My Life Between Silicon Valley and Japan このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-06-24

[] 海外に住んでも母国語中心に生きること

シリコンバレーに移って約一年という若い友人と話をしていて、ウェブ進化グローバリゼーションの結果、海外に住んでいても「情報についてはネット」「食材などのリアルな物についてはグローバル物流」のこの十年の異常なまでの発展によって、「海外に住む」ことの敷居がおそろしく低くなっていることを感じた。海外にいても、望めば一日のうちのかなりの時間を母国語で過ごしながら生きていくことが容易になったのだ。これは日本に住むアメリカ人インドに住むフランス人・・・皆、同じではないかと思う。

たとえば、mixi上のベイエリアコミュニティの中には5,000人近い人がいる。育児コミュニティもあったりして、日本語助け合いながら育児をやっている。グルメ好きな日本人たちが集まり、こちらで美味いと評判の店を貸切にしてしまうようなこともけっこうあるという。

僕が初めて一年サンフランシスコに住んだのは1991年から92年のこと。15年前で、当時はネットがまだなかった。家で妻とはもちろん日本語で話すが、テレビで一日30分だけ日本ニュースを見るのが、日本情報との唯一の接点で、日本会社とのやり取りもFAXSkypeなどないから、高価な国際電話日本上司や同僚と話をするのはよほどのときだけだった。日本情報に飢え、日本語で誰かと話すことに飢えていた。

でも最近は、iChat日本実家とこちらの食卓で開き、西海岸の夕食と日本の朝食の時間のタイミングを合わせて、皆で「一緒に」食事する人もいるんだってね。テレビ会議ならぬテレビ食事だ。どこのどのシステムをどう使うのかは聞きそびれたが、日本テレビも全部リアルタイムネットで見られるようにして暮らしている若い日本人もけっこういるそうだ。また親や親戚がかなり頻繁に、グローバル宅配便日本でしか手に入りにくい食材やら(ときには漫画やらビデオやら・・・)を送ってくれるという例も多いらしい。いろいろな意味でのチープ革命恩恵で、日本に近い環境が海外にも作りやすくなっているのだ。「修行」だとでも意識しないと、あえて日本語環境を断絶することはできないのだろうし、わざわざそんなことする必要ないじゃない、ともっと軽やかで自然に、皆、日本に住んでいたときに近い環境をまずセットアップするのだろうな。新しいPCを買ったときのように。

ウェブ人間論」で平野啓一郎さんがこんな問題提起をしていたのを思い出した。

平野 インターネットによってグローバリゼーションが進むとよく言われるけど、一面では逆に一人の人間のナショナリティは強化される方向に向かうのではないかと思ったことがあるんです。パリにいた時、向こうにいてもヤフーニュース動画とかネット版の新聞のおかげで、日本で今何が起こっているかというのを、リアルタイムで簡単に知ることができたんですね。でも何十年も昔に留学などでパリに行った人は、日本でだけ共有されてる体験から否応なく切断される分、フランス社会との同化のスピードが早かったんじゃないかという気がします。共同体の構成員って、神話であれ、歴史事実であれ、日々の事件であれ、出来事を共通の記憶として所有していることが一つの原初的な条件だったわけですけど、それが、テレビ電波と出版物とで国家単位にまで拡張された後に、とうとう国境を越えることになった。フランスにいても、僕の知っている日々の情報と、フランス人たちが知っている日々の情報との間には国境が引かれている。情報そのものは世界中から閲覧可能でも、それを読めるのは主に日本人ですから。その国境は、そのまま、僕と彼らとの間に引かれたものだという感覚を持ちました。

梅田 そうですね。僕などはアメリカに十二年住んでいますが、昔の人が日本から切断されて十二年生きたのに比べたら、アメリカ社会への同化の程度は低いと言えるでしょうね。(p32-33)

この先、話を僕が別の方向に転じてしまったので、この話はここまでで終わってしまった。対談というのはお互いが反射神経で言葉を発するので、話題がどんどん色々な方向に進む面白さもあるのだが、あとになってから、ああここではもっと相手の話を受けてその話を深化させたほうがよかったなと後悔するのだが、この部分などはそのひとつ。

グローバリゼーションが進むと英語の必要性が増すとよく言われるけど、逆に日本語だけ使えれば、どこにいても日本人助け合いながら、日本人とだけ付き合いながら何とか日本語だけで生きていけるという感覚が、これから強まっていくのかもしれませんね」とでも返答していたら、どう話は発展していただろう。そうふと思った。

ubsp1977ubsp1977 2007/06/24 17:34 インターネットが発達すればするほど母国語だけで海外生活ができてしまうことに関して,複雑な気持ちです.仕方なく海外で生活しているのならまだしも,目的を持って行っているとしたら,大きな機会損失を抱えることになると思います.ネットによって,新しい価値観が世界に広がることを期待していますが,何も変わらず帰って保守的な層を増やしているのなら残念です.
 
海外で仕事がしたいと思っているが,なかなか機会が得られない者にとっては,本当にもったいない気がします.

shinkaiakikazushinkaiakikazu 2007/06/24 21:33 ネットの発展だけでなく日本人が海外で活躍する機会が
多くなったことも起因していると思われる。

言葉の大切さ様
>言葉が空回りしている
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ぎもんぎもん 2007/06/26 09:13 それが集団分極化ということですかね。。。
梅田さんの活動で疑問なのは、シリコンバレーに拠点を置きながらも、情報収集はウェブでほとんどすませていると述べていることです(『フューチャリスト宣言』ほかによると)。シリコンバレーに拠点を置いているのであれば、もっと物理的にアクティブな活動をしたほうが得られる情報=メリットは大きいように思うのですが・・・。
クライアントの多くが日本企業ということを差し引いても、どこか日本にばかり向いているような気がしてしまうのは、こちらの誤解でしょうか?

通りすがり通りすがり 2007/06/26 21:30 アメリカと言ってもカルフォルニアとかニューヨークは別格のような気が。例えばテキサスの田舎な町では日本語だけで暮らして不可能な様な。で、多分あと10年してもやっぱり日本語で暮らしていく事は難しいと思う。
結局グローバリゼーションというかそこに住んでいる人の数が増えて来ただけの気がする。といっても日本人の母数が中国人とかに比べたら少ないので、グローバリゼーションがいくら進んでも世界の主要な都市なら日本語で暮らせるかもしれないが、テキサスの田舎町までには回ってこないと思う。

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