My Life Between Silicon Valley and Japan このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-07-30

[] 名人戦棋譜速報(月額500円)と「名局推薦」のすすめ

最近やっと少し時間ができたので、名人戦棋譜速報サイトに登録した(月額500円)。

http://www.meijinsen.jp/

名人戦棋譜速報」では、棋界の頂点を決する名人戦七番勝負はもとより、年間約600局にのぼる名人戦順位戦(A級〜C級2組)の全対局をほぼリアルタイムで速報しております。 個性的なプロ棋士たちの様子から、熱気あふれる対局室の雰囲気、最新の研究成果を盛り込んだ検討陣の解説、ネット上で観戦している会員や棋士から寄せられたメッセージを掲載する応援掲示板など、盛りだくさんの内容で将棋ファンの“知りたい”に応えます。 また、2003年5月からの名人戦七番勝負・名人戦順位戦の対局の棋譜をすべてお好きな時にご覧になれます。

というわけで内容はとても充実している。画面上で動くソフト棋譜を並べるのもいいが、棋譜コメント(解説)のテキストファイルもあるので、それをワードファイルに読み込んで印刷し、紙を片手に将棋盤で並べることもできていい。

若手棋士やアマ強豪の方々の将棋ブログで、ぜひ、順位戦名局の推薦をやってほしい。何せ全部の棋譜を並べるわけにはいかない。「この棋譜は並べて面白い名局だ! 」というのはA級〜C級2組まで、クラスに関わらずあるはず。

せっかく2003年からの棋譜が全部あるのだ。過去にさかのぼっての推薦も大歓迎。

「ドラッカーの遺言」「ドラッカーの遺言」 2007/07/30 23:21 梅田さんの前回の記事と併せて読むと、何か共通したものが見えてくるかもしれません:

絶えざるスキルアップを達成するために最も重要となるのは、自分の強みを把握することです。自分が何を得意とするのかを知り、磨きをかけていく―これこそ個人のイノベーションの要諦であり、成果を上げ続けていくための唯一の方法です。

知識社会において成果を上げる人間であり続けるためには、スキルを更新する教育を何度も何度も繰り返し受けることが必要となります。真の意味での「生涯教育」であり、つねに教育に立ち返るこの姿勢こそが、個人のイノベーションを促進してくれます。生涯にわたる継続的な学習が不可欠となった事実を受け入れ、つねに再教育を受ける心構えを持ち、それを自己責任であると認識すること―「いま何を捨て、何を選択し、自己を高めるために何を学ぶべきか」を絶えず問い続けなくてはならないこと―いま、すべての人が身をもって知るべき事実です。

日本の若い世代の人達には、20代から遅くとも30代前半のうちに、少なくとも2〜3年は日本を離れて、他国で働く経験を積むことをお勧めしたいと思います。情報が高度に専門化し、ごく限られた領域だけを守備範囲とするスペシャリストが増えている世の中で、日本人は若者を他分野にまたがる知識や技術を持ったゼネラリストに育てる術に長けています。

それにもかかわらず、私が接してきた日本人の中には、視野が狭く、「世界について十分な知識が備わっていない」と感じさせる人が多数存在しました。海外経験の少なさがその原因です。学ぶべき課題は日本の外にいてこそ得られます。ぜひとも国外に出て行って、視野を大いに広げて欲しい。知識社会が招来する新しい時代においても、日本が世界のメインパワーであり続けるための原動力になってほしいと願っています。

「ドラッカーの遺言」(講談社)より

アイリッシュアイリッシュ 2007/08/01 02:55 Umedamochioさんこんいちは。
今回の記事、一将棋ファンとしては感激です。
棋譜を印刷して、盤に並べて楽しむとは通ですね。
お勧めの順位戦棋譜は1968年A級順位戦大山−升田戦です。観戦記も名作でした。190手と長手数ですが、押したり引いたりの中盤が長くて、将棋の醍醐味を堪能できます。
棋譜サイトでは棋譜でーたべーす(http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?page=FrontPage)がお勧めです。明治時代の棋譜から将棋まつりの非公式お寄付まで何でもあります。

アイリッシュアイリッシュ 2007/08/01 03:01 すいません、何度も。先ほどのコメント誤字ありました。
「明治時代の棋譜から将棋まつりの非公式お寄付まで何でもあります。」(誤)
明治時代の棋譜から将棋まつりの非公式の棋譜まで何でもあります。(正)
です、すいません。

かまくらかまくら 2007/08/01 05:08 現在の日本人に必要なのは、もはや自己の所属組織には期待できない、人間教育を自分自身に実施することです。海外経験は必須ではないと思います。とにかく、競争が激烈に厳しくなって、日本のほぼ全ての組織は、社員に一番大切な人間教育をせず、仕事の知識、技術のみ覚えさせて、早く早く結果のみを求めます。しかし、仕事の知識がそれなりにあっても、人間がしっかりしていないと、実は良い仕事はできません。その真実を、組織の経営者は一刻も早く気づき、対応策を実施して欲しいです。

gomisegomise 2007/08/01 05:22 初のコメントから失礼とは思いましたが、最近、将棋の専門的な投稿が多いですが、将棋が余程好きな方にしか意味が通じないのではないでしょうか? Umedaブログには、「ウェブ進化論」的なもの、貴ブログタイトルの「日米ネット文化論的」なものに期待して見に来るファンが多いのでは。(私もその一人ですが。余計なお世話でした!)

higekuma3higekuma3 2007/08/01 12:49 棋譜ですか。すごいですね。
確かに、すべてのplacementが記録可能ですからね。
その譜面が、時間軸を持って記録されるとすると、その手が、置かれる間に、名人が、どの手の可能性を思い浮かべたのか、ってのとか、どういう思考があったか、を想像したり、論理的に順を追って解説するってのも、できそうですな。

将棋とか、碁は、まったく興味ないですが、深い。

独特の記録手法が確率されていると、文化的には、継承されますね。

このエントリで、浮かんだのが、Tab譜です。

Tab譜が、あると、音楽の素養のない人でも、通常の楽譜が読めなくても、ギターのプロ級になれるのです。うちのギターがそうです。 でも、Tab譜が、読めるなら、普通の楽譜も読めるはずなんですけど。 不思議です。

かまくらかまくら 2007/08/01 13:28 私も実は将棋大好き人間です。一応町道場の三段あります。新聞の将棋欄は毎日欠かさず見ています。20代から30代前半の若い頃は、将棋が趣味(の1つ?)であることを、なかなか女の子には言いづらかったですが...(笑)。けれど、この年(40代)になってみると、いい趣味を持ったなー、と思います。伝統ある日本文化ですからね。若い方、ヘタの横好きで全然かまわないので、今からでも、将棋でも囲碁でも始めるとよいですヨ。

名人戦棋譜情報サイトも大変興味がありますが、他にもやりたいことがいろいろありすぎて...

逗子の逗子の 2007/08/04 20:29 「かまくら」さんのコメントに同調する形で前回の記事のコメントをさせていただきたいと思います。
梅田さんが、原文のなかで
「将棋の羽生善治三冠が「ネット世界とは学習の高速道路なのだ」というネット観を示したことについては本欄でも議論してきた。
最近の私の深い危惧は、このまま十年が経過すると、ありとあらゆる分野の「学習の高速道路」が英語圏にのみ敷設され、
英語圏に生まれ育つことの優位性が今以上に増幅されてしまうのではないかということだ。」
と書かれている部分について、このような「学習の高速道路」は、日本語圏にもそれなりに敷設されるでしょう。
ただ、もっと深く危惧しなければならないのは、「人間としての成長の高速道路」が同時に日本語圏に敷設されるかということのように
思います。英語圏には、「学習の高速道路」によって技術を身につけた人間の心の成長を支える精神的なバックグランドがあるように思います。
日本のような世間さまを相手にした全体主義ではなく、キリスト教にもとずく個人主義があり、個人のなかに、子供のときから行動規範が、
刷り込まれるのです。

マユキマユキ 2007/08/10 21:58 まともに話した事もない上司から部署社員全員に向けてのメールがあり、貴方の「ウェブ進化論」の推薦を受け拝読しました。パソコンを利用はしますが、それ以上の興味を持たない私でも楽しめる内容でした。また、非常に聡明な方なのだと推察しました。題目と無関係の話をさせていただこうとしているので恐縮ですが、ブログにコメントを書き込んだ経験がないので、勝手が判りません。個人的な相談を持ちかけるにはどうするべきだったのでしょうか。。

JICAの青年海外協力隊で2年間発展途上国とされる国でなんらかの役目を果たすことと、ユニセフで毎月1万円の募金を続けるのとでは、どちらが援助の必要な国にとって、望ましい結果をもたらすのでしょうか?それとも、そもそも援助する必要などないと考えますか?

企業では、社員を教育しその社員から利益をあげられるのは3年目以降なので、その前に辞められると困るのだと、現在勤務している会社の人事課長に言われた事があります。JICAでの派遣が2年間では不十分なのでしょうか?また、JICAの派遣システムでは毎月必要最低限の賃金を与えられ、かつ帰国後の生活を保障するため、2年間でおよそ360万円程度を与えられるという事でした。この賃金はどこから発生しているのでしょうか?また、ユニセフに募金したところで、広告費に使われて終わっているのではないかとも思われますし、募金には不信感がつきまといます。現地にいない私達には、ボルヴィックがマリ共和国で井戸を作ったということさえ信じ難いのです。

唐突で申し訳ありませんが、返答をいただけますと、光栄です。

かまくらかまくら 2007/08/11 01:12 「マユキ」さんへ。あなたは、青年海外協力隊に入り2年間、途上国で一体具体的に何をやりたいのでしょう?具体的に何に貢献できるのですか?そこを、既にきちんと考えていますか?JICAからの給与は日本国民の税金から出ているはずです。JICA所属で、あなた一人のために膨大な血税が使われます。よく考えて下さい。それに、途上国では、今でも疫病にかかる可能性が十分あります。私の知人も協力隊員としてアフリカに派遣され、マラリアに何度も罹り、死にかけました。自分の家族の事も考えて下さい。あなたの身体はあなただけのものではありません。
現在の所属会社の事より、家族の事の方がはるかに重要です。わかりますよね、このくらい。既に社会人なんだから。

MakiMaki 2007/08/11 20:54 米IBMは、海外日本のエレクトロニクスに関して、漸次的な”カイゼン”ではなくして、もっと”大きな変革”が必要となってきている、といったレポートを公開しているようです。なぜならば、日本国内の変化よりも、海外の経済成長率のほうが劇的な成長率(400%)で拡大しているため、実は、日本企業はその国際的なポジション(シェア)を毎日に消失していることになる、と説明しています。また、大前研一氏も、これからの日本市場は、よくて横ばい、大半は縮小傾向にある、というのが大方のエコノミストの予測。国内市場が停滞する以上、企業にとっては国際化・グローバル化は不可欠の課題となると指摘しています。IBMによれば施策は5つあるという。そういえば、大前研一氏も、日本のグローバル化について、大切なポイントは「スキル」、そして、「ずば抜けたコミュニケーション能力」が大切になってくると・・・・何か、共通点がある・・・?!

*URL: http://primetime.jp/news/story.php?title=%E7%B1%B3IBM%E3%80%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%AF%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E5%A4%89%E9%9D%A9%E3%81%8C%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B

2007-07-24

[] 英語圏の「独走」を許す「パブリックな意識」の差

フォーサイト誌6月号「シリコンバレーからの手紙」(130)に書いた「英語圏の「独走」を許す「パブリックな意識」の差」

http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u130.html

が、ネット上にアップされました。

・・・・・・・

最近私が痛切に感ずるのは、特に英語圏ネット空間が「パブリックな意識」にドライブされて進化していることである。むろんネット空間は言語圏を問わず玉石混淆の世界なので何から何まですべて良いということはあり得ない。しかし英語圏では、大学図書館博物館学者コミュニティなど、知の最高峰に位置する人々や組織が「人類公共財産たる知を広く誰にも利用可能にすることは善なのだ」という「パブリックな意識」を色濃く持ち、そこにネットの真の可能性を見出しているように思えるのだ。その感覚が日本語圏のネット空間には薄い。

・・・・・・・

最近の私の深い危惧は、このまま十年が経過すると、ありとあらゆる分野の「学習高速道路」が英語圏にのみ敷設され、英語圏に生まれ育つことの優位性が今以上に増幅されてしまうのではないかということだ。

・・・・・・・

全文は、新潮社フォーサイト」誌サイトでお読みください。

MEME 2007/07/24 18:21 「英語圏の「独走」を許す「パブリックな意識」の差」拝見しました。
「日本語圏に生きる私たち一人ひとりが、日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていく決意」とありますが、日本語を話す人口の差もあり、英語圏並みに意識が高まっても難しいのかなという気がします。
むしろ、英語圏の豊穣さを日本語圏に取り入れるよう言語の壁をなくす方向で、「はてな」がブレークスルーしてくれることを切に希望します。

自己規律と公共自己規律と公共 2007/07/25 00:59 私も梅田さんと全く同じ事を考えていました。一言で言うと、「もったいないなぁ」と。意識的にか無意識的にか、日本人はネットを、言うなれば、歩いていて襲われても仕方ない「暗い夜道」、ないし、アンダーグラウンドなせ界として使うことを今のところは選択したと思います。
そこでは、どんなことも好き勝手に言える「自由」はありますが、「規律」や「公共」という要素はほとんどありません。そして、知の最高峰に属する人達は、むしろネットとの距離を強め、以前にもまして、専門家の世界に閉じこもり、アメリカのように講義を公開するといった動きはほとんど見られません。

私はネットに一つの夢を見ていました。それは、ネットを通じて最高峰の知性に誰もが低コストで触れる事ができ、自らを高めていく事ができる、そんな世界でした。文章よりも人の話というのは、敷居が高くなく、また、誤解される可能性も小さくなります。例えば、歴史に興味を持っている人が、一流の学者の講義に無償で触れることができ、自らの世界を広めることができる。そして、聴講者の側からも真摯なフィードバックがあり、時には、専門家の側が目を開かされることもある。そんな、知のアリーナ(空間)、対話のアリーナがネットにできる可能性があると私は思っていました。現に、英語圏ではそういう世界ができつつあります。

それに対して、日本では、使い方によっては多くの人に成長の機会を極めて低コストでもたらせるネットという壮大な知的装置を、ネガティブな空間として使う事を今のところは選択してしまったように見えます。日本人の行動規範は自らの内にあるのではなく、「人から見られているかどうか」、「周囲からどう見られるか」で決まるということが社会心理学の世界で知られています。自らの中に行動規範がある訳ではない日本人の負の側面をネットは引き出し、ネットはリアルとは全く異質の空間になり、両者は英語圏と異なり、分断されている側面が非常に強いままです。

ドラッカーは経営者に何よりも必要なものは「真摯さ」であると言いました。梅田さん、(大ざっぱかもしれませんが)私は昔、師事していた先生からこんなことを言われました。「言葉の根底に“I love you”(好きです)か“I hate you”(あなたが嫌いだ)というメッセージが大抵の言葉にはこもっている。人と人を繋ぐ言葉は、たとえ批判であっても“I love you”がこもった言葉だ。人を批判する時にもI love youをこめないといかん」と。私は、人を批判するのは自由だと思います。ただ、そこに「真摯さ」や「善意」がこもっていない限り、人と人との関係は希薄になっていくばかりだと思うのです。

現実社会で個人名で活躍するかなりの友人が「自分についてネットで書かれたことは読まない」と言います。心無い言葉が飛び交うネットをいちいち気にしてはいられないということでしょう。私が非常に残念に思うのは、負のエネルギーに突き動かされた言葉がネット空間に飛び交うことで、メッセージの受け手が、逆にそれらのメッセージを一括りにしてまとめて流してしまうようになることです。

講義の無償公開に関しても、特にメッセージの発信者には利益がないにもかかわらず、内容に関して嫌がらせや心無い批判が飛び交うといった負のフィードバックが予想される空間では、なかなかそういった動きは進まないと思います。

ネットをうまく利用することで経済成長率を高めることができれば、国民全体に利益があります。ただそのためには、ネットを公共のものとして使っていく覚悟、自己規律ができるかどうかということが強く問われると思うのです。日本のネットはどう進んでいくのか注意深く見守っていきたいと思います。

agorasystemagorasystem 2007/07/25 01:51 梅田望夫様へ。初めてコメントの投稿をさせて頂きます。梅田氏の「ウェブ進化論」は拝見させて頂き、衝撃を受け、数年ぶりに書籍から稲妻が走りました。そして、ネット上でのインタビューも数点読ませて頂き、感動を覚えております。この場をお借りして心から感謝いたします。現在、私はネットとリアルの融合プロジェクトを進めております。世界の人々が心の底から喜ぶプロジェクトだと確信しております。梅田さんの仰る通りのシンクロが起きておりビックリの連続です。「パブリックな意識」を色濃く持つ事もシンクロしており、そこで是非一度梅田さんにお会いさせて頂きたいと思っております。宜しくお願い申し上げます。プロジェクトの内容は徐々に自分のブログでも発表していきたいと思っております。
■世界が待ち望む夢のプロジェクト進行中!⇒http://sjin.blog69.fc2.com/ 突然のコメント失礼いたしましたm(__)m。神新二

mumu 2007/07/25 02:08 時折非常に長いコメントを見かけますが、トラックバックしてご自分のブログに書いたほうがよいのではないでしょうか?
コメント欄の長文は見づらいですし、あまりセンスがないです。

くまちんくまちん 2007/07/25 02:29 昨日コンサート会場でトラブルが起きてましたが、明確なルールを越えた「私の考える快適さ」や「私の正義」を、管理権限のない人が押し付けようとすると、トラブルになります。ルールを越えた部分に関しては管理人が判断すべきですし、管理人の判断に任せるべきでしょう。

mumu 2007/07/25 03:33 押し付けてはいないですよ。わたしがどうこうできることでもないし。
ただ、blogの基本機能も活用しない人がwebの未来がどうのという点が滑稽に感じ意見したまでの話です。

buonomaldinibuonomaldini 2007/07/25 05:49 かなりショックを受けました。 いろいろな言い訳をしている場合ではなく英語を勉強しなくてはいけない時期が来てしまったという感じがします。 英語が完全に必須になるのは僕らの子供の世代だと思っていましたが、待ったなしですね。 「世界のどこにいてもネットに繋がりさえすれば」の範囲が飛躍的に広がりましたね。 僕は英語がよくわからないですが、ガラっと態度を改める必要がありそうです。

golgo139golgo139 2007/07/25 09:02 英語圏の優位性についてはまったく同感ですが、それは既にとっくの昔から大学の教科書レベルでも起こっていることだと思います。英語の大学の教科書や専門書は教養課程のものでも歴然と厚さが違います。電話帳ほどもある英語のテキストを勉強している欧米の学生と、普通の単行本程度の教科書で勉強している日本の学生では、当然レベルが違うと思います。理系の日本語の教科書で立派なものは殆ど翻訳です。日本の大学の先生でもちゃんとした専門書を書かれる先生は英語で書いています。英語の教科書なら世界中で販売出来ますが、日本語の教科書は日本でしか売れません。こんなニッチな領域でも英語と日本語の格差というのは愕然とするくらい既にあります。だから、これ以上悪くならない、という全く救いようのない楽天的な考え方もできるかもしれません。

higekuma3higekuma3 2007/07/25 09:03 ソフトウエアの仕事をしている人は、もっと前に気づいていることなのですが、どういう順番で、ソフトウエアが出来上がっているか。言語サポートの順番と同じことで。今に、始まったことでは、ないのですが。

eigokuneigokun 2007/07/25 16:43 これはもはや、英語の第二言語化をするしかないですよ。英語を生活に導入すると日本の文化が損なわれるなんて言う輩がいますが、中国が台頭して中国の傀儡になってしまったら中国語を押し付けられる可能性もありますし、言ってる場合じゃないですよ!日本の国力を維持するには英語の導入が不可欠です!

MEME 2007/07/25 19:25 コメント追加いたします。
まずはどこに情報があるか知ることが重要ですので、英語のサイトを翻訳したものを日本語で検索できるようなシステムがあると日本語圏に住む者にとって世界が非常に広がると思います。
英語の第二言語化(小学1年からネイティブによる英語教育みたいなものか)も大切ですし、中国語もついでに第二言語化したら良いと思います。
日本人は中国語を学ぶのに漢字を知っているというかなりのアドバンテージがあると思いますし、戦前の知識人にとって漢学は基本だったわけで、英語と中国語の両方を強化することで日本人の国際競争力は確実に上がるでしょう。
アメリカか?中国か?みたいな二者択一こそが、日本人的思考だと思います。
小国日本には全方位外交が良いと思います。

SOKUNOSOKUNO 2007/07/25 21:34 個人的にどうして英語圏にはそういうカルチャーがあるのかっていうほうに興味を持ちました。ある種のソーシャルキャピタルのなせる技でしょうか?梅田さんの意見を知りたいです。

ysnicoleysnicole 2007/07/26 08:08 知の最高峰に位置するのは人ではないと思いますが?
言いたい放題も結構かと存じますが、マイクロチップを
埋め込まれるような世の中を恐ろしいと感じる小心さも
大切にされていかないとならないのでは無いでしょうか?
多種多様な人々や文化やらが混在している訳ですから、
お互いに思いやりを持って仲良く歩いていかれますよう。
日本人を卑下することも外国人を評価することも非常に
難しい世の中であるのではないでしょうか?土地の狭い
日本にはそれなりの古き良き時代の強みも弱さもあるのではないでしょうか?やたら横文字を使用されていますが
意味の取り違えや誤解も偏見の元ですし日本人的思想という一纏めにされるのが耐え難い事件や事故もある訳ですから。

PrimeTimePrimeTime 2007/07/26 09:28 そろそろ、日本のマーケティングを見直してみたい・・・・・ http://www.primetime.jp/news/

通りすがり通りすがり 2007/07/26 18:33 梅田さんの嘆きには同感するが、日本への認識は少し違う。領域を情報技術に限ると、日本の知的最高峰そのものが低いことが問題で、英語で公開する以前に公開するべきものがない。何も怠慢で公開していないのではない。

akak 2007/07/27 01:29 英語圏にはキリスト教的文化の土壌がありますから。単純に日本語圏とは比較にならないと思います。

atskan2atskan2 2007/07/27 07:11 情報技術に関しては、もともとのコンピュータ・プログラミング自体が英語的なプログラミング言語で行われていることにも問題はあるでしょう。

golgo139golgo139 2007/07/27 11:38 そもそも、学術書って儲からないし、論文だって出版するのにも、リプリントだ、なんだと投稿する側も費用かかるんですよね。それにかかる手間とコスト考えると、ネットで公開する方がよっぽど安上がりのはずです。ストリーミングはまだ結構費用かかるかもしれませんが。どうせ、梅田さんの本みたいにベストセラーになって儲かる訳じゃないから、安く上がるし、これで良いじゃん、というのもあるでしょう。世界的に有名なある教科書の邦訳からアメリカの大学の教授が受け取った印税は5000円だった、という悲惨な話を聞いたことがあります。5000円相当の小切手と一緒に入っていたのは、日本語の領収書だけだったそうです。手間もかけられないんでしょう、5000円では。苦労してそんな儲からない本を書くくらいなら、ネットで公開してしまえ、というのが、「パブリックな意識」のプライベートな本音でしょう。

かまくらかまくら 2007/07/27 14:27 英語より、まず、日本語の読み書きがきちんとできるようになることがよっぽど重要です。このことがまともにできる人は実は結構少ないです。

A 2007/07/27 17:54 英語の優位性は仕方のないことだと思います。また、時間が経過すれば、日本でも「パブリックな意識」は、多少の日本的偏向を含みつつある程度は育つと思います。日本人の「パブリックな意識」の欠如は、逆に部品として役立つ人間が育つかもしれません。また、世界に遅れをとることで、ガラパゴス諸島的な特有文化を持つかもしれません。

mania552mania552 2007/07/27 20:47 僕は高校生です、英語第二言語化に賛成です。これからのグローバリゼーション時代、日本が国際社会の中で生き残るには、英語で主張することと、独自の全方位外交だと思います。これからは、個人が情報を発信できる時代です。英語ができれば、世界はひろがります。

higekuma3higekuma3 2007/07/27 23:27 「バブリック」というより「せこくなさ」ですね。

かまくらかまくら 2007/07/28 01:48 英語第二言語化は全く必要ないです。というか、現在、壊滅しかかっている日本社会の壊滅速度を増進させます。英語を勉強しても、日本語で考えた伝えるべき内容を持たなければ全く意味がないではないですか。これをする人、できる人はこれからも一部のエリートで十分です。語学の才能がない人が英語にこだわると、日本語英語両方中途半端な人間になります。

atskan2atskan2 2007/07/28 20:18 日本にも着々と知の高速道路はできつつあると思います。ブログもたくさんありますし。上辺にどれだけ人が居るかは関係なく下地はできつつある(できてきている・できている)と思いますよ。

atskan2atskan2 2007/07/28 21:15 日本には良いソフトもたくさんありますし、あとは何か英語圏との噛み合いがあればうまくいくと思うんですけどね。独自のインターネット圏も構築できているし。英語圏には負けても独自のものを着々と生み出している様子はさすが日本、と言う感じだと思いますけど。

MEME 2007/07/28 23:36 英語圏の方がレベルが高いのは認めざるを得ないでしょう。
裾のが広いこともあるし、いろいろな文化を背景にした人たちが互いに刺激し合っていることも背景にあるでしょう。
だから、この英語圏の豊穣さが基本的に日本語圏にしか住んでいない人たちにも及ぶような仕組みが必要だと思います。
それで、漢字からひらがなをつくったり、オランダ料理から天麩羅ができたり、あんパンやすき焼きができた明治期のような新しい日本語圏の進化が見られればいいなと思います。
(英語がネイティブ並な人にはどーでもいい話かもしれないけど)

culture2culture2 2007/07/30 07:48 英語圏の方がすべて優れているというような意見がありますが、日本語圏でしかない優れた産業もあります。少しズレますが、ゲーム、漫画といったものです。他にもあります。一つの世界に集中しすぎて視野が狭くなっているような気がする。英語圏の人口が圧倒的に多いのに、ゲーム業界では、日本がリードしています。

higekuma3higekuma3 2007/07/30 07:59 むむ。産業のことを言っているのではなく、
ナレッジプラットフォームが、英語圏に、よりシフトしていっているという議論です。「知識の輪」が、どこにできているのかという話だったはずですが。ゲームとか漫画のコンテンツ制作が、日本語のプラットフォームで、英語圏の人が、その知識の輪に参加したいので、日本後を、必死で、学んでるという話は、聞いたことが、ありませんが。どこかで、話題になってますか?

culture2culture2 2007/07/30 08:18 日本の文化(ゲーム、漫画、アニメ)をもっと知りたいと思って日本語を勉強している人は世界中にいますよ。TVで特集されていましたし、Youtubeに行けば、日本のコンテンツ(Naruto,DragonBall)の扱われ方が分かります。外国に行けば日本の良さがかえって日本にいるより、分かります。ナレッジプラットフォームというのは、シリコンバレーで育ったパソコン、ソフト、ネットのことですよね。英語が共通語として世界中の人によりこの分野が開発されているという意味だと思います。将棋の世界でも英語で議論されているのかということだと思います。

higekuma3higekuma3 2007/07/30 13:09 質問と回答がずれてます。

ipstrategyipstrategy 2007/07/31 19:08 フォーサイトの記事を拝見しました。
おっしゃるように、ネット上での英語圏の席捲はものすごいものがありますね。
その原因として、梅田さんの記事の表題にあるとおり「パブリックな意識」の差もさることながら、記事中ほどの「プラットフォームの力」というものの威力を感じます。
日本語圏の巻き返しとしては、何かブレイクスルーになるような「プラットフォーム」が欲しいところですね

トナカイくんトナカイくん 2007/08/01 18:35 最近痛切に感じていること。その一つが「英語を勉強しなおさなくては」という焦りです。受験生時代に培った試験対策用の「英語力」ですが、その土台自体が15年以上の時間で風化状態です。
メディア(媒体)に拠っていては仕事や生活の分野で主体性が保てません。媒体の向こうにある原典や生の情報に触れることでのみ「日本的なもの」への埋没からわが身を救うのだと感じています。現状のメディアは日本人の目を覆い隠し、見えないものを見る力をそいでしまうとの危機意識が私にはあります。
日本語しか目にしない状態では圧倒的力を持つ既存大手メディアの影響圏から脱出できません。言語は何でもかまいませんが「とりあえず」の英語力は必要となるでしょう。
梅田さんの言説にはなるほどと思わされました。英語圏の優位性が世界を席巻してしまう状況への対抗策は必要でしょう。ただ、いまここにいる生身の人間が既存の日本語メディアに抗う方法論としての英語力はつけたい。梅田さんと私の意見を弁証法的に昇華させると、中国語やロシヤ語などの非英語の外国語を日本人は本格的に習得する必要がありそうです。

higekuma3higekuma3 2007/08/02 13:39 に加えて、「英語圏に行きさえすれば、英語コミュニケーションが自然についてくる」という甘い、認識かな。

ysnicoleysnicole 2007/08/08 21:22 日本語が世界共通語になれば深遠なコミュニケーションが可能か不可能かありえない話ですが。英語圏にはない皆様の良い習慣の一つである言語と意味が世界中に広まれば良いですね。事例→いただきまーす。ご馳走さまでしたー。
アメリカには無い言語ですから。共通の自然の恩恵に対し込められた日本語も教え愛ができれば競争だけでなく共存共栄していけるのではないでしょうか。一つの認識から。

aa 2007/08/26 15:30 技術的な問題に限って言うなら、情報の多さは教育上よい影響をもたらすとは必ずしも言えないと思う。むしろ目先の流行を追うだけのミーハーか、理論の裏打ちを持たない経験主義者を量産する可能性が高い(今の日本のように)。どうなっているのか、なぜそうなるのか、なぜそうすべきなのか、なぜ他の方法ではだめなのか、常に考える習慣を身に着けるまでは多すぎる情報はむしろ有害であるし、またそういう習慣があっても、時折立ち止まって情報を遮断し考えをまとめる時間は必要だ。その上で情報が必要なら大学図書館にでも行けばよく、英語の情報が必要なら単に英語を学べばよいだけの話のような気がする。重要なのは情報より学ぶ姿勢で、これはいくら文書を読んでも自分で考えない限り身につかないと思う。

2007-07-19

[] これは素晴らしい名講演だった

井上靖「利休の遺したもの」を聴いた。

気力充実の素晴らしい名講演だった。これまで聴いた講演の中でベストに近い。

話の内容から察するに「本覚坊遺文」完成を間近に行われたようだ。改めて「本覚坊遺文」を読んでみよう。長い年月をかけての大作の完成を直前にした高揚感が感じられる。これはお勧め

利休の遺したもの [新潮CD] (新潮CD 講演)

利休の遺したもの [新潮CD] (新潮CD 講演)

本覚坊遺文 (講談社文庫)

本覚坊遺文 (講談社文庫)

知的生活知的生活 2007/07/19 01:41 梅田さんの知的生活の充実ぶりは本当に素晴らしいですね。今から10年くらい前までは日本の財界人にも本当に志が高く、深い教養を身に付けた立派な人が沢山いました。根本二郎先生はその代表格ですが、「善く生きる」とか「矜持(誇り)」といったものをもう一度日本の指導者は取り戻していく必要があると思います。今の日本の財界人は即物的というか、やや小粒になっている印象を受けます。こういうことが心の奥底にあって、自然と出てくる、実務能力のみならず高い志と深い思想性を持ったリーダーが出てくることを心から願います。
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岡義武先生の「近代日本政治思想史」というゼミでは、リーダーとは何かという指導者論を議論した。その時は、教授と学生との間に親密な関係があり、スキンシップがあった。

岡先生はまず、研究者は教育者でなければならないということを強調された。単に研究者として優れているだけでなく、学生の人格をつくりあげる教育が一番大事であると。また実際、会社に入ってから、経営者は教育者でなければならないということを強く感じてきた。つまり、人間尊重のヒューマニズムが大事であり、本質的には愛の問題ですね。

それから物事を見る時は、複眼的な発想が必要であることが語られた。一方的な単眼ではなく、総合的な視野から全体を見る目を養うことが重要であるということ。また、非常に厳しいかもしれないが、価値判断を排撃して、事実を語らしめる実証主義の必要性。すなわち、物事の真実は現場にあるのであって、経営者も現場を一番大事にしなければならない。そのようなことが論じられ、先生の教えは今日まで非常に役に立ってきていると思う。
http://www.t-shinpo.com/709/1.html

かまくらかまくら 2007/07/20 14:33 知的生活と言えば、最近出版された 「学問の扉 東京大学は挑戦する」 講談社刊 は出色ですね。総長の小宮山さん、さすがですね。非常に面白いです。様々な学問分野の魅力に本当に目を見開かせられます。

ちょめたろうちょめたろう 2007/07/21 01:04 これまで財界での知識人、論客に三菱出身の人が比較的多いと感じるのですが。根本二郎さんも日本郵船出身ですよね。理由を私なりに考えました。三菱ブランドは日本を代表する企業ブランド、いや、企業グループブランドです。海外に圧倒的な信用度があると思います。ですから、三菱グループは商売が楽で、従って、社員も楽ができます。楽ができると精神的な余裕ができ、所属企業だけでなく、世の中のことに目が向けることができ、世の中をいかに良くすべきか、という考えを持てる人が出てきます。
このコメントを読んだ若い人が就職で三菱に応募が殺到するかどうか...(笑)

2007-07-09

[] GoogleがPostiniを$625milで買収

Google to Acquire Postini

Google Inc. (NASDAQ: GOOG) announced that it has signed a definitive agreement to acquire Postini, a global leader in on-demand communications security and compliance solutions serving more than 35,000 businesses and 10 million users worldwide. Postini's services -- which include message security, archiving, encryption, and policy enforcement -- can be used to protect a company's email, instant messaging, and other web-based communications. Under the terms of the agreement, Google will acquire Postini for $625 million in cash, subject to working capital and other adjustments, and Postini will become a wholly-owned subsidiary of Google.

Postiniはパシフィカファンドの投資先の一つ。

パシフィカファンドを共同創業して今月末で丸七年。

いい勝負を続けている投資先もPostini以外にもかなりあるので、まだまだパシフィカファンドのゴールは遠いが(「シリコンバレー精神文庫のための長いあとがき)、ようやく一つ答えが出せた。Postiniが創業以来たいへんな苦労をし続けてここまで来たのを間近で見てきただけに感慨深い。

先見の明先見の明 2007/07/09 09:02 梅田さんの『先を読む力』が発揮された瞬間ですね。『先を読む力』は経営者には必須の重要な能力ですが、経営者に必要な能力と言えば、日本企業が最も好調だった頃に存在した『強い経営者』がしばし言っていたことをイビチャ・オシムが言っていて感銘を受けました。

日本企業が復活する中で、もう一度、こういうことが言える経営者が出てくることを心から願っています。(話題はサッカーについてですが、バブル崩壊後の日本経済に重ねても読めると思います)
https://netplus.nikkei.co.jp/nikkei/osim/osi070130.html

higekuma3higekuma3 2007/07/09 20:38 自分の関わったものが、育つと喜ばしいですね。
逆に、ダメになったら、悲しいですね。

会社員会社員 2007/07/09 22:07 本当に、そうですね。いくつもの、ビジネスにかかわった経験があるから、実感がこもってるんですね。

花田花田 2007/07/11 04:27 新しいサービスは、梅田さんのポジティブコンタクトが採用されているのだろうけど、はて? スパム対策はとれているのかな?? ピンポン・ダッシュって、聞いたことがありませんか? 子供が知らない家の呼び鈴を用もないのに押して逃げてしまう。なにやらメールまで届いてしまうわけですよね。ほめられているのか、けなされているのか、宣伝に利用されているのか、スターがついて、はてな? と、不快にならないといいですね。

はてなスターはてなスター 2007/07/11 04:49 経済学的見地からすると、この「はてなスター」は極めて興味深い試みだと思います。「評判メカニズム」を最もうまく活用しているのはヤフー・オークションであることはよく知られています。
例えば、1000近い評価者がいてそのうちの95%が高く評価している出品者はほぼ間違いなく優良な出品者です。100%に近いと思います。そして、さすがに1000近い評価は自作自演することは不可能なことも、ヤフー・オークションでの評価の信頼性を高めています。

梅田さんが今まで色々なところでご指摘になっていることとも重なりますが、ブログは基本的に商売にはなりません。99%のブロガーは、生活に大いにプラスになるような経済的利得はブログからは得られないと思います。
そうなると、おのずと、ブログを続ける動機、報酬というのは、目に見えない精神的な報酬の要素が大きくなります(感謝、名誉、・・・)。
評判メカニズムをうまく活用できると、ブログを悪意を発露させる場から、人々の繋がりを作る場へと大きく変える可能性があります。今では、ヤフー・オークションはリアルとあまり変わらない信頼性を確保することに成功しました。この試みを興味深く見守っていきたいと思います。

MakotoMakoto 2007/07/12 07:59 梅田博士は意識して動かないFaith to Faith ではないNetWORK オンリーで全て処理しようと意識して生活されていると聞いています。で、お願いなんですがTrend女優さんとのNet対談連載とかしてくれるとうれしいです、正直硬すぎるような気が一般人にとって?! 何故直接触文献も含め、を止めるようになられて来たのか、その利点と意義について聞きたいです!私はどうしても最後は現場の癖が抜けないのですが!?

higekuma3higekuma3 2007/07/12 13:52 Flickrのサービスとか、so-netブログでは、かなり前から、やっていたことでは、ありますが、システマティックに、その連関が、たぐれるかが、気になります。表示系とか。

2007-07-06

[] 昭和十年の将棋観戦記

将棋名人戦は今年第66期であるが、第1期名人戦昭和10年6月の花田長太郎八段対金子金五郎八段戦から、昭和12年2月の木村義雄八段対花田長太郎八段戦まで、足掛け三年の歳月をかけた「八段特別リーグ戦」(9名の八段<土居、大崎、金、木見、花田、木村、金子、萩原、神田>の先後総当り、二日制・持ち時間各13時間)であった。それまでの「一人一世名人制」の最後の名人十三名人・関根金次郎が引退するとともに、一大事業として実力制名人制がスタート。第一期名人には、この「八段特別リーグ戦」の最高得点者・木村義雄がなった。ちなみにこのまま十四世が木村義雄。十五世が大山康晴、十六世が中原誠、十七世が谷川浩司で、このたび森内俊之が十八世名人となったわけである。

今日からこの「八段特別リーグ戦」の観戦記(「将棋名人戦全集」第一巻)を読みながら棋譜を並べている。シリコンバレーから昭和十年の日本タイムスリップしたような不思議な気分だ。とにかく異様なほどの興奮が当時の観戦記から伝わってくるのだ。

とにかく観戦記が長い。

新聞にどう掲載されたのかはよくわからないのだが、計算してみると一局あたり400字詰め原稿用紙で70枚(図面は別、文章だけで)に及ぶ。しかしこれだけ長いと、一つの将棋で何が起きたのかが、かなりよくわかる。第一譜冒頭はこう始まる。戦前の高らかに謳いあげる調子の文章だ。

棋道三百五十年の「一人一世名人制」を敢然打破し、八段リーグ戦により名人位を決定せんとする昭和棋界の最高峰を行く「歴史的の大棋戦」はどうして生れたか。

一、十三世現名人関根金次郎氏が欣然と後進に道を譲ったこと。

一、准名人八段が雲の如く輩出し、さながら紅紫絢爛棋界の黄金時代を現出したこと。

一、時の流れがかくさせたこと。

(中略)

この重大な意義をもつ八段リーグ戦棋譜を本社が独占する喜びを公表するや、この霹靂にも似た巨弾に忽ち日本全国一千万将棋ファンの心臓は押し潰され、感激と絶賛の嵐がごうごうと渦巻いたのだ。

ここでいう本社というのは毎日新聞社だと思う。「霹靂にも似た巨弾」に、ファンの「心臓は押し潰され、感激と絶賛の嵐がごうごうと渦巻いた」というのは、しかし凄い。その熱狂が、読み応えのある長い長い観戦記を生み出したのであろう。

とにかく面白い。二日制で持ち時間が各13時間なので、昭和十年の花田長太郎八段対金子金五郎八段戦は二日目の深夜から夜明けまで激闘が続く。

二日目午前一時をまわったところで凄いシーンが描かれる。

全く苦戦に陥った花田八段また身体を震はし興奮のあまり思はず「3三銀」と「2二金」の二つの駒を軽く指先きで触れる。キッとなった金子八段刃のような目を光らし「手をやるな」と裂帛(れっぱく)一声! 先輩花田八段を鋭く叱りつけたのだ、もう身体は自分のものでないほど、疲れ切り両手で辛うじて支へ対局を続けていながら、こと対局に関しては、生命をかけて真剣な態度だ。この気魄!

そして終局は、夜が白み始めた午前四時廿二分。

戦ひが終り気合抜けした金子八段は、盤面の傍に身体を横たへて、血走った目で終局の盤面を見つめている。勝利を得た花田八段また茫然自失、盤面から目を離さず膝を組み両手を胸にあてて黙して語らず吐く息だけが苦しさうだ。誰一人声を出すものがない、白兵戦に酔ってしまつたのだ。

夢中になれるもの夢中になれるもの 2007/07/05 20:07 梅田さん、好きになれるものがあるって良いですよね。何かを凄く好きで、生き生きと語れる大人が日本にはあまりいないと思います。生き生きしてて、楽しそうな大人が増えれば、日本はもっと良い国になれると思います。

かまくらかまくら 2007/07/06 05:56 7月1日放映のNHK杯戦を見ました。中田功七段 VS 阿久津主税六段 でした。中田七段の顔をアップで初めて見ました。何かすごい頭の良さそうな顔でした。頭が良いというよりは天才の顔ですね。大山十五世名人が弟子に採ったのがわかるような気がしました。今からでも勉強をちゃんとすれば、タイトルを取る可能性があるのではないでしょうか。期待したいです。

2007-07-04

[] ドノソ「夜のみだらな鳥」

よし今度は短編小説でなく長編にいこうと、力が湧いてはきたが、果たして最後までいけるだろうか。前から、まとまった時間が取れたら読もうと古書店で買い求めておいたドノソの「夜のみだらな鳥」。邪道かもしれないがラテンアメリカ文学はいつも解説(鼓直)から先に読む。あまりに遠い世界なので、手がかりになるものは何でも使って、しがみつこうと思うから。

ドノソがその作品のなかで繰り返し取り上げてきたのは、チリにおけるブルジョア階級の無残な頽落ぶりであり、その同じ閉ざされた社会の影の部分で主人の不潔な分身として蠢いている、召使という特殊な階層の女たちの生きざまである。(中略) それぞれが身内に深く秘めていて、ある出来事をきっかけに、たがいをへだてる階層の枠を越えて奔出するおどろおどろしいオブセッション、すなわち欲望や執念、妄執や怨念の具現者として内面から捉えられている。特権的な世界の崩壊をまざまざと予感することから生れる怯え。屈従的な身分を運命として従順に受け入れる一方で、それを激しく拒否しようとする意志。そしてそれに付け加えれば、不吉な死の影が容赦なく迫る老いの不安。幼く若い生命が宿している神秘な力へのあこがれ。いまある自分とは別の存在へ、という変身の願望。ドノソの作品に現れる人間たちは、ほとんど例外なしに、そうしたオブセッションに逃れるすべなく取り憑かれた者である。「夜のみだらな鳥」は、おおむね意識下にひそんでいる彼らの暗い情念がまさに怪鳥のごとく飛びかい鳴きわかす、闇の世界の完璧な表現だと言ってよい。

老人ムディートの独白によって形作られる「夜のみだらな鳥」は、ドノソが改稿四回、八年の歳月をかけて完成した代表作。まだ20ページほどだが期待感抜群。でも最後までいくエネルギーが持つかどうか・・・・

夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))

夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))

[] 今日短編(20) 小池昌代「タタド」(「新潮」07年6月号所収)

休暇は続く。今日7月4日アメリカはお休みあいかわらず本を読んでばかりいる。

「タタド」は同時代の短編小説の中では群を抜いて面白かった。

文芸誌に載っている多くの短編小説を読むとき、まず最初の一ページを読んで、さらに読みたいと思うかどうかで、全部読むかを決める。

この「タタド」は、大きな事件が起こるわけでもなく、ただ中年から初老にかけての四人の男と女の室内劇が最後まで続くだけなのだが、なぜか次へ次へとページを繰りたくなった。静謐な感じと緊張感とが混合された文章空間の背後にとても強い力を感じた。ちなみに最後まで読んでもなぜタイトルが「タタド」なのかわからない。それも不思議だったが、読み終わってみるとどうでもよくなった。

MEME 2007/07/04 18:42 お忙しい中、精力的に本を読まれているようで、敬服いたします。
遅まきながら「雪」読み終えました。
(ややおおげさですが)せっかく生まれてきたのだから、ギリシア哲学や中国の古典など、長い歴史を乗り越えてきた古典を読みたいなと思いつつ、忙しいことを理由になかなか読めません。
高校のころ愛読したシェークスピアも、あれからずいぶん人生を経てきた今読み返すと、きっと新しい発見があるだろうなと思います。
もう少し読書する時間を確保する必要を感じています。

2007-07-03

[] 人間の一局 均衡の美

7月3日朝日新聞朝刊の将棋特集面「棋士の格かけた戦い 将棋名人戦 第66期順位戦」で、ファン代表ということで僕のインタビューが掲載された。棋力からいえばファン代表などおこがましい限りなのだが、ときどきこの欄で将棋のことを書いている内容が記者の方の目にとまったらしく、それならと記者の方とやり取りを始めた。「将棋を指す(そして強くなる)人を増やす」だけを「将棋の普及」と考えるのではなく、他のプロスポーツと同じように「将棋を見て楽しむファン」「将棋を鑑賞するファン」という莫大な手付かずの潜在ファン層を掘り起こす努力将棋界はするべきだ、という僕の持論に記者の方が耳を傾けてくださったので、お引き受けした。

だから最初の質問も「自身のブログ(http://d.hatena.ne.jp/umedamochio)で将棋の話題をよく書いていますね」で始まり、「将棋の魅力を伝えるのにインターネット活用を訴えています」という最後の問いまで、インタビュー国際電話で一時間以上、そして補足のために対面で三十分行われ、その間、「将棋を指す」視点でなく「将棋を見る」という視点での話に終始した。

「鑑賞の楽しみとは何でしょう」という問いに僕はこう答え、

人間同士が作り出す一局の将棋にはそれぞれストーリーがあり、均衡の美がある。1手指すごとに均衡が崩れそうになりながら、美しい可能性空間が最後まで続くのが素晴らしい

インターネット活用についての最後の質問には、

新聞のようにスペースが限られたメディアと違い、インターネットはだれにでも開かれ、字数などの制約もない。新聞観戦記最高峰の戦いを紹介する一方で、どこにも掲載される見通しがない若手の人生をかけた一局をネット上で紹介するなど、それぞれの特色をいかした見せ方を望みたい。難解なプロの将棋をみせるには書き手の責任重要です。

こう答えた。見出しには「人間の一局 均衡の美」とついた。

紙面には掲載されなかったけれど、新聞社は、自社が主催する棋戦の大半の熱戦譜を捨ててしまう(世に出さない)ことで「(棋譜の)希少性をコントロールする」という発想から脱し、最低限、新聞掲載のない棋譜については、ネット上で誰もが自由に、その棋譜引用掲載しながら、その将棋について語ることを許すべきだと思う。それがファンの裾野を広げることになるし、結果として、タイトル戦など最高峰将棋の魅力を広く知らしめていく一助になると思う。

そういう自由が開かれれば、自らブログ書き順位戦などの詳細な自戦解説をする棋士も増えるだろうし、アマチュア将棋解説者などが多数出現するようなことも起こり、将棋の魅力(それぞれの棋士の魅力)とはいったい何なのかについての、多様な議論や理解がなされていくのではないか。そうなると、そうか、どれどれ、ところで最高峰って何がどう違うの、という興味につながっていくはずである。

難解なプロの将棋をみせるには書き手の責任重要

と言ったのは、本欄でもたびたび書いている「現代将棋の難解さ」を「将棋の強くないファン」に伝える文章の技術のことである。僕自身は最高峰将棋の最大の魅力は「均衡の美」だと思っている。世界観の違う二人の棋士が、一手指すごとに「局面の可能性空間」を変化させながらも、一気にどちらかに形勢が傾くということなく、緊張感溢れた美しい盤面が序盤から終盤まで連鎖していく。その均衡の連続を美と感ずる。でもまったく違う楽しみ方をする人たちもたくさんいるだろう。たとえば、そういう活性化された将棋言論が、日々生まれるたくさんの棋譜の周囲で生まれれば、いずれ競争原理も働き、現代最高峰将棋に対する現代最高峰観戦記将棋解説が、自然に生まれてくると思うのだ。

追記。インタビュー記事がネット上にアップされました。

http://www.asahi.com/shougi/meijin/66/interview.html

YutakaYutaka 2007/07/03 22:55 『野心的で崇高な思想』

ご自分のことを「ド・文系」とフューチャリスト宣言でおっしゃっていますが、広範な読書の幅に驚いております。私は文系に進んでしまった理系と自認しておりますが、読書の幅ははるかに及びません。

南カリフォルニアで日本企業の製造業において商品企画とマーケティングをしております。「ウェブ進化論」「フューチャリスト宣言」「ウェブ人間論」の読後の感想です。

グーグルの深い思想性の話でハタとひざを打ちました。よく日本の製造業は技術とコスト競争力は高いがブランドとマーケティングはないという指摘があります。実はないのは「深い思想」ではないかと。

これだけ製品やサービスが複雑化している今日、究極に高い目標を伴ったプロジェクトでなければ、世の中を変えるようなモノはできません。特に少しでも安く早く開発しようとしている企業では、尖ったプロジェクトも妥協が重なり小さく纏まりがちです。

グーグルやiPod、iPhone(アップルストアで触れてきましたが、技術的にはあまりみるものはありませんが、高いインターフェイスは素晴らしく、ウインドウズ3.1と当時のマックぐらいの使いやすさの差はあります)など世界を変える気概にあふれた製品は、「世界を変えたい」「あっと言わせたい」という強い思想なくして生まれ得ません。ひとりの芸術家の作品ならともかく、多くの人が関わるプロジェクトで「やってみたらいつの間にか世界を変えるものができた」というラッキーパンチは起こりません。

この意味でシリコンバレーにはなにかあります。せっかく遠くないところに住んでいますので一度空気を感じに訪れたいと思っています。シリコンバレーには少し劣りますが、日本にも同じ野心的な思想性はあります。古くはウォークマンや
最近では自動車のプリウスは、製品で世の中を変えようとして変えた、崇高な思想の例です。

日ごろ考えていたもやもやが、グーグルの思想性を糸口に晴れた感じです。

higekuma3higekuma3 2007/07/04 07:37 表面的には、そうです。考えがないのではなく、新しいことを考える人を排除する日本の会社の稟議システムが、問題なのです。iPodの基本特許である、ハードディスクウォークマンの特許は、ソニーが持っています。でも、ソニーのマネジメントが、それを大したことないと扱ったために、市場を作れなかったのです。表面的に、論じるのは、なんだかなぁと思いますね。

ユタカユタカ 2007/07/04 07:49 そうですね、higekuma3さんのするどいコメントはいつも深い考えがあります。

higekuma3higekuma3 2007/07/04 16:42 時期を同じくして、CDDBに「ネットウォークマン」に接続しようという企画を持って行った時にも、商品企画担当に、「そんな、だれが書いたかわからないデータベースに、ソニーが接続できるわけない」と50歳のおっさんでなく、26歳の若者に、言われてしまいました。あの頃だったら、まだ、グレースノートのブランドは、確立されてなかったら、ただで接続できたはずなのにね〜。 お悔やみ。

kawasan1kawasan1 2007/07/04 23:11 将棋を観戦するという行為は小生も良くやりますが、持ち時間の記載のない棋譜では、棋士の悩みどころが判らないため、書籍を斜め読みしたような気分しか味わえません。人間同士の戦いですから、ここで、迷って、結果悪手をさした・・・といったドラマを読み取る楽しみがあります。観戦記は、そうした人間の逡巡を伝えて欲しいとも思います。その意味で、今回の名人戦第6局の「名人が頭を抱えた」とか、「頭を叩いている」といった表現はその場を彷彿とさせるものであったと思います。

2007-07-02

[] 吉田秀和小林秀雄」(吉田秀和全集10所収)

音楽はどうにもこうにもからっきしダメなので、美術評論は読むのだが音楽評論だけは読まずに今日に至る。よって吉田秀和は絶対に読まないはずだったのだが、横浜逍遙亭がしばしばブログで盛んに勧めるので、音楽以外のエッセイや評論だけを全集から選んで三冊だけ買っておいた。

昨日ふと思い立って「小林秀雄」を読んで心動かされていたところ、これも偶然か必然かわからぬけれど、横浜逍遙亭の最新エントリーが「吉田秀和さんの番組を見る」だった。

実は吉田さんご自身は小林秀雄さんのことを書いた小さなエッセイの中で、『モォツアルト』をべた褒めしていたからだ。うろ覚えだが、戦後、『モォツアルト』を最初に読んだときには大きな啓示だったと書いていらしたように思うし、ある知人が『モォツアルト』を馬鹿にするのを聞いて、その時に反論しなかったばかりにその後しばらく人嫌いに陥ったとまで書いていたはず。

ところが、昨日のインタビュー吉田さんは『モォツァルト』と小林さんをはっきりと批判していた。自分ならもっと書けると思ったと語っていた。小林さんの『モォツァルト』は音楽的とは言えないとも。あぁ、やっぱりね、と思った。

とある。へえと驚いた。ちょうど僕はまさにこの「小林秀雄さんのことを書いた小さなエッセイ」を読んでいたところだったのだ。その文章「小林秀雄」はこう始まる。

小林秀雄の『モオツアルト』が『創元』という雑誌に発表され、それを読んだときのショックは一生忘れられないだろう。

昭和二十年の夏、太平洋戦争日本の完敗に終わると間もなく、私はそれまでのつとめをやめた。食べるあてがあったわけではない。ただ、戦争が深刻化するにつれて毎日つのってきた想い、何時死んでも後悔しないような生活を送りたいという熱望、それに自分を全部投げ入れることにしたのである。

そして吉田は「毎日毎日、音楽のことを、音楽音楽家についてのことを」売るあてもなく厖大な量、かきはじめる。

そういう時に、私は、小林秀雄の『モオツアルト』を読んだのである。(中略) 小林秀雄は、つぎつぎと問題をなげかけ、なげすてながら、前進する。問いは必ずしも答えを引き出さないが、読むものに、ある時は光を、ある時はショックを、ある時は喜びを、わかち与え、ある時は停止を要求し、自分でさきを考えるよう強いる。

私は興奮し、何度も何度も、途中でやめたり、くり返し読んだりする。その間に、音楽が鳴る。それもモーツァルトのとは限らない。(中略)

その少しあとで、私は有名な音楽学者に会った。たまたま、この『モオツアルト』が話題にのぼり、その人の口から、「文章がうまいというのは得なもんだね」という言葉をきいた時、カッと逆上して、もう少しで食ってかかりそうになった。それをしなかったおかげで、私は、長いこと、いろいろな人びとを軽蔑する病気にかかった。

ともかく、この『モオツアルト』は、私には啓示だった。

名文だと思う。これはたぶん昭和四二年に書かれたものなので、今から約四十年前。吉田が五十代のとき、むろん小林は生きていた。

吉田さんは『モォツァルト』と小林さんをはっきりと批判していた。自分ならもっと書けると思ったと語っていた。小林さんの『モォツァルト』は音楽的とは言えないとも。

という最近インタビューも四十年前のこの文章も、どちらも吉田小林に対する本心なのだと思った。横浜逍遙亭のおかげで、楽しいひと時を過ごした。

吉田秀和全集(全10巻) 第1期

吉田秀和全集(全10巻) 第1期

[] 今日短編(19) 井上靖「生きる」(「石濤」所収)

本を読んでばかりいる。

孔子」にとりかかる直前、著者最晩年の日常を綴ったもの。食道がん手術後、無意識のうちに何度も発していた言葉家族によれば、

地獄はあの世にはない。若しあるとすれば、この世にある。

だったと言う。

それから三年という歳月が流れている現在でも、その断定は、私の心の中の静かな安定の座を占めている、と言うことができる。"地獄"は来世にはなくて、いま生きている、この現世にあるのである。

そして隠遁について。

隠遁しようと思っても隠遁したりすることはできない。若しそういう隠遁者があったら、それは隠遁者とは言えないだろう。隠遁とは、自分が気付いてみたら、いつか、みごとに、世間というものと交渉を断っていた。或いは断たれていた。―それでいて、それが、さして淋しくも感じないし、気にもならない。これが隠遁というものなのだろう。

井上作品は、「異国の星」「本覚坊遺文」「孔子」を繰り返し読む。中でも本覚坊の「隠遁生活」が心にしみる。

異国の星〈下〉 (講談社文庫)

異国の星〈下〉 (講談社文庫)

井上靖全集〈第22巻〉

井上靖全集〈第22巻〉

孔子 (新潮文庫)

孔子 (新潮文庫)

[] 今日短編(18) 多和田葉子「海に落とした名前」

久しぶりの休暇中。

他者の悪夢の中に迷い込んだよう。

記憶がない。自分の名前がみつからない。手がかりはポケットの中のレシートだけ。スーパー本屋ロシアサウナ・・・・・・。」

という帯の文章からは、主人公の「落とした名前」を探す物語が始まるのかと思いきや・・・・

多和田葉子は、想像もつかぬことを書く人である。

海に落とした名前

海に落とした名前

読後、検索したら、管啓次郎氏のこの短編集への書評発見。この短編の直前に読んでいたのが氏の「ホノルルブラジル―熱帯作文集」(この人の文章にはいろいろな意味で豊穣な時間が凝縮されているから好きだ)だった。偶然が楽しい。でも偶然は必然なのかもしれない。

ホノルル、ブラジル―熱帯作文集

ホノルル、ブラジル―熱帯作文集

YOSHIBUYOSHIBU 2007/07/02 14:15 あなたの書いたウェブ進化論という本は余りよく分りませんでしたが、良い本らしいので此れからも頑張ってください。

naritokunaritoku 2007/09/15 14:42 古来、隠遁は権力の中枢近くにいた人間が権力者からの粛清を逃れるために行われることが多かったのではないでしょうか。権力に対する忌避感情がその動機の根底にあるような気がします。

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