従属という名の自由〜ソーシャルネットワークという疑問〜

ソーシャルネットワーク」。
直訳すると「社会的情報網」というところなのだろうか?
そのソーシャルネットワークの一つ、mixiミクシィ)というのに、師に誘われて数ヶ月前から入っている。
入っているのだが・・・
ここ一ヶ月近く、いや二ヶ月、いやそれ以上の間、完全放置状態である。
もちろん、引越しという大きな理由があることは確かだが、こうしてブログを細々と再開できるほどの余裕を得るにいたっても、まだ、一度たりとも、ログイン画面にすらアクセスしていない。
なぜか。
理由の一つは、私には、この「ログイン」というものがやたらめんどくさく感じられてしまう、ということなのだ。なぜだか。*1
そして、もう一つ。
これが根本的な理由なのだが、今もってこのソーシャルネットワークというものが、一体何なのか、どういう意味を持つものなのか、さっぱりわからないのである。
もちろん、すでにファンを擁する文壇人や論壇人、芸能人に一芸者などであれば、ブログなんかよりもはるかに密な、コアな関係性を築くことができるのだろう。
また、ネット関連業界人や、デジタルクリエイターなる人々にとっては、同好の士、あるいは仕事上のパートナー探しにも役立つことだろう。
ついでに、若い女性であれば、匿名の利便性でもって、めったやたらに男性から声をかけられて(コメントを書き込まれて)、一種のネットアイドルとなることもあるだろうし、そこから発展して出会い系的な作用も持ちうるだろう。
が、しかし。
私のような、特に取り立てて芸もなく、ついでに身長も体重も平均に満たず、姿形も特にどこをどうナナメに見ても秀でているわけでもない男性が、ソーシャルネットワークに参加して、一体、何をどうすればいいのだろうか?
とりあえず、実名と実写真つきで参加しているものの、それがまた逆に「壁」になっているように感じる。正直なところ、友達が多いほうではまったくないので、そこを掲示板代わりに友達を誘いまくって友達の輪を広げてみるとかいうことは、皆無である。
ついでにいえば、掲示板は掲示板で別にあるし。
また、「機能」として付いている「mixi日記」であるが、はっきりいってブログで手一杯のところを、どうして二重に違うネタを日々考えろというのか。そりゃま、出来るお人もいるでしょうけど。

こういう疑問を生む根本的な要因として、一つ考えられるのが、ネットという全方向型開放システムの中に作られたこのソーシャルネットワークというものに対して、私が「島」的な閉塞感を感じているのかもしれないということだ。
確かにソーシャルネットワークにはさまざまな機能がある、さまざまな娯楽がある。
その中でハマッてしまえば、そこから「出ず」に一日過ごすことも可能であろう。
しかし、しかし、・・・・・・しかし。

せっかくネットというフリースペースにいながら、なぜ、わざわざそのような閉鎖的な空間を作る必要があるのか。
閉鎖的であるからこそ、一種の「自由/義務」的な空間が獲得できるということなのか。
ではなぜ、私はその閉鎖的空間に入会していながら、内部にいながら、そこにさらなる閉鎖性、外部感覚を感じてしまうのか。

それはつまり、結局、私がどこにも所属していないからなのか。
どこかに所属、帰属、従属、隷属、するからこそ、安心と開放感と自由と行動力を、人は得ることができるということなのか。




結局、私がどこにも所属していないことが・・・そもそもの・・・・・・

*1:はてなも、ログインしたままでブラウザをシャットダウンすることがしばしばある。これには何かデメリットがあるのだろうか?よくわからない。