆ができたぜ、イェーイ」
「これでジャップをいくらでも殺せるぜ、イェーイ。オプティミズム万歳」
「枯葉剤を持ってきたぜ。これでベトナム人を根絶やしにできる。戦争2.0だ」
「オプティミズムという意思さえあれば、大量破壊兵器がイラクにあろうとなかろうと大した問題じゃない。アメリカがサバイバルするためにはサダムを倒すんだ。戦争進化論だ」
オプティミズム万歳。サバイバル万歳。

takara727takara727 2007/06/17 08:50 サバイバルという言葉に,
倫理的に反感を感じている人がいるようですが,
ここで梅田さんは,
目標への道を生き抜くことを,
サバイバルと呼んでるのではないでしょうか?

平和な世界を作ることが目標なら,
サバイバルとは,
戦争を起こす人達に負けず,
その道を生き抜くことではないでしょうか?

bukiyou99bukiyou99 2007/06/19 08:14 ”ポジティブ”を低レベルってのはちょっとひどい言い方ですなー。
本能のままに”ポジティブに感情をそのまま発露する”ことは、
結果”サバイブ”することにつながることだと思います。
むしろ、サバイブするために、行動するって方が自分には順番が不自然な気がします。モチベーションが危機意識からくるのか、感情的な衝動からくるのかの認識の違いでしょうかね
自分は後者に捕らえていたところに誤解があったようです。

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