My Life Between Silicon Valley and Japan このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-01-29

[] ウェブを面白がる年寄りが面白がった二人の対談(by 養老孟司)

養老孟司さんによる「ウェブ人間論書評(「フォーサイト」誌)が、ネット上にアップされ、全文読めるようになりました。「さすが養老節」という感じで面白いです。どうぞご一読を。

http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/review02.html

ウェブなんて話題に、そもそも年寄りが口を出すものではない。それならなぜお前が口を出すんだよ。だって書評を頼まれたから、仕方がないじゃないか。それに同じ年寄りでも、私みたいなオタク年寄りには、ウェブほどありがたいものはない。テレビなんてものを見ているより、はるかにマシな気がする。ところでウェブってなんだ。そう思った人は、インターネットを考えてくれればいい。それでわからなければ、メール。それでもダメなら、もう知らない。

時代というものがあって、いまの時代は年寄りが威張る。そのつもりはなくても、生きている以上、ジャマになるのは仕方がない。そんな時代に若い人はどうすればいいか。いちばんまともな生き方は、年寄りダメな世界で頑張ること。ならばウェブは格好の分野ではないか。

だからこの『ウェブ人間論』は、『ウェブ進化論』を書いた四十代の梅田望夫と、三十代はじめの作家平野啓一郎の対談になっている。とにかく一生懸命に話しているから、そこに大いに好感が持てる。私は高度成長期に生きたからひねくれていたが、いまは時代がひねくれているから、一生懸命のほうに加担したくなる。若い人に「べつにー」とかいわれると、頭に来るほうなのである。若いんだから、なんでもいいから一生懸命にやりゃいいじゃないか。というと、テロになったりするから、厄介だが。

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2006-12-27

[] これは受けた!

いままで読んだ感想のなかで、これがいちばん受けた。面白い。

勝手ながら、全文引用させていただく。お許しを。

http://www.heartlogic.jp/archives/2006/12/post_55.html

印象:「ウェブ人間論

徳光和夫江川卓が「プロ野球」を語っている日テレ番組みたいな感じがする。

年齢でいえば徳光=梅田/江川=平野という配置になるけど、その道の専門家である江川=梅田/外野視点から主観全開で語る徳光=平野という見方もできる。どちらかといえば後者の方がしっくり……ていうかどっちでもいい。

どちらにしても、彼らの発言は個人の立ち位置・経験に基づいたものであって客観的なデータなどはほとんど参照されず(対談集なのだから別に悪いことではないが)、そして、「プロ野球」全体を語っているはずなのに巨人を中心にしすぎる感じだ。

見ているこっちにはこっちの「プロ野球」観があるので、なんか立ち居地や議論の枠組みに違和感を感じてムズムズする。思わずひざを打つ部分もある一方で、もどかしさを感じる部分も多い。シゲ電話最近はタツノリ電話? 久しく見てないので分からない)にかけて突っ込みたい。

センスあるなぁ。最高でした。

2006-12-17

[] 人それぞれの個性について

ウェブ人間論」が木曜に発売になり、週末にはアマゾン予約注文が家に届いたりしたのだろう、日本時間日曜日午後くらいから、感想ネット上にたくさん載ってきている。「おわりに」でこう書いたが、

私は『ウェブ進化論』に対する感想を、ネット上で一万以上読み、そこからたくさんのことを学んだ。読者畏るべし、と思うことしきりだった。

全く同じことを「ウェブ人間論」の感想を読むことで感じることができてたいへん嬉しく思う。「シリコンバレー精神」のときは文庫化ということもあって、それほどネット上に感想が溢れるという感じではなかったから。

僕が平野さんとの対談をすべて終えて「おわりに」で何を書こうかと考えていたとき、まず頭をよぎったのは、僕と平野さんとの違いについてだった。

http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/afterword.html

 たとえば、平野さんは「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する人である。まじめな人なんだなあと、話せば話すほど思った。

 その点に関して言えば、私はむしろ「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える。社会をどうこうとか考える前に、個がしたたかに生きのびられなければ何も始まらないではないか、そう考えがちだ。

この観点に共振している書評がこれで、じつに面白かった。

「『ウェブ人間論』(2):個と社会/「ダークサイドに堕ちてますよ!」 」

http://blog.goo.ne.jp/kous37/e/4dd72a21c948d8977869dfd227ded42a

これを書いた方は、たぶん僕と同世代か少し上の方ではなかろうか。

平野梅田が「まじめな人」と評し、「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する人であるというように、私も思う。そのあたりの思考は、私も小中高大と一貫して公立・国立を出ている(おまけに都立の教員でもあった)から、よくわかるし、その思考の枠から逃げ出しがたい部分もあるくらいである。

一方梅田は自分の考え方を「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える、という。そしてこの考えもまた、私自身にとってはじつによくわかる考え方なのだ。

平野の考える人間関係は、「心の友」のようなもの、「ソウルメイト」といってしまうとまた別の話しになってしまうが、「本来『孤独な存在』である人間」がだからこそつながりを求める、という近代の荒廃した風景の中での何物にも変えがたいものとしての関係性をまず思い浮かべるのに対し、梅田には「たくさんいる友達や先輩後輩」とフランクにお互いに利用し利用されることでお互いに相手を益しあうことでともにうまくやって行こうという人間関係のとらえ方を感じるのである。

どちらが正しいか、ということは「ない」。しかし私自身は平野的な考え方を「正しい」と思い込んでか込まされてか、ここ数十年は思っていたことは事実で、特にこの十年ほどそういう呪縛が非常に強くあったと思う。この本を読んで自分自身について気がついたのは実はそういうことで、そういう意味で読んでいてどうも頭がふらふらしてしまうようなものを感じていたのだ。つまり、ある種の「洗脳」が解ける感じがしていたのだ。

詳細は全文をどうぞ。

さて、平野さんとの共通の友人・江島健太郎の文章が(最後に少し「ウェブ人間論」にも触れてくれている)、はてなブックマーク人気記事のトップに躍り出ている。

「グーグルが無敵ではないことはエンジニアだけが知っている」

http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/003431.html

江島節炸裂という感じで読んでいて楽しい。

エンジニアたちの強い共感を呼ぶのだろう。

さて、ぼくがグーグルの成功から学んだ教訓はこういうことだ。

まず、「ワタシはこの技術が絶対に次にくると思う」っていう言明には意味がない。ビジョナリーぶって色々なところにツバつけておいて、将来に「ほらね」って言いたいだけだ。悪いけど、それがどんなに先鋭的な専門分野であれ、口には出さずとも同等以上にわかってる奴はつねに100人はいる。それを論文にまとめたりブログに書いたりできるやつが10人ぐらいいて、本気でそれの実現に自分の人生を賭けるやつは1人しかいないっていうだけのことさ。

江島節の「さび」の部分はこれで、全くその通りだと思う。

口には出さずとも同等以上にわかってる奴はつねに1000人はいる。それを論文にまとめたりブログに書いたりできるやつが100人ぐらいいて、本気でそれの実現に自分の人生を賭けるやつは1人

に修正したくなるほどだ。

江島健太郎に続いて、はてなの近藤淳也もシリコンバレーにやってきて、身近で彼らの苦闘を眺めていると、「本気でそれの実現に自分の人生を賭ける」というのが、どんなに苦しいことなのか、誰にでもできることではない、ということが本当によくわかる(他者から苦しそうに見えるだけで、本人は楽しんでいる、あるいは、本当は傍目と同じように本人も苦しいのかもしれないけれど、そう生きるしか生きられない)。

つい先日もアメリカ人の本当にトップクラスのエンジニアと話していて、彼は優秀だけど「本気でそれの実現に自分の人生を賭ける」っていうタイプじゃないなぁ、とつくづく思った。本当にそういう人は少ないのだ。エンジニアだからそうだ、というのではなく、人間としてそういう狂気を持った人というのは、とても少ないのである。これは「ウェブ人間論」第三章のテーマでもある。

さて、僕の立場だが、「いい加減だ」と思う人もきっといるだろうが、自分が「口には出さずとも同等以上にわかってる奴」なのか「それを論文にまとめたりブログに書いたりできるやつ」なのか「本気でそれの実現に自分の人生を賭けるやつ」なのか、そのどれでもないどんなやつなのか、それをきちんと見極めて、それぞれサバイバルしてね、ということだ。誰かが自分とタイプが違うというだけで、攻撃したり否定したりしても仕方ないじゃないかという立場だ。個性の違う他者と、うまくやっていくすべを身につけて、サバイバルできればいいんじゃないのかな、ということだ。突然余談になり、しかも批判承知で言うが、田中角栄が解散総選挙の前に、自分の子分たちを集めて「演説会やなにやらで自分を徹底的に批判してもいいから、自分について何を言ってもいいから、選挙に勝って帰って来い」と言った、という逸話が僕は大好きなのだ。

極東ブログ「[書評]ウェブ人間論梅田望夫平野啓一郎)」

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/12/post_a97b.html

で、奇しくもfinalvent氏が指摘したように、僕はいまたまたま専門としている世界で「本気でそれの実現に自分の人生を賭ける」ような対象も狂気も持ち合わせていない。

梅田にとってはその狂気の由来が自己からは少し離れたものとして知覚されている。

梅田 僕には欠けている資質ですが、時代の最先端を走る彼らには、さっきのジョブズやベゾスと同様に、やっぱり何か狂気みたいなものがあるんです。それがないと時代を大きく変えるようなことはできない。

ただ「狂気を持った人」だけでも世の中は動かない。稀にいる「狂気を持った人」が人間的魅力という強い磁力で多様な個性を引き寄せるときに、はじめて世の中を動かすような何かが生まれる。僕は、大勢でなければできない仕事においては、間違いなく、引き寄せられる側の人間だという自覚がある。でもたった一人で何かができる世界でならひょっとすると「狂気を持った人」として何かが達成できるかもしれない、という思いは捨てていない。これは個性の問題である。

2006-12-15

[] 土井英司のビジネスブックマラソン

「毎日3分読書革命!土井英司のビジネスブックマラソン」

http://blog.mag2.com/m/log/0000135008/108036231.html

の「本日の一冊」で「ウェブ人間論」が紹介されました。日刊書評で879回ということは、もう丸二年半くらい続いているんですね。

http://eliesbook.co.jp/greeting/

を読んで、ああアマゾンの土井さんか、と思い出しました。今は独立されたんですね。

出版マーケティングコンサルタント / ビジネス書評

エリエス・ブック・コンサルティング代表取締役

日刊書評メールマガジン「ビジネス・ブック・マラソン」編集長

(略)

2000年にAmazon.co.jp立ち上げに参画。 エディターとして本の選定や著者インタビュー、書評執筆を担当。その後バイヤーとしてビジネス書、語学書、コンピュータ書を担当。

2006-12-13

[] 羽生善治三冠による「ウェブ人間論書評「時代の変わり目の深い考察」

羽生善治三冠による書評「時代の変わり目の深い考察」が、新潮社「ウェブ人間論」公式サイトにアップされました。

http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/review.html

ウェブ人間論」は、ネット書店や早い書店では14日(木)から、遅くとも15日(金)には書店に並びます。

時代の変わり目の深い考察

羽生善治 (はぶ・よしはる 棋士) 

ウェブ人間論』には時代の変わり目に対して深く広い考察が示唆されている。多くの人が現代が変化に富んだ激動の時代を生きていると実感している。しかし、その実態や度合となるとあまりにも漠然としていて途方に暮れてしまう。梅田氏と平野氏の長いマラソンのような対話は全く異なるジャンルでありながら、それに対してもつれた糸を解きほぐすような地味で根気を必要とする意義深い作業のように思えた。

 シリコンバレーに存住し、インターネットの世界の変遷を十年以上に亘って現場で体感している梅田氏は本当の大変化はこれから始まると色々な形で発信している。平野氏はヨーロッパに脈々と流れる哲学と思想、文学の可能性を信じ、意欲的な作品をデビュー以来、発表し続けている。

“文明の衝突”ではないが、その会話からどんな接点が表われ、どんな方向へ議論が進んで行くのか、期待を持ちながら読み始めた。お二人は決して妥協をすることなく、また特定の話題を避けることもなく、現在ある二つの世界、存在、またその狭間について、的確に評論、実践されていてとても多くの示唆を示してくれている。

 また、読み進めて行く内に両氏の考えが更にパワーアップし、進化をとげているような感覚に襲われた。

 それはまさに現代に起こっている出来事がこの場にも同時に起こっているようだった。

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つづきはどうぞ新潮社の公式サイトでお読みください。

http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/review.html